12話「彼女と私」

「続きまして、キリマンジャロです!」

 エコーのかかった生徒会長のマイクからそう放たれ、人の頭がぎっしりと並ぶ体育館にこだまする。私のずっと先にある、広いステージには三つの見知った顔があった。堂々とした立ち振る舞いで配線などの準備をし始める。

 真ん中に立つ栗江とは数十メートル離れているが、今、ほんの一瞬だけ目が合った気がした。彼女が入部をしたあの時のような、飢えた狼を彷彿とさせる猛々しい視線が突き刺さる。


 静かな体育館。そこに、四つの乾いたカウントが響く。

 一気にドラム、ベース、ギターが飛び出た。激しく、太く、そして息のあった演奏。

「やっぱ上手いな」

 思わず絶賛の声が出てしまった。せやなぁと横に座る萌佳もそれに賛同する。

 荒れ狂う馬のように歪んだギターと、背後から押し上げるベース音。そして、それらの輪郭を際立たせる激しいドラム。

 栗江の声が乗った。凛々しく締まった、真っすぐと私に飛んでくる声。

 一つになる体育館。しかし私はそこに違和感を感じた。

 しきりに栗江は手元を気にしており、手元ではキラキラと何かが揺れ動いている。よく音を聞くとコードの高い音がしっかりと鳴っていない。

「うわ、大丈夫かな」

 ギターの弦が切れたんだ。その瞬間には気がつかなかったが切れている。しかし栗江はそんなもの関係ないといった具合で演奏を続けていた。

 私なら絶対に慌てるだろう。彼女たち三人は今まで色々なイベントに出ているらしいが、その場数から得た経験値の差なのだろうか。

 弦が一本足りない状態でのギターソロ。想定していたソロだと弾けないはずなので恐らくこれはアドリブなのだろうが、上手だ。ここだけ切り取ればアクシデントなんて全く気付かないくらいに勢いのある演奏。

 しかしそれも数秒程だった。

――バツン

 輪ゴムが切れるような音と共に、ギターからは音が出なくなった。途端にギターは弱々しくなり、彼女は顔を伏せる。これは、こんな事があるのだろうか。更にもう一つ弦が切れたんだ。

「やっば」

「さくやちゃん!」

 気がつくと私は走っていた。頭は働いていなかった。ステージの裏に置いている自分のギターめがけて、人々をかわしながらただ足を動かす。


 勢い良くステージ裏に入った。一気にそこにいる人達の視線を浴びる。

「さっ、咲耶ちゃん! どしたの!?」

 自分のバッグに慌てて駆け寄ってギターを取り出し、チューニングの確認を始めた。

「多分栗江さんのギターの弦、切れてて、」

 淡々とした口調で答えながら私は調整を続ける。その言葉に驚き、コウさんは慌ててステージの方を見た。

 たった今、一曲目の音が消えていく。

「だから、私の貸してきます!」

 無我夢中で、ライトに照らされた舞台目掛けて走り込んだ。


「これ! 使って! 早く!」

 俯いていた彼女の顔が上がる。普段の強気な態度からは予想もできないような弱々しい顔だった。

「青山……さん。」

 その目からは、今にも大粒の涙がこぼれ落ちそうだ。

 最後まで頑張ってと、そんな彼女に言葉が思い浮かばずに月並みな言葉をかける。

 下を向いたまま、小さく頷いた。

 私はアンプの電源を切り、彼女からシールドを抜き取って赤のギターに差し込む。そして彼女の奇麗な青いギターを受け取り、少々強引に私のものを渡した。

「あの、その……ありがとう。」

 小さな声でお礼を言われた。私は頷いて返事をし、急いで舞台裏に戻る。

 普段あんなに目の敵にされてたのに、なんか調子狂うな。彼女のギターケースを見つけ、受け取ったものをそこにしまいながらそんな事を思う。

「咲耶ちゃん、大丈夫だった?」

 そんな私に、後ろから心配そうな様子でコウさんから尋ねられた。

 一度ステージを振り返る。そこから飛んでくる、力強く響くギターの音を聞いて、私は安心した顔で答えた。

「……もう大丈夫です。」



「あ、さくやちゃん、おかえりぃ!」

 萌佳が席に戻った私を迎えてくれる。それに返事を返して先ほどまで座っていた、彼女の隣に腰を下ろす。

 ステージではもう二曲目が始まっていた。みんなの前で私のギターが頑張っている。その姿を見るとなんだか誇らしくなった。

「そーそー! さくちゃん王子様みたいにカッコよかったよ!」

 王子様だなんて、そんなのがらじゃない。そう反論するが萌佳と夕維は譲らない。

 二人に呆れてため息をつき、視線を再びステージに戻した。良かった、大丈夫そうだ。彼女の、いつも通り胸を張って演奏をする姿を見て安心する。

 二曲目が終わった。

 いつもライブでは葵が恥ずかしがってMCすっ飛ばすんだよねと、出番前に凛が言っていたことをふと思い出した。そしてこれは恐らく珍しい事なのだろう、彼女は楽器から手を放してマイクに顔を近づける。

「今日、ハプニングがありましたが、その、無事演奏を続けることが出来ました」

 ありがとう、キリマンジャロでした。

 慣れていないような淡々とした話し方。深く頭を下げる彼女。そんな様子を見るとなんだか照れ臭くなって頬が緩んでしまう。

 その後に始まった三曲目、私は聞き入ってしまった。意識だけが前へ吸い込まれてしまうような、そんな感覚だった。

 あっという間に演奏が終わってしまった。赤いミディアムヘアを垂らしてゆっくりとお辞儀をしている。

 隣では萌佳が口を開け、ただ手を叩いていた。私も思い切り大きな拍手をステージに送る。全方位を拍手が満たしていた。

 少しずつそれが止み、ようやく静かになったところで私は息を吐きながら立ち上がった。

「さて、と。んじゃいきますか」

「了解しました、王子!」

 姿勢よく敬礼をする萌佳に、うっさいわと笑いながら返す。

「さくちゃん! もかちー! 頑張ってー!」

 後ろに座る夕維が拳を振り上げ応援してくれている。それにも手を小さく振って答えた。


 パイプ椅子の隊列を抜け、ステージへ歩く。

 ずっと向こうから人が歩いてきた。先程までステージに立っていた三人だ。そして栗江の手には私の赤いギターが下げられている。

 なんて声をかければいいのか分からない。何を話そうか思いつかないまま宿敵が出会うシーンの様に一歩前まで近づき、お互い立ち止まる。

 先に口を開いたのは栗江だった。

「ありがとう、咲耶。」

 心臓がロックミュージックのスネアみたく定間隔で激しく動く。驚いた。それは予想だにしない言葉だった。

 でも、よかった。

 雨に濡れた服を脱ぎ捨てるように、心の枷が一気に消えてなくなった気がした。

 なんとかなって良かったよ、ほんとに。

 心からそう思う。私の素直な気持ちだった。

「ま、今度はそっちが聞く番だからね」

 なんだか気恥ずかしくなって、少しおどけた口調でギターを受け取り、早足でステージに向かう。

――見てて、葵。



「咲耶ちゃん! バトンパス!」

 薄暗いそこにステージを終えた先輩たちが近づいてくる。コウさんの掌に私を重ねた。

 当然、緊張はある。真冬の北風みたく張り詰めた空気。長い間音楽はしているがこうして舞台に上がる事なんて無かったし、慣れていないのは当然だ。凛はともかく、萌佳も動きが硬い。

 客席にぎっしりと詰まった人達、全ての視線を今から奪う。

 ワクワクしてきた。

 朝日が差し込む新学期の教室を彷彿とさせる、新鮮に輝くステージ。それを両目でしっかりと見据えて右足を、左足を、一つずつ踏みしめる。

 やけに明るく広い空間に立つ細いマイク。私はセッティングを始めた。配線の確認、そしてエフェクターのチェック。

 よし。大丈夫。

 一つコードを鳴らす。柔らかなクリーンサウンドが真っ直ぐに響いた。

 顔を上げる。もう微塵も緊張なんて言葉は無い。

 葵の座っている方向に目をやると、彼女は真剣な眼差しでこちらを見てくれていた。

 萌佳を見る。ふわりと垂らしたサイドテールを揺らして笑いかける。

 後ろの凛を振り返った。スティックを高く上げて答えてくれる。

「っし。」

 ピックを撫でるように下ろし、そこからゆっくりとリズムを生みだした。

 私の音しか聞こえない、私だけの時間。

 何小節かの後、ベースとドラムが私の背中を押す。

 体育館中に、一気に幸せが充満した。意識が音に飛散する。もはや自分で演奏しているのかも分からない。

 大好きな音楽に無心で聴き入る感覚。今はまさにそれだった。流れるように一曲目が終わり、二曲目が終わる。


 気がつくと、今まで私たちを満たしていた音楽は拍手に代わっていた。もう最後の曲が終わってしまったんだ。

 それは一瞬だった。三人で練習した二ヶ月を思い返す暇もないまま、私たちの十五分はあっという間に過ぎ去った。

 萌佳と凛が満面の笑みで駆け寄ってくる。きっと私もそうなんだろう。

 力の入らない体をなんとか動かして片付けを終わらせ、人目の少なく暗い舞台裏におぼつかない足取りで向かう。


「はぁ……」

 人が少なくなった機材置き場、舞台を終えた私から、肺の空気が全て吐き出されたくらいに大きな溜息が出た。しかしそれに不安だとか、そういったものは混ざっていない。

 興奮と、安堵と、開放感と、名残惜しさと。それらが宝箱みたいにごちゃ混ぜになった溜息だった。

「やったね! リーダー! モカ!」

 凛が勢い良く私の肩に手を回す。反対側から萌佳も肩に腕を乗せる。なんだか嬉しくなって自然と口角が上がってしまう。

「お疲れ様やな! めっちゃ良かったわ!」

「ん! ……楽しかった。」

 一瞬だと感じたその時間には、今までが全て凝縮されていた。だからあんなに光り輝いて、虹色の時間だったんだ。



 席に戻ると夕維が属しているバンド五人に暖かく迎えられた。

「あれ。葵と咲は?」

「あー、みんなの演奏終わったら栗江さん慌てて出てってさー? 上島さんもそれ追っかけてどっかいっちゃった」

 なんだろね? 桃色のツインテールを傾けながら夕維が説明をする。それを聞いた凛は首を傾げ、探してくるわと出口の方へ行ってしまった。

 三十分ほど前まで座ってた椅子。その前に立ってみると、なんだか久しぶりに戻ってきた気がする。ステージはもぬけの殻。しかしどこか、未だに熱を帯びているように見えた。

「ふー、次ってプログラムなんだっけ」

 脱力感に身を任せてひんやりと冷えたパイプ椅子に座る。

 軽音楽部の出番は全て終わった。しかし未だにスピーカーやアンプなどの片付けがされていないのを見て不思議に思ったのだ。

「次はねー。ふむふむ、演劇部ですなー」

 後ろの席でプログラムが書かれた冊子をめくりながら夕維が答えた。始まらんなぁーと萌佳は手にアゴを乗せ、いかにも考えるポーズといった風にしている。

「ねぇ、君達! 軽音楽部ですよね!」

 落ち着いてしまっていた私たちに突然の声がかかった。それに大声をだして夕維が驚き、私も慌てて体勢を直す。

 声のした方向には息を切らした生徒が立っていた。

「あ、確か生徒会長さん?」

 そんな彼女に萌佳が訊ねる。

 長い黒髪にはっきりとした顔立ち。そうだ、さっきまで司会をしていた生徒会長だ。

「七人しか居ないのか……しかも一年か。いやでも。」

 落ち着かない様子で何やら言っている。少し経って、彼女は凛々しい顔立ちを私たちに向け、一つの要求をした。

「あと二十分くらい追加で演奏は出来ないだろうか!」

 

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