13話「音楽と私たち」

「あと二十分くらい追加で演奏は出来ないだろうか!」

 生徒会長は、確かにそう言った。どういうことなのか、それを受ける私たちは当然混乱してしまう。

 彼女の早口な説明を聞くと、次のプログラムである演劇部にアクシデントが起こってしまったらしく、あと三十分くらいは何も出来ない状態だそうだ。プログラムがかなり終盤だったこともあり、ほかの文化部の機材や部員は既に体育館から散り散りになっている。

「私にはこの文化祭を成功に収める義務がある。なんとか、この状況を打破しなくてはならないんだよ」

 一分経たずに現在の状況が、生徒会長から駆け足で説明された。

「でもそんな、ぶっつけ本番なんて……うちのドラムも今居ませんし、先輩たち呼ぶのは駄目なんですか?」

 提案する萌佳に対してダメだと生徒会長が即答する。

「放送で呼び出しだなんて、そんな事をしては皆がシラケてしまうだろう。五分か十分見なくてはいけなくなるのも問題だ。私が繋ぐにも長すぎるし、君達が出来そうにないなら何か、別の手を考えるしか……」

「私、やります。」

 青色のくせ毛を揺らし、咲耶は立ち上がった。生徒会長のガラスみたく透き通った瞳が深く刺さる。

「……よし、任せるぞ」

 そう言い残し、声をかける暇もないまま一目散に彼女はどこかに走り出してしまう。

 呆気に取られる軽音楽部一同を置いて一人、再びステージへと歩き始めた。


「ううん……」

 勢いだった。勢いで言ってしまった。

 正直、目立つことは得意じゃない。私が今日のステージに立ったのも、注目を浴びたいからではなく、ただ「音楽をすること」が目的だった。

 生徒会長の行動はこんな私をよほど信頼してくれているからなのか、こうなってしまっては最早逃げ出すことも出来なくなった。段々と怖さのようなものを感じ始めてくる。

「あ……」

 静止したステージを前にしてざわめく客席。そこから出てくる一つの見知った顔、山緑朝海だ。私は彼女に駆け寄った。

「あ、咲耶、お疲れ様――」

「私と合わせてくれない!?」

 話が飲み込めず固まる彼女に私から慌てて話を説明すると、朝海はしだいに驚愕の表情へと変わっていった。

「いや、話は分かったけどさ、そんな事……」

「おねがい。」

 その一言で、嫌そうにしていた朝海の顔が真面目になる。

 見つめあったまま、沈黙が続く。

「わかった。やろう」

 芯がある声。彼女は私に向かっていた身をひるがえし、長い金の髪をなびかせてステージへと歩き出した。

 涙が出そうになったのを力づくで人差し指で押し込め、その背中を小走りで追いかける。


 誰もいないステージ裏。私は先程まで握っていた赤のギターを担ぎ、辞書ほどの大きさがあるマルチエフェクターを手に持った。朝海は私の機材の隣に置かれていた凛のドラムスティックを借りていた。こんな事態だ、彼女なら許してくれるだろう。

「いくぞ? サクヤ」

「あーその、さ」

 頭を掻きながら呼び止めた。何? と朝海がこちらを向く。

「えっと、ありがとね、ともみん」

 真顔になって、そして柔らかくはにかむ。かと思うと何も言わずにすぐ顔をステージに向け、足早に行ってしまった。

 私は彼女に慌ててついていく。


 体育館はざわめいていた。そこからは歓迎はされていない雰囲気が感じ取れる。先ほどステージに出た時とはまるで違う景色だ。

 それをなるべく視界に入れないようにして配線をセットし、アンプの電源を入れた。小さなノイズが静かなステージをますます強調する。

 朝海を見て、力強く頷いた。

 ピックを唇にはさみ、右手の指先に神経を集中させる。

 一つ、そしてまた一つ。ガラス細工を扱うくらい丁寧に、優しくコードを入れる。

 足を踏む。マルチエフェクターのループという機能だ。八拍間を録音し、それをループして再生することができる。

 もう一度右足に力を入れる。その柔らかいコードがひとりで歩き始めた。

 唇からピックを抜き取り、キレのあるカッティングをそこに混ぜ込んだ。

 朝海のドラムは私がどうして欲しいのか分かってるみたいだ。気持ちのいいタイミングでしっかりとした、私を安心させるリズムが刻み始められる。

 またループをオンにし、八拍後にそれを踏む。そうするとカッティングが録音され、初めに入れたコードと一緒になって再生される。

 気がつくとざわめいていた体育館は私たちの音だけ。凍り付いていたステージはその熱で溶け出し、モノクロの客席から全ての視線を集めていた。

 手探りだけど、上手くできてる。さっきまで緊張だとか、責任感だとかに押しつぶされそうだったけど、もう大丈夫そうだ。

 別のスイッチを踏み、ギターを軽く歪ませた。

 今度は思い切り、体内から全てを絞り出すように弦を弾く。そうだ、葵みたいな物凄いテクニックは持ち合わせていないけど、私には私の音があるんだ。

 その時。視界の端に何かが見えて、私は舞台袖に顔を向ける。

「えっ」

 辛うじて手は止まらなかったが、驚愕の声が漏れてしまった。

 萌佳と、そして夕維だ。各々のベースとギターを抱えている。彼女たちは私の立つステージに上がり、淡々とセッティングを始めた。

 それをただ眺めるしかできない私は混乱している。準備が終わったのか、二人はこちらを見て静止する。真剣な瞳だった。

 たった今、彼女たちが何を言いたいのか理解した。そして、これからどうなるのかを想像し、胸が大きく揺れる。

 ループを解き、再び私はコードを弾き始めた。それを少しずつ、ガスコンロの火を慎重に小さくするみたいに優しくしていく。

――今、心が通じた。

「よし。」

 呟き、ギターのヘッドを上げる。それを思い切り振り下ろし、右足で地面を踏みつけたのが合図。

 ドラムの転調、ベースの低音、夕維のギターコード。そして、私の音色。

 精密機械のように全てが噛み合った。

 足元のボタンをいくつか踏む。音を変え、私のギターが嬉しそうにして踊り始める。

 直感的に、今ならなんだって出来る気がした。私はこれまで沢山の曲を作ってきた。それら全てを塗り替えられる程の力、それがどこからか沸き起こってくる。

 気がつくと体育館の前方、ステージ裏に通じるドアの前に生徒会長が背を伸ばして立っていた。手を上にあげて輪っかを作っている。マル、のポーズだ。

 時間、繋がったんだ。

 私の隣、ギター歴が短いながらもなんとか付いてきてくれている夕維に目をやった。必死に手元を見て、桃色の髪がゆらゆらと揺れている。そんな彼女は私の視線に気づいたのか、雲一つ無い太陽みたく笑いかけてくれた。

 萌佳を見て、朝海を振り返って、頷く。

 暴れて、暴れて、全部をここに投げ出して、

 そして思い切りギターを振り下げた。


 そこに残響だけが響き、時が止まる。


――パチパチパチ


 どこからか小さく沸き起こった拍手。それが連鎖反応のように大きくなっていく。

 やり切った。やったんだ。


 やっぱり私は、音楽が好きだ。





「ゆいちゃん、行きたいん?」

 前に座る萌佳から声をかけられた。ついさっきに生徒会長に頼まれた咲耶が心配で、身を乗り出してステージを見ていた夕維に向かって。

「いや、それはー……」

 正直言うと、私も一緒に行きたかった。

 でもギター歴二ヶ月のヒヨっ子が、あんなすごい演奏をしていた人とアドリブだなんて。ついていけないに決まってる。

 数十メートル前にある、静かなステージの横から制服がゆっくりと出てきた。一人は咲耶。そしてもう一人は、長くてキレイな金髪の彼女。

「ええ、ともち!?」

「ともちゃん……!?」

 私と萌佳から同じタイミングで素っ頓狂な声が出た。お互いに顔を見合わせる。

「あれ、ゆいちゃんはともちゃん知ってるん?」

「もかちーこそ……わけわかんなくなってきたよー……」

 もう頭の中はぐちゃぐちゃだ。何を悩んで、何を恐れているのかも分からなくなってきた。そんな私を包むようなギターの音。慌てて前を向く。

 鮮やかなギターの音、それを装飾してさらに素敵にするドラム。私は楽しそうな二人に見入ってしまう。

「行きたいんやないの?」

 そんなこと言ったって。私に……

「ほーら! 行くよ!」

 乱暴に腕を引っ張られ、勝手に足が動き出す。私のバンドメンバーからも行ってらーと軽く手を振って見送られた。乱暴で乱雑だ。

「ちょっとちょっと! 本気!?」

「私もな、さっきは怖くてついていけんかったのが悔しくてな。でも、」

 萌佳の瞳は前を見据えていた。

「今考えたらな、さくやちゃんも怖かったやろうなって。それならうちも、うちだって乗り越えてみたいんよ」

 さくちゃんも怖い、か。

 今思い返せば、さっき一人で行ってしまった時、なんだか重たい足取りだったような気もする。

 それなら。私が行って、それで何かが変わるなら。

「分かった、もかちー。一緒に行こ!」

 私は自然と走り出していた。


 軽音楽部の機材は全てここ、ステージ裏にある。部室は体育館から離れていて、一日のプログラムもそのほとんどが終わっているため、文化祭が終わるまではこのステージ裏の隅に置かせてもらっているのだ。

 そこに私のギターもある。出番も無いのにいつもの癖で背負ってきてしまったギター。

 それを持ち、私は初めての眩しい世界、ステージへ歩く。

 演奏は白熱していた。ギターとドラムが絶妙に絡み合っている。

 朝海は私たちに気が付いたのか、目を見開いて私と萌佳を交互に見る。

 咲耶とも目が合った。驚いた顔をしている。無理もないだろう。

 でも私はやり切る。そのためにここに来たんだ。

 客席からの視線は針のように鋭く痛く、怖い。それを必死に我慢して準備を続ける。

「よし」

 いつでも出来る。私はもう一度咲耶に視線を向けた。

 すると先程までの顔は見る影もなく、何故かすごく楽しそうにしている。遠くで楽しそうに音を鳴らしていた彼女、それが今は私のすぐ隣で演奏をしている。そう思うとなんだか嬉しくなった。

 次第に空気感が変わって、曲がゆっくりとしぼんでいく。そして……

――ここだ!

 そのタイミングは完璧に理解していた。さっきまで赤のギターから鳴っていたであろうコードを押さえる。合っているかは分からないけど、多分こんな感じだったはずだ。

 そして恐る恐る横を見る。そこではみんなが楽しそうに、幸せそうに体を揺らしていた。

 ああ、これでいいんだ。自信が湧いてきて、私の体も自然と揺れ始める。

 私は今まで仮面を被っていた。みんなと違うのが嫌で、そのために好きな事とか色々諦めた。

 でも、もうそんなの関係ない。今までのもやもやした気持ち、全部吐き出すんだ。薄っぺらい仮面なんか貫くぐらいに。

 私は必死だった。ここ一ヶ月くらい、ずっとさくちゃんからギターを習っていた。

 一つ、また一つと教えて貰ったことを思い出し、みんなについて行く。


 やっと見つけた。

 これが私のやりたいことなんだって。

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