7話「テスト終幕と私」

 桃色が散る桜並木やウグイスのさえずりを物置に片付け、入れ替えるように巨大な入道雲や丸々太ったスイカを青い空や活気ある屋台に並べる季節、いよいよ夏もすぐそばに近づいている。

 四階にある、一年生の教室にある窓からは、ちょうど桜の頭が見える。春は花がそこにずっとあったので、青々とした新鮮な葉で埋められているのは少し違和感もある。

「おわっ……たぁ!」

 そんな教室に今、チャイムと感嘆の声が同時に響いた。長かったテスト期間がようやく終わったのだ。

 私は特別勉強が苦手ということはなく、成績はいつも中の上くらい。中学の時だってもちろんテスト期間はあったのだが、今回はいつも以上に長く感じた。

 理由は恐らく部活動が無かったからだろうか。軽音楽部が無いというだけでなんだか悲しくなるし、ギターを背負ってなくてやけに軽い肩だって落ち着かない。部活が私の構成する一部分になりつつあるのだと、しみじみと感じている。

「ほらー! さくちゃん! 行こうよぉー!」

 一目散にテストの解答用紙を提出して私の元に駆ける夕維。これが一学期最後のテストである。もう当分の間はあれを書け、これを解けと言われなくていいのだ。大きな解放感に身を任せ、大きく背筋を伸ばす。

 先ほど夕維が、チャイムを待たずして大声を出し、スポーツカーのような加速で用紙を先生の元に届けていた。まあそうなるのも分かるよねと先生も他の生徒も共感したのか、それを咎めることはしなかった。

「はしゃぎすぎだよユイは。プリント出してくるから待っててよ」

 そう言うと彼女は、私が座る机の前でうずうずとしながら「待て」の体制に入る。

 これが犬であれば褒められたものだが、それをしているのはもう十五になる高校生だ。彼女の前を横切って教卓に向かうが、その視線は私をずっと追っているのを後ろから感じる。

 まあでも、正直言えばその気持ちは私も分からなくもない。この科目のテストは早く解き終わって数分ほど余ったのだが、早く楽器を触りたくてたまらなかった。

 その時間はずっと頭の中でギターを弾いていた訳だが、わりかし良さそうなフレーズが思い浮かんでしまって、忘れないうちに形にしてしまいたくて胸が小躍りしている。

「よし。じゃ部室行こっか」

 私の言葉に喜ぶ夕維はやはり犬のようだ。待ちに待った散歩に行こうとご主人に言われ、尻尾を右へ左へ振る犬である。


「こーんにっちは!」

 私の前を歩く夕維は全力でドアを開けた。騒音が廊下を勢いよく反射する。急いで来たので流石に一番乗りでしょと話していたが、その予想は外れていた。

「おー、夕維ちゃんに咲耶ちゃん! お早いねー!」

 一つ、返事が返ってきたのだ。ああ、この人を忘れていた。いつも一番乗りで部室のカギを開けているんだった。

「わー、コウちゃん先輩だ! 負けちゃったよぉ」

「私に勝とうなんて千年早いねー! 出直してきなさーい!」

 棚を整理していた部長のコウさんが私たちを出迎えてくれた。現在、部室には私を含めて三人しかいないのだが、それにしても、賑やかである。

 夕維・コウさんペア。この二人は一緒になるとびっくりするくらいうるさいのだ。仲良さそうに話しているのを部活中にも見かけるが、いつも楽器に負けないほどの声量で楽しそうにしている。今だってきっと、廊下を抜けて二階の階段くらいにまで聞こえているんじゃないか。

「あー、こんちわ」

 二人が静かになって入り口に体を向ける。私も一緒になってそちらを見ると、朝海がそこにいた。夏の薄い雲を飛び越える程の高いテンションにしり込みをし、なんと声をかければいいのか分からない、そんな表情になって。

「あー! 朝海ちゃんじゃーん! 君も早いねー!」

「ともちだ! いえーい! ほらほら!」

 ああ、彼女まで巻き込まれてしまった。助けを求める視線が向けられたが、それは出来ないだろう。静かに目を閉じ、無事を祈ることしか出来ない無力さを想う。

「ともちと、コウちゃん先輩と、さくちゃんで! チームマウンテンだ!」

「分かったよ夕維ちゃん! 青山、山緑に私の御山。苗字に「山」がついてるからでしょー?」

「せいかーい! あははは! たのしー!」

 恐らく、部活動が無かった一週間分の反動が来ているのだろう。控えめに言って、二人はおかしくなってしまっている。このままだと私までどうにかなりそうだ。


「ユイ、落ち着いた?」

「うん……だいぶ。」

 続々と部員が集まり、今は先輩たちから順番に防音室で練習をし始めている。テストが始まる前と同じように、音楽室では話をする人や楽器を触る人で賑やかだ。

 夕維はというと、机でうつ伏せになっていた。あれから一時間くらいずっと騒いでいたが、今は電池が切れたオモチャのようにだらりとしている。旅行でひたすら騒いで帰りの車では疲れ果てて寝る子供、そんな感じだ。

 まあ静かになってくれるに越したことはないけど。そんな事を思いながらも、膝に置いた赤のギターを再び弾き始める。

「ふーんふふーんふん。ふふーん」

 体がノってきて、鼻歌が出始めた。先ほど思い浮かんだフレーズが思いのほか気に入ってしまって、先ほどからループしているのだ。

「サクヤのそれ、いいな」

「使えそうでしょ? ちょっとさ、ともみんも入ってきてよ」

 手を動かしたままお願いしてみた。すると彼女はまんざらでもない顔で教科書を机に置き、スティックを手に持つ。考えての行動なのか、朝海の苦手科目である数学Ⅰの教科書である。それと机を小刻みに叩いてリズムを組み立てていく。

「なになに! 私もやるよー!」

 伏していた夕維が急に元気になって桃色の頭を上げると、慌ててギターを取り出した。その横で萌佳がいいなぁといった顔で見ている。

 夕維がいつもみたいにギターを弾き始めるが、小さくてあまり聞こえない。エレキギターの生音はとても小さい。

 私のギターはエレキとアコースティックの中間みたいな構造なので、アンプに繋げなくてもある程度大きな音が出る特徴がある。

 対して夕維のものは典型的なエレキギターの作りで、アンプに繋げないとほとんど聞こえない。同じく、萌佳のエレキベースもそのまま弾くと全く聞こえないほどである。

「あーじゃあさ、ユイはこのコード思いっきり弾いてみて?」

「了解しました!」

 コードの抑え方を教え、それを弾かせる。朝海の机と教科書を叩く音に負けないくらいの、なんとか聞こえる音量になった。爽やかなリズムだ。

 いい感じ、そう思って私もギターでフレーズを弾こうとピックを握りなおした。その時だった。

「ふーんふふーんふん、ふふーん」

 いつもの子供っぽい夕維とは違う、大人びた歌い声。橙の朝日をキラキラと反射する海のように、体の芯にゆっくりと染みていく声。

 目をつむって歌う彼女、私たちは気が付くと見入っていた。

「ふふーんふ……あれ? なんかおかしかった?」

 夕維は目を開けて、ギターを止める。私は、ただ驚いて声も出せずにいた。

「あれ、どーしたのみんな? おーい!」

「ユイの声……これかも。」

「ええ? 何が?」

 彼女の声、たった数秒しか聞いていないが、私はそれに惚れてしまったかもしれない。体に衝撃がゆっくりと貫いていくのが分かる。

「あのさ、メインのボーカル。ユイがやってみない?」


「ううーん、歌いながらギターってむっずかしくない?」

 夜の七時、私たちは駅前のスタジオにいた。部活で音を出す時間では、やりたいことが多すぎてあまりにも短かったからだ。突然の予約であったが、幸い一時間だけ借りることができたので、今はこうして四人で音を出している。

「そだね、慣れるまではストローク簡単で……いや、ここは一回コード鳴らすだけでもいいな。チャラーンってさ」

「そなの? それならいけそう!」

 二週間後にある駅前でのライブイベント。当日は三曲くらい出来そうだがまだ一曲しか作っていない。適当なコピー曲を覚えればすぐ準備出来るが、出来れば全部オリジナルで行きたいという話になっているのだ。

 なんだか今の私は冴えている気がする。明日は土曜日なので、この週末の作曲活動は大きく進展がありそうだ。

「もかちは私がボーカルで良かったの? せっかく練習してたのに」

 そう言って申し訳なさそうな視線を向ける。今までは萌佳がメインで歌って、私がコーラスといった感じに練習を重ねていたのだ。

 萌佳は嬉しそうにしていた。

「もちろん! うちもユイちゃんの声、気に入ってもたしな!」

「いいよな、ユイの。歌上手いアタシもびっくりしたし」

「だよね。そう言えば歌ってるとこ見たこと無かったけど、まさか天才だったとはね」

 全方向から褒められ、本人は照れながら肩をちぢこめて自分の頭を撫でている。もし彼女にモフモフの尻尾が生えていたのなら、それを左右に激しく振って喜びを主張していただろう。

 パートを変更することになってしまって萌佳だけが少し気がかりだったのだが、本人は納得しているようだ。

「じゃモカは余裕出来ただろうし、ベース難しくグルぶってみようか。もうちょっと細かく刻む感じにさ」

「おっけー、さくちゃんもなんか楽しそうやなぁ」

「ふふ、まあね」

 私一人だけでは見えなかった世界、それが少しずつ開けてきたんだ。そりゃあ楽しくないわけない。

「よっし、あとちょっとだけど合わせてみよっか」

 そうしてまた、スタジオから透明に輝く音が歩き始める。

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