11話「鍵盤と私①」
歪むギターに、弾むドラム。会場を揺らすベースと、勢いよく飛び出る声。充満する赤い熱とエネルギー。いつも学生たちにスタジオとして利用されているそこは、年に一回だけきらめかしいライブハウスになる。
薄暗くなったこの部屋で、唯一光が当てられるステージ。一段高くなったそこには付近の高校や大学に通うバンドが演奏をし、その前に立つ観客の群れが演奏に浸っている。
当イベント「第二回駅前音楽祭」は学生を主役にするというコンセプトであり、参加条件として大学生以下となっている。観客には出演者の友人が多いのだろうか、若者が多くみられる。
当スタジオは三つの防音室に分かれているが、そのうち二つを会場AとBに、残り一つを出演者の控室にしている。会場は出入り自由だ。
去年に開催された第一回が好評だったらしく、今年も普段からこのスタジオを愛用する多くの学生たちが出演希望を出した。学生の利用料金が他スタジオと比べ、ほぼ四分の一となる破格の値段設定も原因だろう。付近の軽音楽部やバンドをしている人たちにとって、ここの知名度は高いのだ。
私たちトアルコが控室から出てきて少し経つ。今は機材を抱えて暗いステージの横で静かに待機していた。
舞台には身長くらいあるスピーカーなど、大きな機材が肩をすぼめて列をなす。そこから生えるコードは、部屋の一番後ろにあるミキサー、音量を調整する機械に接続され、そこにヘッドフォンをつけたオーナーの沖さんが立っている。
ステージの演奏が終わった。二十人弱くらいいるだろうか、観客が一斉に拍手と指笛を響かせる。バンドマンたちは満足そうな顔をしながら、私たちとは反対側からステージを降りていった。
とてつもない熱気だ。教室くらいの広さしかないのに、文化祭の時とは比べ物にならないくらい。小籠包なんかの蒸し料理なら作れるんじゃないだろうか。
前回のはどちらかというと演奏会で、今回こそが本当のライブなんだと、なんだかそんな気さえしてくる。
「うっし、行くぞ」
いつもに増して目に力を込めている朝海が、真っ先にステージへかけ上がった。彼女に続いて私たちも持ち場につく。
やはりなんというか、出演陣も観客席も男性比率が高く、物珍しいといった風に見られている。そんなこと関係ないんだけど、なんだかアウェーな感じではある。
夕維はステージのセンターだ。メインボーカルという役目を背負っている。彼女を挟むように私と萌佳が立ち、後ろで朝海がどっしりとドラムを構えた。
夕維は初めて人前に立つということもあってか、なんだか先程から挙動不審だ。電池の切れかかった兵隊のおもちゃのようで、前列の観客の注目を浴びている。もちろん羨望なんてものでは無い。
それとは正反対に朝海は堂々としているというか、歴戦の戦士感がにじみ出ている。
「おっけー。いけるよ」
準備を終え、手で弦を抑えながらピックで弾いてチャカチャカと音を出すことで、アンプに接続されていることを確認する。手に持っているのは私の指になじむ、少し柔らかめなベッコウのピックだ。
ドラムのカウントの後、私たちの楽器は一斉に飛び出た。小刻みなベース音と上機嫌なスネアを土台に、ギターの鮮やかなコードが乗っかかる。
そして夕維の、大水槽を静かに泳ぐ魚の群れみたいに透明で繊細で、かつ力強さを感じる声が一直線に駆け抜け――
この曲は今まで数えきれないほど合わせてきた。しかし今日の演奏は緊張や興奮からか、夕維も私も小さなミスをいくつかしてしまっていて、機械的に点数をつけるならば練習時の方が高くなるだろう。
でも私は今の、この演奏の方がが好きだ。
なんだか、生きている気がするから。たった今を一生懸命に燃やす花火のような爆発力。これが、多くの人々を魅惑するライブが持つ魔力なのだろうか。
二曲終わり最後の曲になる。
私の意識はふわふわとしていた。お酒を飲んだことはないけれど、多分酔っぱらうとこんな感じなのだろうかなんて、呑気で他人事のように思っている。
文化祭の時にも感じたこの、意識が私たちの演奏に吸い込まれていく感じ。私はこの感覚が好きだし、人前で演奏するのも悪くないなと思っている理由の一つである。
自己紹介なんかで人の前に立つのはとても緊張するが、ギターを持っていれば不思議とそんな風に感じたことは一度だって無い。この面子でステージに立てば最強になれるような、そんな気さえするのだ。
最後のコードをなでる。残った音がゆっくりと、じんわり壁に吸い込まれていった。
そして大きな歓声。私たちに向かうたくさんの拍手。
「お疲れ様です。皆さん」
「あ、ころのちゃんだ! 見ててくれたんだー!」
あの後、私たちはそそくさと静かな控室まで退散して、今はパイプ椅子に身を放り投げている。そこに衣乃がやってきて、嬉しそうにねぎらいの言葉をかけてくれた。
「ありがとー」
力なく私は答える。別にナイーブになっているわけではないが、巨大な脱力感に襲われているのだ。重力がいつも以上に体を引っ張ってくるのが邪魔くさい。
この体から力が抜けて、雲一つ無い晴れやかな気分と、大きな解放感。これも文化祭と今回で見つけた、ライブに出演したくなってしまう魅力の一つである。
「うちらどうやった? よかった?」
「どうだったよコロノ、なぁ」
萌佳と朝海が立ち上がって衣乃に詰め寄っていく。二人は背が高めで、衣乃はとても小柄。事情を知らない人からするとカツアゲされている現場のようにも見える。
「や、ほんと良かったです。咲耶さんの作った曲が良かったのもあると思いますけど、それが皆さんの持ってる音と掛け合わさって、本当に良かったんです」
帽子を乗せて背伸びをしながらひとしきり話し、我に返ったのか恥ずかしそうに顔を伏せる。
「そっかぁ、嬉しいな、やっぱ。」
なんだか体に力が湧いてきた。私は姿勢を正して、つい先程のことを振り返る。
今回も出番は一瞬だった。本当に短い時間。
でも今回だって全部を出せたし、素晴らしい演奏にできたと思う。ステージにいたときの記憶は夢を見てたみたいに、既におぼろげになりつつあるが。
「あっ、キリマンジャロそろそろだよ!」
「そうだそうだ、行かないと。コロノも一緒に行くでしょ?」
「はっ、はい!」
タイムテーブルを確認する夕維の声を合図に私は立ち上がった。キリマンジャロ、葵たちのバンドだ。
その出番はずっと楽しみにしていたのだ。今日はどんな演奏を見せてくれるのだろうか。
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