覚醒

 とある日の事、昼過ぎに目覚めると予定が無かった俺はいつものタマリ場に原チャリで向かった。

「よっ」

この部屋は掃き出し窓が道路に面している為、玄関を通らずに済むので四六時中家主にバレず出入りが可能だ。

窓のない壁側にカラーボックスが横向き置かれ、その上に置かれたステレオコンポからメタルのカセットテープに録音された女性バンドの曲が流れる室内は、ラークとセブンスターの煙と匂いが入り交じり白ボケる。

先客のダチに向けて「なんだお前も来てたのか」と皮肉っぽく話しかけ、女物のサンダルを脱いでド真ん中の真四角なテーブル手前側の座布団にあぐらをかく。

すると部屋の持ち主がこう言った。

「実はよぉ、近所に住んでる先パイから単車買うことになってよぉ」

「マジで‼」

ボンタンジャージのポケットからラークマイルドを取り出す手を止め俺は叫ぶ。

「俺も今聞いたわぁ」

先客のダチがテーブル中央にあるこの部屋に不釣合いな、耳に赤いリボンを付けた白猫が描かれた灰皿に煙草をもみ消しながら同調する。

こいつは男から見ても納得する程の色男だ。

「単車っつってもMB50だけどな」

読んでいたチャンプロードから上げた部屋の持ち主の面がにやけていた。

こっちは厳つい顔をしている仲間内のリーダー的存在だ。

MB50とは50㏄だが、原チャリと違ってギアチェンジで走るタイプなので、これから中型バイクに乗るつもりな中坊等の練習には十分な代物だ。

「夕方取りに来いって言われてるんだわぁ」

「なら今夜はそれで遊びまくれるな」

既にバイクの所有者気取りのリーダーに俺は食い気味に話を進める。

日頃は涼しげな顔の色男も少し興奮気味に話を合わす。

「だったら小学校の校庭がいいんじゃねえの?」

俺と色男が見合わせ頷くと、揃って同意を求める。

リーダーは俺達を交互に見た後に親指を立てた。


 それからの数時間はバイク雑誌や不良漫画を読んだり、コンポのメタルテープが終わる度にマイクスタンドを握り飛び跳ねるバンドや、下着に鋲を打った衣装で演奏するレディースバンドなどに交換しながら時間を潰して過ごした夕方、約束通りに先パイの家へ三人揃って訪れ代金を渡し礼を告げると、

「オメー達、それでパクられるんじゃねぇぞ」と凄まれ、

そんな事になろうもんなら確実にシメられると即座に感じた俺たちは同時に、

「大丈夫っす‼」と直立不動で声を合わせて返答した。


 辺りがすっかり暗くなると、裏手に置いたバイクを押しながらニ十分かけて小学校を目指し、辿り着いた俺達はまず一服する。

Y町はかなりの田舎で、学校の敷地が広すぎて周囲のフェンスは限られた所にしかない為、年中出入り自由なので格好の練習場となった。

「さてと、始めっか」

先ずはリーダーが跨る。色男が隣に歩み寄り肩を叩き煽る。

「エンストすんなよ」

キーを回しエンジンをかけ、アクセルを握り空ぶかししながら、

「見とけよ、一発で決めてやっから」と云い終わらない内にガクン、とだけ動いてエンジンが止まった。

「ケっケっケっケっケ」

色男は少しバカにした笑いと共にリーダーの肩を又叩いた。

後ろで煙草片手にその様を眺めていた俺が「交代、交代」と歩み寄ると、一瞬睨んだが渋々降り順番を譲った。

半分しか吸ってないラークマイルドを踏み消しバイクに跨る。

「オメーもどうせ一緒だよ」

その声を聞きながらニュートラルランプが光っているのを確認し、キーを右に捻りエンジンを点火させ、右手に掴んだグリップを二、三度軽く回した後右足でバランスを取りながら左足をステップにかけ、左手でクラッチを握り左足で一速に入れるアクセルをゆっくり回し、クラッチを恐る恐る緩めた。

ガクンッ!

「ざまぁみろぉ」「やっぱりなぁ」

二人は腹を抱えて大爆笑をし出し、俺はその罵りと笑い声を聞き舌打ちをした。

「よし、俺によこせ」

次は色男が真剣な面で跨る。

お前もミスるぜ、とリーダーが言った矢先に案の定エンストを起こした。

アクセルとクラッチを合わすのが初心者の中坊共には難しく、三人揃ってあえなく失敗に終わる。

その後も順番に練習を繰り返し、段々とコツをつかみながら一晩中、月明かりを頼りにして校庭を万遍なく使いバイクを走らせた。


 夜明け前にはいずれも乗りこなす事ができる様になり、半分を地中に埋められたタイヤに腰を下ろしそれぞれの煙草を吸い始めると、色男が煙を吐き喋り出す。

「手に入れるならどの単車にする?」

「CBRだな」

俺は答え、さらに続けた。

「ビートのテールカウル付けて、ステーでライトアップさせて風防で、ハンドルは鬼ハン、マフラーはRPMの集合管がベスト」

イメージしながら喋った車種とスタイルは、当時流行った少女漫画に描かれたそれそのものだ。

タイヤに煙草を押し付けもみ消したリーダーも語る。

「やっぱCBXだろ。アンコ抜きの三段シート、ハンドルは気持ち絞りでツッパリテール、ホーンはラッカラーチャーでよ」

「俺はFXがいいなぁ」

遠くに目をやる色男がそう言うと、すかさずリーダーの「フェックスは値段が高ぇだろ」に「しかも滅多にねぇしな」と俺は頷きつつ付け加えた。

「早くアクセルコールもやってみてぇなぁ」

色男がハンドルを握る仕草に合わせて体を揺らして見せた。

 アクセルコールとは、その地域ごとに共通のメロディーを半クラッチとアクセルを駆使して奏でるテクニックと、ギアを変えた際に鳴るエンジンの音程に合わせて誰もが知っている曲の一節に聴かせるミュージックコールの事で、有名なのはチューリップだった。

次第に話は盛り上がり、XJだのGPZだのと車種を持ち出してはああだこうだとくっちゃべり、あの先パイの単車がシブいとかあのパーツはどれに似合うかと理想や妄想を織り交ぜながら飽きる事無く延々と喋り続けていると、とっくの昔に陽は昇っており、通学路を列をなして歩いている小学生が見えたのでそれぞれの家へと帰った



 地元周辺には若い奴らが好む洋服屋が存在せず、ましてやヤンキーチックな服なんぞ尚更手に入らないので、かなり離れた街まで電車に揺られ出向く事になる。

 その日もダチとツルんで訪れ買い物を済ますと、下り列車に乗り込み長椅子に股を開きデカい態度で並んで腰を下ろしダべり始める。

「この後どうすっかぁ」

「奴の部屋覗いて誰も居なけりゃ家で寝るさ」

隣に座る額に深いソリコミを入れたダチと他愛のない話の最中、Y町まであとどれ位か確かめようと目線を動かした俺は隣の車両から嫌な視線を感じた。

「チッ、ガン飛ばしてやがる」

そちらに顔を向け眉間にしわを寄せ呟くと、ソリコミもその方向を睨みつける。

これに気付いた学ランにMA-1もどきを羽織った奴と、現場作業員が履く紺のニッカにドカジャンの二人組が肩で風を切り近寄って来て俺等の前で立ち止まる。

「何ガンくれてんだ、あ?」

ドカジャンがつり革を両手で握ったまま前のめりにニキビ面を近づけて凄む。

脇に立つMA-1はキツネが眉をひそめた様な顔面だ。

「だったらどうなんだコラッ」

ソリコミが背もたれに体重をかけてた上半身を起こし喧嘩を売り返す。

「テメーら次の駅で降りろや」

ニキビ面の一言がきっかけで俺等は立ち上がり、奴等の顔がつく勢いで睨みあう。

その向こうに見えた乗客達が興味深そうにこちらを眺めている。

「見てんじゃねえぞコラッ」

その内の一人を狙って俺が怒鳴るよりも先にそいつは下を向き、辺りを見渡すと車両全員が目線を逸らした。


 電車が停まり扉が開くと、奴等はホームの端にある便所に向かって歩き出した。

不思議には思ったが後を追いかけ、中に入った途端に買い物袋を鏡に投げつけ臨戦態勢を取ると、MA-1はポケットに突っ込んでいた右手をゆっくりと取り出し、何かを握っている手を俺等にむけてきた。


瞬時に気づいた。バタフライナイフだ。

この為にこいつらは便所に誘い込みやがった。完全にミスった。


「調子クレてんじゃねぇぞオイ」

こっちに歩み寄りながら手首を回し、鈍く光る刃先を俺の胸元にあてがう。

「刻んでやろうか?あ?」

ナイフをちらつかせられたのならマンガじゃあるまいし、この状況から喧嘩に持ち込むのはたとえ中坊じゃなくても無謀すぎる。

隣のソリコミと共に一歩も動けず、無言で睨み返すのが精一杯の抵抗だった。

MA-1はにやけ顔で俺の上着を二箇所三箇所と切り裂くと、

「さっきまでの威勢はどうしたんだ?」と言ってきやがる。

その言葉を聞いたドカジャンも勝ち誇った顔をしている。

俺等が黙っているのを確認すると、満足気な面でバタフライナイフをしまったMA-1が、

「二度とイキがって外歩くんじゃねぇぞ」と言い捨て便所を出て行き、ドカジャンが足元にツバを吐き後に続いていった。

少し間を置き、買い物袋を拾った俺等もその場から出ると、階段を登り改札に向かう二人の背中を捉える。

改札口を出たのを見届けたソリコミがホームの駅名を見ながら口を開いた。

「この町の中ボーならアイツかもな」

「知ってるのかよ」

俺は上着を脱ぎながら耳をかたむけた。

「ああ、いつもナイフを持ち歩いてるタメ年がここの中学に通ってるって聞いた」

「なら明日にでもヤルか?」

「おう、次はブッ潰す」

ソリコミが傍のベンチを蹴りつけ、その音がホームに鳴り響いた。



 翌々日、御礼参りの為にO町の駅を降りた俺等はタクシー乗り場脇に立った案内板に目を通し、中学校の位置を確かめるとそこに目掛けて歩き始める。

この日はソリコミの他に色男とリーダーが一緒だった。

一昨日の件は前を歩く二人に一部始終話してあり、当の本人達よりも怒りを放ちながら進んでいく。

「ハナっから刃物出してくるぐれぇだから大した奴等じゃねぇな」

「ザケた野郎どもだ」

カーキ色のジャンパースーツに手を突っ込み、ガニ股で歩くリーダーの言葉に白のヨットパーカーとジョッパーパンツ姿の色男が足した。

「そいつの顔覚えてっか?」

極妻の衣装風を身にまとったリーダーの振り向きざまの問いかけに俺は、

「ああ、おとといの今日だしな」としかめっ面で答える。

電柱に括られた番地が書いてあるプレートを頼りに目的地を目指す俺等は、何時でも勝負出来るように工事現場で使用する鉄板入りの安全靴をキッチリと履いている。

黒のドカジャンを着たソリコミが、アイボリーのニッカズボンから手錠を出し、

「こいつを奴に引っ掛けて死ぬほどブチのめしてやる」と指でグルグル回し、

「なんだかワクワクしてきたな」と軽くはしゃいでいる。

「あの道を左にいけば見えてくるはずだ」

色男が顎をしゃくって示した交差点を曲がると確かに校門が遠くに見えた。

下校時刻辺りを狙って来たので多くの生徒達とすれ違う。

その中で目ぼしい奴を捕まえてはバタフライナイフを持ったバカを聞きまくっていると、そいつの知り合いを捕まえることが出来、居場所までの道案内をさせた。


 二十分ほど歩き辿り着いた所は瓦屋根の二階建てで右手に納屋兼駐車場があり、建物までの広いスペース中心に盆栽をデカくした立派な松が生えていた。

見るからにかなりの土地持ちといった雰囲気だ。

案内人にリーダーが喋りかける。

「これ以上関わりたくなきゃとっとと失せろ」

するとそいつは何も言わず振り向きもせず走り去っていった。

敷地の左手奥にスプレーで落書きされたプレハブ小屋が置いてあり、そのドアに寄って行った色男が力いっぱい蹴りを入れた。

こいつは日頃クールだがキレるのは早い。

すぐさま扉は開き、そこからキツネ面が飛び出てきて俺等の顔を見て驚くが、事態を把握したらしく頬を引きつらせる。

「ツラかせや」

ソリコミの言葉に従いキツネ面は渋々外へと出る。奴にとっては不幸なことに一人で部屋に居たようだ。

「これから面白ぇコトになりそうだなぁ」

俺が目の前にすり寄り囁くと脇からソリコミが、

「おいコラ、ナイフ出せや」と怒鳴る。

するとキツネ面は虚勢を張る事なく、やっと聞き取れる声で、

「持ってねぇよ、部屋ん中だ」と呟く。

俺が部屋を覗き、テーブルの上に畳まれたそれを確認して振り向き頷くと、色男は奴の胸ぐらを掴み顔を寄せた。

「上等な真似してくれたなぁオイ、付き合えや」

言い終わらない内から引きずり出し、無理矢理歩かされるソイツを取り囲んだ俺等は敷地を出た。


 来た道を数百メートル程戻った道中で見かけた公民館の広場に連れ込む。

ここは周りが畑で民家は無く、階段を八段登った先がゲートボール場になっていた。更に防風林に取り囲まれて道路からも目に付き難く、今から始まる制裁にピッタリな場所だ。

建物を背にして立つキツネ面の前に俺等は横に揃って並ぶ。

「おとといはカマしてくれたなぁ、おぅ」

俺が怒鳴りつけるとソリコミが太腿にケリを入れ、それを合図に後の三人も一斉に襲い掛かる。

リーダーが腹を蹴る。骨太の体格から出されるパンチやケリは重い。

色男の拳が顔面を捉える。こっちはキレのあるスピードタイプ。

続けてソリコミが殴りつける。こいつは勢いに任せた攻撃スタイル。

中腰になって俯いた顔をめがけて俺は下から蹴り上げる。

フラフラとよろける奴の胸に色男が前蹴りをくらわし、鼻血を流して仰向けに倒れ上半身を起こそうとした顔面をリーダーが殴るとさらに色男も殴りつける。

横向きに這いつくばり匍匐前進の形で建物に後ずさる腹に俺が右足を蹴り込むと、ソリコミも同じくケリを入れる。

腹を抑えうずくまる奴の髪を左手で掴み上げたリーダーは右手で三発顔面を殴る。

半ベソをかきながら土下座の様にして謝るそいつの右手を取ったソリコミが、建物の基礎から延びるガスの配管に手錠で互いを繋ぐと、最悪な状況に追い込まれたキツネ面は震えていた。

それでも俺等は隙をついては許しを請う言葉も聞かず手を緩める事なく殴る蹴るを交互に続ける。


 その時、俺の意識内に何かが過ぎった。不意に訪れたソレには覚えがある。

 何時か見たあの女の【顔】だ。


 無抵抗な相手を非情な目に遭わせる

 屈服している者に対して強攻に及ぶ

 欲望の赴くままに動き自分のしている行為に心奪われる


あの日あれ程の恐怖を味わった筈の人間が一方的な暴力に及び、然もこの仕業が快感として脳を埋め尽くす。

決して集団心理のせいでは無く自ら望んで行動している。

その顔は相手の目にどう映っているのだろうか。

そしてどの様に刻み込まれるのであろうか。

未だに自身から繰り出されるそれは拍車をかけて繰り返されている止めようとする気配が無いどころか止めるつもりもない。

この感覚は生まれ持った遺伝の類なのか、それとも捻じれた解釈の賜物なのか。

これを栄養として得体の知れない何かの芽は徐々に成長しているのであろう。


 暴力の手は一人、二人と治まり最後の一発を食らわせたソリコミが「クソがっ」と地面にツバを吐く。

続けてリーダーが「いつでも相手になってやっからよぉ」と捨て台詞を吐く。

袋叩きにされ半殺しの目に遭ったキツネ面は返事する様子も無く呻き声をあげてグッタリと寝そべっている。

ソリコミは鍵を手錠に差し込み外してやり、それを見届けた俺等はゲートボール場を横切り入口の階段を降りた。


 地元に帰るため事の発端が起きた駅に向かい歩いている最中に、色男がキョロキョロと見渡し語りかける。

「ノドかわいたなぁ、自販機ねぇかなぁ、赤いヤツ」

「あそこにあんじゃん」

リーダーが煙草を挟んだ指で数十メートル先の酒屋を示す。

ソリコミが小銭を手のひらに乗せたまま嘆く。

「電車賃しか無ぇよ。誰かオゴって」

「じゃ、オメーは飲むな」

先に辿り着いたリーダーがジュースの蓋に手をかけ意地悪を言うと「頼むよぉ」とソリコミは食い下がる。

次に目当てのモノを買い三分の一程度流し込みゲップした色男が、しょうがねえなぁと硬貨を自販機に入れる。

すると奴は大げさに喜び、ボタンを押した。

そのあとで俺はスポーツ飲料を選び、陽が沈みかけた薄暗い道を歩き始めた三人を前に見ながら右手の火傷痕に触れる。


少し前の感覚を思い出し再び感情が高ぶるのを感じた俺は、それを抑える為にカンの中身を一気に流し込んだ。



 誕生日を数日後に控えたある朝(昼?)目が覚めた俺は珍しく学校に顔を出す気になる。

それは何かの行事があり半日で終わると近所に住むタメ年の女子から情報を得ていたからだ。

階段を下ると正面が玄関で右並びに居間があり、そこの扉を左手にして右側のドアを開けると洗濯機が据えてある脱衣所だ。

右手の洗面台で鏡を覗き、裸に袖をまくったジャケットを着た路上パフォーマンス集団から俳優へ転身した男のヘアースタイルを真似た前髪の昨日の晩に薬局で買ったオキシドールで脱色した箇所を眺めてみる。

時間が経つにつれ色が明るくなりすぎるので心配だったが、今の所平気そうなのでそこを出る。

登校すると決めたのはこれをお披露目するつもりもあったのだ。

腰骨丈の短ランを羽織りワタリ38cmのヒザボンを履く。

自分より上の世代の主流はボンタンだが俺は膝下からすぼむこの形が好きだ。

潰しカバンを掴み玄関の上がり框に腰かけると、左斜め後ろのダイニングテーブルに伏せて寝る男がいたが、いつものことだと気にせず家を出る。


 タバコとガムしか入ってないカバンを小脇に挟み、徒歩三十分かかる学校の裏門を抜け、左右にアーチ型の屋根がついた自転車置き場の間を通り下駄箱へ向かう。

かかとを踏み潰した上履きに足を入れ、二階の教室へとペタペタと音を立てて廊下を歩く。

辿り着いた部屋の引き戸を開けるとクラス中の視線を浴びた。

素知らぬふりをして窓際で一番後ろの席に着いたが数学の教師は何事もなかったかの様に授業進行している。

机に腕を置きそれを枕に頭をつけ居眠りを始める。が、間もなくチャイムが鳴った。

数十秒後誰かに後頭部を叩かれる。

「今日は来たんだね」

起こされた恨みと一緒に横を見ると情報源の女子が笑顔で立っていた。

「何おっかない顔してるのよ」

そいつが隣の椅子を引き寄せ座るとまた叩こうとする。

それを防ぐ仕草と共に「やめろ」と怒りを露わにしてみたが、

「不登校と遅刻のバツよ」とふくれっ面で返してきた。

続けて「今度の偏差値テスト受けるんでしょ?」と聞いてくる。

俺は居眠りの続きを始める為にさっきの態勢を取り「関係ないね」と受け流して目を閉じ、その子はまだ何か喋っていたがそのまま眠りについた。


 又チャイムが聞こえたのは給食の前だったようで、ガヤガヤと段取り始める周囲の気配に顔を上げたその時、教室へ入ってきた担任と目が合った。

一瞬引きつった笑みを浮かべ席の前までやってくる。

「なんだ、ご無沙汰だな。いさめるつもりではないが義務教育と云うのは勉学に勤しむのが通例であって、君の場合は家庭環境から致し方ない点があるのも考慮せざるのも得ないのだが、教職に就く者として見逃す訳にもいかぬので新人類の君に一様の範囲内で述べさしてもらったよ。うん」

直接危害を加えた覚えのない担任は、俺と視線を合わす事なくオドオドと持論だけを並べた話を終えてそそくさと自分の机へと去る。

舌打ちをして立ち上がり黒板前へ歩き出し、待機する配膳係に手を差し出すと、その生徒は手元に目をやったままトレイを寄こしてきた。

一通り貰って振り向くと他の生徒等がまとめて視線を逸らす。

場違いな所に来ている様な空気に包まれ席に着いた俺はソフト麺を半分に割り汁の中へ放り込んで食いだした。


 この日も目が覚めたのはいつもの如く昼前だった。

当然学校はバックレをかまし今日を過ごすつもりだ。が、これといった予定もないのでダチを探し出しヒマを潰すしかない。

煙草に手を伸ばすと昨日寝付く前、最後の一本を吸ってしまってたのに気づき舌打ちをする。

二階の子供部屋から男の部屋に入り、クローゼットからグレーのブルゾンと黒地にピンストライプのツータックパンツに着替える。

小柄な服の持ち主と体格が似通ってきたので重宝する。

部屋の主はだいぶ離れた繁華街にクラウンで通うスナックの雇われ店長をしており、三十過ぎの年齢に昔の名残も重なって服のセンスが俺の好みに合う。

家を出ると真っ先に近所の自販機へ向かい二百五十円を入れボタンを押す。

巷では刑事ドラマの影響で赤ラークが流行だったが、俺にはキツいのでマイルドで十分だった。

ダチ共がいつもタマっているコンビニへむかう途中に中学校があり、そこを何食わぬ顔で通り過ぎようとした時、校舎の窓から同級生の女子が俺に何かを叫んできた。

しかし無視してそのまま歩いていく。

 暫く進んでいると背後から原チャリの音が近づいてくるので振り向くとそれは三コ上の先パイで、マフラーに穴をあけシートにチンチラを張り、ピースサインを模ったミラーを付けたクレージュタクトの後ろに彼女を乗せていた。

その場に立ち止まり「ちぃーっす」と礼儀よく頭を下げると、運転者が左手を軽く振りながら通り抜けていく。

肩にかかる長さの髪にソバージュをかけた先パイの彼女は後輩不良男女が憧れる綺麗な女性だ。

何時かはあんな彼女が欲しいと願いながら見送る。 


 コンビニに着いたが誰も来ていなく、仕方なく店内に入り本棚へ直行。

理路整然と並べられた最前列の週刊誌の見出しでは、アイドルが都内のビルで飛び降り自殺をしファンの後追い自殺が相次ぐ事態を国会で採り上げられると報じている。

そこ過ぎて奥の棚に置かれたティーンズロードを手に取り立ち読み(ウンコ座り)を始め、見開きいっぱいに並んだ族車を一台づつ眺めていく。

何ページか読み進めた辺りで視界の端っこに原チャリが停まったのが見えた。

その持ち主は俺の苦手な三コ上の先パイで、何がといえば意味の無い攻撃を加えてくるので自分に限らず後輩共全員が嫌っている人なのだ。

シカトする訳にもいかず自動ドアを抜けて近付き、挨拶をしかけた矢先に早速、

「オイ少年、学校バックレて何してやがる」と赤いジョグに跨ったままで肩パンをくらわしてきた。

すぐさま黒光りする半帽を首にかけたこの人が指を二本出し「ヤニをくれ、ヤニ」と中ボーの後輩にタカってきやがったのを軽い殺意をグッと押さえ一本渡し火をつけてやる。

ハンドル下に取り付けられたカーステレオから男女ツインボーカルバンドの曲が流れているバイクのサイドスタンドを立て、原チャリから下りた先パイに社交辞令で話しかける。

「待ち合わ……」

言い終わる前にヘッドロックをかけられた。

「そんなコトより女いねぇか?紹介しろよぉ」

「いないっすよ、そんなの」

この人は手加減ってやつを知らない。苦し紛れに返事をすると更に話し続ける。

「一人ぐれぇいるだろうが」

「俺の周りにはいないんすよ」

「チッ、なんだよ使えねぇなぁ」

ここでやっとヘッドロックは外され、(たとえ居ても紹介する訳無ぇだろ)と心で呟いていたら二台の単車が駐車場に入ってきた。

ホッと安心してそちらに目をやると、右側のリーゼント風防のXJに乗る運転主は知らない先輩だった。

頭を下げながら近寄った左側のロケットカウルのCBXは地元で二コ上の桜井先パイで、隣に止まったバイクの方を指差し問いかけてきた。

「おう、オメーか、丁度よかった。コイツ知ってんな」

後部座席からこっちを覗く面に見覚えがある。あの時のドカジャン野郎だ。

運転席の眉が無い自分の知らない人物はO町の人でウチの先パイと顔見知りだったのだろう。

「ハイ、知ってます」

俺が答えるとドカジャンがバイクを降りながら吠える。

「テメー、俺のダチにやたらなマネしてくれやがったなぁ」

完全にキレた面で目の前に立った奴は俺の胸ぐらを掴み「ブッ殺すぞコラ」と引き寄せ、それに対し「やってみろや、オイ」と怒鳴り返す。

そこに地元の先パイが割って入る。

「オメーらココじゃなんだからヨソへ行くぞ」

額がつく勢いでガンくれ合っていた俺等はその言葉に従い、お互いの先パイの後に跨りバイクは駐車場を出る。なぜかタカリ先パイも着いて来ていた。



 五分程度で着いた先はちょっとした雑木林で少し奥の方が七、八メートル四方に切り開かれた場所になっている。

広場の入り口にバイクを止めると次々に降りてその場の中心辺りに集まり、こちら側は俺を前にして桜井先パイと厄介な先パイ、対面にはドカジャンとその先輩で向かい合った。

桜井先パイが相手側に話しかける。

「ここなら問題ねぇだろ」

「おう、大丈夫そうだな」

眉ナシ先輩が納得し話を続ける。

「お前達がもめた内容はコイツから聞いてる。いくら何でも四人でツブすっつーのはヒデーんじゃねえのか?」

充分脅しの効いた声で話すその言葉にポケットに手を突っ込んだまま、

「ナイフで脅されたモンで」と俺は返し、これにドカジャンが食って掛かってきた。

「てめぇアイツに手錠掛けてフクロにしてくれたらしいなぁ」

又胸ぐらを掴まれた俺は「キッチリとツブしてやったよ」と睨みながらカマす。

すると向こうの先輩が「タイマン始めろやぁ」と声を張り上げた。

 それを聞き終わる前にドカジャンの右ストレートが飛んでくる。

これを避けたつもりが顎をかすめた。もう一度来た右を左手で払い俺も右を出したがこれをかわされ少し体が離れた後、奴の左蹴りが太腿に入り右パンチを口元に喰らった。

続けて攻めてくるドカジャンの右腰に左前蹴りを入れ、止まった顔面に右ストレートを決める。すかさず右前蹴りを腹に喰らわし上着を握り起こそうとした矢先に奴の左手が俺の襟足を掴んだ。間髪入れずに右ボディブローをかまされ体がくの字に曲がり、その瞬間にドカジャンの右膝が視界に入ると両手でそれを制し一歩下がった俺が右フックを出す前に相手の右拳を一発貰う。

左頬骨辺りが痛み口内が切れて鉄の味がした俺が追い打ちを喰らう前に踏み込み右拳を奴の左脇腹に入れたが相手の右を左目上にもらった。蹴りの動作になる奴に自分の右ストレートをかまし左腕で殴る寸前に腹を蹴り上げられ、この爪先がみぞおちに入り苦しみで息も動きも止まる。

右、左、右と顔面にパンチを浴びた俺はヨロヨロと倒れ込んだ。

ドカジャンの蹴りが腹目掛けて飛んできたが腕で庇っていたので浅く、もう一度きた右足を掴み起き上がるとバランスを崩した奴の顔面に右拳をブチ込んだ。

俺の左眼上は完全に腫れ痛みは顔半分に広がっている。

後ろから「負けたら承知しねぇぞぉ」とタカリ先パイがほざいているのが耳障りだ。

相手の出した右を左腕でかばい右ボディを決めると、更に一つ入れ左フックを顎に喰らわす。怯んだドカジャンに右のケリを入れるよりも先に左手が飛んで来たのを避けたが右パンチはこめかみに当てられた。

続けて脇腹を蹴られ顎を殴られ後ずさり、奴の左膝にローキックをかまそうとしたが同時に飛んで来た相手のパンチが右目尻に入る。

中腰の俺は右肘をドカジャンの腹目掛け体当たり気味に当てにいったが両肩を上から抑えられ胸に膝を貰った。

二発、三発と繰り出されるそれを両手で防ぎつつ体重を目一杯かけて体当たりをする。手が離れたこの隙に攻撃へと上半身を起こした瞬間腹にケリを喰らい又後ろに下がった。左パンチを二回顔面に受けるとアッパーに近い右をかまされる。

意識は飛びそうになり両目の視界は狭まれ、体中の痛みも増してきて戦意を失いかけた。

次の一撃をミスれば負ける。

再び攻め込んでくるドカジャンの顔面中心を目掛けて渾身の頭突きをブチ込むと、見事に鼻を捉えメキッと音を立てる。

形勢は逆転した。

顔を覆って呻き鼻を庇う手の上から右拳を喰らわし、再度呻いた顔にもう一発かます。

尻餅をついた相手のツラにボレーキックを入れ、仰向けに倒れた胴体へすかさず馬乗りになる。拳を顔面めがけ振り下ろし、更に振り下ろす。


完全に何かのスイッチが入ると共にあの男の【顔】が頭の中に映し出された。


ドカジャンは掌をこちらに向け半泣きになっている

――人が苦しむ様を凝視する

左手を振り下ろし右手で殴りつける

――骨にぶつかり軋む音を聴く

両手で頭を抱え防ぐ上から尚も打ちつける

――衝撃で潰された肉の感触

左右の拳を立て続けに繰り出す

――漂う血の匂いを嗅ぐ

奴の全身に入っていた力は抜け出している

――口内で鉄分を味わう

それでも未だ殴りつける。この欲望が止まらない。この快楽がたまらない。


「おい、終わりだ」

その声と一緒に後ろから引きずり倒され我に返った自分の顔は、口角を上げ半笑いで固まっていた。

「テメー頭オカしいんじゃねぇのか?」

地ベタに寝転がる俺を見下ろす眉ナシ先輩に怒鳴りつけられる。

タイマンには相手の降参を認めたらそこで止めるという暗黙のルールがあるのだが、そのタイミングを明らかに無視していた。

「ま、やっちまったモンはしょうがねぇわな」

横に立った厄介な先パイに上半身を起こし座り直した肩を叩かれた俺は、誰に向けるでもなく「スイマセン」と呟き頭を下げる。

顎をしゃくってドカジャンを指した桜井先パイに、

「ここから俺ん家近いから少し休ませた後にコイツ連れてくけどお前はどうする?」

と聞かれたが「ここで失礼します」と立ち上がりながら告げ、焦点の合わない眼で天を仰ぐ奴を横目に広場を立ち去った。



 歩きながら服に付いた泥を掃い、ポケットから出した煙草は潰れていた。

それを真っ直ぐにして火を付け、(こんなに汚した服で返したら男にドヤされるな)と考えつつ家路に向かっていると、すれ違いざま♪しあわせってなんだっけ~と合唱している小学生がこちらを見て驚き固まる。

かなりボコられたので腫れが凄いのだろう。

この面で仲間の前に出たら何を言われるか分かったモンじゃない。

悩みの種を抱えて少々不自由に吸って短くなったタバコを踏み消していると、昼間校舎から叫んでいた女子がチャリンコで目前に走り寄ってきた。

「ちょっとぉ何そのケガ、すんごい顔になってるよぉ」

ショートカットでくせっ毛のこの子はチャリを降りて心配そうに見つめている。

「るせえなぁ大きなお世話だ」とそっぽを向いて話すると、コイツは俺の二の腕をいきなり掴んだ。

「いってぇなぁ、放せ、このバカ」

よりによって痛めていた箇所を握りやがった。

「あ、ゴメン。じゃ、あそこに座ってよ。手当するから」

そう言った女子は民家の入り口脇に置かれているコンクリート製のU字溝が逆さまに二つ並んでる所を指差している。

「要らねぇよ、そんなモンしてもらわなくても」

この俺の嫌がる言葉を聞き入れてもらえず「いいから」と服の袖を引っ張られ、無理やり座らそうとする強引さに仕方なしでそこに腰を下ろす。

すると、隣に座りカバンからハンカチを取り出し顔の傷に当てようとするので「いいっつうの」と右手で制するが「よくないっ」と睨まれた。

「めんどくせぇヤツだなぁ、だったら自分でやるからソレと鏡を貸せや」

女子はこの言葉に不満そうな顔をしたが渋々ハンカチを渡し、鏡もカバンから出して寄こした。

それに映ったボッコボコのツラに凹んでいると、くせっ毛はその髪をいじくりながら矢継ぎ早に質問をしてくる。

「何でケンカしたの?」

「売られたから」

「何で売られるとするの?」

「シカトする訳いかねぇから」

「すればいいじゃん。そんなにケンカって楽しい?」

「勝てば楽しいな」

「ふうん。そういえば何で学校に来ないの?」

「面白くねぇから」

「けど、学校は通わなきゃいけない所でしょ?」

「しつけぇなぁ」

止血していた手を止め呟いた。

コイツがかなり前から俺に気があるのは誰かに聞かされていたが、あの先パイの彼女みたいな美人とは程遠いし、なによりこのしつこさが鬱陶しくてしょうがない。

きっとその気持ちに俺が答える事は無いだろう。

面倒臭くなった俺はそこから立ち上がり、借りた物を突き返し「じゃあな」とだけ言って歩き始めた。

即座に何故か背中をかなりの力で一発叩かれ、振り向くと奴は逃げるようにチャリに跨り「学校は来なきゃダメだからねぇ」と手を振りつつ去っていた。


とことんウゼぇ奴だ。



 一歩ごと何処かしら痛みが走るのに顔をしかめ進んでいると交差点を曲がって来るパッソルが見えた。

それは家にある親のバイクを悪びれず拝借する色男だった。

日章旗柄にカッティングシートを貼った半帽を首にかけた姿に、それじゃヘルメットの意味ねぇじゃんと心で囁いていると色男が脇に停まる。

「おい、どうした?」

今のコイツは心配してるのかガンを飛ばしてるのか解らないツラで眺めてやがる。

ハンドルに引っ掛けたレジ袋にはヒーヒーおばあちゃんの菓子と緑の帽子を被ったキャラのディスクシステム用ソフトが入っていた。

ヤラれ過ぎて全身が思うように動かないのがバレない様に気合を入れてタイマンの経緯を話すと「そんで負けたのか」と決めつけてきた。

それに対し「頭突きかましてブッ潰してやったよ」と言ってやった。

それを聞いた色男はにやけ、

「なんだ勝ったのかよ。そのザマならシメられたんだと思うだろ」

そう言いつつ俺の二の腕を叩く。

よりによってまたそこかよ、と歯を食いしばっているとコイツは言う。

「それなら前回と今回でO中は俺等の下ってコトになったな」


このまま奴等が黙っているとは思えないが、現時点ではそういう事になるだろう。俺等の世界では上か下かはかなり重要な問題になる。


個人的にはそんなモンはどうでもいい、と考えていると、色男が焦り出す。

「ヤベッ、女と待ち合わせだ。じゃ」とパッソルは威勢よくスッ飛んでいった。



 久しぶりに登校したある日の放課後、窓の外の目をやるとグラウンドでキャッチボールをしていた。

俺はかつて野球少年で、小学校高学年当時に少年マンガの影響でサッカーが大流行し子供の野球人口がかなり減ったのだが、プロに憧れ真剣に取り組んでいた時期もあった位だ。

明確に辞めた覚えも無いのでたまにはやってみようかと真後ろにある棚からジャージを出し着替えると部室へと向かった。

ノブを回し開け男子運動部ならではの匂いを嗅ぎながらグローブを手にして練習場へ歩を進める。

久々にはめた感触を確かめつつバックネット脇に近付くと、トスバッティングを終えシートノックに取り掛かる前だった。

どこの守備に就こうかと思案しているとノッカーをするつもりだった体育教師の顧問がバットの先端で俺を指し、

「お前みたいなモンが来る所じゃない、帰れ」

と声を荒げながら近寄り目前に立つ。

「退部しては無いっすけど」

ふて腐れながら反発すると、鼻先にあったバットを足元に叩きつけ、こう叫ぶ。

「それなら私の権限で今、この時点でお前は退部だっ。二度とグラウンドに足を踏み入れるなっ、わかったかっ」

俺は厄介者で野球に触れる機会を与えてもらえないようだ。

舌打ちし、ガンをくれ体育教師の足元にツバを吐きその場を後にした。



 教室に戻ると掃除用具入れを蹴りつけ、近くの机もケリ倒した。

(ったく人を何だと思ってやがるんだ。何もかもに噛み付いてる訳でもないし、たまには学生らしい真似する事の何が悪いんだかさっぱり判らねぇ)

イラついて学ランに着替えていると、よそのクラスの奴等がこっちを覗いていて、

その内の一人が申し訳なさそうに話しかけてくる。

「やぁ、何かあった?」

さっきの音を聞きつけたのだろうコイツは校内では真面目な振る舞いをし、放課後だけは少しだけ太いズボンに履き替え仲間の前だけで偉そうにする通称ダサ坊だ。

エナメル質の黒ベルトを直す手を止めずぶっきらぼうに「んでも無ぇよ」と答えると

倒れた机を元通りにしたコイツが媚びを売るようなツラで俺の上着を指差し、

「短ランっていいよね。僕も欲しいんだよねぇ」などとほざく。

これに愛想なく「だったらヘソが見えるヤツ買えよ」と返すと「それは無理だよぉ」と手を左右に振る。

何一つ面白くも無いやり取りに嫌気がさし、手だけ上げ教室を出ると階段を降り、下駄箱から靴を取り出す途中で担任が駆け寄ってきた。

「なんだ、学校にまだ居たのか。探していたんだよ」

又もや顔を見ずに話してやがる。

にしても先公が俺に用事があるというのは珍しいと思ったが、次の言葉で理由が分かった。

「警察から連絡があった。不法侵入の事で事情を聴きたいらしいぞ」

これには心当たりがある。

きっと何日か前に空き家の窓ガラスを割って入ったのがバレたのだ。担任が職員室へと促す。

ジタバタしても仕様がないので従い部屋に入ると、先公は二箇所に電話をかけた。

恐らく家と交番だろう。


 しばらくするとオマワリが現れ、担任と二言三言交わし俺に近付く。

「話は聞いてるね。ちょっと来てもらうぞ」

その後パトカーに連れていかれ後部座席に詰め込まれ、何人かの教師と部活中の生徒達の注目を浴びながら車は学校を後にした。



 Y警察署に着くと肩を掴まれたまま建物内に入り待合室の前を通りがかるとソリコミの姿があった。

こいつと悪さしたのを近所の人に目撃され通報が入ったと車内で聞かされていた。

少年課のおまわりに引き渡された俺は取調室に放り込まれ、奥側の椅子に座らされる。

俺は正面に腰かけた相手に対し明後日の方向を見た。

「既に内容は聞いてるな。調べもついているぞ」

「知らねぇよ」

無駄な抵抗だと分かっていたが素直に認める気にならなかった。

「もう仲間は観念して全部喋ったぞ」

「いや、知らねぇ」

「今更しらを切ってどうするんだ。調書取り終わらなければ帰れないんだぞ」

この言葉にもおまわりの思い通りに行くのが気に入らず黙り込む。

「通報者の証言でお前たちの面は割れているんだ」

それでも口は開かない。横目で見た相手は両耳が潰れていた。

「黙っていても仕方ないだろ。正直に話せば良いことだ」

明らかに苛立ち始めたが認めるつもりは無い。

しばらく睨み付けていたおまわりは、

「それなら立て」と俺の後襟首を持ち上げ部屋から引きずり出し廊下を歩きだす。


 何が起こるのか解らず着いた先は畳の敷かれた道場だった。

すると胸ぐらを掴み、「喋りたくないならそれでもいいぞ」と告げられる。

途端、俺は叩きつけられた。背負い投げを喰らったのだ。

その後も無言で立たされては投げられ、又起こされては叩きつけられ、このおまわりは止める気配が無かった。

確かに俺が悪いが少年相手にここまでヤルか?と思って受けていたが流石に十数回目で音を上げた。

それを聞いた相手は「もう終わりか?」と物足りなさげで見下ろす。

打ち付けられた痛みを堪えているのを悟られない様に立ち上がると道場から戻され再度聴取に応じ、それが終わると現場検証だった。


 パトカーに乗せられ例の空き家に着くと、両脇をおまわりに挟まれた格好で忍び込んだ窓ガラスの前に立たされる。

先ずは何から始めたのかと聞かれ、石で割ったカギの辺りを顎で示し「ここを壊した」と答えると、指をさせと指示される。

その様を写真に撮られると、事の経緯を辿り何か所か同じ形でやらされた。

こちらを眺めてひそひそ話をするオバサン二人を気にしつつ進められたそれが終わると、三度目のパトカーに乗り警察署に戻る。

階段を登り入口を抜けると、保護者として呼び出されたのであろう男が近寄り、何度も頭を下げながらおまわりと言葉を交わす。

それが終えた後二人揃ってお詫びをし、駐車場のクラウンに乗り込むと無言のまま発進した。



 家に着いた俺は先に玄関を開け居間に向かいテレビの電源を入れるとニュースが流れ、中学いじめ自殺事件で学級担任がいじめに加担した"葬式ごっこ"が行われたと報じていた。

座布団にあぐらを掻き流れで頬杖を突こうとしたその時、居間の戸が開きすかさず男の踵がわき腹に刺さり、もう一発が肩に決まると体が横滑りした。

「いい加減にしろよオイッ、どんだけ迷惑をかければ気が済むんだテメーは」

どすの効いた声で怒鳴る男を倒れた姿勢のまま睨み返している最中、自分の耳を疑う言葉をコイツは発する。

「お前の面倒は見切れねぇからまた叔父の所で暮らしやがれ。話はもう付いてる」

(はぁ?何いってやがんだ?)

「明日にでも転校の手続きしてくるからテメ―の段取りもしておけ。さもなけりゃお前の母親の連絡先教えてやるからソッチ行くか?住所はなぁK市U町二丁……」

(クソがっ、ふざけやがって……)

立て続けにぬかしやがった発言に舌打ちをする。コイツは又も俺を見捨てる様だ。

右拳を床に振り下ろし勢いよく立ち上がり、奴を見据えたまま低い声で呟く。

「わかったよ」

男の脇を通り過ぎ居間を出て階段を昇り部屋のドアを押し開けると弟が何とも言えない表情でこっちを見ている。

それに背を向け壁を蹴り、続けざまに二発殴った。

(自分は好き勝手に生きてるくせにその子供が勝手に振舞うのは気に入らねぇのか。テメ―の身勝手から生まれた事実から逃げ出すだけだろうが。振り回される方の身にもなりやがれ)


「ちくしょうがっ」

歯を食いしばり吠えた俺は更にもう一度壁を殴りつけた。

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