10話「交差と私」

「よし、明日は本番だ。みんなぁ! 全力出すぞぉ!」

 おおーっ!――

 炸裂するポップコーンみたく一気に部室が沸いた。ほとんどが椅子をほっぽり出して立ち上がっている。廊下から見ればそこはいつもの音楽室。しかしその中は、普段とは比べ物にならないほどの熱を帯びていた。

 部員の前で叫びながら全力で燃える御山香みやま かおり部長。

 真剣な顔で前を見据える栗江葵くりえ あおい

 拳を上げて声を出す先輩達。

 跳ねて楽しそうにする小名夕維こな ゆい

 頑張ろうと話す米田凛よねだ りん上島咲うえしま さき

 拳を握って静かに気合を入れる昼沢萌佳ひるさわ もか

「ふう。よっし。」

 大きな空気の塊を一つ吐き、眉に力を入れて前を向く青山咲耶あおやま さくや

 皆が様々な思いを胸に抱き、明日の「文化祭」に思いを馳せる。

「前に決めた通りの順番で舞台。悪いけど二、三年は出番が終わり次第各自クラスの出し物のヘルプに行ってね」

 ホントは最後まで見たかったけど、先生ら軽音楽部に当たり強いんだよね。そんな愚痴をコウさんが小声でこぼす。

 一年生の出し物は展示なので当日にはほとんど仕事がないが、先輩たちは模擬店を出したりするらしく当日は忙しい。それの店番はしっかりしろと上からお達しがきたそうだ。

「よし、んじゃ明日のために機材まとめるよ! 悔いの残らないようにね!」

 パンと手を叩き、乾いた音が響いた。それを合図に全部員・・が動き出し、明日のステージとなる体育館に機材を運び始める。

 出演の順番はコウさんが提案したクジ引きで決めたため、学年もバラバラだ。その結果トアルコ、私たちのバンドは一番最後のトリになってしまった。正確には軽音楽部のラストであって、次のプログラムには演劇部が控えているが。

 ともかく最後が一年の私たち。それで本当に良いのかと順番が決まった時に慌てて聞いたが、先輩たちは問題無いの一点張りであった。軽音楽部には昔から一年生を大事にするという伝統があるらしく、トリが一年だなんてむしろ大歓迎だと喜んでいたくらいだ。

 そんな私たちの二つ前のバンドが栗江さん達の「キリマンジャロ」。

 その次、トリの一つ前が部長率いる「プルプル」。どうしてプルプルという名前なのかと聞いたことがあるが、可愛いでしょとしか解答はなかった。そこに深い意味は無いのかもしれない。

 今から体育館のステージ裏にスピーカーやドラム、キーボードなどの機材を運ぶ。これらの機材は運びにくい形をしていて見た目より重たく、さらに目的地はかなり遠くにある。ここ四階から一番下まで降りて、中庭を通り、その先にようやく体育館が見えるのだ。重労働になるだろう。



 作業に取り掛かってから一時間と少しが経過した。腰はヒビの入ったガラスのようで、バラバラに砕ける一歩手前である。小さな衝撃を受けただけでも崩れ去ってしまうほどの疲労感だ。そんな体力の残り少ない私に任せられた最後の荷物だった、小さなスピーカーを丁寧に足元へ置いた。

 ようやく仕事が終わった。達成感を感じながら両手を上げて背筋を伸ばし、周りを見回す。

 ここは体育館にあるステージの裏。目の前にある扉から体育館の表に抜けることもできるし、横に見える四段ほどの階段は広いステージへと繋がっている。天井が高く薄暗いこの空間には、私たちが一生懸命に運んだ機材がぎっしりと並べられていた。

 何人かの生徒が作業をしているのが見えるが萌佳がいない。話しながら一緒に運搬作業をしていたのだが、いつの間にかはぐれてしまったようだ。

 探すのを諦め、並べられた機材達をじっくり見つめていると実感がわいてくる。いよいよ文化祭が始まるという実感だ。

 この二ヶ月は本当にあっという間だった。朝起きて授業に出て、放課後はひたすら練習。毎日がそうだったようで、色々とあったようで。

「明日本番かぁ……」

 あまり人前に立つような目立つことはした事がないし、それに対して苦手意識もある。ステージで演奏した事は一度だけあるのだが、それも随分昔の話。明日はほとんど初ライブになる。緊張の二文字が肺を押しつぶしてくる。

 早く部室戻らないと。

 不安な気持ちから逃げるように早足で、パイプ椅子が一面に整列した広い体育館を抜け出した。




「はぐれてもたなぁ……」

 さくやちゃんと一緒に動いてたはずなのに……見失ってしまった。せわしなく動く生徒たちをこうして眺めているけれど、一向に彼女は見つからない。

 私は少し前から姉の男友達、コーヒー大好き豆太郎さんからベースを教えて貰い始めた。勿論それは本名ではないのだろうが、未だに豆太郎さんと呼んでいる。それにはもう違和感も感じないほどに慣れてしまった。

 最近ではベースが上手な咲にもどのような練習をしてるのか教えて貰い、それの実践も合わせてしている。それからはものすごい勢いで上手になったのが、実感として確かにある。

 明日、私は大人数の前で演奏する。そんな経験は今までもちろん無いし、不安な気持ちでいっぱいだ。

「大丈夫大丈夫、できるできる」

 昼沢萌佳、私、頑張ります! 文化祭のたった十五分のために今まで何時間も、何日も頑張ってきたんだ。できないわけが無い。なんたって私はトアルコの、たった一人のベース担当なんだ。

 自分にそう言い聞かせると少し自信が湧いてきて、ほんの少し体が軽くなった。

 うん、急いで部室に戻ろう。そう思って体育館から緑色と鮮やかな花壇が並ぶ中庭へと出た。


 梅雨で長い間雨が続いていたが、今日はすっきりとした天気になった。連日確認していた天気予報によると明日の降水確率は0%、確実に晴れるだろう。

 ふと私の先にある中庭の端にある、テーブル付きの椅子に目が行った。少し前にお昼を食べたそこに、木の陰に隠れて全体像は見えないが一人の生徒が座っている。

 あの人、さくやちゃんと話しているのを見た事がある。名前は確か、山緑朝海やまみどり ともみさん。

「どうしたん? 一人で」

 声をかけ彼女に近づく。あ、と彼女は小さな声を出してこちらを振り向いた。無表情と言われれば納得もできるがどこか寂しそうで、悲しそうな顔だった。

「別に、なんでも」

 ぶっきらぼうにそう言って、深い色をした木製のテーブルに突っ伏してしまう。私は落ち着いた足取りを意識して向かいの椅子に座った。なんだかほっとけない、そんな気持ちさせられたのだ。

「あんた、咲耶の友達だろ? 軽音楽部の確か……モカ、とか呼ばれてた」

 私が座ったのを確認してか、そのまま机を見ながら質問される。そうやーと返して私は簡単に自己紹介をした。

「その、さ。今日準備行かなくて、ごめん」

 それが終わると、いきなり謝罪をされた。顔は見えないが、今にも泣きそうな声になって。

「ど、どうしたんよ、大丈夫?」

 金色の頭をぱっと上げる。その切れ長な目は、潤んでいた。

「そのな、一応、私も軽音楽部なんだ。でも、一回も行けなかった。クラスでも話しかけてくれる人いなくて。部活なんか行ってもどうせ浮くんじゃないかって……」

 部長も咲耶も誘ってくれたのに……。ぽつりぽつりと、唇から後悔の言葉が漏れる。

「山緑さん、ともちゃんって呼んでもいい?」

 驚いた顔でこちらに視線を向けられ、私はそれにかまわず続ける。

「さくやちゃんから聞いたわ。ともちゃんドラムがすごく上手やって。一緒に演奏した時はすごく楽しかったから、また一緒にしたいって」

 目を見開いて、少しするとまた俯いてしまう。

「そう、なんだ。だから会う度に挨拶してくれてたのかな……」

 気の強そうな容姿からは想像も出来ないような弱気な声だった。

「明日の文化祭のステージ、良かったら見に来てな? あと、うちのバンド今ドラムが決まってなくてな? その、気に入ったらでええんやけど」

――さくやちゃん助けてあげてな。

 私がそう言い終わると、彼女はこちらを向いて真剣な顔になっていた。少しして、その気が張った顔を緩める。

「不思議だな、アタシ。初対面なのにこんなに話しちゃって」

 ありがと。そう言って彼女は腰をあげた。長い髪が気持ちの良い風と太陽の光に照らされて輝いている。それを見て、私もゆっくりと立ち上がった。

「じゃあ、またな、ともちゃん」

「ああ、また」




「てかさー夕維、私らの所で良かったの?」

「なーにが?」

 ひとしきり作業が終わって、私たちのグループは機材が消えて寂しくなった部室で休んでいた。私と、同じ中学だった彼女、そしてそれと仲のいい人たち。楽器初心者が集まる五人組バンドだ。

 この音楽室は一見するといつもと変わりない。しかし視界の先にある扉の先、防音室の中は全くの空っぽ。入部して二か月の私が言うのもなんだが、そこには非日常感がある。

「やー、なんてかさ、私らエンジョイ勢って感じじゃん? でも最近の夕維頑張ってるってかさ、なんか周りに振り回されないようになったってかさ」

 中学ん時と変わったよね。昔の私をこの学校で、恐らく唯一知っている彼女からそう言われて驚いた。

 中学生の時は確かに周りに合わせる事が絶対で、自分の気持ちなんて後回しだった。でも最近になって少しは自律的になったというか、確かに変わった気がする。言われてみれば、というような程度だが。

「そ、そーかなぁ? よく分かんないやー」

「変わったよホント、今は結構活き活きしてるし」

 そんでね、と改まってこちらに顔を向けられる。私もまっすぐとした、その彼女の目を見つめ返した。

「青山さんに色々教えて貰ってる夕維見ててさ、私らのバンドでいいんかなーって。」

 いや、嫌いになったとか気に入らないって訳じゃなくてと手を横に振って、慌てて訂正しながらも話を続ける。

「ギター教えて貰ってる夕維見てるとさ、凄いなーって。私と同じタイミングでギター始めたのにもう追いつけないよ」

「いやいや褒めすぎでしょー?」

 笑う私に本気だって、と言って話を続ける。

「んでね、こっちのバンドには私がギター居るし、本心は向こうに入りたいってんなら、私、応援するから」

 あー言いたいことまとまんないわ! と彼女は首を振りながら頭をかいた。それを眺めながら、頭の中を必死に整理しようとする。

「本心……か。」

 私がここのバンドにいる理由は、なんだっけ。そう、入部した時は楽器が出来なくて、同じく楽器ができない知り合いがいたから。それだけだ。

 入部した理由はなんだろう。

 そうだ、さくちゃんについてきたんだった。

 というか急にそんな事言われても、私のバカで小さい脳みそじゃ気持ちの整理が追いつかないし。

「あんがとね。ちょっと、考えてみる。」

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