10話「プレゼントと私」
この街には一本の鉄道が東西に横断している。十駅ほどある中で、ここは恐らく二番目に人が集まる場所。大きなバス停やタクシー乗り場もあり、それらを利用する人は非常に多い。ここから十分ほど歩けば咲耶たちが通う高校もある。
駅周辺には様々なショップが立ち並び、午前中や昼間は主婦や老夫婦、夕方になると付近にある学校の、様々な制服を着た学生で賑わっている。そして朝や夕暮れにはスーツを身にまとった社会人が駅から溢れ出す。ここはそんな場所だ。
今は平日の昼下がり。それにもかかわらず喫茶店や洋服売り場には若い学生たちが多い。これは全国の学生が一斉に夏休みを迎えたからだろう。
とあるビルの一室、教室ほどの大きさがあるそこには折り畳み式の白い机が等間隔に並べられ、それぞれに三、四人ほどずつが座っている。前にはホワイトボードと、黒ぶち眼鏡をかけた小太りの中年男性が立つ。
「あー、では。明日に開催される、第二回駅前音楽祭の最終ミーティングを始める」
マイク越しに、しゃがれた声で彼が話し始めた。
白を基調とした、清潔感のある部屋にはブラインダーのかかった窓があり、そこから赤い陽が入ってきている。ずっと室内にいたので時間の経過を忘れていたが、もう陽が落ちようかという頃だ。今、ここには全員で四十人ほどいるだろうか、その中に咲耶たちもいた。
一人一部ずつ配られた、当日のスケジュールなどが記載されている冊子。それと照らし合わせながら彼の説明を熱心に聞く。
「ひゃー! 緊張したぁ!」
「別に、アンタが緊張することないだろ」
三十分ほどのミーティングがたった今終わり、静かだった部屋が一気にざわめく。
横にいる夕維は腕を振って背伸びをし、大きく息を吐いた。
私も明日の本番にミスがないよう確認していたので疲れた。前にあったテストの時よりは集中していた自信がある。
「いよいよ明日やなぁ」
手元にある冊子をペラペラとめくりながら萌佳がつぶやいた。
「そだね。明日だ」
夏休みに入ってからはもちろん授業は無いので、今までとは比べ物にならないほど濃密な練習時間を確保できている。
先週返却されたテストで赤点を取っていると補講と追試が夏休みに待ち構えているのだが、軽音楽部に赤点を取った者は一人もいなかった。夕維はマルがあと一つでも少なければ数学の追試になっていたのだが。
一週間の間、ひたすら四人で合わせた。私は携帯で音ゲーをよくするが、そのやり慣れた譜面くらい何回も練習をした。別に意識なんてしなくても、勝手に手が動いてくれるくらいに。
「よぉーし! がんばるぞぉー!」
「……だな!」
「せやね!」
夕維はムードメーカだ。緊張や不安を忘れさせてくれる。
一度文化祭を成功させたとは言え、やはりまだ本番は慣れない。しかし、明日が楽しみな気持ちが大きくて、待ち遠しさも同時に感じている。
「うん。絶対に成功させよう」
明日のステージで全力を見せる。私たち、トアルコの力を。
「おお、お疲れ。トアルコの皆さん、で合ってるよな?」
「あ、沖さん。お疲れ様です」
今回のイベントで指揮を取っている、先ほど前で説明をしていた男が歩いてきた。
彼はこのミーティングルームの一階下にある、いつも利用しているスタジオのオーナーだ。ガタイが良くて一見ガラの悪そうな見た目だが、今回のミーティングでの話し方や振る舞いからは真面目で神経質といった印象を感じた。
「君、青山って苗字だったよな? もしかしてアオヤマコーヒーの?」
「まぁ、そうですけど」
「おーやっぱりそうか! タケアキは元気か!」
海賊みたいに豪快な笑い声だ。周りの三人はポカンとした様子でそのやり取りを見ている。
タケアキ……アオヤマタケアキは父の名前だ。この人の歳は父と同じぐらいだし、知り合いなのだろうか。元気ですよと、愉快そうにする彼に返事をした。
「そうかそうか! あいつの子供がもうこんな大きくなって、しかもバンドか。俺も随分と年取ったもんだなぁ」
「知り合い、なんですか?」
「大学のな。ま、今度行かせてもらうから覚悟するように伝えといてな」
服装はなんだかロサンゼルスにいそうなギャングのストリートファッションといった感じ。そんな彼は物騒な台詞を残し、笑いながら部屋を出ていく。これを伝えて父は喜ぶのか、それとも怖がるのかが気になるところだ。
「じゃ、アンタら予定無いよな? サクヤの家行くぞ」
「よっしゃ、行こかぁー」
沖さんの後ろ姿を見送ると朝海が立ち上がった。それに続いて萌佳と、夕維も。
「えっ? なんで?」
「咲耶さんには教えてあげません」
急に後ろから話しかけられた。衣乃だ。
いつものようにカジュアルな服装と、つばが平らで派手な柄が印字されたキャップ。ファッションの方向性は非常に沖さんと似ている。
「なになに、コロノも?」
「ほぉーら! 早くいくよ!」
訳も分からず冊子を片付け、ギターケースとバッグを背負う。そして階段をぞろぞろと大人数で下っていく。
いや、訳が分からないというのは嘘になるだろうか。恐らくだが、何となく察しはついていた。でもこんな風になったのが意外で、やはり混乱もしているのだ。
「じ、じゃあ開けるよ?」
アオヤマコーヒーの見慣れた扉。日が落ちて薄暗くなったそこにはクローズの看板がかかっている。木製のしっかりとした取っ手を手に持ち、それをゆっくりと引いた。
「リーダーお誕生日おめでとうー!」
「さ、咲耶ちゃん、おめでとうー」
三つのクラッカーから金色の帯と星が私めがけて飛んでくる。凛と咲に葵だ。
今日、七月三十日は私、青山咲耶の誕生日である。まさかこれ程の大人数で祝われるとは思ってはおらず、ただ驚いているのだ。
先ほどのミーティングにはイベントに出演するキリマンジャロの三人も居たのだが、それが終わると同時に三人慌てて部屋から出ていくのを見ていた。それがまさか、こういうことだったとは思ってもいなかったが。
凛が小声で、葵になにやら言っている。しばらくのやり取りの後、葵は渋々といった様子でこちらに目線を向けた。
「その、おめでとう」
小さな声で祝福の言葉が発せられた。別に私は二人に無理やり連れてこられただけだから、なんて蛇足と一緒に。
「あはは、ありがとね」
こういうのにはあまり慣れてなくて、なんだか、照れくさい。そんな気持ちを悟られないよう、いつも通りに私は笑った。
店内には八人の私服姿の女学生と当喫茶店のマスター、そして一人の男子大学生、兄だ。
四人掛けの机に、所狭しとパスタやサラダ、フライドチキンなどが積みあがっている。これだけの人数がいるのだから妥当な量なのだろうが、見ているだけでも迫力がある。
萌佳と、私の兄である蓮は知り合いだったそうだ。豆太郎さんだとか呼ばれていたが、その詳細を聞くのはまた今度の方がいいのだろうか。
私はジュースが入ったグラスを手に持って立った。全員も各々の飲みものを持っている。立食パーティのような具合だ。
「ほら、さくやちゃん、掛け声せんとな」
「ええー、ホントにするの?」
全員の視線が私に向いている。みなに見られると緊張してしまって上手く話すことが出来ない。昔からである。そんなに見ないでほしい、なんて言えたら苦労はしないが。
「あーえっと、集まってもらってありがと。じゃあその……乾杯」
簡単なその挨拶を合図に、場が一気に騒がしくなる。
今までこんな大人数でなんて祝われたことないけど、こういうのも悪くないな。なんて思いながら、水面で泡が弾けるグラスを傾けた。
「はぁー。また食べすぎちゃったよぉ」
「食べすぎたなぁ。前とおんなじ過ち繰り返しとるわ」
ひとしきり食べて落ち着いた雰囲気が店内に満ち始めている。
私は喫茶店の中心に位置する机に座っていた。料理を準備してくれていた父と兄は裏口に消えていき、他は散り散りになって店内の椅子やカウンター席で休んでいる。
「じゃ、あれやるか」
朝海の声に反応して、私以外が一斉に立ち上がった。
何だろうか、私はこのままでいいのかな。そわそわしながら、楽しそうにしているみんなを眺めている。
「その、咲耶さんの趣味に合うといいんですけど」
一番最初に私の元へやってきたのは衣乃だ。キレイにラッピングされた何かを手に持って。朝海の
「なになに、開けていい?」
もちろんですと言われ、私は受け取ったそれを丁寧に開ける。すると中からは白地に青い柄のトートバッグが出てきた。
「どうで、しょうか」
「おお、ほんっとありがとね。すんごい気に入ったよこれー」
デザインも私好みだし大きさもちょうどいいし。今まで使っていたトートーバッグはとりあえず使っていたものだったので、近いうちに買い替えようと思っていたのだ。これなら学校にだって持っていけるし、もちろんどこかに出かける時にだって。
先ほどまで不安そうにしていた衣乃は笑っていた。もちろん私も。
それからはそれぞれが順番にプレゼントを持ってきてくれる時間が始まった。なんだかおかしいが、私の前にはラッピングを持った人で列が出来ていた。スターの握手会みたいに。
中身は私にとって嬉しいものばかりだった。可愛いカップやキーホルダー、高そうなチョコレートにクッキー。なんだかこんなに貰ってもいいのかな、なんて申し訳ない気持ちにもなってしまう。
その最後尾は赤髪の彼女、葵だった。小さくて透明な袋に入ったそれを無言で手渡しされる。
「これって、ピック?」
「……ベッコウの」
ピックは大体プラスチックやナイロンなどで出来ており、値段は百円くらいだ。しかし亀の甲羅、ベッコウから出来たピックは高く、安いものでも千円はする。その分、使い心地はとてもいいと言われる高級ピックだ。
「今日リーダーの誕生日って言ったらさ、アオったら慌ててそれ買ってさー。なんだかむごご」
凛の口は、顔を真っ赤にした葵の手で力強く押さえつけられていた。
「べ、別にその。適当に選んだっていうか、その。」
「ありがとね葵。大事に使う」
「……当たり前だし」
そのまま葵は、凛の口を押さえたまま足早に立ち去ってしまった。再び息が吸えるといいが。
「はぁ、嬉しいな……」
落ち着いた空間がコンセプトだったはずなのに、休み時間の教室みたく賑やかになった店内。色とりどりなプレゼントに包まれた私からそんな声が漏れた。
高校に入学してから三カ月。その間だけでこんなにも輪が広がっていくだなんて、中学の私には想像もできないだろう。
これもひとえに軽音楽部の、音楽のおかげだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます