12話「鍵盤と私②」

「人多いねー、コロノ大丈夫?」

「大丈夫、です。すごい人ですね」

 私たちは控室から再びここに来たわけだが、今日一番の大盛況になっていた。そこは朝七時の満員電車のようで、みんなで来たはずなのにはぐれてしまった。今は咲耶さんと二人で、肩をくっつけて行動している。

 昨日行われた咲耶さんの誕生日会。その時に、今からステージに上がるキリマンジャロの三人と初めて話をした。音楽の話題などで会話が弾んで、特に葵さんがよくお話してくれた。そのことをみんなに話したら、無口なあいつがと驚かれたが。

 三人とも演奏に関してはとてもストイックで、その技術は非常に高い。沖さんはこの辺りにあるライブハウスのオーナーとも交流があるみたいで、話によると彼女たちのバンドを知っている人は多いらしい。可愛らしい見た目に反してパワフルな音を出すガールズバンドがいる、と。

 葵の歪んだギターが先陣を切り、曲が走り始めた。

 彼女の青いギター、少し前までよく弦を切っていたようだ。原因はピッキングの未熟さ、本人はそう反省していた。最近では力任せに弾くのではなく、加えて繊細さを意識して練習をしているらしい。それからはほとんど弦が切れなくなって練習の成果が出ていると、嬉しそうに話していたのを覚えている。

 激しい演奏とハッキリ締まった声、それに観客は答えて湧き上がる。先ほどのトアルコのステージ時にも客席からは上手だなといった言葉が出ていたが、今はそれ以上に盛り上がりだ。まあキリマンジャロは王道のロック、トアルコはシティポップ系のジャンルになるので、全く違う方向なのだが。

 横で演奏を聴く咲耶さんを見た。いつも眠たそうにしている目が特徴的だが、音楽に関係する事になるといつも凛とした表情になる。

 私は三年ほど前、ツイッターでリツイートされていた一つの音楽に出会った。それを聴いた私は、一瞬で音楽に取りつかれたのだ。後に分かったことだが、そのユーザー名は「くろまめ」、つまり咲耶さんの作った曲だったのだ。

 それ以来、この人は私にとって憧れの存在なのだ。

 出来ることなら、ずっと傍で、新しく紡がれていく音を見ていたい――

「ん? どしたの」

「いっ、いえ!」

 彼女の長いまつ毛が私に向けられ、慌ててステージに顔を向けた。




「やー、今日は楽しーね! そろそろラストだっけ?」

「そうだな、次が最後だ」

 あれから咲耶ははぐれた他三人と合流し、いくつかのバンドを観客として回った。ロックやアコースティックなど、音楽好きならとても刺激的に感じる時間。そして次に控えるプログラムも、咲耶が昨日から楽しみにしていたものだ。

「次コロノだよね」

「せやな。リハーサルも見れんかったし、楽しみやなぁ」

 私と同じようにわくわくとした顔で萌佳が答える。

 空っぽのステージの真ん中には分厚いキーボードが置かれている。今日の朝に楽屋で見させてもらったが、訳が分からないくらい沢山のボタンが付いていた。私には使いこなせないだろう。

 その横にはサックスやベースなどの様々な機材が並んでいる。中でも気になったのがMIDIパッドだ。四角く光るボタンがたくさんついており、横にあるノートパソコンと繋がっている。

 ドラムのリズムパターンをボタン一つで再生したり、あらかじめ録音されている音源を鳴らしたり、横についているツマミで音を変えたりするものだ。私も持っているが、使い方次第では永遠に遊ぶことができそうなくらい何でもできる。

 拍手と同時に、衣乃と沖さんがステージへと上がった。昼から二つの会場に分かれてライブが行われていたのだが、片方のプログラムは数分前に終了し、今はここ一つに人が集まっている。いわゆる、大トリである。

 沖さんの知り合いだろうか、大学生くらいの男が音響係としてミキサーに立っている。こちらのステージでは彼がずっとミキサーを担当していた。

「始まるねー!」

「だね。なんかさ、親子みたいだ」

 ステージの二人は相変わらずストリートファッションといった具合だ。いつも仲良さそうにしているし、親子だといわれても疑われないかもしれない。まあ苗字が違うのだが。

 衣乃は昔から沖さんに音楽を教わっていたらしい。特にキーボードやアルトサックスを気に入って、最近になってもずっと先生をしてもらってると話していた。彼女にとって尊敬する師匠なのだろう。

「確かに似てるわぁ。いっつも仲ええしな」

「ほら、始まんぞ」


 部屋の時間が止まったのかと思うほど一気に静かになる。

 そこにオルガンの細い旋律が動き始めた。

 横にいる沖さんがパッドを触った。一気にドラム音がビートを刻み始める。

 衣那は音を変え、太い音で鍵盤のコードを細かく鳴らした。

 沖さんはベースを背負い、低音がグルーブ感を更に引き出す。

 今日のイベントはロックバンドが多かった。この演奏はその中だと正直、異質と言ってもいいくらいだ。まあ私たちもロックという感じではないのだが。

 日本のテレビなんかではあまり見かけない、R&Bやソウルっぽさを含んだヒップホップというか、ジャンルではうまく説明できないが、これは私の大好物だ。今日演奏する曲も衣乃一人で作っており、中学三年生の彼女には恐ろしいほどの才能が宿っているらしい。

 いつもPCのスピーカーから流れていた、私の大好きなホシナコロノ、衣乃の音楽。

 出来ることならもう少し、このまま音に体を溶かしていたい。




「今回はトラブルもなく、無事に良いイベントになった。よくやったなお前ら」

 全ての演奏が終わって観客も建物から外に出ていった後だ。熱残るステージに沖さんが立ち、マイク越しにしゃがれ声が響く。

 散り散りになった観客は店の前や近くのコンビニでたむろしているのを、先ほど飲み物を買いに外へ出たときに見た。一人ですぐ横にあるコンビニで買い物を済ませたのだが、なんだか周りの人に見られている気がして落ち着かなくて、慌てて帰ってきた所だ。

「じゃあ、お疲れ様。これにて第二回駅前音楽祭を解散する」

 統率の取れていた、四十人くらいの若い集団が一気に拡散していった。マイクからは外で騒ぐなよーと、教師みたいな注意が飛んでくる。

「じゃ! 打ち上げってことで、ご飯食べて帰ろうよー!」

「ええねー! どこいこっかー」

 その注意は彼女たちに届いていないようで、先程から夕維と萌佳が携帯で必死になって良さそうな店を調べている。

「コロノも来るだろ?」

 朝海が衣乃を誘い、彼女は嬉しそうにもちろんと返事をした。最近の衣乃は一つ下ということもあって、私たちの妹のような立ち位置である。ひとたび楽器を持てばその関係は逆転してしまうのだが。

「青山えーと、咲耶だったな、ちょっといいか?」

 そんな可愛い妹の師である沖さんから声がかかり、他のみんなは不思議そうに彼を見る。なんですかと問いかけると、彼はにやりと笑った。

「紹介したいヤツがいるんだ、ついてきてくれ」

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