11話「私と彼女」

 昼下がり、カーテンで光を遮られ薄暗くなった体育館。

 パイプ椅子にびっしりと並ぶ、生徒や学外からの訪問者。

 きらびやかにライトアップされたステージ。

 そこに立つ四つの制服と、色とりどりな楽器。

 腹の底に突き刺さる低音。体を揺らす旋律。

 本校の軽音楽部は他校と比べてレベルが高いらしい。顧問の先生が無理を言って機材を揃えてくれており、それも大きな理由の一つとなっているのであろう。

 その感謝すべき顧問は、今は学校には居ない。もっと言うと日本にもいない。仕事なのだろうか、半年ほど前から海外に行ってしまっていると先輩たちから聞いた事がある。


 トップバッターで舞台へ立った先輩たちの演奏が終わった。拍手が広い体育館中に響く。それが鳴り止むと、一人の生徒がマイクを握って司会進行を始めた。

 黒髪の長髪、そして凛々しい風貌。完璧主義、で名高い生徒会長だ。現在三年生の彼女、どんな行事に起こった不測の事態に対してもアドリブでこなした、という数々の武勇伝を風のうわさで聞いたことがある。この目でそれを見たことはないが。

 あと数十分もすれば「トアルコ」という名前がそのマイクから放たれるだろう。

 落ち着かない気持ちを抑え、私は体育館真ん中の右端に固まった軽音楽部用の席に座っている。両隣の萌佳と凛もどこか落ち着かない様子だ。

 いよいよだ。いよいよついに、本番が来る。




 私達のひとつ前の出番である二年生が舞台に出た。十五分ほど経てばあそこにいる司会から、私達のバンド「キリマンジャロ」の紹介があるだろう。

「葵ちゃん。そろそろ、裏行く?」

 大音量で響く演奏の中、咲が私の耳に手を当てて大声で聞こえやすく言った。別に普通に話したって聞こえるのだが、ライブハウスだとあまりの轟音でそうしないと聞こえないので、その癖が出たのだろう。

 それに頷き、足に力を入れる。肩に当たらないくらいまで伸ばしている赤の髪が揺れた。続いて両隣に座る凛と咲も勢いよく立ち上がる。

「お、三人とも頑張ってねー!」

 前に座る部長が振り返って声をかけてくれ、それに会釈で答える。

 演奏が終わった先輩は各々のクラスの模擬店へ仕事に向かうとの事で、軽音楽部の終盤に差し掛かった今、既に軽音楽部の席はガラガラだ。一年全員の十人と、私の次に演奏する部長のバンドメンバーしかいない。

 体を横にし、席と席との間を抜ける。

 途中、青山と目が合った。いつものように何を考えてるのか分からないような、気だるそうな目。なのに演奏になるとあんなに輝いて、羨ましいほどに溢れ出すセンス、やっぱり気に食わない。

 私を認めさせてやる。このステージで。


 舞台裏、沢山の係の人達がせわしなく動き回っている。私は薄暗いそこから、壁に立てかけて置いていた黒革のチャックを開け、ギターストラップを肩にかけた。

 ひとしきりチューニングを終えて視線を上げると、今ステージにいるバンドを横から見る。ステージ横からのこの景色は、なんだか特別感があって好きだ。

 凛と咲を見る。二人は私の視線に気付き、同じタイミングで頷いた。

 壁から拍手が聞こえる。そして輝かしいステージから四人がゆっくりと歩いてきた。やり切った、というような満足げな顔だ。

 そんな彼女達にお疲れ様ですと軽く挨拶をすると、次頑張ってねと励ましの言葉を返された。言われなくても私は全力を尽くすつもりで今、こうしてギターを握っている。

 向こう側が静かになったかと思うと、エコーがかった声が聞こえた。恐らく司会から私達の紹介がされているのだろう。

「じゃ、皆さん、お願いします」

 実行委員の腕章を付けた真面目そうな生徒から声がかかる。時間だ。

「分かりました」

 かましてやる。全力で。

 不思議だ。いつものイベントより気合が入っている気がする。いい方向に緊張しているというか、今なら思い切り暴れられるような気持ちだ。

 眉に力を入れ、眩しく輝くステージに向かって足を前へ出した。


 狭く暗かったそこから、一気に視界が開けた。

 大きさだけで言えばこの舞台は今まで一番。数え切れないほどの視線が自分に向けられ、一番遠くの顔は私の視力では確認できない程だ。しかし恐怖だとか不安だとか、そういったものはない。

 先程まで私が座っていた席のほうに目をやった。青山咲耶が顔をこちらに向けて座っている。部長達はもう舞台裏に居るのだろうか、そこには居ない。

 エフェクターが並べられたボードをスタンドマイクの前に置く。そこから伸びたシールドコードをアンプに繋ぐ。アンプの出力をオンにし、つまみをあらかじめ決めていた角度に弄る。ギターのボリュームを上げて音が出るのを確認する。

 そしてマイクの前に戻る。音が出ないように左手で優しく弦を触りながら。

 横の咲を見て一つ、頷く。最後に、背中のドラムに座る凛に顔を向ける。これが、私達がいつも行っている準備完了の合図だ。

 それを凛が確認し、木製のスティックが高く掲げられた。そしてカウントが四回入る。


 体全体から絞り出すようにコードをかき鳴らした。思い切り。いつもみたいに三人が完璧に融合する。

 マイクに口を近づけ、手を動かしたまま声を出した。音程も安定している。

 入りは上手くいった。練習通り、いつも通りだ。

――ブツン

 安堵する私の手に、嫌な感覚が走った。口をマイクに向けたままゆっくり視線を下に落とす。一番細くて高い音の出る弦が切れ、ネックから銀色の線が頼りなく揺れ動いていた。

 よりによってこんな時に……苛立つ。

 なるべく意識しないように続け、サビが終わって二番に入る。これが終わるとギターソロだ。

 弦が切れてしまったが何度か経験しているし、いつも無理やり別の弦で弾いたりアドリブにしたりして乗り切っている。練習していたようにはもう弾けないが、このままやってやる。

 二番のサビが終わり、ギターソロに入った。

 一つ弦が無いだけでこんなに弾きにくいものだったか、これからどうしようか、段々と不安な気持ちが大きくなっていく。それをかき消すように、私は乱暴にかき鳴らしていた。

 しかし、気がつくと私のギターからは思うように音が出なくなっていた。

 全身に冷や汗が出て、目眩がする。

 更にもう一本、弦が切れた。こんな事なったことも無いし見たことも無い。

 悪夢だ。私は泣きそうになりながら残っている四本から低く、弱気な音を出す。一曲目はなんとか終わった。

「どうしよう」

 何も考えられない。

 青山の座る席を見ると、彼女はそこに居なかった。情けない。認めさせるとか、こんな有様でできるわけ無い。

 立ち尽くして、足元が怪しく揺れる。

「これ! 使って! 早く!」

 涙がこぼれそうな目を上げた。真っ黒なステージの横から、青くてくしゃくしゃな髪を揺らして一人が走ってくる。

 丸っこい、赤いギターを手に持って。

「青山……さん。」

 いつも眠そうな彼女は、さっきとは違う真剣な目だった。初めて話して、セッションをしたあの時みたいに。

「あー、その、最後まで頑張ってよ?」

 彼女は私を急かしながらアンプの電源を切り、シールドを抜き取って赤のギターに差し替えた。

 私はギターを下ろし、彼女のそれをしっかりと受け取る。

「あの、その……ありがとう。」

 青山さんは一つ大きく頷き、私の青いギターを持って再び舞台袖に消えてしまう。

 力の入らない足で三歩進み、アンプの電源をつけ直す。そこで、全方位から心配そうな目線が送られているのに気が付いた。

 コードを鳴らしてみる。綺麗に前へ響いた。私のギターとは違う音だが、嫌いじゃない音。

――これなら

 二人に大丈夫だと目線を送ると、安心したような顔で首を縦に振った。

「よし。」

 小さく息を吐いた。

 ドラムが動き出す。

 そうして二曲目が始まった。



「ほんっとごめんね! 横にいた私が気づけば……!」

 キリマンジャロの出番が終わってステージ裏に戻った所で、いきなり部長から謝られた。手を合わせてオーバーアクションに頭を上下にしている。どうやら部長からは私の様子が見えず、ハプニングには気づかなかったそうだ。

 最近の私はよく弦を切っており、他のイベントでも何度か今回のようなことがあった。なのでそれを誤魔化すスキルが身についていた事も、部長がハプニングに気づかなかった理由の一つだろう。流石に二本切れるなんて聞いたことが無いが。

 私もあの時、冷静になって裏から出番が終わったギターを借りればよかったんだ。数分前の自分を思い出して恥ずかしくなる。

「いやでも、咲耶ちゃんが走り込んできた時は何事かと思ったよぉ」

 姫様を助ける王子様みたいだったー! 本気なのか茶化しているのか、部長は恥じらいのポーズを取っている。

 そんな風に話す私達に、実行委員の声がかかった。部長達の出番だ。

「ま、私らの演奏見てなってー!」

 じゃーねと先輩達は、軽くガッツポーズを作りながら光の中へ消えていってしまった。

「まじ葵大丈夫だった? あれはヒヤッとしたわ……」

 後ろから凛が震えた声で話しかけてくる。

 本当に危なかった。何よりパニックになってしまった自分が情けなく、反省しなくてはいけないと強く思っている。難事を乗り切ったというのに、私の足取りは重たかった。


 扉から客席のある広い空間に出て、借り物のギターを右手でしっかりと持って席へ歩く。そんな私の視線の先、数十メートル向こうから二人組が近づいてくる。トアルコの二人だ。

 数秒かけてゆっくりと近づき、手の届く距離に到達した所でお互い立ち止まった。彼女の眠たそうな目が私と合う。

「ありがとう、咲耶。」

 私の素直な気持ち。それは、飾りっけのない言葉だった。

 それを聞いた彼女は目を大きくして、少しすると優しく笑う。

「なんとかなって良かったよ、ほんとに。まあ今度はそっちがステージ聴く番だからね」

 軽い口調でそう言いながら私からギターを受け取ると、手をひらひらとさせて歩いていってしまった。

「葵ちゃん、後は私達お客さんだから、座ろっか」

「……うん」

 凛はトアルコのドラムも担当しているので、くるりと方向転換して再びステージに向かった。

 あまり話したことがない一年の五人グループ、そして私と咲だけのやけに寂しい席。

 今まで経験したことのない、よく分からない感情を胸に抱きながら、ゆっくりとそこに腰掛けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る