14話「シェイカーと私」
鬱陶しいくらいに元気満々な太陽。全く心地よくない、全身にまとわりつく生ぬるい風。八月に入り、夏は真っ向から人間を干からびさせようとしている。
そんな住宅街、鉄板かと思うほどに熱されたアスファルトの上を、ふらふらと踊る鰹節のように私は力なく歩いていた。
「おはようございます、咲耶さん」
背中にかけてあるギターケース越しに挨拶が飛んできて、私は歩みを止めてそちらを振り向く。キャップをかぶった衣乃が数メートルほど向こうから声をかけてきた。
「あ、おはようコロノ。そういえばうちと家近いんだっけか」
「はい、アオヤマコーヒーから歩いて大体五分くらいの距離ですかね」
普段は静かなこの辺りも、この時期になるとセミ達の騒々しい声に染まっている。
私はセミが嫌いだ。うるさいのも勿論理由の一つだが、小さいころにおしっこをかけられて以来、大嫌いになった。夏の風物詩だなん言われるけど、こんな奴らいなくなってしまえばいい。それからだろうか、虫が全般的に苦手になり始めたのは。
「あっついよねー今日」
「ですねー。私は荷物少ないですけど、咲耶さん多いですね。あっ」
「そ、衣乃からもらったトートバッグ。ありがたく使わせてもらってるよ」
右肩にかかった、白と青の涼しげなバッグ。そこにはギターケースに入りきらなかったエフェクター類や小物が入っている。使い始めてからますます私のお気に入りになってしまった。
「そうですか。なんかちょっと、嬉しいです」
いつも通り被っている、つばが平らで派手なキャップ。深くかぶり直したその下に、ちらりと見えた口元は緩んでいた。私にもそれが移ってしまって、気づかれないように慌てて自分の口を手で隠す。
「あっ、ちょっと。何笑ってるんですか」
「別に笑ってないしー。ほーら、早く行こ」
怪訝な顔つきで私をのぞき込む衣乃を振り払うように歩幅を大きくした。待ってくださいよと言いながら、小走りで後ろをついてきているのが聞こえる。
数日前にはイベントが開かれて沢山の人でごった返していたこのスタジオも、今は私たち五人しかいない。音を出していると勿論賑やかなのだが、楽器を触らずに休憩している今のような時間は寂しいくらい静かになる。
「どう? 二人ともええ感じ?」
夕維からギターを借りて、アンプから音を出して遊びながら萌佳が訊ねた。こうして練習中や休憩時間に、各楽器を交換しあうのはスタジオでの恒例行事だ。その夕維はドラムロールを朝海から教えてもらっている。一発芸大会なんかで場を盛り上げるために使うんだそうだ。
朝から私たちが集まっているのは、私たちトアルコの新しい曲を作るためである。私と衣乃はいつも作曲をしているので家で作ってきてしまっても良かったのだが、折角ならということでスタジオで新曲を作ることになった。恐らく仕上げは家に持ち帰るだろうが。
「さっき録音してたやつ、結構気に入っちゃってさ」
「私もいいなって思います。凄いノれますよね」
スタジオに入って二時間ほど経つが、その間はセッションを重点的にしていた。楽譜も決まりも無いままその場の思い付きで演奏をする。それを携帯で録音し、気に入ったフレーズがあればそこから広げていく。プロのミュージシャンたちはどのようにして作曲をするのかは知らないが、今の私はこのようにして音楽を作っている。
「ユイのギターが案外気持ちいいんだよな」
「ふっふーん! 才能が開花しちゃったかな!」
五人の中で一番音楽歴が浅い夕維。軽音楽部に入るまで全く音楽に興味は無かったと言っていたが、最近ではオススメのアーティストなんかをよく聞かれる。それもあってなのか、段々と私好みのギターになってきている気がする。今まで特定のジャンルに染まっていなかった分、様々なものをスポンジみたく吸収しているのだろうか。
そして彼女は、私が思いつかないようなアイデアを良く出す。私は最近音楽理論なんかを勉強し始めたのだが、その影響で固定概念みたいなものがあるのかもしれない。夕維の適当で自由なコード進行に関心することもあるのだ。
伸びしろがすごいな、なんて思っているのは彼女には内緒である。どうせそんなことを言ったら調子に乗って騒がしくなるからだ。
「よし、あと三十分くらいかな。もっかい合わせますかぁ」
その一言で各々の持ち場へ戻り、楽器を握る。
始まりは衣乃の、エアー感が心地いい鍵盤からの音色。数個のコードをゆっくりとループさせている。
少しずつ、タイミングを見図るようにドラムのハイハットが隙間を埋める。
夕維はコードに合わせた、歯切れのいいカッティングを回す。彼女のカッティングはキレが良くて好きだ。
タァンと、大きくスネアが一つ強調をした。それを合図にベースとドラムが肩を組んで踊り始めた。リズム体が入ると一気に場が盛り上がる。私はワクワクしてしまって、ベッコウのピックに自然と力が入っていくのを感じている。
私の赤いギターから発せられる、丸くて甘いメロディー。何も考えなくたって、どう弾けばいいのかは体が教えてくれる。
もう一つ、少し歪んだ電子音が入ってきた。衣乃と視線が合い、目を細める。
楽器を使って話をするように、二つの旋律が手を取って絡む。言葉なんてものはいらない。何を思っているのか、頭の中が音に溶けだしていた。
そこに乗っかかる、ガラス細工を思わせる透明で真っすぐ抜けるコーラス。夕維だ。楽しそうに歌う彼女をやるじゃないかといった様子で見て、私は手を動かしたままセットしていた自分用のマイクに顔を近づけた。
息を大きく吸って、夕維の声に、慎重に私の声を乗せる。カプチーノの波模様みたく奇麗に重なる二人のハーモニー。
心臓をわしづかみにされた。私のずっと探していたものはここかもしれない。
嬉しくて、なんだかにやけてしまう。
みんな笑っていた。きっと、私と同じ気持ちだったんだろう。
「ギター背負って楽器店来るとかさー! バンドしてますよ感すごいよね!」
スタジオでの練習を終えた一行は駅前のファーストフード店で昼食を取り、今は付近にいくつかある楽器店の内の一つに来ていた。別に目的があるといったわけではないが、何の気なしにである。
「実際やってんだろ。にしてもあの二人、なんかピリピリしてないか?」
「曲作らなって必死なんやろうなぁ」
咲耶と衣乃は人気の少ないキーボードのコーナーでなにやら話し込んでいる。遠巻きにその他三人がそれを眺めているといった形だ。
「そういえばさ。コロノはあれだけど、サクヤのマジギレって見たことないよな」
唐突に朝海がそんなことを呟き、確かにと二人は賛同する。そして夕維は何やら可笑しそうにした後に、悪そうな声を出した。
「そんなに見たいならさー、私が怒らせてきてあげよう!」
「ちょっとユイちゃん、それはどうなんよ……」
止める萌佳の声を聞かずに何かを手に持って、一目散に咲耶たちがいる方向へ走っていく。
それから彼女たちはしばらく話して、そこから夕維がにんまりとしながら戻ってきた。
「えへへ……褒められちゃった」
「何やってんだよ……」
「私はここのフレーズが好きです」
「えー。こっちのが良くない?」
こっちですと、先ほどから衣乃はそう言って譲らない。
私と新しい曲の事で話をしており、今日撮った録音の気に入った所ベストスリーを発表しあった。その内容が全く違うものだったので口論になりつつある。
「そうかなぁ。ほら、これも良いじゃん」
「それならこっちのがカッコいいです。」
録音していた携帯を再生しながら、そんなやり取りを数分前からずっと続けている。意味もないやりとりな気もするが、私もなんだか引くに引けなくなってしまっているのだ。
「ねーねー! 見てこれ!」
夕維さんはうるさいですと、衣乃は私たちの元へ来た彼女を一蹴する。
ひどい言われようだ。可哀そうになりながら彼女を見ると、落ち込むわけでもなく何やら口に手を当てて笑っていた。
「これを見て同じことが言えるかな? 作曲のヒントになると思ってね!」
「もう、なんですか?」
表情は相変わらず不機嫌そうだが、衣乃がその話に食いつく。
それはねぇ、と少し間をためる。そして、体の後ろに隠していた手を私たちの前へやった。
「じゃーん! クマさんでーす! こんにちはクマー!」
「クマ、ですか。」
「それハンドシェイカー? 可愛いじゃん」
「今日もさくちゃんは見事な天然パーマクマねぇ、ぷぷぷ」
「ちょっと貸してよそれ」
夕維からクマを受け取る。彼女はなぜか以外そうな顔をしていたが。
ハンドシェイカーとは、手に持って振るとシャカシャカと音が出るものだ。マラカス、なんて言うと分かる人も多いのではないだろうか。
持ち手が付いた握りこぶしほどの大きさを想像するかもしれないが、円柱状のものや卵とそっくりな見た目をしたものなど形は様々だ。私が今持っている卵のような大きさのそれには、ポップなクマが描かれていた。
「あれ? 昨日天然パーマは嫌だって……怒るんじゃ……」
「何言ってんのユイは。パーカッションか、コロノはどう思う?」
「良いですね。他の曲とメリハリもできるし」
優しく握って顔の高さで前後に振ってみる。木製の殻の中に堅いチップが入っているのだが、それをシャカシャカというよりチャカチャカとキレ良く音を出すのがコツだと聞いたことがある。家にもいくつかあるのだが、簡単そうに見えて慣れるまでは案外難しいのだ。
「これ買っちゃおうかな。気に入ったし」
「可愛いし良いですね。その、絵違いがあったら私も、買っていいですか?」
「まあ、別にいいんじゃないかな? ありがとねユイ。なんかモチベ上がったかも」
「いやぁ、とんでもないなぁ。えへへ」
夕維は体をくねくねとさせながら自分の頭を撫でて、朝海と萌佳の方へふらふらと行ってしまった。どこか違和感があった気もするが、私の思い過ごしなのだろうか。
「じゃあ咲耶さん、今日録音したのをベースにして各自で作ってきますか」
「それがいいね。出来次第チャットに貼ろっか」
気が付くと、先ほどまでの良くない空気の事は忘れてしまっていた。
夕維が考えて行動したことなのか、それとも偶然なのか。どちらかは知らないが少しだけ感謝しないといけないなと、隣で楽しそうにシェイカーを振る衣乃を見ながらそんなことを思った。
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