第三章:夢から醒めて

「ほら、新吉、新しい風車だぞ」

 夕方の家の土間で、太吉は手にした二段作りの鮮やかな風車を弟に見せる。

「キャッキャッ」

 赤ん坊が小さな手を伸ばして触れようとすると、九歳の兄はひょいとか細い腕を上げた。

「駄目だ、お前はすぐ壊しちまうんだから」

 ふうっと膨らませた頬から息を吹き掛けると、藍色と朱色の車輪が静かに回る。

「姉ちゃんがせっかく買ってきたんだから、仲良く使え」

 湯気立つ鍋をかき混ぜていた母親は嗜めると、器に粥を注いでおゆきに微笑んだ。

「いい鎌を買ってきてくれて助かったよ」

 温かな粥の匂いが広がる。

 白い湯気の向こうのお母の笑顔も、弟たちの姿も、土間の片隅に置いた父親の形見の行李も、全てが優しく見える。

 ここがあたしのうち。

 おゆきは知らず知らず手を伸ばした。

 しかし、眼前の白い湯気は段々と濃さを増してとばりじみてくる。

 ふと、その白い靄の中から浮かび上がる顔があった。

 長く垂らした純白の絹糸めいた髪、雪白の滑らかな面、氷のように透き通った水色の瞳……。

「ああっ」

 おゆきは自らの声に目覚める。

 視野の中の顔が造作はそのままに、髪は人並みの村男と同じ纏め上げた黒髪、瞳も漆黒に変わった。

 と、その端正な面が柔らかに微笑んだ。

「気が付いたか」

 低い声で自分より少し年嵩の若い男と知れる。

 肩までを覆う敷布の下の両足がまた別の布に包まれている感覚に気付く。

 同時に両の爪先と足裏全体が微かに痛んだ。

 どうやら青女峰に逃げ込んで倒れた自分はまだ生きているらしい。

 若い男の肩越しには我が家に似た粗末な木造の天井が確かめられ、辺りにはほんのりと粥の香りがした。

「食うか?」

 男は質素な器から湯気立つ粥を杓子で掬うと、おゆきの唇に運ぶ。

 乾いた口の中に温かな潤いが広がる。

 さっき夢の中で嗅いだのはこの粥の匂いだったのだ。

 虚しく沈み込む胸とは裏腹に急に空腹の蘇った体に飲み込む。


*****

「ありがとうございます」

 粥を食べ終えたおゆきは半身を起こすと深々と頭を下げた。

「あたしは六出村むついでむらのおゆきです」

 この家は夏なのに心地よい涼しさだが、一体どこなのだろう?

 青女峰の中腹より上に人里は無いはずだが。

「おゆき……」

 青女峰で目にした白衣の男に生き写しの、しかし、髪も瞳も黒く、加えて自分と劣らず貧しげな身なりの若者は一瞬虚を衝かれた風に呟くと続けた。

「俺は素吉もときち。ここは供待村ともまちむらだ」

 六出村とは反対側の麓にある村だ。

「山道で倒れてたから、うちまでおぶってきたよ」

 男が示す居間の向こうの壁には見慣れた行李が置かれていた。

「どうもありがとうございます」

 背中に負っていたせいか、どうやらお父の形見は傷まず無事だったらしい。

「それから、これ」

 敷布の上にそっと置かれた小さな影。

「ずっと手に持ってたけど」

 藍色と朱色の車輪の付いた、二段作りの風車。

 まだ新しいのに車輪も棒ももうあちこちが擦れてボロボロになっていた。

 藍色の車輪も、より小さな朱色の車輪も、風の無い部屋の敷布に置かれてもはや微動だにしない。

 小さな二つの輪を見詰めるおゆきの瞳に光る粒が宿って溢れ出た。

「これ、弟たちに……」

 崩れ落ちるようにして嗚咽を始めた娘の背を若者は黙って擦り続けた。

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