5話「努力家と私」

 昼沢萌佳ひるさわ もかです。ごくごく普通の高校一年生ですが、私にはとある特技というか、特性のようなものがあります。

「ねぇーもかちー。お昼食べようよぉー」

 彼女はクラスメイトの小名夕維ちゃん。桃色の、ぱっつんな前髪と小さく束ねたツインテールがめっちゃ可愛いんです。

「ええよー。ほらほら、向かい側座って」

 今日もお弁当を作ってきました。姉がいるのですが、料理は私の仕事です。素敵で可愛いお弁当を二つこしらえました。

 そして私の特性ですが。

「あのねー。相談なんだけどねー?」

 皆さんは人に相談をされたことはあるでしょうか。

 私は数え切れないほど沢山あります。ユイちゃんみたいな友達はもちろん、内気な人、あまり話したことが無い人、かなり年上の人からも悩みを打ち明けられたことがあるのです。

 不思議と相談や愚痴に乗せられること。これが私の特技です。


「なになに?」

 昼休みに入り、クラスの生徒達は半分ほどが教室から居なくなる。残った人は友達と席を繋げたり椅子を移動させたりして、談笑しながらお弁当やパンなどを机に広げていた。窓は開かれ、束ねられたベージュのカーテンが右へ左へと小さく動く。

 私は頬杖をついて、眉が下がる彼女の顔を覗いた。

「実はね、こっちのバンドさ。あんまりやる気ないっていうか、合わないっていうか。私はもっと思いっきりやりたいんだけどね? その……」

 ぽつりぽつりと口から漏れる言葉に相槌をうつ。

 一年生が軽音楽部として活動を始めて早くも二週間が経った。萌佳、凛、咲耶の三人は、六月中旬に開催される文化祭に向けて準備を重ねている。四月があと数日で終わる最近には既に形になってきており、今の所は順調な様子である。

「一万円ちょっとのギターも買ったんだよ? なのにこんなんで良いのかなーって。まあ私たちは文化祭出ないんだけどさ。もかちーの方はどう? いい感じ?」

 様子を伺う彼女にめっちゃいい感じと、ウインクとガッツポーズをしてみせた。すると夕維はいいないいなーと羨ましそうな顔をゆらゆらと横に揺らす。

「なんならまだ二週間しか経ってないんやし、こっち来ちゃう?」

 ええ!? 目を見開いて仰け反る。彼女は普段からオーバーアクションというか、仕草一つひとつが見ていて面白いのだ。

「いやいやいや、私初心者で全然弾けないし! その、足引っ張るだけだし……」

 ものすごい勢いで手と顔を横に振り、かと思うと顔を伏せてしまう。

 そんな彼女に私は笑ってみせた。机から身を乗り出して正面の夕維に体を寄せ、両手で優しく頬を挟む。

「ユイちゃんはどうしたいん?」

 彼女は驚いた顔で私を見上げた。

 三秒ほど経ったところで手を離す。座り直しながら、うち達はいつでも歓迎したるからと再びにかむ。すると心なしか、彼女の表情が柔らかくなった。

「ありがと、もかちー。あと、あのね?」


 春の教室。桜が散り始め、新しい緑色が顔を覗かせる窓。

 そんな教室で私たちは、昼休みが許す限りの時間いっぱいまでお話をしました。



―――――――――――――


 私は昼沢萌佳。よく悩み事を打ち明けられるという特技がありますが、私にはもう一つ特技があります。

「にゃはは、上手い上手い! こりゃ将来有望な一年ですなぁ」

「照れますわぁ、ありがとうございます、コウさん」

 部長の御山香さん。皆この人のことはコウさんって呼んでます。茶色がかった髪は、あまり手入れはしてないといった感じに肩まで無造作に伸ばしてますね。キレイにしたら絶対可愛いのに。

 ベースを弾けること。これが私の特技です。中学二年生頃からインターネットなんかの情報で練習しています。そんなに上手ではないかもですけど、やっぱり楽器が弾けるってカッコいいですよね!

 そしてこれは一年前に姉から譲ってもらった、白のボディにベッコウ柄ピックガードのジャズベース。自慢の相棒です。コウさんに弾いてるところ見せてと言われて、さっきはちょっと頑張っちゃいました。

「あ、そういえば咲耶ちゃんもベースできんだっけ、萌佳ちゃん貸したげれる?」

「もちろんいいですよー、さくやちゃんベースもできるんやね!」

 同じバンドのギター担当、青山咲耶ちゃん。クラスメイトの親友で、頼りになるバンドのリーダーです。ふわふわしたパーマの青髪がめっちゃ可愛いんです。

「なんか適当にやってみましょか。おお、高そうなベースだ」

 そう言ってさくやちゃんはおもむろにベースを指で弾き始めました。


「咲耶ちゃん。天才じゃーん? ギターもベースも先輩負けちゃうよー!」

 にゃははとコウさんは愉快そうに笑う。その一方で、私の表情筋は氷河期を迎えていた。

「さ……さくやちゃん、ベース上手やなぁ」

 引きつった笑い顔をなんとか作る。

 ……ショックだったのだ。彼女の演奏が、ベース担当である私よりも五倍くらい上手だったことに。

 この時、萌佳は強く思った。

 このままではいけない、と。



「萌佳、あんたほんとにやんの?」

「覚悟はとうに決めてます! お姉様!」

 私はベースを黒のバッグに入れて背負い、姉の通う大学の校門前にいた。高校とは比べ物にならないくらいの豪華な建物と広い敷地が視界いっぱいに広がっている。

「お姉様ってやめなよ……まあついてきて」

 ため息をつく姉が私の前を歩き始めた。

 姉は三週間ほど前に大学一年生になった。今年の春から姉妹揃って進学したというわけだ。大学にも慣れ始めた様子で、美術系のサークルで絵の練習をしているらしい。しかし私の目的はその絵ではないのだ。

 姉には古くからの男友達がいるのだが、彼はベーシストでとてもベースが上手だという話を耳にした事がある。つまり、私の目的は彼に教えを乞う事。

「おー、昼沢! っと、話は聞いてるよ。初めまして、確か妹の……」

「うちにベースを! 教えてください!」

 甲高い声が石畳の中庭に響いた。散歩を楽しむ鳩が、羽を散らしながら慌てて飛び去る。


「あー、まあ、気にしないでな、必死って事は分かった」

 いかにも男子大学生といった風貌の彼に苦笑いで気を使われている。顔が熱い。爆発しそうなくらいに。いっその事、全てを道連れにして爆発してしまいたい。

「紹介しとくけど、コイツは軽音楽サークルのあお…」

「その名は違う!」

 急に立ち上がり、俯いていた私の肩が跳ねる。そして彼はキメ顔を作った。

「俺の名は、コーヒー大好き豆太郎! だ。」

 また始まったよとでも言いたげな顔で、姉は大きなため息をつく。この人、少々変わった人だ。私もあっけに取られ、顎が重力に逆らえず口は半開きになる。

「んじゃ蓮、萌佳をよろしく」

「任せな、なんたって俺は……」

 その言葉を待たずに姉は足早に防音室から出ていき、乱暴に重たいドアを閉めてしまった。

 予想外の展開だ。覚悟はしていたが、まさかここまで飛び抜けた変人と二人きりになってしまうとは。

「はぁ。んじゃまぁ、始めるか弟子よ! ちょい弾いてみ?」

 言われるまま荷物を下ろしベースのセッティングを始める。すると変な彼は一目散にドラムに座って、確かめるように音を出した。

「あ、あれ? ベース担当やないんですか?」

「俺は凄いのでドラムも出来まーす!」

 問う私に、完璧なドヤ顔が返信された。日頃からベースやドラムと一緒にドヤ顔の練習でもしているのだろうか。

「あー、その、さ。話変わるけど、上達する為に最も重要な事ってなんだと思う?」

 ふざけているかと思ったら反対に真面目なトーンで質問をされた。温度変化に戸惑う私は、準備をする手を止めて考える。

 上達する為に重要なこと。

「やっぱり練習量……とかですか?」

「まあー、四割は正解かな、継続は力なりってな」

 でもそれより大事な事があるんだ。ドラムのスティックをクルクル回しながら続ける。

「それはね、楽しむこと。だよ」

 しょうもない事だと思うかもしれない。でも楽しいから俺達は音楽をするし、楽しいから努力も惜しまずに、迷いなく全力で時間をつぎ込めるんだ。

――楽しむこと

 無意識のうちにそれを復唱する。少し前から焦っていたのかもしれない。もっと上手にならないといけない、みんなに遅れてはいけない。振り返るとそんなことしか考えていなかった気がする。

「楽しむ事……」

 噛み締めるようにもう一度呟く。

「そ。一人でベース弾くよりさ、ドラム居た方が楽しいっしょ?」

 彼はにひひと笑ってみせた。そして少しの間をおいて、彼はタタンとスネアから乾いた音を出す。

「じゃ、合わせてみない?」

「やります!」

 ドラムに目線を向ける。もう迷いは無かった。

 グルーヴィーなドラムが先行し、私はただ直感で指を動かしてそれについて行く。



「萌佳どうだった、今日は」

 すっかり暗くなった住宅街、背中にベースを担いで姉と歩く。

「うん、色々掴めたわ」

 なにやってたん? と姉が聞く。今日やった事といえば……

「セッションとかしたり、好きなアーティストの話したり。あと、この曲のベースラインが神とか言い合ったり……」

「え、なにそれ」

 ものすごく心配されているような声と表情をされた。

 私がするべきこと。それは音楽を楽しむ事。

「まあ見ててや、頑張るから」

 全力で音楽を楽しむ。これが私のすべき事だ。





「ねー、お兄今日何してたの? 休日に出かけて」

 ぼっちなのに。

 夜の自宅。咲耶は眠たそうな目で、テーブルに座って携帯を触りながら煽るような口調で質問を投げかけた。

「俺は充実してるから。休日も忙しいんだわー」

「へー。」

 自分で聞いておいて興味無さそうに返事を返しながら、音楽SNSの、ロースト・ミュージック・カフェに付けられたコメントを確認した。

「うわ、クマグミさんどしたの……テンション高いなー」

 落ち着いた温度になったコーヒーをすすりながら、沢山の絵文字が流れる画面をスクロールさせる。

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