隣人のおすそ分け
「また肉じゃがを作りすぎてしまったの。だから、もらってくれないかしら」
「いつもありがとうございます。わあ、すっごく美味しそう!」
インターホンが鳴ったので扉を開ければ、鍋を持った隣りの三島さんが満面の笑顔で立っていた。
その鍋から漂う美味しそうな香りに、私は顔をほころばせて笑う。
隣人の三島さんは六十代の主婦で、お子さんが自立した今、旦那さんと二人で暮らしているらしい。
それでも子供がいた頃の感覚が残っているようで、たまにおかずを作りすぎてしまう。
旦那さんとでは消費しきれないそれを、なんと優しい事に私に分けてくれるのだ。
こういうやり取りをする前から、会えば挨拶をして世間話もしていたので、全く抵抗はなかった。
むしろ、三島さんの作る料理は美味しいから、楽しみにしているぐらいだ。
「それじゃあ、お鍋は食べ終わったら返してくれればいいから!」
「はい、分かりました!」
鍋を私に渡すと、彼女は手を振って帰っていった。
今日は世間話をせずに、用事は渡すだけだったみたいだ。
私は玄関の扉を閉めると、早速鍋をコンロにおいて火にかける。
そこまで冷めていなかったおかげか、すぐグツグツという音を立て始めて、さらにいい匂いが部屋に充満する。
私は鼻歌を奏でながら、肉じゃがを煮崩れしないように混ぜると火を止める。
そしてじゃがいも、肉、にんじん、しらたき、玉ねぎという定番の食材を、バランスよく皿に盛り付けるとテーブルの上に置いた。
そこにはすでに、ご飯と味噌汁、漬物に焼き魚と料理が並んでいる。
そうなのだ。
先程まで私は朝ごはんを作っていて、ちょうど食べようとした時にインターホンが鳴ったので本当にいいタイミングで肉じゃがが届いてくれた。
私は一品おかずが増えたのを嬉しく思いながら、椅子に座る。
「いただきます!」
手を合わせて挨拶をすると、真っ先に肉じゃがに手を伸ばした。
箸に軽く力を込めれば、簡単に割れるじゃがいも。
それを一口サイズに小さくすると、口へと運んだ。
「んー! 美味しい!」
私はあまりの美味しさに体を左右に揺らしながら、小さく叫ぶ。
三島さんの料理は何でも美味しいけど、その中でも一二を争うぐらいだ。
私は箸が止まらずに、あっという間に食べ終えてしまった。
「ごちそうさまでした」
満足しながらお腹をさすれば、そろそろ出かける準備をしなければいけない時間になっている。
私は慌てて食器を片付けると、準備を始めた。
まだ鍋に残っている肉じゃがは、夕飯のおかずにもしよう。
そう考えれば、仕事も頑張れる気がした。
「ただいまー」
クタクタになりながら家に帰れば、返ってくるのは静寂だった。
一人暮らしなのだから当たり前だけど、寂しさを感じてしまう。
……返事があっても、それはそれで緊急事態なのだけど。
それでも、たまには返事が欲しいと思うあたり、頭がおかしくなっているのかもしれない。
そんな寂しい私だけど、何て言ったって今日は肉じゃがが待っている。
荷物を素早く片付けると、私は夕ご飯を作るためにバタバタと動き回った。
そして今までに無い位のスピードで準備を終わらせると、私はまた肉じゃがを堪能した。
今朝食べたばかりなのに、感動は薄れる事が無い。
最後のひとかけらを名残惜しく口に入れると、私はため息をつく。
全部、食べてしまった。
私は無くなってしまった事に、悲しみを覚えてしまう。
もっと大事に食べたいけど、悪くしてしまっても駄目だ。
「……鍋、洗わなきゃ」
私は気持ちを切り替える様に、勢いよく立ちあがった。
そして鍋を、丁寧に綺麗に洗う。
ピカピカになったのを確認すると、私は満足した。
「よし。……これで、後は」
そして諸々の作業をして、テーブルへと戻った。
お腹がいっぱいになり、まどろみながら私は考える。
三島さんの作る料理は、どれも美味しいのだけれど不思議な事がある。
それは、いつも肉を使っているという事。
別に嫌なわけじゃないけど、何でだろうかと思ってしまう。
理由を聞いた時もあったけど、別の話で誤魔化された。
それ以来、聞けていない。
知った所で、別に何かが変わるわけじゃないから、そこまで興味は無かった。
今日は時間がもう遅い、鍋を返すのは明日にしよう。
私はそう考えて、寝る事にした。
「美味しかったです。いつも、ありがとうございます」
「あらあらあら。もう食べてくれたの? さすが若いから、凄いわあ」
鍋を返しに行くと、三島さんは驚いた顔をしながら出迎えてくれる。
まあ、もらったのは一昨日だから早いと言えば、早いのかもしれない。
「そういえば、肉じゃがの肉って何だったんですか? 豚でも牛でもないですよね」
「ん? ああ、秘密よ。あまりメジャーなものじゃないから、知らない方が美味しく食べられると思うわ」
「はあ、そうですか」
食べた感想を言うついでに聞いてみたのだけれど、また誤魔化されてしまった。
私も特に気にせず、話を変えた。
「そういえば旦那さん最近見ないんですけど、どこかお体の調子でも崩されているんですか?」
「えっ。……あ、ああ。そうね。今、出張に行っているのよ。だから、会っていなくてもおかしくはないわ」
その言い方にひっかかりを感じた。
しかし、会話を終了されてしまって聞けなかった。
家に帰った私は、色々と考える。
三島さんのあの様子。そして謎の肉。
頭に浮かぶのは、嫌な想像ばかりだった。
……まさか、まさかね。
もしもそうだとしたら、胃の中を吐き出してしまいたくなる。
今度、何かまたもらったら聞こう。
私はそう思って、これ以上考えるのは止めることにした。
しかし、それからしばらくの間、おすそ分けが無かった。
まだかまだかと待っていたから、そのせいで仕事にも集中出来なかった。
そして旦那さんの姿も、未だに見ていない。
出張にしては、あまりに長すぎるんじゃないか。
そう思ったけど、別に死体や証拠があるわけじゃなかったから、警察に通報できなかった。
そんな風に悶々と過ごしていたある日、ついにその時が来た。
インターホンが鳴り、私は料理していた手を止めて玄関へと走った。
「こんにちは。……三島さん!」
扉を開けた私は、そこに立っていた人物を見て驚いた。
そこには、三島さんの旦那さんの姿があった。
手には紙袋を持っている。
「お久しぶりです。これ、出張のお土産なので、良かったらどうぞ」
その紙袋は、私宛のものだったらしく渡された。
無意識に受け取った私は、内心でほっと安心する。
警察に連絡しなくて良かった。
本当に出張だったなんて。
自分の早とちりで、大変な事を起こすところだった。
私は表情に出さないように気を付けて、世間話をする。
「ありがとうございます。……あ、そうだ」
そして、せっかくお土産をもらったからお礼をすることにした。
「ちょうど今作っていたので、奥様と召し上がってください」
「そんな悪いですよ」
「いえいえ。作りすぎてしまったので」
私はタッパーに入れたそれを、押し付けるように渡す。
それを受け取った旦那さんは、目元にしわを出して笑いながら聞いてきた。
「ありがとうございます。……いつも、もらっているものですよね。とても美味しくて私好きなんですよ」
「それは良かったです」
「ところで、これは何で出来ているんですか?」
私はそれに、笑って答える。
「……秘密です。なじみのない食材を使っているので、知らない方が美味しく食べられると思いますよ」
『隣人のおすそ分け』
・仲のいいお隣さんが、おすそ分けしてくれるおかず。
・それはとても美味しくて、もらえるのを楽しみにしている。
・しかし何を使っているのか。
・作った本人にしか分からない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます