ティッシュ配りが配っているもの


「私、もうすぐ死ぬのかもしれない」


 親友の千鶴がそんなことを言い出したのは、私が家に遊びに来た時だった。



「何、言ってるの?」


 私は冗談だと思って、笑い飛ばそうとした。

 だけど千鶴の顔は真剣で、笑おうとした顔が固まった。


「え。嘘、マジ。何で? 病気?」


 すぐに頭に浮かんだのは、病気という言葉。

 私にはそれ以外に、死ぬという原因が見つからなかった。


 でも千鶴は、悲しげな顔で首を振る。


「違う。病気とかじゃない。でも死ぬの」


「何で? 病気じゃなかったら、どうして死ぬの?」


 意味が分からなくて、私は彼女の元に詰め寄った。

 真剣な顔だから嘘じゃないにしても、どうしてなのか理由を教えて欲しい。

 肩を掴んで問いかければ、千鶴は私から視線をそらした。


「だって、私。とんでもない事をしちゃったから。本当にありえない事を……時間を戻したい」


 そしてその瞳から、ほろりと涙がこぼれる。

 あまりにも悲痛な様子に、私は掴んでいた手をはなして背中をそっとさすった。


「どうしたの? 何があったのか、私に教えて」


 千鶴は私の親友なのだ。

 そんな彼女が苦しんでいるんだとしたら、私は助けたい。

 だから何で急にこんなことを言い出したのか、まずは知らなければならない。


 どんな事情があっても、私は彼女の味方だ。


 私の熱意におされたみたいで、そろそろと目線をこちらに向けてきた。

 その目からは、未だにポロポロと涙を流している。


「沙織……ありがと。あのね、嘘じゃないんだけどね。私、ティッシュを受け取らなかったの。だから死んじゃう」


「……はあっ⁉ ティッシュを受け取らなかったから? どういう事?」


 それでも彼女の言葉に、私は少し強めの声を出してしまった。

 そのせいで千鶴は怯えて、また視線をそらしてしまう。

 私は自分の行動に後悔しながらも、でも更に意味が分からなくなって困った。

 ティッシュを受け取らなかったら死ぬって、どこをどうしたらそうなるんだろうか。


「ご、ごめん。怒鳴ってごめんね。あの、私にも分かるように、教えてもらっても良い?」


 千鶴は真剣だから、詳しく話を聞けば意味が分かるのかもしれない。

 だから優しい声を意識して、彼女の背中をさすり続けた。


「あの、ね。道とかで、ティッシュ配りをしている人がいるでしょ? そういう人の中にね、特別なものを配っている人が紛れ込んでいるの」


「特別な人?」


「そう。その人は一見、普通にティッシュを配っている人に見えるの。でもその人が配っているのは、残りの寿命なんだって。だから受け取らないと、本当はあったはずの寿命が残り僅かになるらしいの」


「は、はあ」


 未だに何を言っているのか分からなかったけど、私は今度は話を止めなかった。

 次に同じような事をしたら、もう二度と話してくれなくなると感じていたからだ。


 何とか続きを話してくれるように、私は頑張った。

 そのおかげで、千鶴は話の続きをしてくれるみたいだ。


「私だって最初は嘘だと思った。でもね、現にそれで若いうちから死んでいる人が、たくさんいるの。ネットの掲示板を見て、そういう人が多くて、私怖くなって。だから沙織、助けて!」


「た、助けるって。でも、どうやって。私に出来る事なんて、無いでしょ」


 それでも逆に彼女に肩を力強く掴まれた時は、顔が引きつって逃げようとした。

 でも力が強すぎて動けない。

 私は顔を引きつらせながら、千鶴の掴んでいる手に触れた。


「きっと千鶴の気のせいだって。そんなティッシュを受け取らなかっただけで、死ぬなんてことがあったら大体の人は死んでるでしょ。その掲示板に書かれているのは、嘘か偶然そういう人がいただけ。だからそんなに怖がらないの。ね?」


 何とか冷静な考えに戻ってもらうために、私は子供に言い聞かせるように優しく言う。

 千鶴もそれで落ち着いてくれたみたいで、掴んでいる手を外して無言でスマホを取り出し操作をし始めた。

 そして私に画面を突きつけてくる。


「これ、見て」


 少し怖い顔をしているせいで、その気迫に押されて私はスマホを受け取る。

 画面を見てみると、そこには掲示板なのかスレで溢れていた。

 千鶴が見て欲しいのは、その中にあった動画らしい。

 私はURLを震える手で、クリックした。


 少しの時間が経って、再生される動画。

 そこには、一人の男性が映っていた。

 その男性は若そうなんだけど、髪もボサボサ頬をこけていて、まるで死神みたいだった。

 彼は画面をじっと見つめながら、ゆっくりと口を開いた。


『俺は……とんでもない事をしてしまった。最近、噂になっているティッシュ配りを探しに行って、そしてティッシュを受け取らなかった。そのせいで俺の寿命は、残り僅かになってしまった。きっと俺は、もうすぐ死ぬ。ゴホッゴホッ!』


 とても話しづらそうに、長い話を言い終えると大きく咳込みだす。

 その咳は一向に止まる気配が無く、ついには画面から男性は姿を消した。

 でも咳をする音だけは聞こえてきて、どんどんそれは酷くなっていく。


 そして突然何かを吐き出すような音と、呻き声が聞こえた後は、急にぱったりと静かになってしまった。

 そのまま特に何かが起こる事なく、映像は終わった。

 私はスマホを手にしたまま、固まってしまう。

 この見せられた動画が、一体何なのだろうか。


 これだけじゃ別に、そのティッシュ配りを信じるほどの説得力はない。

 ティッシュ配りの噂は実際にあるのかもしれないけど、この動画はそれを知った人が悪ふざけで作った可能性がある。

 千鶴は私にこれを見せて、信じてもらえるのだと思ったのだろうか。


 少し呆れながらも、私は彼女にスマホを返した。


「沙織……信じてくれた?」


 受け取った彼女は、心配そうな目で私を見てくる。

 きっと信じてもらえるのかどうか、不安なんだろう。


 私は全く信じていなかったけど、安心させる為に彼女の手を握った。


「大変だね。私に出来る事なら、何でもする。だって千鶴は、私の大事な親友なんだから」


 こう言えば、安心して話をしなくなる。

 そう思っての事だったけど、効果があったみたいだ。


「ありがとう。ありがとう。沙織なら、そう言ってくれると思ってた。……あのね、一緒にティッシュ配りの人を探して欲しいの!」


「うん分かった。今日は時間が無いから、仕事が休みの時でいい?」


「あっ、そうだよね。分かった。休みの時ね」


 千鶴は少し悲しそうにしながらも、納得してくれた。

 私は少し前まで思っていたはずの、彼女のためなら何でもするという気持ちがどこかにいってしまった事に気がついていなかった。


 そしてまさか、これが千鶴と話す最後の会話になるなんて、夢にも思っていなかった。





 千鶴は死んだ。

 病気でも事故でもなく、突然の死だったらしい。

 彼女の母親から連絡が来た時、私は驚きと共に強い後悔に襲われた。

 ティッシュ配りと千鶴の死が、関係しているとは未だに思えなかったけど、怯えている彼女の話をもっと聞いてあげればよかった。


 でもどんなに後悔しても、もう千鶴は戻ってこない。

 私は通夜と葬式に参列しながら、どこか悲しみきれなかった。

 それはたぶん、最後の会話があんな風になってしまったからだろう。


 人は、いつ死ぬか分からない。

 だから、後悔しないように生きなければ。

 千鶴の死で、私は強くそう思った。





 それから、数年の月日が経った。

 私の中では、千鶴のことが徐々に過去のものへと変わっていた。

 誕生日や命日には思い出すけど、線香をあげに行くほどでなかったし、彼女の両親と連絡も取っていない。

 薄情、と言われればそれまでかもしれないけど、人というものはそんなものだ。


 例え親友だったとしても、ずっと心の中心にいる訳では無い。

 仕方の無いことだった。


 それに仕事や生活もあるのに、死んだ人に構っていたら潰れてしまう。

 申し訳ない気持ちもあったとしても、毎日千鶴を思うことは無い。


 しかし、例外もあった。

 それは街中を歩いていて、ティッシュを配っている人を見つけた時だ。

 そういう人を見ると、自然と体が固まってしまう。




 私は千鶴が死んだ事と、ティッシュ配りが関係しているとは思っていなかった。

 だけどそう思っていられたのは、少しの間だけ。


 ある日、道を歩いていた私は、ティッシュ配りが行く先にいるのを見つけた。

 私は千鶴の事を思い出して緊張をしたけど、関係無いと自分に言い聞かせる。

 それでも通り過ぎる際に、いつもはもらわないティッシュを受け取ったのは、怖いという気持ちがあったからに他ならない。


 配っていたのは、男性だった。

 これといって特徴のない人で、一秒経てば直ぐに忘れてしまいそうな感じ。


 そんな男性だったのだけど、すれ違った後に聞こえた声は、明らかに女性のものだった。



「沙織は受け取るんだ……信じなかった癖に」



 それが誰のものか、私はすぐに分かってしまった。

 でも、絶対にありえないはずのもので。

 私は声を耳にした途端、急いで振り返った。


「千鶴!?」


 その名前を呼びながら後ろを見たけど、そこに立っていたのは、驚いた顔をしている男性だけ。


「あっ、なんでもないです。すみません」


 私は恥ずかしくなって、顔をうつむかせて走った。

 千鶴の話につられすぎて、彼女の声が聞こえた気分になるなんて。

 考えすぎだ。

 私は人がいなくなる所まで走り、自嘲気味に笑った。


「怖がってちゃ駄目よ。千鶴は、もう死んだの。死んだの!」


 何度も言い聞かせて、そして気持ちを落ち着かせる。

 今日の事は、偶然だ。



 私はそう思っていたけど、それから色々とあって考えを変えざるを得なかった。

 何故かティッシュ配りからティッシュを受け取る度に、千鶴の声が聞こえる。

 それはとても恨めしそうで、私を心から憎んでいそうで、聞くたびに恐ろしい気持ちが湧いてきた。


 いや、きっと千鶴は私を憎んでいるのだ。

 彼女の話を信じなかったくせに、こうして自分は死にたくないと思っているからティッシュを受け取る私を。


 でも私は、これからも受け取らない選択肢は選ばない。

 そうでもしないと、もしかしたら私が死んでしまうかもしれないから。

 例え千鶴の声が聞こえたとしても、今のところ私に害はないのだから。


 彼女の話を聞かなかったのは悪いと思うけど、誰だって同じ事をするはずだ。

 悪いのは私じゃない。

 ティッシュ配りの話を知りながらも、受け取らなかった千鶴だ。





『ティッシュ配りが配っているもの』

 ・受け取らない人の方が多い、ティッシュ配り。

 ・でも時々いる、その人は違う。

 ・配っているのはただのティッシュじゃなく、人も寿命という噂。

 ・もしも受け取らなかったら、その人は……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る