18話「太陽と私」

 太陽は緑の地平線へと吸い込まれ、辺りはすっかり暗くなってしまった。蝉たちはしばしの休息をとり、この大自然には私たちの音しか存在しない。

「はふはふ。おいひいでふ」

 昼に設営したテントのすぐ隣から聞こえるジュージューと賑やかな音。ガスコンロの上に置かれた鉄板からは美味しそうなソースの香りがする湯気が放たれている。夕食の焼きそばだ。昼間に余った野菜と肉を混ぜ、かなり豪華な見た目になっている。

「せやろ? うちのじーさん直伝の味やからなぁ」

「ホント美味しいよこれ。お爺さんなんかやってたの?」

 銀色のフライ返しを両手に持つ萌佳に、焼きそばをすすりながら私は質問をした。すると彼女は手を止め、懐かしむような表情でその鉄板を見つめる。

「夏祭りの屋台なんかやっててな。うちもよう店番で連れられてたんよ。……また会いたいわぁ」

「……亡くなったのか?」

 小さくなって朝海が聞く。すると萌佳は悲しむでもなく、可笑しそうにして笑い始めた。

「あはは、せやな、こんな言い方やったら死んだように聞こえるわ。まだピンピンしとるでー」

 ただ家が遠いのでたまにしか会いに行けていないという話だったらしい。朝海はそれを聞くとばつが悪そうにして、再び黙々と焼きそばを食べ始めた。

 それにしても、夕維である。昼のバーベキューをした後は付近の探索なんかをしていたわけだが、彼女は日が傾くまで終始走り回っていた。それを私は遠巻きに見ていたのだが、五歳くらいの子供がいる親の目線はこんな風なのかもしれないななんて感じたほどだ。

 夕暮れになると彼女はバッテリーを使い果たし、一人テントの中に潜り込んで眠りについてしまったのだ。本当に子供のようである。

「じゃあこれ食べたらお風呂だね。夕維はあんなだし、二人ずつ行ったほうがいいのかな?」

「なら私はともみと待ってるんで、先にお二人行きますか?」

「私に決定権は……まあいいけどな」

 残った人が荷物番と夕維番ということで、私と萌佳が先に風呂に行くこととなった。



 大きな道を五分ほど歩いた先にある銭湯。年季が入った看板に立て付けの悪いドア。外観を見るとなんだか不安な気持ちにもなったが、いざ入ってみると浴場はとても奇麗にされていて安心した。

「やーん、さくちゃん。そんな見られたらうち、恥ずかしいわぁ」

 萌佳はわざとらしく顔に手を当てて、くねくねとしてみせた。横に並んで湯舟につかる、髪を頭の上にまとめた彼女を何も考えずに眺めていたのは確かだが。

「うるさいよ。……ってこんなやり取り、初めて会った時はいつもしてたっけ」

 今は八月だから、彼女と出会ってから四カ月になる。長いのか、はたまた短いのか。どちらにしても今の彼女は既に、私にとって親友と呼べる存在になっていた。

「せやなぁ。一瞬やったな、高校入ってから今まで」

「ほんと、毎日濃くて胸やけしそうだよ」

 大浴場には私たち以外にも何人かが湯に入っている。混雑はしていないが、まばらにといった具合だ。付近の施設はキャンプ場くらいなので、恐らくほとんどの人がそこに泊まる人なのだろう。

 この暑い季節、私もたくさん汗をかいてしまって、そんな状態で入る銭湯はとても気持ちがいいものだ。

――カコン

 一つ、桶が地面にぶつかった音がこだまする。

「あのさー、モカ」

「はーい?」

 暖かい空気を吸い込んで、吐いて。淡い青タイルの壁にもたれながら、湯気で曇った高い天井を見上げた。

「私、バンド上手くやれてるかなー。いつの間にかリーダーみたいになってるしさ」

「さくやちゃんは頑張っとるよ。ま、上手く出来てるかは知らんけどなー」

 おどけるような言い方に、なんだそれと私は笑った。

「でもな、うちはずっとついていくつもりやから。これからも頑張ってな?」

 微笑む萌佳と目が合う。私の顔は勿論自分で見ることは出来ないが、彼女の瞳にはリンゴ飴のように顔を赤くした私が映っていることだろう。

 心臓が跳ねているのだけは分かる。顔が熱いのは……恐らくこの暖かいお湯が原因だ。きっと。

「……長湯しすぎた。早く戻ろー」

「ふふ、せやな。」

 足に力を入れ、曇りガラスの引き戸へとゆっくり歩く。



「やぁ! 戻ってきてくれたんだね!」

 汗が流れてさっぱりとした私と萌佳。再びテントに戻ってきたわけだが、それを初めに出迎えたのは夕維のやかましい声だった。

「ああ、さくちゃん! 君はあの空虚な空に浮かぶ月のように美しいよ!」

「……頭ぶつけたの?」

 大振りな仕草をしながら、劇団員みたく声を張って歯が浮くセリフを吐かれた。とても気持ち悪い、これが彼女への率直な感想である。

「なんか夕維さんが、一番恥ずかしい台詞言った人が勝ちゲームやるとか言い出して。さっきからこの調子です」

 衣那が彼女に何があったのかを説明した。私たちが居ない間ずっと付き合わされていたのだろうか、疲れ果てた顔になっている。どんなゲームだそれはと問いたくなるが、のめり込む彼女にその言葉は届きそうにもない。

「ああ、まさしくジュリエット! ずっと私の近くにいておくれ!」

 さっきまでは付き合いきれないなと呆れていたはずなのに。楽しそうにする彼女を見ていると次第に、何故か私の心は踊り始めていた。

「私が月なら貴方は太陽だよ。世界に光をくれた太陽。ずっと傍で、私を照らし続けてね、ロミオ?」

「えへへ、もちろんさジュリエットちゃんー!」

「おっ、おい。サクヤまで乗ってどうすんだよ」

 椅子に座ってカップを傾けながら様子をうかがっていた朝海が、慌てて私の元へ寄ってきた。

 やってみると案外楽しいもんだよと私たちの仲間になる事を勧めるが、絶対にやらんと彼女は頑なにそれを拒む。

「なっ、なら私は、星座です。みなさんが退屈しないように、この空にたくさんの世界を描いてみせます!」

「うちは地球、かなぁ。太陽と月と星と、みんなとずっと空を見てたいなぁ」

「アンタらまで……」

 味方が飲み込まれて肩を落とす朝海に、私たちからの太い視線が送られる。次は朝海の番だぞという目だ。それを受け取ったのか、彼女はため息をついてから渋々口を開いた。

「あー、その。……ずっと一緒にいてくれな。ってなんか違う、やっぱガラじゃないわこういうの」

「ともち……優勝!」

 夕維は恥じらう朝海に走り、ボクシングの勝者を発表するレフェリーのように彼女の右手を掴んで大きく上げた。

「いやぁ、負けたなー。おめでと、ともみん」

 ますます顔を伏せる朝海の顔を覗き込みながら私は賞賛の声を送る。もちろん純粋に祝うという気持ちより、茶化す思いの方が強いのだが。

「……風呂行ってくる!」

「あっ、待ってよ! 着替え忘れてるって、ともみってば!」

 逃げるように闇へと駆ける朝海と、それを慌てて追う衣那。そして腹を抱えて笑う夕維と萌佳。

「なにやってんだか」

 私も一緒に笑っていた。目尻に涙を浮かべながら。



「ほら! マンモスが罠にかかったよー!」

「久々のごちそうやぁー!」

 一面を白銀が塗りつぶす吹雪の先、大きな穴にマンモスが落ちた。私たちは小躍りしながらそれに走っていく。

「あれ、でも思ったより小さいね」

「だよな、近づくと結構ちっこいわコイツ」

 だんだんとそのマンモスが小さくなる。そこにたどり着いた時には、もう私と変わりないくらいのサイズとなっていた。

「私は美味しくないですよ、それより杏仁豆腐食べますか?」

「いいね。じゃ、コーヒーでも淹れようか」

 丁度お湯が沸いたところで、ペーパーフィルターに入ったこげ茶の宝石に銀色のポットを傾けた。


「ん、あー。コーヒー……」

「あ、悪いな、起こしちまったか?」

 うっすらと色が付き始めた緑の海。空は藍色に少しずつ白が混ざり始めている。私の横には朝海が一人、ランプの元で本を読みながら座っていた。

 全身が重たい。いつの間にかキャンプ用の椅子で寝てしまっていたみたいだ。体には誰かがかけてくれたのだろうか、タオルケットがのせられていた。

「あー、マンモスってなんだっけ。」

「……何言ってんだよ」

 朝海は怪訝そうに私を見る。

 そうだ、夜遅くまで焚火をしていて、定番の焼きマシュマロなんかを作っていた所までは覚えている。ポケットに手を入れて携帯を出すと、時刻は午前四時をさしていた。

「んー。他のみんなは寝たのかな。ってか、ともみんはずっと起きてたの?」

「アタシはなんか寝付けなくてさ。アイツらなら、ほら、帰ってきた」

 指さす方向から人影が向かってくる。三つのシルエットだ。

「戻ったよー! ってさくちゃん起きたんだー!」

「あのなぁ、寝顔の写真は一生の宝物です、ってコロナちゃんが……」

「い、言ってません! それに撮ってないです!」

 どうやら皆は寝ずに今まで起きていたらしい。私の意識が消えていた間、せっかくこの時刻まで起きてたのだから日の出見てから寝ようという話になったそうだ。彼女たちは眠気醒ましに散歩に行こうと、数分前に携帯のライトを片手に出かけていた。

 日の出。どうやらそれは、すぐそこまで来ているような雰囲気だ。ついさっきよりも確実に空が明るくなった感覚がある。

「お、来たんじゃないか?」

 朝海が本を置いて立ち上がった。私もその声で地平線に目をやる。

 橙色の明かり。暗い色調に染まった世界に、エアブラシを吹きかけるように少しずつ光が差し込んでいく。

「日の出だ! すっごー!」

「やっと寝れます……」

「うちも感動する元気ないなぁ。」

 くたびれた様子の衣那と萌佳とは対照的に、夕維は私たちの前を走っていった。元気なやつだとつくづく思う。

「目標達成、だな」

 朝日に対する感想は様々だったが皆揃ってそれを、ただ黙って見つめていた。

 ひと眠りすれば後は片付けて家に帰るだけだ。つい先程に来たばかりな気がして、もう帰らなくてはいけないのかと思うと憂鬱である。そう思うのもこのキャンプが、そしてみんなと居たこの時間が楽しいと心から思っていたからだろう。

「じゃあ、今日もよろしくね」

 ぽつりと呟いた。すると前にいた四人は、顔を太陽から私に向け、笑顔を作ってみせる。

「どうぞよろしくなぁ」

「よろしくね! さくちゃん!」

「ああ。よろしく」

「こちらこそ、よろしくです」



 何千回と見てきた太陽。

 それはきっと、私の世界を照らしてくれる羅針盤だ。




――第二章 私と初めての太陽、音と糸――



 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る