2話「喫茶と私②」
――更に時は遡り昨日の、月曜日の昼過ぎになる。
「んー」
五ミリ程しか開かないまぶたから充電器に繋がれた携帯を探す。昨日は夜更かしをしてしまって、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
月曜の、時刻は十二時半。今日は文化祭の代休だ。学校があるであろう平日のこんな時間に起きた事を思い、罪悪感と優越感が混ざり合う。
私の一つの悩み、それは昔から寝起きが悪い事だ。いや、二度寝をするわけではない。しかしなんというか、目が覚めて三十分ほどの間の記憶が抜け落ちていることがよくあるのだ。
激しい寝ぼけ。これが悩みだ。知らないうちに二時間強ある映画を見始めていたり、兄の部屋に座りこんでいる所で気が付いたり、実例はいくらでもある。
「んー? ……ん!?」
私はベッドから飛び上がった。私たちのバンド、「
トモミ[んでさー打ち上げは明日として、場所どうすんだ?]
ゆーい[はい! 私聞きました! さくちゃんの家が喫茶店であると!]
もかか[おおー! ええやんそれ、どう? さくやちゃん、いけそ?]
ゆーい[あれー? 既読ついてるんだけど返事ないなー。もしもーし!]
ここまでの会話が十一時台に行われていた。そこから会話が少し流れ十二時、私がチャットをしている。しかし、文字を入力した記憶が無いのだ。
咲耶 [いいよ、歓迎歓迎]
ゆーい[おおーさすがさくちゃん!]
トモミ[でも大丈夫なのか? 親の店だろ?]
咲耶 [閉店した後なら行ける行ける。ま、楽しみにしてなよ]
慌てて指をスクロールさせる。そこでは三人と記憶の無い私が、楽しそうに明日の計画を練っていた。
首に接続部があれば取れるのではないかという勢いで癖毛の頭を抱える。知らないうちに家の喫茶店を貸し切る話へとなっているではないか。いや、話せばわかってくれるはずだ。閉店後とはいえ、店を貸せと父に言うのは気が引けるのだ。
私は慌ててチャットを打ち込んだ。
咲耶 [ごめん寝ぼけてた! さっきの無かったことに出来ない?]
しかし彼女たちは全く取り合ってくれない。寝ぼけてあんなはっきりチャット打てないでしょー、だとか明日楽しみだねー、だとか。
大きなため息を吐いて、ゆっくりとベッドから降りる。私の責任。いや、もう一人の私の責任だし、頼むだけ頼んでみるか。断られたらそれを伝えればいいし。
服を着替え、脚に鉄球をつけられた囚人のような歩き方で父の元へ向かう。
こうして彼女の「寝ぼけ伝説」はまた一ページ分厚くなったのであった。
「急だな」
店の裏口は家に繋がっている。そこからカウンターの内側にいる父の元に行き、事のいきさつを話した。向こうに座る数人の客からは、私を不思議そうに見る視線を感じる。
「やっぱ無理?」
「まあ、問題はないが。条件がある」
「条件?」
私は父の細い目を見る。一つ頷き、薄く髭が生えた口が開かれた。
「今日と明日、タダ働きでどうだ」
そうして火曜日の夕方、今に至る。土曜日に文化祭を終え、月曜日にあらぬ約束をしてしまい、二日間部活動を抜けての労働。それがここ数日の様子だ。
昔から兄と私は、店が忙しそうになると店員として働くこともあったため、慣れていないという訳では無い。しかしもちろん、出来ることなら働きたくない。しかもタダ働きだなんて、いつもアルバイト代が出ていたのに。
カラン――
小さく響くジャズピアノが満たされた店内に、ひとつの乾いた鈴の音が鳴った。
「いらっしゃいま……ともみんか。いらっしゃい」
ラフな私服になった朝海は体を固まらせ、脳のメモリが追いついていないような、戸惑いの顔になる。
エプロン姿に銀色のトレイ、そして慣れない営業スマイル。今の私が彼女からどのように見えているのかを慌てて想像し、急に恥ずかしい気持ちに襲われた。
「わー、さくちゃんのエプロン姿、可愛い!」
「せやなぁー。こんな可愛い奥さんに料理作ってもらってたら、すぐ太ってまいそうやわ」
四人がけの席、そこから三つの視線が私を追う。閉店間際ということもあり他に客は居ない。私の恰好はほとんどいつもの制服と同じ、ブレザーが黒のエプロンになってるだけじゃないか。なのに羞恥心というか、こんなにも恥ずかしいのは何故だろう。
「はぁーもう。閉店までまだ三十分だし、ご注文は?」
何か注文をさせ、口を塞いで耳障りな三人を黙らせる算段である。私はホットコーヒー二つとアイスココアのオーダーを取り、カウンターにいる父の元に戻った。
「はい、どうぞ」
「なんだ咲耶、友達のだろ?」
お前が作ってやれよと、父は口角を緩ませる。あなたまで茶化してくるのか。このフロアには最早、味方は居ない。四面楚歌である。
頭をかきながらため息をつく。もう分かったよ、やるから。面倒くさそうに悪態をつきながらカウンターの中へ入った。
そんなことを言っておいてなんだが、コーヒーやココアを作るのは慣れたものだし、私も嫌いではない。
私はカウンターにある三口の電子コンロに、水が入った口先が長細いコーヒーポットを置いてスイッチを入れた。
別には小さな鉄製の鍋を置く。そこに甘くない粉末の純ココア、砂糖、少量のミルクをスプーンで入れた。分量は決まっている。しばらくこねると、次第にねり飴のような状態になってきた。
満足するまで練ったら、そこにコップ一杯分のミルクと少しの水を入れて弱火を付け、ひとつまみの塩を入れる。底にへばりついている先程こねたものをスプーンで液体に溶かしていくと、真っ白だった液体はツヤのある茶に染まっていった。
「よし、っと」
後はひと煮立ちするまで待つだけだ。その間にコーヒー作りに取り掛かる。
当店オリジナルブレンドの豆をコーヒーミルに入れ、上に付いている取手で円を描く。コリコリと心地よい音がする、きらきらと芳しいオルゴールだ。
ひき終わった豆をペーパーフィルターに入れた所で、先ほど水を入れたコーヒーポットの底から透明な泡が出始めていた。水面になんとか到達して弾ける小さな泡。ドリップに適切な温度になったというサインだ。
銀のポットを持ち上げてコーヒー豆に一度湯を染み込ませた。膨れた豆からの甘い香りが私の鼻を満たしている。
少しの間待ち、再びフィルターにゆっくりと「の」の字を描くようにお湯を注ぐ。モコモコとこげ茶の泡が豆から盛り上がってきた。
「うっし、上出来」
コーヒーを淹れ終わると、丁度鍋のココアが煮立ってきた。たっぷりと氷を入れた透明のグラスに、熱くなった鍋から慎重にココアを移す。二つの白のカップに黒のコーヒーを注ぎ、それをソーサーに乗せる。
ここまでを手際よくこなし、三つを銀トレイに移してスプーンとストローを添えた。
「はい、おまたせ」
客席に戻った。皆、何故か必死で携帯を触っている。直感的に嫌な予感がした。
「さくちゃん、凄い可愛かったー! 見てこれ! ベストショット!」
注文の品を机に置き、夕維の携帯に顔を近づける。そこには笑顔でコーヒーを淹れる咲耶の姿が映っていた。
「うちのベストショットはこれやなー! ともちゃんは?」
「あ、アタシは撮ってないし。」
「ともちの嘘つきー! 何枚か撮ってるの見てたもんねー!」
こいつら……。なんだか腹が立ってきた。今後は店には入らせないようにしなくてはいけないな。拳を握りしめながらそんなことを考える。
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