殴り屋さん


 私には、良いストレス発散の方法がある。

 みんなに秘密で、絶対に教える事はないもの。

 もしも知られたら、大人は騒ぐし同級生は真似をするはずだ。


 それだけは嫌だから、絶対に秘密にしていなければならない。





 私はストレスが溜まったら、とある公園に向かう。

 その時は友達の誘いも断って、そして誰もついてきていないのを確認しながら歩く。

 たまに私がどこに行くのかを知りたくて、尾行してくる人がいるから注意しなきゃいけない。

 彼氏とかじゃないと何度も言っているのに、どうして分かってくれないのだろうか。


 そういう子とは、これからの付き合いを考えてしまう。

 まあ、仕返しはしているつもりだけど。



 公園についた私は、人がいないのを確認すると中へと入る。

 そんなに遅い時間じゃないから、普通だったら子供とかがいるはずなのに、この公園に人がいるのを見た事が無い。

 それが不思議なのは分かっているけど、好都合でもあったから私は気にせずにすべり台の下まで歩く。


 ……いた。

 そこには数日前と同じように、ブルーシートの上に座った老人の姿があった。

 真っ白な髪に、顔を覆いつくすほどの真っ白な髭。

 そのせいで、どこを見ているのか分からない顔。

 ボロボロの服を着ているせいで、ホームレスに見えるから近づきたくないタイプではあった。

 でも私の目当ての人は、この人である。

 いや、正確には違う。

 彼が座っているブルーシートの上にある、段ボールで作られた看板。


『殴り屋 五百円で誰でも殴ります』


 これが私の目的だった。


 この殴り屋というのは、文字通り依頼をすれば誰でも殴ってくれる。そんな、便利な事をしてくれるものだ。

 依頼をする方法は簡単。

 殴って欲しい人の写真を見せて、彼の脇にある空き缶の中に五百円を入れるだけ。

 そうすれば数日の間に、その人は顔を真っ赤にはらせる事になる。





 この人を見つけられたのは、本当に運が良かった。

 その時は、クラスメイトの一人と喧嘩をしていて、一週間ぐらい口をきいていなかった。

 原因は明らかに向こうにあるのに、何故か私が悪いと周りに触れ回っていて、本当にムカついていた。

 前から嫌な奴だとは思っていたけど、今回の事で人間として終わってると思った。


 その子のせいで友達も私から距離を置いていて、帰り道も一人で帰っていた。

 いつもなら真っ先に家に帰っていたけど、その日は気持ちが落ち込んでいて、いつもとは違う道へと足が勝手に進んだ。

 そして見つけた公園に入り、ただ何も考えずに中を歩き回った。


 そうしていて、すべり台の下にいる彼を見つけた。

 最初に見つけた時は驚いて、とんでもない叫び声をあげて逃げようとした。

 今までにそう言ったホームレスみたいな人に、会った事が無かったのだから仕方がない。

 それでも男性はピクリとも動かずに、私の方を見もしなかった。

 私は口を抑えて、でも逃げるのは止める。

 それは、段ボールに油性ペンで書かれた文字が目に入ったからだ。


「……殴り、屋? 誰でも殴りますって……」


 文字を読みながら、私はゆっくりと近づく。

 そして、男性の前にしゃがみ込んだ。


「あの、本当に誰でも殴ってくれるんですか?」


「……」


 恐る恐る聞いてみたんだけど、返事は無い。

 私はムッとしながらも、スマホを取り出して男性の前にかざした。


「この子、殴ってくれませんか? えっと、五百円出せばいいんですよね。……ここに入れますね」


 そこには喧嘩をしている最中の、友達の写真がうつっていた。

 その時は本気でムカついていたから、ただの満足の為に見せた。

 これで何も起きなかったとしても、少しはすっきりするだろう。


 そう思って、財布からお金を取り出して空き缶の中に入れた。


「よろしくお願いします」


 そして一度手を合わせてから、立ち上がって公園から出た。

 家に帰った後、五百円はちょっともったいなかったと思ったけど、もう渡したからしょうがないと諦めるしかなかった。



 でも次の日、学校に行くと写真を見せた子が顔を真っ赤にはらしているのを見て、考えは一気に変わった。

 本当に、あの男性が殴ってくれたんだ。

 それが分かったら、その子に対して少しだけ申し訳ない気持ちと、ざまあみろという気持ちで変な顔をしてしまった。

 友達には不審がられたけど、別に私の仕業だとはバレずに済んだ。


 私はその日、学校が終わるのが待ち遠しかった。

 頭の中に浮かぶのは、早くあの公園に行きたいという考えだけ。

 先生の話も退屈で、イライラとしたけど文句を言うわけにもいかず、ようやく長い時間を終わらせた。


 ホームルームが終わると、友達の声も聞かず荷物をまとめて教室から出た。

 何にも興味がうつる事なく、私は公園に到着する。

 そしてその勢いのまま、すべり台へと走った。


 そこには、男性が昨日と変わらずにいた。

 私は息を切らしながら、話しかける。


「あっ、あのっ! 昨日、依頼したんですけどっ! もしかして、あの子を殴ってくれたんですか?」


「……」


 また、返事は無かった。

 私は会話をする事を諦めて、そしてまたスマホを取り出した。


「まあ、いいや。また頼みたいんですけど。今度はこの人。担任なんですけど、よろしくお願いしますね」


 すでに、この男性の事は信じている。

 そうなったら今度は、次のターゲットをやってもらうだけ。

 私は完全に笑っていた。

 五百円を払うだけで、嫌いな人やムカつく人を傷つける事が出来る。

 しかも私がやっているわけじゃないのだから、絶対にバレないだろう。


 何て良いものを、私は発見したのか。

 これからも、たくさん利用させてもらおう。

 私は財布から五百円玉を取り出して、そして空き缶の中に静かに入れる。

 そうすれば、男性がこちらをちらりと見たような気がした。

 すぐにそっちを見たけど視線は合わなかったから、たぶん気のせいだったのだろう。


 私はまた頭を下げて、昨日よりも足取り軽やかに公園を出た。





 そしてその数日後に、担任は誰かに殴られたと言って学校を休んだ。

 警察沙汰にもなって、少しヒヤッとしたけどバレる事は無かった。

 私はその事にほっとしながらも、余計に調子に乗った。

 これを誰にも知られなければ、いつまでも人を間接的に傷つける事が出来る。

 何て素晴らしいものを、見つけてしまったんだろうか。



 私はそれからも、しばしば殴り屋を利用していた。

 担任やクラスメイトから始まって、近所で嫌な態度をとって来た見知らぬ人も殴ってもらった。

 その全てを五百円で、しかもバレる事なくやってくれたんだから、凄いとまで思ってしまうほどだ。

 こうして、どんどん調子に乗った私は止まらなかった。


「今日はこの人、お願いします。二人だから千円払えばいいんですよね。ここに入れておきます」


 今日の私は、いつもとは違う依頼をしようとしていて、そのせいでとても緊張していた。

 スマホを持つ手も震えて、落としそうになりそうだった。


 それでも、依頼を取り消す気はない。

 私は深呼吸をして、覚悟を決める。


「お願いします。どうか、どうか。私の両親を殴ってください!」





 両親を殴ってもらう事にしたのは、今までに色々とあったせいだ。

 私の親は、いわゆるネグレクトというものだった。

 金銭面的に生活は満ち足りていたけど、愛情を感じた事は今までに一度も無かった。

 私が生きていても、死んでいても構わない。

 たぶん、顔すらも覚えていないんじゃないだろうか。

 そうなってもおかしくないぐらいは、私に無関心だった。



 でも私が大学は私立を受けると担任に言ってから、態度を変えて来た。


 その勉強は国立の大学でもできるだろう。

 わざわざ高い金を払って、私立に行かせても何にもならないはずだ。

 それなら家を出て、自立して働け。


 要約すると、こんな話。

 珍しく家にいると思ったら、そんな事を言われるとは。

 私は開いた口がふさがらずに、反論をする事も出来なかった。

 そんな私を興味無さげに見つめて、両親は部屋に戻る。


 私以外に誰もいなくなった部屋で、一人俯いていた。


「違うもん。その大学には、一番良い先生がいるから。それに、そこの大学の方が就職しやすいし。……何も考えていないわけじゃないのに」


 涙も勝手に出てきて、声は嗚咽混じりになってしまう。

 分かっていた。

 伝えたい事は、言わなければ意味が無い。

 今まで話をしなかったからといって、自分の意思を伝えられなかったら駄目だ。


 でも私には、今から二人の部屋まで行く勇気なんてとても無かった。

 そして唐突に、私は思ったのだ。

 両親を殴り屋に、殴ってもらおうと。





 それからの行動は早かった。

 私は家の中を漁り、両親の写っている写真を探した。

 しかし、どこをどう探しても見つからず、私はものすごく焦った。

 依頼をするのに写真が無ければ、やってもらえない。

 後で掃除をすればいいやと、私は家中を引っ掻き回して、そしてやっとの事で一枚の写真を見つけた。


 それは少し前の、親戚の集まりで撮ったものだった。

 両親が並んで座っていて、すみにぼやけた私の顔が見切れている。

 五歳のいとこが間違えて撮ってしまい、何だかんだ残していたもの。初めての三人の写真。

 思い出じゃなく、こんな事に使うとは。

 でも悪いのは私じゃなく、二人なんだ。

 そう言い聞かせて、写真をカバンの中に入れた。





 そして今、殴り屋に頼んでいる。

 両親が殴られる事に、特に今は何も感じていない。

 だから、いつものように写真を見せて、お金を缶の中に入れると、私は公園から出ていこうとした。

 でも何かが、それを阻んだ。


「えっ? 何? 何ですかっ!?」


 腕を掴まれたせいで前に進めなくなった私は、後ろを振り返った。

 そこには、今までブルーシートに座っていたはずの男性の姿があって。

 私を空洞のように黒い目で見つめてきて、出会ってから初めて口を開いた。


「……いらいをうけたから、なぐる」


 抑揚の無い声で言った後は、腕を振り上げてくる。

 その一連の動作をスローモーションのように見ながら、私は驚くぐらいに何も感じていなかった。





『殴り屋さん』

 ・公園のすべり台の下で、ブルーシートを敷いて座っている男性。

 ・誰でも好きな人を殴ってもらえて、一回五百円と格安。

 ・でも、依頼をする時は気をつけなければならない。

 ・男性は、ただ機械的にやっているのだから。人間らしい心は持っていない。

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