14話「音楽と私たちと」

 私の全てが包容されるような、咲耶の淡いギターの音。

 プレーを参考にしようと、有名なギタリストの演奏は片っ端から聴いてきた。そして今、私はずっと探していたものに出会った気がした。全身に鳥肌が立っている。

 三曲目、トアルコ最後の曲がゆっくりとフェードアウトしていく。拍手を送りたかった。でも出来なかった。

 何故か涙が零れ落ち、慌てて手ですくう。どうして泣いているのかもわからなかった。

 私はその場から逃げるように体育館の外に出た。


「ねえ、葵ちゃん、大丈夫?」

 咲の声。心配してついてきてくれたみたいだ。人気の無い中庭のベンチ。そこに座り込む私に彼女は、どうすればいいのかわからないといった様子で顔を近づけてきた。

「ごめん、なんか、私おかしくて」

 背中をさすってくれた。壊れた蛇口みたいに涙が溢れ出す。

 そうだ、思い出した。

 どうして今なのかは分からないが、それは父との思い出だった。四歳の時、父は二十七歳で死んだということは少し昔に母から聞いていた。

 そう、確か。父はギタリストだった。

 私は父がギターを弾いている所を見るのが好きだった。

 私が泣いた時にはいつも背中をさすって頭を撫でてくれた。

 とても優しい人で、そこから奏でられる音楽もシルクのように滑らかで優しいものだった気がする。

「あー、やっと見つけたー」

 花壇の向こうから凛が駆け寄ってきた。来るや否やどうしたのと私の顔と驚き、咲と一緒になって狼狽する。あたふたする二人を見て、なんだかおかしくなった。

 制服の裾で涙をふき取り、私は背筋を上に伸ばした。

「戻ろ」

「おお……切り替え早いね」

 その言葉は感心しているのか、それとも馬鹿にしているのか。

 ふと前から、生徒数人が慌てた様子で話しているのが聞こえた。

 何やら体育館が凄いことになっている、と。

 私達は顔を見合わせた。


 体育館の入口が見えた。そこは今日一日で見たことがないほどの人で溢れ返り、座席が全く足りていないほどだ。

「ええ、どうしたんだろ?」

 そう言って凛が先に走って行ってしまう。

 騒がしいそこから音楽が聞こえる。もう軽音楽部の舞台は終わったはずなのに、演奏が聞こえるのだ。

 この感じ。聞いたことがある。

 私も慌てて走り、はるか遠くにあるステージを見る。そこには咲耶が赤のギターを抱えて立っていた。そして昼沢萌佳と、小名夕維と、あれは確か咲のクラスにいるヤンキーだ。

「ええ、どうなってるの……」

 咲がなんともいえない表情を浮かべている。確かにどうしてこうなったのだろうか、状況が理解できない。

 でも、この演奏は、そうだ。

 なんだか父の音に似ている気がする。当時の記憶なんてほとんどおぼろげで、全く違うのかもしれないが。しかし不思議とそんな気がした。心の底から安心する音色。

 青山咲耶。本当に変な奴だ。


 演奏が終わり、私は堪らず拍手を送った。

 それは少しずつ膨れていき、今日で一番大きな拍手が巻き起こる。


 私はこのたった数時間で、一気に視界が広がった気がした。

 音楽の世界の端。もしかするとそこには永遠にたどり着けないのかもしれない。

 宇宙は凄まじい勢いで膨張しているため、たとえ光の速度で移動してもその端には行くことが出来ないと聞いたことがある。

 音楽の世界。誰かが歩いている限り、それは無限に広がっていくのかもしれない。





「ええっと、まず文化祭お疲れ様! そんで新入部員、でいいのかな? ほい、自己紹介!」

 文化祭の閉会式が終わり、片付けの全てが済んだ所だ。

 充実した疲労感で満たされた部室。そこに部員は集まっていた。私たちをねぎらうように、橙色の夕日がじんわりとしみ込んでいく。

 コウさんが彼女の背中を押した。ぎくしゃくと動く体を一つ前に出す。

「えっと、山緑朝海です、ドラムをします。……よろしくお願いします」

 簡単な挨拶。しかしこの挨拶をするために、彼女はどれだけの遠回りしたのだろうか。

 歓迎の握手がそれを包み込む。彼女の切れ長な目が潤み、力の入った顔が一瞬緩んだ。

「そういえばリンちゃんはともちゃんにドラム任せて良かったん?」

 萌佳が尋ねる。勿論! そう笑顔で答えて凛が振り向いた。

「ま、今後は葵の専属ドラムって事で。それにしても、そっちは一気に賑やかになったよね」

「私も入ったしねー! 覚悟してよ? さくちゃん」

 楽し気な夕維が、勢い良く私に顔を近づけてきた。

「はいはい、頼りにしてるから」

 気持ちこもってなーい! そう言って彼女は七輪で焼かれる餅のように頬を膨らませてみせる。

 誤魔化すように適当な口調で言ったが、これは本心から思っていることだ。これからも夕維のギターを聴いていたいし、どんなギタリストになっていくのか楽しみである。

 あの舞台の後。生徒会長によくやったと褒められ、一年の皆とクラスから抜け出したのか、部長と先輩たち数人に笑顔で労われた。最高に幸せだった。三人もそうだったのだろうか。

 その時だった。朝海は改めて入部させて欲しいと部長に申し出たのだ。

 彼女が何を思っていたのかは分からないが、もう迷いなんて無いような目をしていたのを覚えている。

 部室の前方から朝海が歩いてくる。そして後方に固まって座っている私たちの前で立ち止まり、笑った。

「よろしくな、みんな」

 二ヶ月ほど見てきた中で一番柔らかい表情だった。みんなで思い切り歓迎し、夕維の横にあった空席に座らせる。

「んじゃ咲耶ちゃんバンド、新生トアルコ頑張って! 応援してるぞー!」

 コウさんが拳を振り上げ、それに拍手が続く。

 ふと葵を見ると、一緒になって優しい表情で手を叩いてくれていた。それを確認して私は、嬉しくなる。






「ほらお前ら、今月の期間限定、どっさりサクランボジャムパン四つだ」

 購買部とロゴが入った大きな紙袋を片手に持ち、朝海は得意げな表情を作ってみせた。

「ともち! 大好きだよぉー!」

 夕維が彼女に飛びつくが、片手で頭を押さえつけられて近づけないでいる。両手両足をバタバタとさせて全力でそれに抗っているが、どうやら無駄な様子だ。

「さ、ほないつもの所で食べよか」

 萌佳の提案にいいねー! と身を翻し夕維がスキップを始めた。朝海からはやれやれといった様子にため息がこぼれる。

 いつもの所。それは中庭の目立たないところにある、木製の古ぼけたテーブルベンチだ。

「うっし、行こっか」

 その言葉に頷き、私たちは歩き始める。

 私と萌佳に夕維、そして朝海を加えて四人。


 今の私たちならなんだって出来そうだ。



 これからも私の、私たちの世界は広がっていくのだろう。




――第一章 私と出会い、文化祭とあの音――



 完

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