13話「鍵盤と私③」

「ひゃー! 美味しかったぁー!」

「最近な? うち、食べすぎてんねん。んで今日もやわ」

 落ち着くクラシックの流れと談笑が混じる空間。いかにも上品なここはステーキハウス、本来の私たちには高すぎて到底手が出せない店である。本来ならば。

「ほんと、ともみん様々だね」

「やめろよサクヤまで」

 そう言いながら、朝海は美味しそうに焼けた肉を醤油ベースのソースにくぐらせ、ゆっくりと口に運ぶ。今まで聞かされていなかったが、山緑朝海はお嬢様であったのだ。

 彼女の父親がものすごいお金持ちで、どこぞの大きなグループのかなり偉い人らしい。私たちが今、柔らかな霜降り肉を楽しんでいるこの店もそこに属している。

 母は厳しく、父は甘い。朝海お嬢様は先ほどそう仰っていた。家族は他にも兄と姉がいるらしいが、大甘な父の子供たちは当グループのお店をものすごい割引で利用できるそうだ。楽器関連の会社が無いのが悔やまれるところではあるが。

「ともみが割引させるなんて珍しいじゃん。いっつも嫌がってたのに」

 大きな肉の塊をナイフで一生懸命切りながら衣乃が尋ねる。それに反応して朝海は目線を手元から向こうにいる、綺麗なタキシードをまとった店員へやった。

「だってアイツらアタシの事、お嬢様とか呼ぶんだぞ? 関わりたくないわそんな奴らと」

 お嬢様、か。いつもの活発で人当たりの強い彼女を見ていると、なんだかお金持ちの娘というよりもガラの悪い方々を束ねる統領の娘、みたく聞こえる。おかえりなさいやせ、お嬢、なんて具合に。

 まあでもと、その切れ長な目を店内に泳がせながら続ける。

「なんていうかさ、日頃の礼だ。あ、あと今日頑張ったご褒美な!」

「ともちゃん……ええ子やなぁ。」

「ともちー。私、感動して泣いちゃいそだよぉー!」

「ニヤつきながらいうなよ……ああもう! 言わなきゃよかったし!」

 先ほどの振る舞いはあっという間にどこかへ消え失せて、朝海のナイフとフォークの使い方が荒くなった。そして肉を乱暴に頬張りながら、今の嘘だからなと必死になって大声を出している。

 やはりこの感じがいつも通りの朝海、おしとやかなお嬢様の彼女には違和感がある。水族館にパンダのマスコットキャラクターがいるような違和感だ。

「正直なとこ、感謝されるような事出来てるのか知らないけどね。まあ私はこう見えて、皆さんにはいつも感謝しながら生きてんだよ?」

「感謝、ですか?」

 衣乃が私に聞き返す。

 これ以上は言葉にするのは恥ずかしいので形にはしないが、感謝しているというのは本当だ。みんなから得ることは多いし、昨日に誕生日を祝ってもらったことだって。何より、一緒に居てくれて、楽しくて、嬉しいんだ。

「ならさくちゃんはもっと私を頼りなさーい!」

 既に完食した夕維は威張った顔を作る。萌佳も既に食べ終えており、ニコニコとしながらグラスの氷を回している。やはりこの二人の食はとても太いようだ。

「頼れってもなぁ、ユイには……」

「任せらんない、だろ?」

「ひどいよー!」

 まあ……頼りなさい、か。

「じゃあ、さ。一つあるんだけど」

 私のそんな言葉に四人の手が止まる。

「二週間後くらいにライブの出演してみないかって言われてさ。みんなが良いならその、付き合ってほしいんだけど」

「もちろんやー! うちも人前でやるのちょっと楽しくなってきたしなぁ」

「あと、それでね」

 賛同の言葉を遮り、言葉に詰まる。どんな反応をされるか不安で。

 でも、それでも。きっと受け止めてくれるはずだ。

「衣乃を私たちのバンドに、トアルコに加入させたいんだ」


 私たちのテーブルから音が無くなり、そのまましばらく時間が流れる。店内の音楽が肩をかすめていく。次の一言を発したのは萌佳だった。

「えーっと、うちはかまわんねんけど、なんでコロノちゃんまで驚いとるん?」

「や、だって。私も今、初めて聞いたので……」

「ええ、そなの!? どゆこと? どーしてそんな話になったの?」

 そうだ、先に衣乃には言うべきだったな。どうしてそこまで考えが回らなかったのか、数分前の自分に問いただしたい。

「ごめんね色々順序おかしくて。さっき沖さんから言われてさ」

 一時間ほど前だろうか、すでに落ちてしまった太陽が、まだ地平線で気だるそうに傾いていた時刻に戻る。



「コイツ、俺の息子の恭一きょういちな」

「あー、初めまして。青山咲耶です」

 今日のイベントが終了して皆が楽しそうに話している中、私は沖さんにつれられて一人の男を紹介された。細目で爽やかな雰囲気のある彼にとりあえずといった感じの自己紹介と会釈をする。

 確か、先ほどまでこのスタジオで音響をしていた人だ。今思い出したが、このスタジオを利用する時にも受付なんかで何度か見かけたことがある。歳は見た感じ大学生くらい。

「始めまして、沖恭一おき きょういちです。そんで、どうして自分んところに?」

 物腰の柔らかい声で笑いかけられた。そして目を彼の父にやる。当然私もだが、彼も話は聞かされていないらしい。

「お前がバイトしてるあの箱さ、こいつら出してやれん?」

 箱、おそらくライブハウスのことだろうか。

 それにしても今、私はどんな顔になっているのだろう。未知の会話に、私の脳はついていくことが出来ずにいる。

「まあ大丈夫だよ。夏休みだろうし、平日なら余裕に入れれると思う」

「ちょっと沖さん、本当ですかそれ」

 慌てた声になる私に、二人とも不思議そうな顔になる。そっか、両方沖さんなんだ。

 中学の時に赤羽あかばという仲のいい友達がいたのだが、彼女の家のインターホンに苗字で赤羽ちゃんいますかと尋ねた後、その家には赤羽しか居ないことに気が付いて一人で恥ずかしくなった事がある。そんな昔の、いつの間にか忘れていた余計なものを何故だか思い出してしまった。

「俺は沖でいいけど、ややこしいからコイツは下で恭一って呼べな」

「自分も君のこと咲耶さんって呼んでいいかな? 青山さんって君のお父さんの呼び方とカブっちゃってさ」

「いいですけど、父と知り合いなんですか?」

 ああ、言ってないんだ。そうつぶやいてから説明がされた。昔に父繋がりで、私の父と恭一さんの三人はよく会っていたらしい。父と沖さんが仲が良かったことでさえ昨日知ったのに、もちろんその息子の事は聞かされていなかった。

 それはそうと、ライブの件である。嬉しいような、焦ってしまうような、ごちゃまぜになった感情だ。そんな気持ちを抑えながら、沖さんにもう一度尋ねた。

「それでライブハウスって」

「ああ、それは日程とか細かいことは追々連絡するわ、んでお願いなんだけどな?」

 お願い? どんなことか予想がつかずに、私は首を傾げた。

 沖さんは一つ頷いて、口を開く。

「そのライブでアイツと、衣乃と一緒に出てやってくれんか?」



「ってわけなんだよね」

 ひとしきり説明を終えた私は皆の様子をうかがう。納得したような顔になる夕維たちと、バツが悪そうにする衣乃。

「全く、あのばか沖さんは。私の親より親ばかです」

 頬を赤くして、それを大きく膨らませながら愚痴をこぼす。彼女にとって沖さんは先生というより、父に近い存在なのかもしれない。

「アタシはコロノが来てくれたら面白くなりそうだけどな。サクヤはどう思ってんの」

 頬を膨らませて可愛いななんて思いながら衣乃を見る私に、朝海からそう問いかけられた。慌てて姿勢を正して、考えていた事を飾らず言葉にして答える。

「学年違うとか問題もあるけどさ、私は衣乃と一緒に音楽を作ってみたい。正直言うとずっと前から思ってたんだけど、なんかさ、なかなか言い出せなくて……」

「私も! その、みなさんとしたいです!」

 尻すぼみになっていく私の言葉を蹴飛ばすように、衣乃は声を張る。

 少しの間があった後、私たちの表情は同時にほぐれていった。

「よっしゃ、じゃあコロノちゃん入団を祝ってカンパイやな!」

「いいねー! またトアルコがレベルアップしてしまったよ!」

「だな、次のライブも楽しみだわ」

「えっと、その。」

 衣乃の小さな声に視線が集中する。俯くその顔は、笑っていた。そして顔を上げ、嬉しそうに揺れる瞳を私たちに向けた。

「これからよろしくお願いします!」

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