復讐

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 この小さな島国で活用される言語特有の曖昧さは日本人そのものを表している。

それを美徳とする人はその曖昧さが物事を円滑に運ばせる為の手段として用いているのだろうがこれは本質を濁していると考えられ、それ故に先方に対する意思表示の妨げになり正しく伝達されているかに疑問が残る。

これを受けた相手は聞き返す事が失礼に当たるとその想いを汲み取り納得した振りをし、結果有耶無耶なまま落ち着くのが果たして良い事なのだろうか。


 日本語における多種多様な言い回しのお陰であらゆる解釈ができ、それを駆使して煙に巻く事も枚挙に暇がない。

これは我が国の辞書や事典の厚さを鑑みれば容易に説明が付く。

当人が今現在の苦しみや救助を求めていたとしても曖昧が世間一般に浸透している日本の社会では敵か味方か判別出来ない巧妙な言葉を並べ稚拙な言い訳で片付けられる。


 渦中の人間はわだかまりを向ける矛先が見当たらず迷走する事を強いられ、その人物が幼少期から学校の教育や親の躾を享受していない者ならば短絡的な思考しか持ち合わせず、自身の頼りにならない相手を敵と見做し大人が精巧に創り上げた世の中をも敵視し、粗雑な振る舞いを起こし続けていたとしても誰が責められよう。


 青少年が親からの重圧や周囲からの誹謗中傷により自傷行為や自らの命を絶ってしまう行動に及んでしまうのはそれだけ周りから受ける影響を強く感じていると云う事実を物語っていると考えてもおかしくは無いだろう。

ならば曖昧な態度で振舞われた事象を嫌悪感として印象付けても仕方が無いのではないか。然も感情が内向きに働くと自身を殺める事態をも招くのに対し、外向きに作用すると他人から受けた仕打ちに反発を起こす。

これが血縁の濃い相手からに因るものだった場合暴力に発展するのは、信頼されるべき身内なのにも関わらずその中途半端な表現の為より憎悪が強く膨れ上がるからだと推測する。


 この裏で行われる学校教育ではその逆で学力至上主義を掲げ競争社会を煽り優劣を明確にする。

定期的に偏差値で順位付けされ只の歯車で収まりたくなければ上を目指せと囃し立てられ、一芸に秀でた能力を持ち合わせていなければ特待生という選択肢も選べない。

この枠組みから零れる者は周囲から烙印を押され蔑まれその環境に孤立する事態を招く。

これを例えるのであれば視覚障碍を持つ者が白杖を持たされず街中に放り出され助けを求めることが出来ないのと類似すると考える。


 是迄を集約すると曖昧で他人を干渉しない大人達が形成する世界に嫌悪感を抱く情緒不安定で短絡的な思考を持つ心の闇で盲目となっている者が学力や秀でた能力を持たず蔑まれ、周囲の態度に疑心暗鬼となり自身の存在を卑下し、尊大に構えた者の責任転嫁による義務の放棄で世間を渡る為の支えとなるべき白杖を外され、孤立無援の状態で社会に放り投げ出されている形となるだろう。


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 この日は十一時過ぎに起床した。

昨晩ブラジル人F1ドライバーを応援していたせいだろう。

一服をすると制服に着替え部屋を出る。

朝食は当初用意して貰っていたが食べた試しがない為に食べたきゃご勝手にと告げられていた。

少し腹が減っていたので台所に入って冷蔵庫内を物色するとそれと云った物が無かった。

扉を閉め振り向いた先で目に付いたのは食器棚上の籠にある魚肉ソーセージで、あれで十分と歩み寄り掴みかけたタイミングに玄関を激しく叩く音が響いた。

「すいませぇん。だれかいますかぁ」

何事かと上がり框から片足だけ降りて格子戸を開けるとそこには息を切らせ上着がはだけた姿の辰雄が立っていた。

間髪入れず怒鳴り気味で、

「早く学校に来てくれ、真司達が危ない」と俺の腕を引く。

状況が呑み込めずその手を振りほどき問いかける。

「何なんだ、何があった?」

すると辰雄は捲くし立てる。

「いいから早く、あいつらが連れてかれたんだ」

いまいち良く解らないが急を要する事態なのは間違いないようだった。

が、嫌な予感が的中したと思い付く。

「もしかしてそれってニキビ面の奴か」

「俺が聞いたのはバイク数人の中に眉毛の無い人が居たってだけだ」

やっぱり奴等だ。よりによって昼前から攻めて来るとは。

更に単車で来たなら行動範囲が広いからどっかで足を調達しないと探し出せねぇぞ。

「おい、原チャリでいいからお前ン家に無ぇか」

「ソレなら……兄貴のが」

よし、これで何とかなる。

一刻も早く行動に移らなければ無事な真司達に遭えなくなるかも知れないと下駄箱から非常事態用の安全靴を履き、今度は逆に辰雄を急かして腕を引くと近所のコイツん家まで全速力で走った。 


「今それ有んのか」

ダッシュしながらも無駄足を踏まないか聞いてみる。

「高校には乗ってかないから」

なら大丈夫そうだ。駆け込んだ敷地の母屋裏に回り込むと、ウォルターウルフ柄のスズキHⅰが置いてあった。

「鍵取って来てくれ」

辰雄の肩を突き飛ばす様に押して促すと一度躓き玄関へ走っていく。


(そういえば『バイクで数人』って言ってたな。

根に持ったにしても先輩まで引っ張り出して俺一人相手するのに結構な人数引き連れてカチコミかけて来たのか。

こんな時は大抵関係ない奴まで混ざって増えちまうモンだよな)


 これから単身で突っ込むのに尻込みしていると辰雄が戻ってきた。

「ほら、これ」

振り向いた俺に向けて広げた両手に物が乗せてある。

片方はキーで、もう片方はケースごとの三段警棒だった。

「兄貴の部屋にあった。持ってけよ」

不良マンガの影響を受け通販辺りで仕入れたのだろうソレをベルトに通すと、鍵を原チャリに差し跨りエンジンをかける。

バイクか運転手かに対して心配する辰雄の「事故るなよ」に「おぅ」とだけ発して飛び出した。


 学校にそのまま突っ込もうと校門に差し掛かると物陰から隆が現れた。

ブレーキをかけ目前に停まり「おい、あいつ等は」と聞くと橋を戻る方向を指差す。

「真司達がさらわれたのか?あとは誰だ」

「陽一」

明らかに怯えるコイツはきっとそれを遠巻きで見ていただけだ。

「向こうの奴等は何人だった?」

「六人」

「バイクは?」

「単車三台」

あぁ、だとすりゃ年上が複数人絡んでる筈だ。

益々厄介な状況に追い込まれたのだがダチが連れていかれた以上背に腹は代えられず

腹をくくり原チャリを方向転換し、隆の指し示した方角へアクセルをふかす。


 橋を渡り終えると逆車線の雑貨屋駐車場に三上先パイの姿が見え、そこに勢いよく滑り込み停止して頭を下げ質問した。

「すいません。単車見ませんでしたか」

「それって三台つるんでたヤツか?」

よし、助かる。行先までは知らないだろうが大まかな見当はつきそうだ。

「はい」と答え頷き話の続きを聞く。

「そいつらがウチの学校周りを調子コイて三周も流していきやがってよぉ。で、それを探してるのか」

これにも「はい」と返答すると先パイは眉間にしわを寄せ語り出す。

「何があったか知らねぇがやめとけ。その中にホークⅢで黒地に菊紋の特攻服着てたヤツが集ってたけど、あれはK町の族の総長拉致って再起不能にしたヤバい族に入ってる奴等だぞ」

中坊の喧嘩にしゃしゃり出てくる位だから下っ端なのだろうが、所属しているだけで粋がる野郎は返って質が悪い。

先を急ぐ俺が奴等に仲間が連れていかれた事情を先パイに説明すると、

「そうか、その後下流側に消えていったけど」

と教えてくれたのでお礼をし車道に戻ると、去る間際に高校側から恵利先パイが歩いてくるのが見えたが軽い会釈だけでその場を離れた。


 せめて真司達には手出ししていなければ良いと心で呟き原チャリを飛ばした矢先でバックミラーにパトカーが映りサイレンが近づいて来る。

肩越しに振り向くと二台連なっていて前方車がマイクで止まれと叫んでいたが観念する筈も無く、更に速度を上げてやるとスロットルを握るがメーターは一杯だ。

ここでパクられて連行されたんじゃあいつ等を探せず仕舞いになる。

それを恐れ、時間のロスになるが細い道を選択しながら撒きにかかる。

右折左折を不規則にして逃げるがパトカーは連携を取って上手い事近くに出現する。

 方角も定めず走り回っていると川沿いに当たり、見通しが良すぎる河川敷の直線を逃走させられた。

警察の策略に嵌められ二台を従えて飛ばし続けると斜め前の河原の草場が切れ、川面から十メートル弱の手前で人だかりが散らばり単車三台に乗り込むのが目に飛び込んで来た。

偶然だが見つけたと安堵したが特攻服集団が逃げ出した後にはうずくまって倒れる二つの人影が。

せめてもと期待したのを裏切る光景に落胆する俺はスピードを落とせず走り抜ける。が、この行為でやられた真司達を発見してくれと祈り、徐々にブレーキをかけ蛇行して速度を下げた。

この策が功を奏したらしく二台目のパトカーが停止して助手席から警官が無線を掴んで降りるのが確認出来た。

再びスピードを上げ逃げ切りを図る俺は(この際単車の奴等を追いかけろ)と願ってすぐさま住宅のある側へ折れた。



 断りも無く他人の納屋に侵入して身を隠し表道路を注視しているとパトカーが通り過ぎて行く。

どの程度の時間と距離を追い駆け回されたか解らないが原チャリのガソリンは残り少ないと知らせるランプが付きっぱなしで危なかったのは確かだった。

逃げ果せたのをバイクを押して道に少しだけ頭を覗かせ確かめるとそこを離れ、軽自動車程の道幅を見つけ奥へと進み再度身を潜める。

ここから最短のルートを辿って辰雄の家まで燃料が持つのか悩んでいたが、由理の親がガソリンスタンドを経営していたのを思い出す。

何とか拝み倒してでも調達しようとセルを回し、警察に発見されない様、極力ガソリン消費しない様に細心の注意を払い狭い道を選択しながら目的の場所へ向かう。


 店までは辿り着けた俺が目にしたのは、閉店の札をロープに垂らすお年寄りの姿だった。

慌てて近づき燃料が空なのを伝えお願いをすると「高校生?」と振られたので「はい」と噓をついたが、それならと招き入れて貰え、原チャリを給油ノズルの前に止めタンクの蓋を開けると、思いの外巧くいったことに安心する。

それにしても営業が終わるにはまだ早い時間帯なので、満タンを待つ合間で質問してみた。すると年配者は、

「実は身内が交通事故に遭ったから今から病院に行く所で」

と顔を曇らせ答える。


病院といえば真司達はどうなったのだろうか。大事に至ってなければいいのだが、あの倒れた姿では大丈夫でしたとはいかないだろうな……


気まずい空気の中で給油は終わり、お代を払うと余計な事を聞いたのと嘘をついたのを含め「すいませんでした」と頭を下げ店を出た。


 裏道を選び辰雄の家に到着すると、バイクの音で気付いたのか玄関を急ぎ飛び出て来た。

「おい、真司がヤバいらしい」

クソっ、マジかっ。

「さっき連絡があった。頭打ってるからって」

あの状況で只では済んでいなかっただろうが、やっぱりかっ。

「陽一と一緒にF病院に運ばれた」

「で、そいつは」

「あばらは折れてるけどマシな方だって」

チッ、頑丈そうに見えてた奴がギリ平気で真司が大変なのかっ。

「このまま原チャリ借りるぞ」

「あぁ、兄貴は今日友達ん家に泊まるって留守電に」

「よし、それと兄貴のヘルメットってどんなのだ」

「フルフェイス」

「それ貸せ」

この命令に辰雄が玄関先からヘルメットを取って寄こした。

これがあれば交通ルールさえ守っていれば捕まる事は避けられる。

「ニケツじゃお巡りに止められちまうからお前は別で行ってくれ」

そう言い残し俺はF市の病院に向かった。



 入口付近に原チャリを乗り付けメットを脱ぎ捨て扉を抜けると、受付の前に並ぶ待合所のソファーに杉原みなみが肩を落とし座っている。

後ろから近付いた俺に気付き振り向いた眼からは涙が溢れ出していた。

「真司は」

「まだ出て来ない」

そう言ってすすり泣く自分の揉め事へ明らかに巻き込んだ形で被害を被ったあいつの彼女にどう声を掛ければいいか言葉が見つからなかった。

事前に奴等から狙われていた情報は耳に入っていたのだから何か違う行動を起こしていればこの結果には繋がらなかった筈だったのを今更ながら悔やむ。

「とりあえず座って待とうぜ」

先程まで腰を下ろしていた長椅子のソファーに促すと彼女は瞼をハンカチで押さえたまましゃがんで泣き出した。

傍らの目前で小さく纏まる姿を茫然と眺めるのが精一杯だった俺はしばらく佇んでいたが、消える様にその場を離れ外に出てロータリー端の植木の陰で煙草を取り出しジッポライターをかざす。

 辺りは日が暮れ等間隔で設置された照明灯の一本を焦点を合わさず視界に入れて怒りの矛先を何処に持っていけばいいか分からず咥え煙草の煙を口から漏らすと、鼻面で白と灰色を織り交ぜてユラユラと昇っていった。

 病院のドアに顔見知りの同級生が次々に飛び込んでいく。

事の発端が学校から始まっていたから今の奴らが事情と状況を早々に聞き入れて駆けつけて来てくれたのだろうと推測する。

申し訳なくて見送っていたが、入口に車が横付けされ辰雄が降りた姿を見て自分も院内へ戻る事にした。

 入ってすぐ左手に出来ていた数人のかたまりに歩み寄る。

後から現れた俺に辰雄が手を挙げたが他の面子は横目で捉えただけで誰も話しかけては来ない。

一瞬だけ向けられたその視線の強さは、そう簡単に起こりえない事態に巻き込んだ張本人に対しての意思表示なのだろう。それを呑み込んだ上で話しかける。

「佐々木の様子はどうなんだ」

すると辰雄が廊下の奥を指し、

「ちょっと聞いてみる」

と走り出す。それを見送る目の前に集まる奴らの耳に届くかどうかの僅かな声量で「すまなかった」と発したが顔を背けたまま反応はしてくれなかった。

重く圧し掛かった空気に耐えかね、この場から去ろうと体勢を変えたタイミングで生活指導の村瀬がドアから現れこちらに近寄り、

「具合はどうだ」と問うたのを同級生の一人が「今、吉村が聞きに」と返すと、ため息交じりで「そうか」と腰に両手をやり床を見つめる。

暫しの沈黙の後に頭を上げ囁く。

「みんな外へ来てくれ」

神妙な面持ちで踵を返した後ろについて建物から出る間際に受付の空間を見渡したが杉みなの姿がなかった。


 俺達を引き連れ入口の光が届かない場所で村瀬が立ち止まり、振り返ると意を決した様に息を吸い口を開く。

「こんな時に何だが……島田由理が交通事故で亡くなった」

絶句する自分の生徒達に一呼吸置いて諭すように語りを続ける。

「伊藤先生から掻い摘んででしか聞いてないが。警察に追われた暴走族のバイク数台が信号無視をして交差点に入り、それを避け切れなかったトラックが偶然居合わせた島田を巻き込んで壁に衝突したらしい」


あの時スタンドの人が言ってたのは由理の事だったのか……

あの時間帯に族車数台なら確実に俺を的にした奴等しか居ねぇ。


或る者は涙を堪えて、又或る者は天を仰ぎ、全員が暗く黙り込む最中に教師が俺達の背後に目線をやった。

振り向くと辰雄が近寄ってくる。

肩を落とし足取りは遅く悪い知らせなのは明白だった。

そして下を向いたまま呟く。

「真司の意識……戻るか断言できないって」

 

ウソだろ、意識が戻らない事があるってのか。やつが何をしたってんだ。俺と知り合いだっただけだろ。奴に落ち度があったか。俺が学校に居なかっただけじゃねぇか。真司は関係ない。全責任は自分にある。ならば何故他人が不幸になるんだ。


その刹那、辰雄越しに扉を抜けて嗚咽おえつし崩れ落ちる杉原みなみを大人の女性が支えて歩く光景を目の当たりにし、脳内のどこかの線が千切れる音がした。


「クソがあぁ~~~」

俺はありったけの声を張り上げ地面に叫び、バイクに跨り病院を離れた。



 島田由理の実家はガソリンスタンドの裏手に建っていて、そこの玄関周辺を通夜の準備で慌ただしく多くの人が出入りしている。

それを道を挟んだ遠くの物陰から原付バイクのシートに横向きで座りぼんやりと眺めていると、制服で訪れて来る女生徒の中に混ざっていた小坂美奈代が垣間見えた。


やつらに俺が狙われたからあの子の同級生は命を落とした。

奴らとの抗争を生み出したばっかりにあいつの幼馴染を奪った。

奴等のくだらねぇ体裁を誇示する行動の為で小みなの親友が犠牲になった。


 離れていても悲しみが覆いつくしているのを受け取れる由理が眠る家は、自分が直接に手を下した訳ではないが、結果的にこの世界から一人の女子を消し去ってしまった原因の男が例え仲が良かったとしても足を踏み入れられる場所ではない。

謝罪する事も言い訳する事も感情を吐露する事をも己で許せない心境の中で記憶を甦らせてみる。


あいつに初めて会ったのどれだけ前だったっけ……

最初に話しかけたのアイツだったっけ……

あいつと仲良くなるまでどの位かかったっけ……

最近アイツの顔見たの何時だったっけ……

あいつが最後に話したのって何だったっけ……

駄目だ……思い出せねぇや……


 受け止めきれない現状に脳は正常に機能するのを拒んでいるのか、それとも他愛もない物であったから気に留めていなかったのか……それなら存在がより当たり前すぎて失った事の事実が自身に一層落とし込めない。


 暫くの間自分の吸い殻が無数に転がるそこに居座り考え抜いたが、結局は由理と顔を合わせ詫びるのに踏ん切りがつかなかった。

深い溜息をつきゆっくりと腰を上げた俺は自身の情けなさに呼応する様にバイクのエンジンを静かにかけ、ライトを点灯させるのも忘れて暗闇を走り出した。



 頭と視界の焦点が定まらなく当ても無いまま道を進んでいると、緊急車両が赤信号を注意喚起して自分の進行方向に曲がり走って行く。

瞬時に訪れた不吉な予感に逸るのを抑え追いかけるその先にはオレンジ色の塊から立ち昇る白煙が見え、近づき始めると炎に包まれる様を人が取り囲んでいた。

消防車が人垣を割って到着した手前で停まりメットを脱ぐと、生活の拠点は赤く染まり、駐車場の屋根は崩れて車に圧し掛かり出し、門の脇で柿の木が爆ぜる音を立てている。

数メートル先に燃え盛る建物の延焼を食い止める消火活動を行うのを覆って傍観する集まりの最前列に叔父家族が啞然としているのが見て取れた。

前に立つ野次馬の小声の会話を耳にして確信する。

「放火よ。私ね、ガラスの向こうが明るいから慌てて飛び出して道路に出たの。そしたら離れたあっちの方にバイクが何台か逃げていったもの」


奴等がここまで来やがった。

日中の腹いせに叔父の家に火を放つ迄やるとは何処までも性根が腐ってやがる。


 この瞬間に五感も思考も停止して無意識の筈だが全身を冷えた血液が駆け巡り、脳だけが冴えている状態に陥る。


穏やかな生活、同級生の信頼、ダチの将来、幼馴染みの命、待ち構える未来。

俺を取り巻く周囲から奪われていく

何故こんな境遇に追いやられるのか

これ迄の害悪に対する応報なのか

失うものはもう残されていない

あるのは何もかも消し去りたい欲望

始まりから壊してしまえば

全てをこの手で終わらせてやる


先程野次馬が指した方面に歩いて行くと側溝の傍らに幾つも捨ててある多少中身の入った携行缶を拾い、第一の標的へ破滅の秒読みを開始する。


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