6話「サクランボと勉強と私」

 カレンダーが七月にめくられてから、既に数日が経過した。眩しい青空はいよいよ夏本番だなといった具合で、太陽はいつもにも増して張り切っている。

 本校の生徒は今日から全員が夏服となった。スカートはそのままのデザインであるモノクロのチェックだが少し素材が軽いものになり、トップスは半袖になったブラウスに赤チェックのネクタイ。その上に着る事を想定された淡いベージュのニットベストも販売されているが、それは着ても着なくても良い。なので教室は、紺のブレザーに統一された冬場と比べて服装がまばらである。

「ひゃー、あっちいねー」

 いつものテーブルベンチに私たち四人は座っていた。ボロボロと言えばそれまでだが、言い方を変えるとヴィンテージ家具のようで渋くて、この机はお気に入りだ。

 日の照った場所は暑いが、ここは木陰になっているし良い風が入ってくるので案外快適である。まあ確かに、これ以上暑くなると外に出るのも億劫になるが。

「さ、ともみん先生に感謝して、いただきます。」

「いただきます、ともちゃん先生。」

 三人は目をつむって手を合わせ、朝海がやめろよと騒ぐ。こんな風に、私たちが彼女を崇めまつるのには理由があった。

「ともちのおかげてサクランボパン食べれるんだからねー! ともち先生、ありがとうございます」

 校舎の一階にある、売店のおばちゃんお手製の期間限定パン。一日十食限定のそれは大人気で非常に競争率が高く、やはり幻だとか伝説だとか呼ばれている。一か月少しごとに具材は変わり、四月がイチゴ、そこからメロンと続いて今は「どっさりサクランボパン」が販売されている。先月限定の、見た目はメロンパンでメロンジャムが入ったパンも前に食べたので、今のところコンプリート中だ。

 サクランボに切り替わってから一か月が経とうとしているが、まだそれを食べたことが無かった。旬もそろそろ終わるので食べれるのか危なかったが、朝海がなんとか四つ確保してくれたのだ。なので今は私たちの中で、彼女がいちばんエラいのである。

 みなでパンを両手に持って構え、一斉にそのふかふかの山にかぶりつく。もちもちした生地の中には、原型がわかるほどに大きなサクランボがぎっしりと詰まっていた。そのお手製ジャムは甘ったるいといったことはなく、噛んだ途端にみずみずしい果汁が溢れ出す。

「うまいうまい」

「ほんま美味しいわぁ」

「サイコー!」

 夢中になって全速力で口に運ぶ。

 私はパンが好きなのでよく駅前で買うのだが、どのパン屋さんのパンよりもこれが一番おいしい。しかし残念ながらこの期間限定パン以外は業者から仕入れているらしく、おばちゃんのが食べたければこの十食限定に立ち向かわなくてはいけないのだ。

「喜んでもらったんならよかった。」

 朝海は嬉しそうに手元を見つめながら呟いた。最近の彼女はどこか楽しそうだ。ほんの一か月前までは一匹狼のようなオーラを纏っていて、笑うこともほとんど無かったのに。


 幸せな時間には終わりが訪れるものだ。おいしいパンは爆速でお腹に収められてしまい、私たちはしばらくその余韻に浸っていた。

「せや、来週からテストやなぁ」

「え!?」

 憂う萌佳の言葉に、夕維は腹から大声を出して立ち上がった。三人の視線が彼女に集まる。

「テストだろ? 来週の」

「あー、憂鬱だね」

 私と朝海はため息をついてストローを唇ではさむ。

 そんな私たちの目の前で夕維が頭を抱えて崩れ落ちた。

「ええー! 知らないし! やばいよぉ……」

 ボディーブローを受けたニワトリのようにテーブルに突っ伏して低い声を出す。先生の話、聞いてなかったな。




 落ち着いた木の空間、それを包み込む柔らかなBGM。放課後、私たちはアオヤマコーヒーの四人席に教材を広げていた。

「あの先生ヒドいんだよ? 最近喋ってるアレ、絶対日本語じゃないよ!」

「そりゃあな、英語の授業なんだから」

「数学でも英語使い始めてさ! あー、もうダメそう……」

 現実逃避をするようにノートから目を背け、アイスココアが入った透明のグラスを手に持つ。氷がカラリと涼しげな音を鳴らし、透明な結露が一粒ノートに落ちた。

 夕維は私が思っていたよりなかなか重症のようだ。辛うじて中間テストではなんとかついていけてたらしいが、来週にある期末テストではこのままいくと非常にまずいことになるかもしれない。

「ってかなんでここになるかなぁ。駅前の店でよかったんじゃないの?」

 テスト期間ということで、今日から部活動はしばらくお休みだ。夕維だけがそれを知らずにギターを意気揚々と抱えて登校したそうで、今も彼女の隣にはそれが立てかけられている。

「だってこの時期どの学校もテストやろ? 駅前ものごっつい混むやんか」

「だよねー。ものごっつい!」

 確かにその通りではある。ここに来るまでに通った駅の喫茶店は軒並み満員で、席が空くまではしばらく待たなければいけなかっただろう。対してここはまばらに客が座ってはいるが、あちらに比べればずいぶんと落ち着いたものである。

「まあいいけどさ。でも私、もうカウンター立たないからね」

「えー! さくちゃんのエプロン、また見たいよー!」

 私が心配していることはこれだ。先日は写真まで取られてひどい目にあった。一番初めに私の家にある喫茶店に行こうと提案したのは夕維だが、今その彼女は駄々をこねている。何か言ってやろうと思ったが、呆れて言葉も出ずにただ脱力してしまう。

「ほらユイ、遊んでないで勉強しろよ。アタシ達よりお前がいちばんヤバいんだからな」

 はーいと、親に怒られる小学生みたいな返事で桃色のかわいいシャープペンシルを握り直す。童顔ということもあって、本当に高校生なのかと一瞬疑ってしまった。

――カラン

 金属がこすれる音が入り口から響き、父がカウンターから出てくる。お客さんが入ってきたのだろう。

「こんにちはー」

 私たちに、幼くもどこか大人びた印象の声がかかった。それに反応して教科書から顔を上げる。見覚えのある中学校の制服と手提げバッグ、そして内側にカールした黒のショートボブ。

「お、コロノじゃん。そういえば家この辺なんだよな」

 衣乃がテーブルの横に立って私たちが座っている机をのぞき込んでいる。そこに父が店の裏からイスを持ってきた。少し店内のものとはデザインが違うが、念のためにと準備しているものだ。四人掛けテーブルの横にそれを置いて、衣那はお邪魔しますと言ってそこに座る。

「どーぞ。今日もカフェモカ?」

 バッグから小ぶりのノートPCを広げながら、もちろんですと衣那は答えた。

「次のイベントでやる曲どうしようかなと思って。このお店でこうやって音楽聴いてると、よくアイデア浮かぶんですよね」

「すごいねころのちゃん! 作曲家みたいだ!」

 夕維が騒ぎ、それを聞いた衣乃は苦笑いを浮かべている。

 第二回駅前音楽祭、彼女もホシナコロノの名で出演するそうだ。ますます楽しみになってきた。

「ユイさんや、コロノはものすごい作曲家だよ。しかも超グルぶってる」

「ええー! なんと無礼なことを……」

 得意げに話す私の言葉を聞いて、申し訳ないとわざとらしく頭を下げた。謝られる彼女はやめてくださいよと照れている。

 お詫びにと言って、夕維はなにやら携帯の画面を彼女に見せ、衣乃はまじまじとそれを見てうなづいている。なんだろうかと気になった私もそれをのぞき込み、即座に夕維の頭を叩いた。

 そこにはエプロン姿の私が、にこやかにコーヒーを入れるさまが写っていたからだ。ほんと、余計な事して。

 父がコーヒーカップを一つ運んでくる。カフェモカだ。それを衣那が受け取って、一口飲んでから、私にイヤホンを渡した。

「実はイベントでこの曲しようかと思ってるんですけど、ちょっとピンと来なくて。よかったら咲耶さんにアドバイスを頂けたらなと思ったんですけど」

 ホシナコロノの作った新しい世界。私は彼女の作る音楽は大好きだし、最近の私もそれに影響されつつある。それを聴けるだなんて光栄なことだ。私は喜んでイヤホンを受け取った。


「はぁ、やっぱいいなぁ」

「そ、そうですか?」

 曲が終わって、肺の空気を大きく出しながらイヤホンを外す。隣では衣乃が落ち着かない様子で言葉を待っている。やはりその音楽は、私好みで素晴らしいものだった。

 しかしどこか、いつもとは少し違う雰囲気だった。何が違うのかと言われても答えることができないほど曖昧な感覚ではあるが。

「ちょっとなんていうか、イメチェンした?」

「あ、やっぱり分かりますか」

 嬉しそうな顔になりながらその曲にこだわっていることを必死に説明してくれる。微笑ましい彼女に相槌を打ちながら、三十度ほどコーヒーカップを傾けた。

「私だったら、そだなぁ。盛り上がる所でコーラスか大人しめな音か入れるかなぁ」

 そんな風にいくつか意見を述べている間ずっと、目を輝かせて真剣に私の顔を見つめられていた。

「……なるほど。ありがとうございます! 今なら、何かできるかも」

 そう言うと慌てて荷物を片付け始め、残っていた飲み物を一口でさらえた。

「あれ、ころのちゃんもう帰ってしまうん?」

「はい、お邪魔しました。皆さん頑張ってくださいね」

 一つおじぎをして、勢いよく店から出て行ってしまった。一気に静かになって、再び落ち着いたBGMが店内に満ちる。

「んじゃ私たちも頑張りますかー」




 まだ明るい、夕暮れ少し前の静かな宅街。衣乃は喫茶店を出て、自宅へと続く紺のアスファルトを歩いていた。

 やっぱりくろまめさんは、咲耶さんは凄い。

 私が音楽を始めた理由はやはり、あの人の作り出す世界に魅了されたからだろう。偶然ネットか何かで耳にしたのがきっかけだった。

 音楽に関わろうと中学入学から二年生まで吹奏楽部でアルトサックスをしていたが、これじゃないと思ってしまい、退部してしまった。

 それからの私はロースト・ミュージック・カフェでの活動に入り浸っている。そのためにキーボードやソフトウェアの使い方も覚えた。

 咲耶さんのことは、恥ずかしくて本人には直接言えないが、はっきり言って尊敬している。あそこにしかない、私の言葉では上手く表現できないほどの素敵な世界観が大好きだからだ。

 くろまめさんも好きだったが本人、咲耶さんに出会ってからその気持ちはより強いものになった。

 落ち着いていてかっこいいし、それに、エプロン姿はかわいいし。

 顔を赤らめ、歩く速度をルームランナーのように少しずつ早くしていく。

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