平穏

 それから間もなく住居は変わり、転校先のT中学校へ顔見せの為学ラン姿の俺は保護者同伴の元でやってきた。


ここの町内は小学校の時点では二つの学区に分けられていて、中学進学の際に一つの場所へ通うシステムになっている。

アルトの助手席から下り校舎に向かっていると、通りがかった生徒達が物珍しそうにこちらを眺めている。

それには気にもせず叔母の後をついていきエントランスで靴をスリッパに履き替え、職員室に足を踏み入れると今度は教師達がさっきの生徒と似た視線を寄こしてきた。

隣の応接間へと促され部屋に入り指示された椅子に腰かけると間もなく黄土色のスーツを着て眼鏡をかけた人物とグレーのカーディガンにスラックス姿の二人が机を挟み立つ。

こちらも立ち上がり挨拶を交わし自己紹介が始まった。スーツ姿が教頭でカーディガンが担任になるとのこと。

ほぼ同時に座ると一応の説明と軽い世間話がしばし続けられる。


下を向き、とっとと終わらないかと当初から願っていた俺に話の矛先が向けられる。

「ところで君のその制服だが、わが校にはそぐわない物なので校則通りの身なりでお願いしますよ」

教頭はこの格好がお気に召さないらしい。

この警告にそんなつもりはさらさら無かったが「はい」と答えておいた。

「今現在、風紀を乱すような生徒は在籍しておりませんので保護者の方からも目を光らせておいて下さい」

不良と断言しないのがいかにも教頭と云った台詞の後は叔母に車で待ってて貰い、担任が教室を案内する事となる。


渡り廊下を通り各学年の教室がある校舎に入ると自分の下駄箱の場所を教わり、その先の廊下を左に折れ六クラスある内のD組と記された教室の前まで来た。

遠巻きの中に知った顔もあり、なんだか恥ずかしくなる。

説明が終わり帰宅してよいと言うので気持ち頭を下げ帰ろうとすると、不意に肩を叩かれる。

「まるっきり不良になっちゃったね」

「フツーの小学生だったのにねぇ」

久しぶりに現れた人間の容姿がヤンキーになっていたコトにニヤけながら声をかけてきた俺よりデカい小坂美奈代と黒ブチ眼鏡の島田由理は以前同じクラスだった。

「うるせぇ」と返すが「キャーこわいっ」「ホントだねぇ」と互いを手のひらで叩きハシャいでいる。


昔を知っている女子たちを前にしては不良の威厳もへったくれもないみたいだ。


「そのままのカッコで学校に通うの?」

由理が問いかけてきたので、そうだと返答すると、

「やだぁ、とうとうウチにも不良がいる事になるのねぇ」

と悩んだフリをする。そこで探ってみた。

「ホントにヤンキーいないのか?」

「憧れてまねてるカンジの子はいるけど」

教頭の言った通りでも無いらしい。次に美奈代が言う。

「学校に通い出したら大変なコトになるかもよ」

きっとそうなるだろう。既に注目の的になっている。ただし、悪い気はしない。

話を切り上げるため「じゃ」と手を上げその場から離れる。

職員室側の棟に戻り、スリッパを履き替え待機していた車に乗り込み校門を通りかけたその時、自転車置き場から二人の生徒がガンを飛ばしてくるのが見えた。

ムカつく野郎共だ、と視界から消えるまでこちらもやり返した。



 初日から遅刻して登校する訳にもいかず朝に寝床を出た。身なりは今まで通りの短ランとヒザボンだ。


ニ十分程テクテクと歩くとT大橋と名のついた橋のたもとに辿り着く。

小学区を二分しているのはこの一級河川が境目で、これを渡るとすぐ左に中学校が。橋のこちらには評判は下の上程度の県立T高校があり、最寄り駅は橋の向こうなので登下校時間は上流側を中学生、下流側を高校生、といった光景になる。

せいぜい三分位で渡れるこの歩道を歩き始めると、進行方向の生徒には距離を取られ、対面方向の生徒からは指をさされる羽目になった。

生半可に目を合わせてケンカを売られたらマズイと視線を左に移すと校舎が見え手前の河川敷のテニスコートで声出しをしている。

その並びにトラックがあり両端にはバックネットが設けてある。

野球部とソフトボール部、陸上部が入り交じって練習をしているその奥のサッカーグラウンドではダッシュをしていた。

すると逆方向から聞き覚えのある声で呼び止められた。

そちらを向くとブレザー制服の三上先パイで隣には俺の憧れソバージュ髪の恵利先パイだ。T高校に通ってるのは分かっていたが転校早々の朝から会うとは。

「おはようっす」

立ち止まり片側一車線の道路を挟んでも間違いなく届くボリュームで挨拶する。

「こっちの中学に転校したのか?」

「はい。いろいろ事情がありまして」

歩きつつ質問してきた先パイに答えると、

「いつか放課後にでも見つけたら飲みモンぐらいオゴってやるよ」

と目の前を通り過ぎていく。

俺の「失礼します」に三上先パイはサッと手を上げ、恵利先パイは胸元で手を振り登校していった。

いつ見ても綺麗な人だ、と心で呟き再び歩き出し橋の終わりから緩く下った道を五十メートル程進むと校門に着いた。


 そこを抜け下駄箱のある校舎へ向かう右側の自転車置き場から男子生徒が三人近付いてくる。数日前の二人と小学生の頃によく遊んでいた佐々木真司だ。

「よぅ久しぶり。完全なヤンキーになってるな」

そう言いながらまじまじと眺めている。残りのこいつ等はさっきからずっとガンをくれていて初日から気分を悪くしてくれる。真司が続けて二人を指差す。

「こっちが沢口陽一、むこうが菅野隆。」

陽一って奴は多少ケンカに自身がありそうだが、隆って方は明らかに子分慣れしている。その証拠に体が人の後に半分隠れている。早速陽一が突っかかってきた。

「生意気なナリしやがって、やっちまうぞ」

こいつの格好からして由理の言ってた憧れて真似てる程度の違反制服だ。

懲らしめないと、と殴りかけたが真司が間を割って入った。

「まぁまぁ陽一、別にコイツは悪いやつじゃ無ぇし、ケンカすること無いって」

この言葉に不満げなツラをした奴は一呼吸置いて、

「ま、お前がそういうなら今日はやめとくわぁ」

と校舎へ歩き出す。舎弟もその後についていった。

「いきなり嫌な気にさせちゃったな。あいつも悪いヤツじゃないからこれに腹立てずに仲良くいこうぜ、な」

真司がおれの肩に手を乗せ同意を求めてくる。「あぁ」の一言に満足したらしく、ニッと笑いかけスタスタと去っていた。


 ムカつきは収まってなかったが舌打ち一発で気を取り直し校舎に足を向ける。

が二、三歩でやめる。

入口のガラス戸の向こうにある下駄箱の先にある廊下に人だかりがあったからだ。二階の渡り廊下にも結構な人数がいる。

自分は今、その集団からの好奇に目に晒されている。しかも殆どが女子だ。

ケツがむず痒いが、そこを通過しなければ教室に辿り着けないので腹をくくって歩き出しガラス戸を押す。

肩に掛けた小さめのボストンバッグを床に下ろし上履きを取り出し履き替える。

今日は学校で使う物はロッカーに置きっぱなしにする為に全部担いできた。

靴を取り下駄箱にしまい、廊下に出るとまたもや由理と美奈代が寄って来た。

「おはよう。ね。私の言った通りでしょ。」

確かに周囲のヒソヒソ話とキャッキャと騒ぐ声に包まれていた。すると、

「D組だったら由理と一緒だね。私はB組だから、じゃあね」

と要らない情報を告げて美奈代は小走りで消えた。

「私たちも教室いこう」

こいつに続き歩き出すと野次馬達も付いてくる。

小学校は俺の学区が二クラス、隣が四クラスだったので同級生といっても三分の二は見覚えがない。

部屋に着くと自分用のロッカーを教わりそこにバッグを放り込み、次に席の場所を聞くと由理は教室のド真ん中を指す。


どんな意図があってそこなのだろうか。遅刻常習者に対して挑戦状なのか?

だが、俺はめげずに遅刻するだろう。


それを甘んじて受け入れ席に腰かけるとチャイムが鳴り、前の扉から担任が現れた名前は確か伊藤だ。

ホームルームが始まり、自己紹介として名前を呼ばれるとノソッと立ち上がり軽い会釈でやり過ごし座る間に左の席からクスクスと聞こえてくる。

この女子は大崎美奈子で〈大みな〉と呼ばれているが背が低く、B組の小坂美奈代は〈小みな〉と呼ぶが背が高い。なんとも紛らわしいあだ名だ。

そうこうしていると一時間目の社会科はこの先公が担当科目らしく引き続き授業が始まる。


 ろくに聞かず社会科が終わり伸びの流れで首を左右に振っていると、黒板から遠い側の扉から一人の教師がこちらに手招きをしている。

何事かとそこまでいくと肩を組まれ耳元で囁かれた。

「私はA組の担任で生活指導もしている村瀬だ。ちょっと来てもらうぞ」

理由も告げず下駄箱の方へ廊下を歩き出すその先公の後を意味も解らずついて行くと、突き当たりが理科室でその手前左側にトイレがあり、それを背にして隣の棟へ続く廊下に並ぶ階段をズンズンと昇るので追っていく。

三階に着くと右手の音楽室で止まりドアを開け振り向き、

「ここの担当だからよろしく」と室内に入るよう促された。

未だ何が起こるのか見当もつかないが言われた通りにすると、更に奥の準備室を開きまた中へと促す。

ここまで来るとタダでは帰れなさそうだ。仕方なく足を踏み入れる。

「まぁ、そこの椅子に座りなさい」

静かな口調の分だけ軽く恐怖を覚える。

それに腰かけると、壁に備え付けられたスチール製の棚の前で立つ先公は問いかけてきた。

「うちの校則は知っているな」

「えぇ、まぁ」

中途半端な返事にも表情一つ変えずに話し続ける。

「その制服は間違いなく違反しているな」

ヤバい!これを没収するのか?意地でもそれは阻止しなければいけない。

もしくはココから逃げ出す術は無いか。

「だがその前に……」

先公は後を向き棚の扉を開け右手を突っ込み何かを持ち出す。

「……その頭を何とかしないとなぁ」

バリカンだ!! 

生活指導の立場からこの脱色した髪を葬り去ろうとしている。

ここの中学は男子全員が坊主と定められている。

「心配するな。五分刈りで済ましてやる。五厘よりマシだろ?」

これには参った。下手に抵抗しようモンならスキンヘッド級の頭になっちまう。

「……わかりました」

この提案を飲んで泣く泣く上着を脱ぎ姿勢を正す。

これをほくそ笑んで眺めていた先公はそれの電源を入れた。

近付いてくる音に瞼を閉じ身構えていると、ソイツは最初に容赦なく前髪を刈り落した。

薄目をあけ無惨に散らかる毛に別れを告げつつ、

(せめてゴミ袋か何か被らしてくれ、後でチクチクするじゃねぇか)と心で叫ぶ。

この願いも虚しく髪は刈られてゆく。

その手を止めず先公は話し始める。

「二時間目の先生には断りを入れてあるから授業は気にしなくていいぞ。それから吉村から聞いたんだが、少年野球やってたんだってな。顧問は私がしているんだがどうだ?やらないか野球」

吉村とはこの町に転校してきた当時に叔父が彼の父親と仲が良かった為に野球仲間として引き合わされた吉村辰雄で、真司と三人で練習に通ったいわば幼馴染。

更に先公は話を続ける。

「あいつはキャプテンでな。佐々木も在籍しているし、どうする」

ソレ自体を嫌いにはなっていない。

部活に入るのは問題ないのだが唯一気がかりな事がある。試しに聞いてみた。

「朝練とか出ないとマズいっすか?」

先公はゲラゲラと笑いながら電源を切ったバリカンをテーブルに置き、畳んであったフェイスタオルを寄こした。

「前の学校にはあまり通わず然も必ず遅刻していたらしいな。ま、朝練は出る気になったら来ればいい。放課後練習は毎日とは言わないが参加するべきだな。もっとも顧問は滅多に現れないけど」

その説明に耳をやりながら体に付いた毛を掃っていた俺はその手を止め答える。

「なら入ります」

「了解した。水道で洗い流してこい」

先公は棚に体をもたれかけ腕組みをした姿で命令してきた。

上半身裸のままタオル片手にそこを出て手洗い場に向かい、蛇口をひねると頭を突っ込み擦る。

顔を上げ目前の鏡に映るそれは眉毛の細い野球少年だった。

濡らしたタオルで体を拭き取り部屋に戻ると先公は床を掃除していたが時計に目をやり「もうすぐ授業が終わるな。服着て教室に帰っていいぞ」と又掃き始めた。

制服没収は見逃されたらしい。

Tシャツに袖を通し短ランを羽織り軽く頭を下げると、先公はゴミ箱にちりとりの中身を捨てていない片手だけで応じた。


 音楽室から階段を二フロア降り、廊下を二部屋分通り越し教室に一歩踏み入れた途端、目前に由理と真司が現れた。

「あ、帰ってきた。お?坊主になってんじゃん」

「村瀬先生に連れてかれたから何かあると思ったけど、こうゆうコトだったね」

真司の疑問はこの説明で解決する。

「しょうがねぇよ、あの頭じゃここでは目立つからな」

友人の慰めに苦笑いをするしかない。

「言い忘れてたから覗きに来たんだよ。俺、B組だから」

「小みなのクラスだよ。あ、真司の彼女ね、E組なんだけど杉原みなみって名前だから杉みな、って呼んでるのよ」

「後で紹介するよ。E組に辰雄もいるから昼休みに一緒に行こうぜ」

コイツの彼女には興味があるが、周辺に〈〇みな〉が又一人追加された。

顔の造りなら無愛想な柴犬みたいな奴よりこっちの方がいい筈だ。

自分の中で勝手な張り合いをしていると「じゃ、後で」と真司は教室に戻っていく。

「杉みなって綺麗な顔してるのよ」

由理の羨ましそうな声のトーンで大方の察しは付く。

単なる嫉妬だがまだ見てもいない内からアイツに腹が立った。

「次は数学よ」と告げ自分の席へ座った由理の所は窓際で一番後ろだ。

あそこがいいなぁ、と思いつつロッカーから教科書を取り席に着く。

ノートは要らない。ハナっからまともに授業を受けるつもりが無いから自動的に不必要なのだ。

時間通りに教壇につく教師に気遣う事なく机に突っ伏し居眠りを始めると、左肩をシャーペンで突かれたがシカトしてそれを続けた。



 早速自分のスタイルを貫いた午前が過ぎ昼メシを食い終えると宣言通りに真司が迎えに来て、E組へと向かいドアを開けると黒板の前に吉村辰雄と女子生徒が会話していた。

辰雄が気づき軽く手を挙げる。

「久しぶり。転校は親から聞いてたよ」

俺達が七人組アイドルバンドのボーカルに少し似た奴の傍に近付いた際に「こんにちは」と挨拶した隣の子を「俺の彼女」と真司が親指で示すと杉みなは恥ずかしそうに微笑んだ。

「よくその格好で怒られないな」

辰雄が眉をしかめ見つめてくるので「あぶなかったぜ」と一連の出来事を語っていると、真司が嘆く。

「いいなぁ、それが俺だったら確実に取られてたな」

「俺がタチ悪いから先公等は諦めてんじゃねぇのかな」

これを聞いてもまだ真司は不服そうな表情をしている。

すると杉みなが、

「あとの話は友達同士で続けて。私、行くね」

と笑顔でその場から離れていく。

真司は手をちょっと挙げ見送り、俺は首だけ動かして送る。

振り向いて見送っていた辰雄がサッと向き直し「部活はどうすんの?」と問いかけてきた。

「それならあの先公に同じコト聞かれたよ。やるって言っといた」

この答えに真司が俺のケツをはたいた。

「言っただけじゃなく出ろよ、部活」

「今日の放課後に顔出せよ」

二人立て続けに煽る。その勢いに思わず「あぁ」と返事してしまった。

「決定だな。必ず来いよ」

辰雄が肩を叩く。

流れとは言え展開が早過ぎる。

部活はなるべく避けようと考えていたのに顧問に促され入部になり、後々顔出そうとしていたのを幼馴染に圧倒された挙句、転校初日に参加する羽目になる。


これはもしかしたら顧問の差し金に二人が乗り企んだ陰謀なのではないのか?


「んじゃ、グラウンドで」

と真司が教室へ帰る。「じゃ、俺も」とD組に戻り席に着くと大みなが、

「よく寝るねぇ。家でちゃんと寝てるの?」

と指につまんだ蛍光ペンを頬にペタペタ当てながら問う。

その疑問に右手の頬杖を突き諭す口調で答える。

「九時間」

それを聞いた瞬間ペンを当てるのを止め、目を真ん丸くして驚いた。

「充分じゃん!なのに寝てたの?」

大みなは信じられない様子だ。自分にしてみれば当たり前の事だが学校での居眠りを足すと十二時間程度を睡眠に充てている計算になる。

普段から眠たそうな顔だと云われる所以はこれが原因らしい。

それでも俺は放課後までの時間を机に伏せやり過ごした。



 本日予定終了のチャイムが鳴る。

奴らに丸め込まれた形になった部活動へと向かう為にバッグをまさぐっていると、通りがかった由理に「何してるの?」と話しかけられた。

それに対しジャージを取り出し終えた俺は、

「昼休みに野球部の練習に参加するって言っちまったんだよ」

と自分の席へ歩きながら答えると、両手で握っているカバンをスカートの前で持って立ち止まっていた体勢から再び動き出し「そうなんだぁ、頑張ってね。」と教室から離れる。

学ランを椅子の背もたれに掛けボンタンをその上に乗せた後に着替えを済ませたので下駄箱に向かいその前に着くと舌打ちをした。

履いてきた靴が運動に適していない事に気づいたからだ。

一応約束してしまった手前、顔を出さない訳にもいかないかと上履きから履き替え外へ出る。

行けば余ってるスパイクやグローブを貸してくれる筈だと決めつけ登校時に把握していたグラウンドへと足を運ぶ。

自分のクラスがある校舎と職員室が入った建物の間を抜け、左に折れると野ざらしのバスケットコートと体育倉庫が見えた。

そこに近付いていくとコートの左側に建てられた体育館からボールを突いているのと靴が床を擦る音、応援らしき掛け声が漏れ聞こえてくる。

その裏手には二十五メートルプールが設けられていた。

倉庫の脇を抜けると河川敷にぶつかり、見下ろす形の目前にソフトボール部が柔軟体操を行っていて、下流側のテニスコートでは並んでラケットの素振りをしていた。

土手の砂利道を陸上部がトラック走をしているのを左手に見ながら歩き、野球部のグラウンドに到着すると道沿いの二つある小屋の片方から出てきた練習着姿の真司に声を掛けられる

「お、来ましたねぇ」

手招きされ呼ばれた建物には『サッカー部』と印刷されたプレートが張り付けられていて、開いている扉に差し掛かると煙草の臭いがしてくる。

背中を押され中に入ると、朝一から胸くそ悪い気分にしてくれた制服姿の二人がパイプ椅子に腰掛けていた。

扉を閉めた真司は部活に参加するつもりが無いコイツ等の対面といめんでビールケースを逆さにして木製棚の前に座り、片足をモルテンのサッカーボールに乗せた奴と一緒に紹介を始めた。

「陽一と隆は会ったよな。こっちはサッカー部の部長でF組の木下康明」

初顔合わせのこいつがタバコを挟んだ指だけ振って挨拶をした。

隠れて悪さする中坊は何処にでも居るもんだ。だが運動部の部長とは碌なもんじゃねぇなぁ。

「心配すんな。両方の顧問はほとんど出てこないし、来たときは部員の誰かがここに知らせてくれるから」

こんな事もあり得るかぁと佇む俺に、パイプ椅子に座る二人組の手前に立ち悪巧み丸出しで語った真司の傍からマイルドセブンの箱を掴んだ腕が伸びてきた。

そこから一本取り出し口にくわえたが火を持ち合わせてない。

これを察したのか隆は百円ライターを俺の前で灯す。

有難く煙草を近づけ吸い込み、人差し指と中指で挟むと口から外し煙を吐き、その手を上げ礼をする。が、隆はなんの反応もしなかった。

「よし、部活始めっか」

床に置いてある空き缶にタバコを放り込んだ木下が部屋の扉を開けて表に出ると、入れ替わりで辰雄が現れ「おい、練習」と俺達を呼びに来た。

そういえば自分の道具は何も無いと告げる。

すると隣の部室を指差し、

「中の棚にあるのは余りだから好きなの使えよ」

と言い残し真司と二人でグラウンドへ歩いて行き、自分も煙草を缶の上でもみ消し捨て部屋を後にする。

結局陽一は一言も発せずふんぞり返って腰かけたままだった事に、

(奴とはそりが合わない)と感じつつ部室に入ると、棚を眺めサイズの合ったランバートのスパイクを履き、かなりくたびれたグローブを手に取り辰雄等の元へ向かう為に砂利道から土手を下る階段を降りた。


 部員達は既にキャッチボールを済ませていたが、俺は真司と組んで土手に多少距離を置いて並行した屋根のない三塁側のベンチ裏で四~五メートル離れてボールを投げ合い始めた。が、こいつは力の抜けた緩い球しか放って来ず、

「ヤンキー生活が長すぎてなまってんじゃねぇの?」

などと抜かしてきた。

それを受け少し強めにスローイングして尚且つ、

「打ったり投げたりはそうかも知んねぇけど走るコトに関しては色んな相手からバックレるのに使ってたから平気だな」と返答すると奴はケラケラ笑う。

一球投げる度に一メートル程度離れて最後は遠投になるキャッチボールを済ますとトスバッティングに参加する。

その配置からすると同い年は十二、三人といった所だろう。

正面からトスする相手にミートポイントを確かめる様にしっかりとバットを当てワンバウンドで返すつもりで打つのだが、球拾い達がヒマにならない割合で打球を散らしてやる。

適度な頃合いを見計らっていたのであろう辰雄が「次はフリーバッティング」と全員に声を掛たので、ベンチに座り準備が進む光景を眺めている間に物思いにふける。


自分は野球が好きだが向いてはいない。

まず肩が弱く、これだと守備位置が制限されセカンドかショートにしかコンバートされない。

更にせっかちなのでバッターボックスに立った際にボールを手元まで引き付けられないのと、カウントが追い込まれる前にボール球にも手を出してしまう欠点となるので結果下手くその部類になる。


 冷静に自己分析した挙句凹んでいた俺に辰雄が「打つ順番どうする?」と問うので「いいや」と断り陸上部の練習に目をやると、そのスペースは野球部の左中間でソフトボール部がセンターオーバーに見事なヒットを放つとトラックの中心辺りに落ちる、という風になるので中・長距離選手は気が気じゃない筈だ。

その奥の河原に近い場所に短距離走レーンがあり、下流側には走高跳のバーとマットが設置してある。

助走体勢に入った生徒が成功するのか否か予想していた最中に真司がバット片手に並んで座る。

「あそこに先公が居るだろ。F組の担任で体育教師の前野ってヤツなんだけどかなり凶暴でさ、この間も授業に少し遅れた陽一と隆がみんなの前で平手で叩かれたって愚痴ってたよ」

グリップ側で指し示した方角は短距離走レーンのゴール位置で、そこに立つ人物は遠目からも危険な香りがプンプンする風貌でタイムを計測していた。

更にそのガタイは関取クラスときている。

これと生活指導の村瀬がいるんじゃあ自然と生徒は大人しくなり優良校となる訳だ、と勝手な解釈を進めている途中で真司が、

「最後にやっていけよ。ほら」

と持っていた金属バットを渡してくる。

今日の練習をそろそろ切り上げる時間らしいのでそれを掴み、ホームベースへ歩み寄ると右打席で構え心の中で無謀な挑戦を呟く。

(センター奥の彼方にある高跳びのバーにブチ当ててやるからな)

ピッチャーが振りかぶるのと同時に脇を閉め気持ち腰を落とす。オーバースローで投げ込まれた球はアウトコース気味の高めに来そうだ。

そのストレートに照準を合わせボールが潰れる程のフルスイングをかますが掠りもせず空を切る。


背後からは数人の笑い声が聞こえ、特にデカい音量で真司が爆笑していた。



 叔父夫婦は共働きだ。

その為と云っては何だが俺の登校時間は今迄と変わらずに重役出勤と呼ばれるモノで以前お世話になった頃とは違い、子供たちで寝ていた仏壇のある部屋から廊下の奥にある四畳半を占領させて貰ったのも相まってこの日も十時数分過ぎに起床する。

ここに預けられた際の決め事で警察のお世話にならない事と必ず学校へ通うと約束を交わした手前、遅刻はしてもバックレる選択肢は無い。

更にはこれまでの警察沙汰は辛うじて家庭裁判所までいかず保護観察や少年鑑別所行きになってはいなかったが次はもう無いと強く念を押されていた。

 朝シャンするまでもない頭を掻きながら寝巻代わりに使用している前中学のジャージから制服に着替え玄関の扉を開けて中学校へと足を向ける。

ここ数日間何とか通ってはいるが授業はいつもの如く睡眠時間に充てられているのでトータルしても中学教育は何一つ身に付いていない。

小学生時代の不登校も併せたら辛うじて日本語が喋れて九九が出来る程度の学力しか脳みそにインプットされていない事になる。

とは言え挨拶や礼儀等は“先輩は絶対”なヤンキー生活でなっていなければシメられるという制裁が待っている以上その場に応じて使い分ける能力として培われていた。

せめてもの救いを見い出しつつ、いつも通りのルートを歩いているとT大橋に差し掛かる。

その袂の信号手前にはコンビニでもなくスーパーでもない雑貨屋があり五台ほどの駐車場には幾つかの自販機が並んでいる。

そういえば名刺大のパッケージに入ったガムを買い損ねていたのを思い出すと、方向転換をし店内へ入り通路を挟んだレジ前の陳列棚からアップル味を取り、きっと不良はT高校の生徒で見慣れているのであろうこの風貌にも愛想がよい店主との精算を済ませ自動ドアを抜ける。

 ケースから一つ取り出し包み紙をはがして口に運びかけたタイミングで歩道の前方から二コ上の先輩がこちらに歩み寄っているのに気付き慌ててその手を止め、裸のガムをそのままズボンのポケットに突っ込み確実に腰を折り会釈する。

「よっ。元気にやってっか」

そう話しかけるこの人はY町の生駒先パイでショートブレザーの裾からはクロコダイル柄ケースのポケットベルをベルトに通しているのが見てとれる。

「お前がこっちに来てるのは三上さんから聞いてたよ。それにしても見事な遅刻カマシてんなぁ」

目の前に立った人物に、あなたもですよね?という疑問は押し殺し「はい」と答えた俺に軽く笑みをこぼした先パイは自販機を指し、

「奢ってやるよ。好きなの選べ」

と背中に手をやりその前まで誘導してくれた後小銭を投入してくれたので「ごちそうさまです」とお言葉に甘えてレモンティーのボタンを押す。

続けて微糖コーヒーを買った先パイがプルトップを開け口を付けるとそれを見届け「いただきます」と蓋を開ける。

もう一口飲んだ先パイは缶を握った手の人差し指を俺の顔の前に向けて喋り出す。

「O町の奴等と揉めたんだってな。ウチの後輩ん所へお礼参りに来やがったよ」

だろうな。向こうの面子が丸つぶれのまま黙っている筈は無い。

「桜井からも聞いたんだけどけど奴等の的はお前だけに集中してるらしいぞ」

レモンティーを唇にあてがい顎を上げかけた動作を止める。

(あ?俺だけ?)

「何時だかタイマン張ったヤツいるだろ。そいつが相当キレてるらしくってその時あっち側に居た俺のタメの奴も一緒につるんで探し出してるって話だ」

おいおいマジかよ。

確かにやり過ぎた感はあったけど一応タイマンでの結果だし。

しかもあの眉ナシ先輩まで巻き込むとはこっちに分が悪すぎねぇか?

「タバコ吸ってもいいっすか」

今日は短ランの内ポケットに入れていたラークマイルドを引き出すと、それを生駒先パイに「どうぞ」と差し出す。が、

「俺はいいや。学校の真ん前だし」

と、それを右手で制止した。確かにそりゃそうだ。

それでも自分は気を落ち着かせたいので「すいません。じゃ、失礼します」と二、三度上下に振り一本口に咥え火をつける。

深く吸い込み顔を背け下向きに煙を吐き出した所で心配そうな面持ちの先パイが話し出す。

「そんで俺等としてはお前も一時はウチの後輩だった訳だし売るような真似はやめよう、って事にはなったんだけど結構しぶとい連中らしいから気を付けとけよ」

知りたくもない物騒な事を報告してくれたのは有り難いが、どうせなら聞きたくなかったぜ。

(もしもこの町に奴等が殴り込みに来やがったら現時点では陽一がどの程度使えるか解らねぇしこっちの戦闘能力はゼロに等しい。

願わくばいつの間にか鎮静してくれねぇかな……)

傍らに立つ先パイはコーヒーを飲み干し空き缶をゴミ箱に捨てた後、会話の相手が軽くうな垂れているのを悟ったのか落としたその肩を二つ叩き、

「ま、健闘を祈っておいてやるよ」

そう言い残して高校へと踵を返す。

俺は重たい頭を上げ去って行く後ろ姿に対して奢って貰った缶ジュースと警告両方の意味を含めて「ありがとうございました」と首を垂れ、その言葉に一瞬だけ左手を振った先パイを見送る。

姿が視界から消えた後フィルター近くで燃え尽きた煙草を踏み消し、片手に持ったぬるい缶の中身を一気に飲み干すと腹立たしさから握りつぶそうとしたがスチール製だったのでそれと舌打ちを一緒にゴミ箱に捨てて学校に向け歩道を歩く。


(どう考えても今現在ココに攻め込まれたらヤバい。

どれだけの人数で来やがるとかケンカが強ぇ奴が居るのかとか情報が無さ過ぎて向こうの戦力がさっぱり見当もつかねぇ。

仮に知れたとしてもこっちで人をかき集めて太刀打ちできんのか?

優良校の連中を束ねた所で対等に渡り合えるとも思えねぇ)


 鬱々としたまま歩を進めポケットに手を突っ込むと指に何かが当たり、取り出すと喰い損ねた裸のガムが出てきたので舌打ちと共に車道に叩きつけてやった。



 遠くの方から祖母のお経が聞こえて来る。

俺の起床時間が大概同じなのはこれがあるからだ。

寝ぼけ眼でボーっと煙草を吸い終える辺りで唱えも終了するから毎朝同時刻のお目覚めになり、身支度をして部屋を出る頃に祖母は日課の散歩に行くからこの時間帯は自分だけとなる。

八畳間の家具調こたつに置かれたスポーツ新聞の見出しに芸人が軍団を引き連れ出版社を襲撃した事件の判決が近々下ると書かれているのを通りすがりで目にした後に家を出た俺は、徒歩で向かうのが面倒臭くなり空になった駐車スペースの脇にあるチャリンコを拝借して発進する。

これは叔母が車で行くまでもない距離の時だけ使用するのでパートに出てる間に戻せばお咎めは無い。

 潰しカバンを前籠に突っ込んで通常より半分以下の所要時間で学校に到着すると駐輪場にチャリを停め、下駄箱でつま先だけ色塗られた上履きと素材は違えど見た目はスリッパと変わらぬ不良共の通称でチョン靴と呼ばれる外履きを入れ替えた。

校内は休み時間に入っていて廊下を様々な目的で生徒達が行き来していた。

画板と絵具を抱え隣の特別教室棟に向かう者や、お互いの脇腹を突き合いじゃれる不毛な時間を楽しむ奴、ジャージを持っていくかどうか相談しながら歩く女生徒を尻目に半袖短パンで走り抜ける男子生徒。

中には小学校時代にドジなマスクマンが主人公のマンガに登場するキャラクター消しゴムの話を一緒に語りつくした奴もいたが、こちらを見るなり瞬時に目線を逸らし逃げる様に視界から消えていった。


アイツにとって自分との繋がりは障害だと判断した上の態度なのだろう。

ま、仕方が無い。


 来たるべき日に備える情報収集の為に真司を探そうとB組へ廊下を進む。

F組からE、Dと通り越した左手に階段と渡り廊下に分かれるスペースになり、その先のC組に差し掛かった所でそこから声を掛けられた。

「どうした、どこ行くんだ?」

二歩下がり教室を覗くと真司が姿を現す。

「今、陽一達とダべってたんだよ」

首を振って示した方向に目をやると窓際の後から三番目の席で踏ん反り返って座る陽一と対面で椅子を逆にして背もたれに顎を乗せた隆が居た。あいつ等はこのクラスだったらしい。

「ちょっとお前に聞きたいコトがあったからよぉ」

俺がそう切り出すとコイツはこう返す。

「それって長くなりそうな話か」

云われてみれば現状を把握するのに休み時間だけでは短すぎた。

「いや、後でイイんだけど」

この返答に真司が親指で後方を指し、

「なら放課後にでも話そうぜ。あいつ等もまぜて」

と提案してくる。それをバツが悪いと断るとコイツは少々眉をひそめたが構わず落ち合う場所を指定して話を切り上げ自分の教室へ戻った。

 

 待ち合わせの駐輪場に向かうと既に真司が自転車をクラス毎に区切るパイプに腰掛けていた。右隣に俺が座ると真司から口を開いた。

「そういえば大変なコトになったなぁ」

「あぁ、確かに」

「いつか来るとは思ってたけどなぁ」

「そうだな」

「この時期にだもんなぁ」

「まあな」

ん?あの話コイツに話したっけ?

「まさか終わっちゃうとはなぁ」

あれ?やっぱおかしいぞ。

「楽しみに見てたのになぁ。夕ニャン。」

おいおい、コイツは端っから夕方の帯バラエティ番組が放送終了する事を喋ってたのか……勘弁してくれよ。

これに左掌を三度振って遮ると真司はキョトンとしやがったが本題に入る。

「それはど~っでもいい。ここの面子でケンカが強いヤツが居るか聞きたい」

この質問に即答が帰って来る。

「いねぇよ、うちには」

参った。だろうと薄々感づいていたが此処まではっきりと云いのけられるとは。

こちらの悩みをつゆ知らずで真司が続ける。

「どうしてそんなこと聞きたいんだ?」

詳しく喋ると長引きそうなので手短に話す。

「実は前に揉めたO町の奴等が俺を狙ってるっぽいんだ」

これに対し薄ら笑みでこう返してきた。

「何かあったらお前が一人でやっちまえばいいじゃん」

今まで気付かなかったがコイツは他人事だと思って救済する気や心配する心が微塵も無い呑気な野郎だったらしい。

俺は聞く相手を間違ったと悔やんだ無言で立ち上がりこの場を去ることにした。

それに反応した背中に聞こえる「え?帰るの?」も無視して十数メートル程歩き校門に差し掛かった。

が、或る事を思い出して引き返すとまだ真司は腰掛けていた。


この逆戻りした行為に始めは不思議がっていたが、チャリに触った時点で俺のド忘れを悟ったヤツはクスクスと笑っていやがった。

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