16話「ライブハウスと私②」
胸の奥から全身を貫く低音。時刻は六時半。トアルコの一つ前のバンド、その本番がたった今始まった。
私たちはステージの隣にある部屋、出演者の控室に揃っていた。
やんわりと明るいオレンジ色を放つ、天井からむき出しでぶら下がった白熱電球。L字のソファと、その前に置かれたローテーブル。端に固めて置かれた安っぽい数個の丸椅子。
他のバンドは皆、フロアに出て演奏を見ているのだろうか、現在この部屋には私たち
「なんかさ、やっぱり今までと雰囲気違うよなぁ」
「確かに。アタシも緊張してるわ」
ベースをチューニングする萌佳と、スティックで膝をリズミカルに叩く朝海が不安そうに話す。
私はなるべく何も考えず、ソファに浅く座ってひたすらギターを弾いていた。自分はなんだかスロースターターというか、しばらくこうして弦を触っていないと調子が乗らないような気がするのだ。今のうちに両手を温めているのだ。
「咲耶さんは緊張しないんですか?」
同じソファに座る衣那からの問いに私は顔を上げた。
「ま、深く考えないようにはしてるよ。今からステージに出て、音を鳴らすだけ。それだけだから」
それにしても、と私は続ける。ふかふかのソファに自宅かと言うほどに身をゆだねて、携帯で先ほどからずっと音ゲーをしている能天気な彼女が視界に入った。
「おわ! フルコンまた崩れた!」
彼女は大きくのけぞってコンクリート製の天井を見上げ、ため息をつく。
「夕維さん大丈夫なんですか? チューニングとかも」
「そろそろやんないとだよね! いやぁ、ギター持ってるとなんか落ち着かなくてさー」
自由人かと、声に出してつっこみそうになるのを抑えた。今日の夕維は緊張しているという訳ではないのだが、終始そわそわとしていて少し心配だった。
しかしリハーサルの彼女を見ていると、いつもに増して良い音を出していて、取り越し苦労だったのかなと思っている。
集中したり自信を湧き起こすために、決まった仕草などのルーティンをするアスリートをよく見たことがあるだろう。それが私にとってギターを弾くことであり、夕維にとっては思い切りリラックスする事なのかもしれない。
「よっし、コロナちゃんと一緒に出る初めての舞台やし、うちも頑張らんとな!」
「はい! 私も思いっきり頑張ります!」
「ほら、そろそろ時間だぞ。準備できてるか?」
朝海が膝上で取っていたリズムを止めて立ち上がった。タイムテーブル上ではあと三分で準備を始める段取りになっている。
「チューニングばっちり! いつでもいけるよ!」
ギターのヘッドにある、銀色のペグから手を放して夕維が握りこぶしを振り上げる。その拳を目で追うと、不思議と私の中に安心感というか、そんな気持ちがわいてきた。音楽室や教室にある、いつも通りの姿を見て。
「じゃあ、今日もよろしくね」
私はみんなには聞こえないくらいの声量で、小さく唇を動かした。
数時間前にリハーサルで調整した通りに、三色のコンパクトエフェクターのツマミを合わせて順番に接続する。そしてギターとアンプを黒色のコードで繋ぎ、ボリュームを上げた。
「あれ」
いつものように少し弦を弾いてみた。それで音が出れば正確に配線が出来ているということなのだが、何故か音が出ない。
ギター側のボリュームも、配線の繋がりも、アンプのボリュームとゲインも。順番に目で辿るが問題の箇所が分からない。依然私からは音が出ず、焦る気持ちが強くなる。
「さくちゃん、大丈夫?」
スタッフを慌てて一人呼んだところで、既にセッティングを終えた夕維が近づいてきた。
「ごめんね、なんか音が出なくて」
観客からのざわめきが少しずつ大きくなっていく中、さらに一人ステージの横から駆け寄ってきてチェックを続ける。
そっかぁと夕維が呟き、かと思うと背中側にあったドラムをじっと見つめた。
「わかった、なんとかするよ!」
「え? なんとかって……」
彼女はマイクに戻り、大きな深呼吸を一つつく。
軽くてさっぱりとした夕維のストラトキャスター。そこから溢れるクリーントーン。知らない音楽、まさか彼女は、私の問題が解決するまで場を繋ごうとしているのだろうか。
スキップしてるみたいに軽快なカッティングを回しながら朝海を振り返った。テレパシーを受け取ったみたいにドラムがハイハットを躍らせ始める。
そこへ、同時に合流するベースとキーボード。
私の知らない、新しい音楽。即席のセッション。いつもと違う、大人びた夕維の横顔に私は見入ってしまう。
「やっぱりどこかのシールドが断線してるみたいですね! 予備貸すんで順番に取り換えていきます!」
私の耳元へ寄り、スタッフの一人が大きな音の中でも聞こえるように声を張った。セッティングはやはり問題なかったので、次に確認するのはシールドのどこかが断線している可能性だ。
一番古いシールドは、エフェクターからアンプへ伸びる部分だろうか。一度アンプの電源を切り、それを取り換えて再び電源を付ける。
恐るおそる弦をピックで弾く。チャカチャカと、いつも通りの音が元気よくアンプから鳴った。
「よかった! じゃあ後は頑張ってくださいね!」
「その、ありがとうございました!」
嬉しそうにするスタッフに私は頭を下げた。頑張れというメッセージだろうか、ガッツポーズで返事をされる。
さくちゃんがトラブっている間、私たちが繋がなきゃいけないんだ。私にできることを、今は手を動かしながら考えるしかないんだ。
夕維は必至だった。
即席セッション、いくつも引き出しを用意して、今弾いてる音楽に合うものを選んでいくギタリスト多いだろう。事前にコード三つ四つの繋がりや、メロディー、弾き方などがそれに当たる。
だが夕維はまだまだ歴が浅く、ほとんど何も持ち合わせていなかった。なので、あまり奇麗ではないコード進行になってしまう部分も確かにある。
しかしその中にも、深海に沈むライトみたいに光るものがときたま現れる。彼女はそれを拾い集めて音楽にしていたのだ。
そしてギターが何をしたいのか全て伝わっているみたいに、ドラムとべースがそこに乗っかかり、衣那のキーボードからの旋律が鮮やかな花を添える。
よし、うまくできてる!
私の気持ちがなんだか高まってきて、体が勝手に大きくリズムを取り始めた。
突然耳に吸い込まれる、聴きなれた甘いギターの音色。それに反応して左側に目をやる。咲耶が嬉しそうにギターから音を絞り出していた。
やった、なんとかなったんだ!
言葉は発していないはずなのに、この名前もまだ無い音楽は、あと数フレーズで終わりを迎えることを直感的に理解した。
その思い通りに、音が一つになって消えていく。私の中は、恐らくみんなもだろうか、充実感が並々に満たしていた。
みんなの方を向いて、思い切り笑いかける。
私は、拍手に包まれたステージに生えるマイクスタンドに手を添えて、息を思い切り吸い込んだ。
「改めまして、トアルコです! えっと、色々お騒がせしました!」
MCは私の仕事。みんな人前で話すのは苦手らしいので、私にそれが回ってきたのだ。ボーカルでもあるので、立ち位置は一番目立つ真ん中だ。
「じゃあその、時間もないんで早速次の曲です! えっと、二曲目、でいいんだよね!」
それを合図に彼女、咲耶の持つ赤のギターから、いつも通りの優しい音がリズムを刻み始めた。
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