近づいたアイドル
僕の推しのアイドルは、いわゆる地下アイドルというもので、月に数回小さなライブハウスでコンサートをしてくれる。
それを見に行く為に、仕事を頑張っているといっても過言じゃない。
彼女の名前は、星の宮カレンちゃん。
たぶん芸名だけど、そうだとしても構わない。
染めたことの無いような、つやつやとした黒い髪を耳の上で二つにしばり。
僕の半分もないんじゃないかというぐらい顔は小さいし、お人形みたいに可愛い。
どこもかしこも小さくて細くて、守ってあげなきゃという気分になる。
歌は少し下手だけど、ライブ中ファンサービスは欠かさないし、握手会も定期的にしてくれる。
僕にとっては、もはや女神と同じレベルにいた。
地下アイドルのままで埋もれるのは可哀想だと思うけど、下手にメジャーデビューして遠くなってしまうのは寂しい。
そんな矛盾する気持ちを抱えながら、僕はカレンちゃんを応援していた。
今日も今日とて、僕はカレンちゃんのライブに来ていた。
しかも今回は、特別なイベントをしてくれるとの噂なのだ。
だから会場にいるメンバーも、僕と同じような古参の人が多い。
みんな何をするのかと楽しみにしていて、今までのライブで出したグッズを身にまといながらギラギラとした顔をしている。
僕もきっと同じような顔をしているだろうけど、それも仕方のない事だろう。
それぐらいカレンちゃんのライブは、興奮を隠し切れないものだった。
開始時間までには、まだ少しあるけど会場に流れている音楽のおかげで、退屈だとは思わない。
僕の好きな音楽が流れれば、更にカレンちゃんが来るまでが待ち遠しくなる。
早く、彼女の可愛らしい顔と声を迎えたい。
そうすれば、ここしばらくは辛い仕事も乗り越えられそうだ。
退屈ではないけれど僕は待ちきれずに、近くにいるスタッフに話しかけた。
「あのー、カレンちゃんはいつ頃来ますかね?」
話しかければ、スタッフは迷惑そうな顔をしてくる。
「ああ、すみません。まだ少し準備に時間がかかっているみたいで、もう少し待ってください」
「そうですか。分かりました、待ちます」
少し強めの口調で言われたから、僕は気分を下げた。
そしてとぼとぼと、カレンちゃんがよく見える前列の真ん中に戻った。
そうすれば周りにいた人が、僕に話しかけてくる。
「今スタッフに、カレンちゃんの事聞いたんだよね。どうだった? どのぐらいで来るって?」
「あ、ああ。まだ時間がかかるらしくて、もう少し待ってだってさ」
「そうなんだ。ありがとうね」
みんな、カレンちゃんがいつ来るのかと待っているのだ。
それでもスタッフに聞く事が出来なくて、うずうずしていたんだろう。
僕は少し面倒くさいと思いながらも、一応仲間だからきちんとした返しをする。
それから数分、音楽を聴きながら待っていると、ようやく会場の雰囲気が変わった。
もう少しでカレンが来るのだ。
それが分かれば、あとは会場の雰囲気はどんどん盛り上がってくる。
僕も持ってきていたサイリウムを取り出して、彼女の登場を待つ。
先程までと比べて、違う熱気。
これからの時間は、今までに無い位に楽しいものになるだろう。
そうして、ついにその時が来た。
『みんなー! おっまったせー! カレンが今からいっくよー!』
アナウンスが流れて、雄叫びが会場を包み込んだ。
僕も声の出る限り叫んで、彼女の登場を待った。
会場に流れ出す、聞き覚えのないメロディー。
まさかの、新曲じゃないか。
更に会場の熱気は高まり、みんながその曲に合わせて動き出す。
そんなとてつもなく良い状況の中、彼女は登場した。
「カレンがみんなの所に、来たよー!」
女神が地上に降りてくださった。
比喩ではなく、本当にそう思ってしまうぐらい、神々しい美しさを放っている。
僕はふと、彼女がいつもとは違うのに気が付いた。
よくよく見ていたら、違うのは髪型だった。
二つしばりなのだけど、くるくると巻いている。
それが彼女が飛び跳ねたり、くるくると回るたびに、ふわふわと揺れて可愛らしい。
前よりも、僕好みの髪型だ。
ライブ中の撮影は禁止だから、目に焼き付ける様にまじまじと見る。
今日の衣装も、この前とはテイストを変えて花をモチーフにしているのが華やかで綺麗だ。
総合すると、今日のカレンちゃんは僕のタイプど真ん中だから、まるで僕の為に作ったんじゃないかと思ってしまう。
いや、もしかしたら僕の為に作ってくれたんじゃないか。
今までライブで目が何度も合った事があるし、チェキの時も他の奴と撮るよりも笑顔だし、握手をする時間や力の強さが特別だと訴えている気がする。
でも彼女はアイドルで奥手な性格だから、恥ずかしいし事務所も恋愛を禁止しているせいで、好きだと言い出せないのだ。
だから、こっそりと僕にしか分からないサインを送って、気づかれたがっていた。
何て健気な子なんだろう。
僕は新曲を聞き逃さないようにしながらも、感動していた。
まさか、彼女と両思いだったなんて。
そんな、夢みたいな話があるのだろうか。
きっと今まで真面目に生きていた僕に対する、神様からのご褒美なんだ。
そうだとすれば、ご褒美をもらう以外の選択肢なんてあるわけがない。
僕はステージ上で歌う彼女に向かって、軽くウインクをした。
ちょうど僕の方を見た時にしたおかげで、彼女は笑い返してくれた。
彼女の想いに気づいたのを、察したんだろう。
これで僕達は、恋人同士だ。
もう誰にも、邪魔をされる事なんてない。
ライブが終わると僕は、チェキや握手を先頭で並びカレンちゃんと触れ合うと、裏口へと走った。
そして路地の暗い場所に隠れて、彼女を待つ。
チェキや握手をしている時も、顔を見ることが出来ないぐらい緊張していたけど、今の比じゃない。
ここの建物には入口が二つしかなくて、絶対にこっちを使うのだとわかる。
チェキと握手会が終わったら、周囲をスタッフが封鎖するかもしれないから、あらかじめここにいれば彼女に会えるはず。
そう考えてのことだったけど、どうやらあっていたみたいだ。
裏口の扉が開いて、スタッフが出てきた。
そして僕が隠れているところを見向きもせずに、もうひとつの入口の方を抑えに行った。
僕が言えたことじゃないけど、警備が甘すぎるんじゃないか。
そう心配してしまうぐらいに、僕には全く気づかなかった。
でも好都合でもある。
彼女がもうすぐ出てくるであろう扉を見つめながら、僕は興奮してくる。
出てきたら、まず何をしようか。
少し驚かせてみるのも楽しいかもしれない。
後ろから抱きしめて、耳元で囁いてあげるんだ。
「お待たせ」
ってね。
そうしたら、きっと彼女は感動で泣くはず。
その後は、二人だけのめくるめく愛の時間だ。
今までお互いに我慢していた分、楽しもう。
それを考えるだけで、にやけるのが止まらない。
早く出て来ないかな。
先程までのライブで見た彼女の姿を思い出すと、やる気に満ち溢れてくる。
ちょうどタイミングの良い事に、僕は今ロープやカッターを持っていた。
だからこれを使えば、彼女を僕の家へと連れていく事が出来るはずだ。
どんどん自分の思考回路がおかしくなっているのを自覚しながらも、もう止まらなかった。
考えているのは、これからについて。
僕の好きなもので溢れた彼女は、とても可愛いはずだ。
妄想が膨らんでいって、僕はいつの間にか周りが見えていなかった。
だから後ろから誰かが近づいてくるのに、全く気づけなかった。
「うっ⁉」
いきなり頭を殴られて、僕は変な声を出してそのまま倒れる。
誰がやったのか、どうしてこんな事をされたのか。
すぐに気絶してしまった僕には、分からなかった。
目を覚ますとそこは、コンクリートの壁で出来た部屋の中だった。
すぐに逃げようとしたけど、腕と足がしばられていて動けない。
「誰か―! 助けて下さい! 誰かー!」
唯一自由な口を動かして、僕は助けを求めて叫ぶ。
でも声は部屋の中に響いているだけで、誰にも届いていないようだ。
それでも諦められずに、更に叫んでみる。
「誰かあ! 誰かあ!」
「はーい。呼びましたかあ?」
すぐ近くで返事がした。
まさか人がいるとは思わず、叫ぶのを止めて声のした方を見た。
「誰だお前! ……えっ、カレンちゃん?」
そこにいたのは、僕の女神の星の宮カレンちゃんだった。
ライブの時と髪型は一緒だけど、部屋着なのか猫耳付きのフードがあるパーカーを着ていた。
それも可愛くて、彼女にとても似合っている。
顔がにやけそうになったけど、今の状況を思い出して止まった。
「な、なんでカレンちゃんがここに? もしかして、僕と一緒に誰かに拉致されたの?」
彼女は、僕みたいに拘束はされていない。
それでもこの場所にいるという事は、連れて来られたんだろう。
……もしくは。
「違いますよお。私が連れて来たのー。……何となく察しているでしょ?」
どうやら違うと思っていた方の、予想が当たっていたみたいだ。
僕は拘束を外そうともがきながら、彼女に話しかける。
「ど、どうしてかな。ここはカレンちゃんの家? お呼ばれしたのは嬉しいけど、このテープをほどいてくれる?」
頑張って、友好的に見えるようにした。
しかし返って来たのは、
「連れて来たのは、たまたまあなたが一人だったからー。ここは、カレンの秘密のお家なの。テープをほどくのは、無理かな」
そんな言葉だった。
僕はこの状況を少しでも変えようと思ったけど、無理な話だったみたいだ。
これ以上何かを言っても良い事は無いと、彼女の話に耳を傾かせるモードに切り替えた。
「……他に何か言う事ないのー? まあ、うるさくしない人の方が良いけどお。それじゃあ、連れてきたわけを教えてあげる」
そうすればカレンちゃんは、物凄く楽しそうに話し始めた。
「あのねあのね。私ね、星の宮カレンはね。お姫様なの。この世界に生まれ落ちた時から、みんなに愛される事が決まっているの。だからアイドルをしているんだけどね」
フードについている猫耳の部分をいじりながら、彼女は部屋の中を歩き出す。
その姿を出来る限り追おうとするけど、限界もあった。
首が痛くならない範囲で、僕は彼女の姿を見る。
「それでも、まだ足りないの。私はもっともっと愛されるべきなの。だからね、思いついた。私を毎日、ちやほやしてくれる存在を、近くに置いておけばいいって。だからね、これから私をちやほやして、いーっぱい褒めて?」
最後には僕の目の前に来て、可愛らしく首を傾げた。
それは全く、言っている事の異常さを分かっていない顔だった。
僕はそんな彼女を見ながら、震える声で問いかける。
「そ、それは。いつまで……ですか?」
「いつまで? カレンが満足するまでだよ。それまでは、ずーっとずーっとここにいてね。ふふっあははっ」
カレンちゃんは、狂ったように笑いだす。
その姿は今までのイメージとは違っていて。
僕はそれに、とてつもない興奮を覚えていた。
全てをさらけ出した彼女は、また新たな魅力がある。
それに彼女の秘密の部屋で、ずっとちやほやして褒められるなんて天国か。
……段々と生活していく内に、この拘束もほどいてもらえるだろうし、飽きたら逃げればいい。
僕は彼女に向かって、笑いかける。
「分かった。カレンちゃんをちやほやして、褒めるよ」
「やったあ! 嬉しい! もしもあなたの気持ちが変わったり、私が面倒になったら。その時は、ちゃーんと始末してあげるからね」
無邪気に笑うカレンちゃん。
これは俺が逃げるのが先か、始末されるのが先か。
未来は分からないけど、とりあえずはこの状況を楽しもうと思った。
『近づいたアイドル』
・ライブや握手会、SNSの発展でアイドルとの距離が近くなった。
・そのせいで現実との境界線が、あやふやになってしまう。
・ファンだけではない。アイドルだって、それは同じ。
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