4話「デザートと私」

「お前最近、学校どうなん?」

 時刻は午後七時。現在私は、自宅の一階で兄と夕食を取っている。ダイニングキッチンがある、余計な物が無くさっぱりとしたリビング。テーブルに美味しそうに並べられた料理からは食欲をそそる香りの湯気が立っている。

 青山家は父と兄と私の三人で暮らしている。母は音楽家で海外出張が多く、滅多に家には帰らない。父も夜遅くまで仕事をしているので、料理のほとんどは兄が行っている。私は、全く出来ない。料理は苦手なのだ。

「別に普通だけど? お兄は新しい大学生活どうなの」

 恐らく彼は私の心配をしているのだろう。

 中学生の私は帰宅部で、帰宅すると兄から漫画や小説、CDなどを借りていつも一人で過ごしており、引きこもりがちだった。

 最近の私はそれから随分と変わり、夕方まで部活をし、それが終わると陽が落ちるまでお茶やショッピングを楽しむ毎日だ。とても充実している。心配ご無用だ。

 青山蓮あおやま れん。深い青色をした短いマッシュヘアーにキレイ系のファッション。いかにも大学生というような容姿である。

 料理や掃除なんかは全て任せているし、ある程度は頼れる世話焼きな兄。私の三つ上の大学一年生であり、この春から兄妹揃って新生活が始まったというわけだ。

「ほら、軽音楽部入ったんだろ? 実はな、俺も入ったんですわ」

「まあそうだろうと思ったよ」

 あんたの方が心配なんだけど。私はおかずを口に運びながら続ける。

「ほら、バンドは組めそうなの? お兄コミュ障だからさ」

「うるせぇよ」

 その言葉に不貞腐れながら、彼は温かいご飯を勢いよくかきこんだ。

 兄は生粋のコミュ障である。特に人見知りが激しくて、初めて会う人には全く話せなくなるか、無理にテンションを上げてバカみたいに振る舞い距離を置かれるかの二択しかない。どうしてそうなるのか理解できないが。

 そんなだから全く会話が弾まないか、「やばい人」と烙印を押されてしまって二度と話しかけられなくなるかのどちらかで、いつもそれっきりになってしまうらしい。普通にすればいいのにと思うが、彼にとっては難しいことなのだろう。

「やっぱりドラムやってる人が少なくてさー。超貴重だよなドラマーって」

 初めての楽器、一人で選ぶとどうしてもギターやベースを選んでしまうのは私も分かる。キーボードも、ピアノを習っていた人がバンドに誘われて始めるというのはよく聞く。しかし、ドラムを選ぶ学生は少なく感じる。値段や家での練習時に発する音や振動が大きく、他の楽器より一段階ハードルが高くなるのも原因なのだろうか。

「私の周りはドラム問題まあなんとかなりそうかな。周りに経験者居るし、まあ最悪私がやってもいいし」

 お前楽器なんでも出来るもんなと羨ましそうな目線を向けられた。そういう兄もドラムはある程度叩けるし、なんなら私より上手である。しかしバンドのパートはベース以外に考えていないらしいのだ。

「そういや父さんはまだ仕事なの?」

「だな、夜まで頑張ってますわ」

 この家は地下一階から二階まであるのだが、一階の半分近くを改造して喫茶店を経営している。アルバイトを雇うほどではないが一人では忙しいくらいには繁盛しており、私と兄は忙しくなるといつも手伝いに駆り出されるのだ。

「ふう、ごちそうさま。コーヒー淹れるけど?」

 最近の私は食後のデザートのためにご飯を少しだけ軽く盛るようにしている。今日は駅前で買った、いつもよりほんの少しだけ高めのチョコレートが待ち構えている。

「かわいい妹の淹れるコーヒーなら何杯でも飲めるな」

「カフェインの致死量どこか、試してみる?」

 あほか。湯気の上がる白米を咀嚼しながら冷たくあしらわれた。



「ふーんふふーん、っと」

 夕食をすませた私に、一日のうちで一番リラックスできる時間が訪れる。

 リビングから階段を上った先にある、北欧風な家具が並んだ私の部屋。赤のギターと黒のベース、そして鍵盤。見栄え良く並べられている楽器たちがコントラストとなっている。

 壁に沿うようにして置いてある机に向かって私は深く座っていた。地下一階にある、喫茶店の倉庫から拝借した豆で淹れたコーヒーと、帰りに買ったチョコレート。去年奮発して買った新型のPCと、なかなかに良い値段がしたヘッドフォン、そしてそこから流れる心地いい音楽。

 「ロースト・ミュージック・カフェ」という音楽SNSサイトがある。ここでは誰もが自由に音楽を作って公開することができ、コメントや共有機能なんかも備わっている。頭文字を取って「RMC」と省略される事が多い。

「さてさてさってー」

 私の名前は青山咲耶。しかしここでは「くろまめ」、それが私の名だ。

 くろまめと名乗り始めた理由はよく覚えていない。アカウントを作った三年前の私に聞いてみたいものだ。

「わあわあ、コメントたくさんだ」

 昨日の深夜、ベッドに入る前に曲を一つ公開していたのだが、その楽曲に十人ほどから感想が送られていた。私はそれをひとつずつ噛み締めるように読んで返信する。その中にはいつも兄のアカウントが並んでおり、毎度のごとく丁寧で的確な感想が述べられていた。直接言えばいいのに、やはり兄は変人である。

 作曲歴はもう三年以上になる。きっかけはなんだったか、これも三年前の私に聞くしか答えを得る手段は無さそうだ。

 それからずっとこのサイトで活動しているのだが、なかなか評判も良くて、今ではここにいるユーザーの中堅くらいには高評価ボタンを押されるようになった。ちょっとした有名人の気分である。

「おっ、ホシナさんのコメントだ。盛り上げ方が素晴らしくて感動しましたと、ふふふ……」

 RMC内で気の合う人物、ホシナコロノさん。この人も音楽を作っていて、ジャズに電子音やラテンっぽさみたいなものを融合させたような雰囲気がある。ジャンルで言うなら確か……そう、ジャズフュージョンみたいな。

 チャットで話すようになったのは、私がPCを新調した一年ほど前から。実名や年齢は知らないが、ホシナさんの奏でるシブい音楽が私は好きで、素敵なオジサマなんだろうなと勝手に想像している。

 感想が書かれたコメントから何気なくホシナさんのページに飛ぶと、丁度数分前に投稿された新しい曲があった。

 右手に力が入った。誰かに取られる訳でもないのに、慌てて三角の再生ボタンにカーソルを合わせる。

 優しいピアノの旋律がヘッドフォンから響く。それは少しずつフェードアウトしていき……かと思ったらドラムとベースが入ってきて、金管楽器の音、シンセサイザー、それにパーカッション。全てが溶け合ってひとつになる。

「いいなぁ、いいっすなぁ……グルぶってます、最高です、っと」

 グルぶってる。私が良く使う言葉だ。グルーブとはリズム体のノリなんかを指していて、それが素晴らしいからグルぶってる。自分で言うのもなんだが私はかなり気に入っており、ちょっとだけでも流行らないかなだなんて淡い期待を抱いている。

 素敵な音楽を聴きながら自分のトップページに飛んでみる。すると新しく一つのコメントが付けられていた。

「ふんふん……ふふ、べた褒めですなぁ」

 ホシナコロノさんのリアルでの知り合いらしいクマグミさん。ホシナさんの曲のドラムを叩いており、この人もグルぶっているドラムを叩く。私とはよくチャットをする仲で、いつも顔文字を沢山詰め込んだ可愛い文章を送ってくれるのだ。

「よしよし、ふふ……よっと」

 上半身を前に倒して椅子から立った。この時間は独り言が多くなるが、誰かに聞かれる訳でもないし特別気にはしていない。

 私はギタースタンドに架けられた真っ赤なギターを左手で優しく掴み上げた。エピフォン社のカジノクーペという名のギターだ。エレキとアコースティックギターの中間のような見た目で、丸っこくて可愛らしく、かつ気品に満ち溢れている。

 よいっしょと勢いよくベッドに腰掛けると、体がバネで上下に数回揺れた。ピックで弦を弾いてチューニングを始める。手を添えて集中すれば音の揺れで正確に調律をすることができるのだ。

 私はいつもの様にそれを優しく抱き、気の行くままに奏でる。

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