6話「難敵と私」
これは萌佳がコーヒー大好き豆太郎に教えを乞い、夕維が朝海と出会い、咲耶達が伝説のイチゴパンを頬張るお昼時より少し前の日。
軽音楽部に入部して一週間が経った頃の話になる。
「文化祭の曲、なぁ」
駅前の、とある人気チェーンの喫茶店。夕方になると店内は、学校帰りの学生や一日を終えた社会人で賑やかだ。窓の外にはせわしなく歩く人の濁流が映る。
そんな喫茶店の窓際にある席で咲耶、萌佳、凛は悩んでいた。
「やっぱ流行りの曲なんじゃなーい?」
初心に戻って簡単な曲ってのもありだしー。
凛は木製の洒落た椅子に脱力した格好で座りながら、天井から垂れる淡い照明を眺めている。
「あれ、そういえばメインボーカルってさ、誰だっけ」
咲耶が気の抜けた声で質問した。凛と萌佳が口を開けて私を見る。ボーカル、決めてなかったんだった。
「私は無理だかんね! 音痴だし!」
凛は必死になって首を横に振り、目を見開いて力を入れる。短い茶髪から見える耳はオーブンのヒーターみたく真っ赤で、トーストがおいしく黄金色に焼けそうだ。
「私も自信ないっていうか、うーん。」
咲耶も腕を組んで、萌佳の様子を見る。
彼女は先程から落ち着かない様子で視線をあちらこちらに向けてるのだ。急に私と目が合った。
「な、なら、うちがやってみよかな?」
歌いながらベースなんてやった事ないけど……と力なく続ける。それを聞いた凛は待ってましたと言わんばかりに任せたと声を張って、萌佳の肩をバンバンと乾いた音が出るほどに強く叩いた。よほど歌いたくなかったのだろうか。
「したらベースが簡単な曲にしようか。コーラスくらいなら私も頑張るからさ」
「リーダー! よろしくおねがいしゃっす」
凛が私に向かって、空手のような挨拶をした。それに続いて、隣の萌佳もよろしくおねがいしゃっす、と真似をしてみせる。
「え、リーダーって私?」
楽器の音や会話する声で騒がしい部室の音楽室。そこで私たち三人は、来たる文化祭に向け演奏する曲についての議論をしている。
「おー、この曲いいじゃん! 有名だし皆知ってそ」
「せやろ? 好きなんよー」
部長からされていた説明によると、持ち時間は15分。MCの時間も考えて3曲が妥当だろうか。
「あのさ、その、ひとつやりたいのがあるんだけど。」
私は少し不安が混ざった声で提案をする。二人はどれどれと、手元の携帯に身を寄せて集まってきた。
どんな風に思われるのか、今になって心配になってしまう。しかし言ってしまったものは仕方がないしと、そんな覚悟を決めて手元の携帯からMP3フォルダを再生した。
「めっちゃええやん!」
始まって数十秒で萌佳は体を揺らしていた。凛もすごいすごいと頷く。
「でもさ、これ誰の曲なの? 聞いたことないや」
「そりゃまあ……その、」
昨日作ったし、と私は小さくなりながら呟く。
「え!?」
「まじ!?」
5秒ほどの音楽だけが流れる、静かな時間が過ぎる。
「作曲家って、リーダー……センスありすぎでしょ……ありすぎでしょ!」
私にも分けろー! 凛がそう騒ぎながら私の頭を撫で回してきた。私は犬かと怒りたくなる気持ちを抑えてもう一人に助けを求める視線を送ってみたのだが、それは届かなかった。
うちにも分けなさいー! 萌佳も一緒になって横腹をくすぐってくる。この地に信用できる味方は居ないらしい。
「ひゃひゃひゃ! やめ……ひゃひゃひゃ!」
「決まりな」
「決まりやね」
淡々と話が進む。私は陸に打ち上げられたイワシのように机に突っ伏していた。
「はい……それで……いきましょ……」
一曲目は私が作ってきたインスト曲。インストゥルメンタルの略で、ボーカルがいない楽器だけの音楽だ。ギター・ベース・ドラムの三人で演奏できるように作っている。これだけ喜んでもらえたのなら頑張った甲斐があった。横腹をさすりながらそんな事を、感動した時に出るものとは別の涙を浮かばせながら思う。
二曲目は凛が提案した曲。バンドを組んだらまずこの曲だ、というような定番の曲はいくつかあるが、これもそのうちの一つである。
そして最後は萌佳が好きだという楽曲。最近有名なロックバンドの曲で、知名度もあるし盛り上がるだろうなと想像が膨らむ。
「じゃ、順番来たらリーダーに曲教えてもらおっかな」
任せたまえと、体制を立て直した私は自信満々に返事を返す。
音楽室の隣の部屋にドラムやアンプなどの機材があるのだが、それを各バンドで交代して使うことになっている。私たちの順番はもう少し先だ。
「それじゃデータ送るから聴いててね」
あいあいさーと敬礼する二人。なんだか嬉しいような、恥ずかしいような気持ちでグループチャットの送信ボタンを押した。
今までの音楽の時間は、ほとんど一人で過ごしてきた。
しかし今、それは私と人とを繋ぐ架け橋になっている。
言葉で表すなら正に順風満帆だな、そんなことを考えて嬉しくなった。
長い歴史がある本校の軽音楽部。現在は三年生が八名、二年生も八名、そして新しく入った一年生も同じく八名の、計二十四人で活動している。
入部した時は全学年八人だねなんてはしゃいでいたが、その均衡は二週間と少しで崩れることとなった。
今日から一年生が二人、そこに加わるのだ。
「
窓から入ってきた風に乗って、さらさらとなびく赤髪のミディアムヘアに白のシンプルなヘアピン、そして気の強そうな顔。私は彼女を知っている。話したことは無いが同じクラスなのだ。
いつも姿勢が良くて真面目で寡黙という印象。凛とは幼なじみらしく二人で仲良さそうに話しているのはよく見るが、凛がいない時はいつも静かに本を読んでいる。
「はい、新入部員その一、
今日の授業が終わり、軽音楽部はミーティングをしていた。部員を座らせ、前にはコウさんと二つの新しい顔が前に立っている。二人は正反対といった様子で片方は堂々と、もう片方はオドオドとしている。
「この子すっごくギター上手だったから期待度マックス! んじゃ次、どうぞ!」
は、はい。彼女は、か細い声を出して半歩前に進んだ。
「えっと、ベースをしてます、葵ちゃんとは幼なじみです、その、よろしくお願い、します。」
名前名前、とコウさんがこちらまで聞こえるコソコソ声で伝えている。私も人のことは言えないが彼女も自己紹介が苦手なのだろう。今初めて会ったが、なんだか親近感がわいてしまう。
「あっ、
アジアンビューティな黒髪を長く伸ばし、前髪を目元辺りで横に切りそろえている。日本美人だ。俯いてはいるが、熟れた柿色に染まった顔がその奇麗な髪からちらりと見えている。
「にゃはは、恥ずかしがり屋だねぇ、でもでもベースは凄い上手だからね! 期待の新星が一気に二人も来て私ゃ嬉しいよー!」
跳ねて喜ぶ部長、無表情で立つ栗江葵、下を向き耳を真っ赤にする上島咲。なんというか、賑やかである。
「ほらほら葵ちゃん、私の貸してあげるからさ、弾きなよ弾きなよ」
扉が開かれたままになった狭い防音室で、コウさんは飼い主に構ってもらって喜ぶ猫のようににゃはにゃはと笑っている。
ギブソンのレスポール。ギターに詳しくなくてもこれだけは知っているという人も多いと思う。アニメや映画でもよく見かける、ものすごく有名なギターだ。
彼女が手に持っているギターはそれである。真ん中は黄色っぽい木の色、そして外に行くにつれて暗くなるグラデーション、確かハニーバーストとかいう名前の色だ。10万はくだらないであろう、高価なギターである。
「……分かりました、じゃあ」
ドラムには凛が座っている。凛と新入部員たちの三人は幼なじみで、会った途端嬉しそうに話していた。楽しそうに笑っている栗江を見たのはその時が初めてかもしれない。
その隣ではコウさんのバンドの人だったか、先輩が上島に強引にベースを持たせている。
そして私も赤のギターを腰の高さで構えている。何故かコウさんにギター持って来てと呼ばれたのだ。ちょっと音を合わせるんだろうが三人仲が良いんだろうし、私がいなくてもいいんじゃないだろうか。
「別に三人でも良くないですか」
栗江から私に冷ややかな視線が送られた。
幼馴染組からはじき出された、非常にアウェーな感じ。思っていた事をそのまま言われただけだが、その言葉を受けて少し不機嫌な顔になる。間に慌ててコウさんと凛が割って入ってきた。
「いやいや! 咲耶ちゃんも同じ学年だしギターだし上手だからさ! 絶対気が合うと思ってさ!」
「そ、そだよ葵! リーダーほんと上手いからさ!」
「……リーダー?」
凛は最近、私のことをリーダーと呼んでいる。それが触れてはいけないところに当たってしまったのだろう。
日本各地には古くから鬼を追い払ったり倒したりする行事が数多くある。厄や病気を取り払うためといった意味があるらしく、その怖い容姿で大泣きをする子供たちをテレビなど見たことがある。
彼女からはまさにその雰囲気があった。邪気すらも払うような威圧。何者も寄せ付けないような気迫。
赤髪の下に不敵な笑みを作って、栗江葵は私に向かう。
「じゃあ弾きなよ、リーダー。」
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