5話「スタジオと出会いと私」

 雨が多かった六月もそろそろ終わりを迎える。最近では日が長くなってきて、部活が終わる時間ではあるが、四月に比べると窓の外はかなり明るい。

「はい、じゃあみんなお疲れ様ねー! 気を付けて帰るように!」

 部室である音楽室、三十人弱の部員は機材の片付けを終えたところだ。

 部長の御山香みやま かおりから解散の掛け声がかかった。焙煎したコーヒー豆みたいなこげ茶色の髪を無造作に肩まで伸ばしている。皆からはコウちゃんだとかコウさんだとかと呼ばれがその理由は単純で、名前の漢字が「香」だからだ。

 パラっとしたような髪は手入れを怠っているようには見えるが、そこからはシャンプーの甘い匂いがするのを私は知っている。いつもあちらこちらと走り回っているので、その匂いがよく風に乗ってくるのだ。

「さくやちゃん、ほな行こかー」

「だね」

 荷物を背負って立ち上がる。今から駅前のスタジオに向かい、イベントの申し込みを済ませるのだ。ついでではあるが昨日のうちに部屋の予約も取ったため、四人で練習もすることになっている。

「よーっし、いくぞー!」

「ユイお前、元気だよな」

 萌佳と私の元に夕維と朝海が歩いてきた。二人の仲はとても良い。まあ大体は夕維が暴れて、朝海がそれを制御する関係にあるのだが。

「行きますかー」



 今、そのスタジオの扉を開けたところだ。私たち四人はそこからぞろぞろと中へ入っていく。

 カウンターが一つと分厚い扉が三つ。中はいたって普通のスタジオといった作り。特徴的なところを挙げると壁に掛けられた、一本のアコースティックギターだろうか。鑑賞用なのだろうが、それにしてもさびが弦や金属パーツにひどくこびりついている。

 カウンターの中にいる黒ぶちのメガネをかけた、少々ふくよかな中年男性。その彼が受付であり、今回の目的であるイベント申し込みを引き受けているそうだ。

 そこには先客がいた。背の低い女性、ストリートファッションといった感じにダボっとした服装と派手な帽子。栗色のふわりとしたショートボブから横顔が見えたが、恐らく自分より年下、中学生くらいだろうか。

「あれ、コロノじゃん」

 朝海が嬉しそうにカウンターへ近寄った。知り合いなのだろうか、残された私たちは顔を見合わせる。

「あ、ともみじゃん」

 顔がこちらに向けられた。そして私は首をかしげる。この顔、どこかでみたとがあったか。

 頭を傾ける私と彼女の目が合った。

「あれ、アオヤマコーヒーの人、ですよね」

「え? そうっちゃそうだけど……」

 依然、誰なのかは分からない。それを察したのか彼女は帽子を外して、私に言った。

「カフェモカ一つお願いします、って」

「あっ!」

 そうだ、思い出した。彼女、いつも自宅の喫茶店でカフェモカを頼むあの常連客だ。店に来るときは制服姿だからか、全く分からなかった。

 すっきりとした顔になる私に、なんの呪文? と夕維が顔をのぞき込んでくる。

「こいつ昔からの友達なんだよ。あ、んでこいつらが前に言ってた高校のバンド仲間な」

「始めまして、星那衣乃ほしな ころのです。ともみから皆さんの事はよく聞いてます」

 ふわりとはにかむその口から発せられた言葉を噛み砕き、私の心臓が大きく動き出す。

 ホシナコロノ。いや、偶然なのだろうか。


 問題なくイベントにエントリーをし、私たちはスタジオの閉鎖された部屋で各々の楽器を握っていた。入り口のすぐそばには先ほど出会った中学生の彼女が、パイプ椅子から私たちを真剣に見つめている。朝海の提案で練習を見学することになったのだ。

 落ち着かない気持ちもあるがギターを触って音の調整をする。軽いカッティングに、ちょっとしたフレーズ。

 各々自由に音を出していたが、いつの間にかドラムとベースの息が合っていた。

 今日の私たちがスタジオを借りた理由はセッションをするためである。あわよくば、新しく曲を作るためのアイデアなんかが浮かべばいいなと思って。

 二人のリズムに体を揺らして、試しに先月くらいに作った曲のコードを順番に弾いてみた。

――ガタン

 その音に、ほつれていく布みたくセッションが止んでいく。コロナ、彼女がパイプ椅子を倒して立ち上がり、目を見開いて私を見ていた。

「ど、どうしたコロナ?」

「あっ、すいませんでした……続けてください」

 申し訳なさそうにして椅子をなおして座る。

 なんだったのろうか。よくわからないまま、気を取り直してもう一度ピックを振り下ろした。

 爽やかなコードを四つ回す。すり寄るようにドラムがゆっくりと乗っかかってきた。そしてスネアが激しくなったと同時にベース音が入り、ユイのカッティングが私に溶け込む。

 いい感じだ。それじゃあ別のエフェクターでも使ってみようかなと、そんなことを考えていた時だった。

 春先の草原に吹く、鮮やかな風を彷彿とさせるオルガンの音がどこからか流れてくる。朝露のような、儚くもどこか楽しそうで、しっとりとした音。

 星那衣乃がスタジオに備え付けられているキーボードに弾いていた。膝でリズムを取りながら、手元のモノクロを見ながら嬉しそうな表情をしている。

 間違いない。この演奏を聴いて、たった今、それは確信に変わった。

 彼女、星那衣乃はRMCで仲の良い「ホシナコロノ」と関係がある。本人の友人か家族か、もしくは……

 終着の見えない演奏がしばらく続く。

 少し経ったところで着地点を感じ、それに合わせてスタジオを満たす音が収束していった。静かな余韻が楽器たちを包む。

 私は彼女に近づき、恐る恐る質問をした。

「君さ。その、ロースト・ミュージック・カフェって、知ってる?」

 彼女は私に振り向き、笑みを浮かべる。

「もちろん。私がそのホシナコロノです。始めまして、ですね。くろまめさん」

 その言葉が言い終わったと同時に、シンバルがぶつかる音をさせながら朝海が立ち上がった。

「くろまめさんって……サクヤが!?」

「あ、ともはクマグミですよ。確か仲良かったですよね?」

「ええ!? あ、始めまして」

「え? 初めまして」

 訳が分からなくなって頭を下げる私につられてか、朝海も私にお辞儀を返す。それを見てコロノはおかしそうに笑い、夕維と萌佳はついていけずに何とも言えない顔を作る。

「なんの話してんのさー!」

「今更始めましてって、おかしくなってしもたん?」



「あーだからRMCってサイトがあってね、一年くらい前からもうそこで知り合ってたんだってば」

「ええー! そんな偶然ある!?」

 説明を繰り返す私に、夕維は何度も驚いた顔を近づける。その場の皆、もちろん私だって混乱している。一人を除いて。

「そっかぁ、くろまめさんかぁ」

 帽子の下から内側にカールした黒髪、それを揺らしながら彼女は嬉しそうにしていた。

「そういえば、なんで私がくろまめだって分かったの?」

 私がホシナコロノだと気が付いたのは名前という大ヒントがあったからだ。演奏を聞くまでは彼女の父親なんかがそうなのかなと思っていたが。

 しかし私からくろまめを連想させる要素は無かったはず。

「そのギター、エピフォンのカジノクーペで色はチェリーレッド、ですよね。前に嬉しそうに話してました。それに弾き方のクセというか、空気感がすごく似てて。そしたらRMCって単語が出てきたので」

「凄いねころのちゃん! 音楽探偵って本とか出さないかな!」

 夕維が横からはやし立てる。

 そうだ、この音は何のギター使ってるんですかとチャットで聞かれた事は確かにあった。それにしても弾き方のクセを見抜くなんて、自分でも全くわからないのに。夕維の言う通り、探偵も案外目指せるかもしれない。

「す、凄いなぁホシナさんは」

 感心する私にやめてくださいよと笑う。

「私の事は下の名前でコロノって呼んでください。えっとその、代わりといってはなんですけど、私も咲耶さんって呼んでいいですか?」

「もちろん。改めてよろしくかな、コロノ」

「は、はい! 咲耶さん。」

 そんな彼女を見て、私は新しく可愛い妹ができた気分である。

「まさかサクヤがくろまめってなぁ。確かに、言われてみればギターの雰囲気似てる、か」

 朝海にまじまじと見られている。クマグミさんはホシナコロノのドラムを叩いている人だ。

 朝海と初めて会った時に波長が合うと思ったのも、当然といえばそうなのだろうか。あの、いつもネットを通して聴いていたドラムが朝海だったなんて、やはりとんでもない偶然である。

 あれ、朝海がクマグミなら昨日のチャットは。

「ともみんは、エプロン姿の女の子、好きなんですねー」

 目を細め、にやりとしながら彼女を見た。私を見る顔がコンマ一秒で紅芋になる。

 チャットではいつも可愛らしい絵文字をたくさん付けていて、口調からも今どきのカワイイ系女子なのかなと思っていた。そんなクマグミは、私の前にいるこの、ツッパリ系彼女だった。差が凄い。グランドキャニオンは平均1200メートルの高低差があると聞いたことがあるが、そのくらいの差である。

「さっ、サクヤ! 頼むから黙ってろ!」

 慌てて私の元に走り込んできて口を両手で抑えられ、息ができなくなる。逃れようとするが、ものすごい力だ。

 それにしても良い反応だ。夕維がいつも朝海にちょっかいを出す気持ちが少し分かった気がする。酸素が吸えずに意識が遠のく自分を客観的に見ながら、そんなことを考える。

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