【アナザーストーリー】由芽・4日前
~由芽編6話以降のアナザーストーリーです。本編6話以前の内容を確かめた上でお読みください~
「正しいかどうかなんて関係ないんじゃないかな」
午後のキャンパスのベンチで、秋穂ちゃんが紙パックのイチゴミルクを飲みながら呟く。頬を切りそうな冷たい空気がそこかしこに張りつめていた。何があっても彼女はいつもその場から動かない。動じない心が頼もしくもあり、憧れでもある。
「問題はさ、由芽がどうしたいかなんじゃないの?」
「わたしは……わたしは」
秋穂ちゃんが横並びに座っていたベンチの隣からわたしの手を握る。
「由芽、わかるよ。どっちを選ぶか難しいよね? 人によっては浮気した森下くんを選ぶなんてバカげているって言うと思うけど、ずっと好きだった人を選びたいって自然なことだと思うよ。浮気が許せるなら、だけど……」
自然に涙がこぼれる。秋穂ちゃんだけでもわかってくれてうれしい。結局わたしは要と別れることが辛いんだ。ずっと隣にいた要と、前のように笑い合えるなら……どんなにいいだろう?
「原田くんのことは、さ……。彼には悪いけど、それは彼がどこまでがんばるかによるからなぁ。でも少なくとも由芽がこんなに悩むくらいは原田くんのことも好きなんでしょう?」
彼女はちょっとにやにやした。わたしは頷いた。
「あー、贅沢な悩みだなぁ。わたしもそんなことで悩んでみたいな。しかも一人は超イケメンだし」
「……秋穂ちゃん、そればっかりだよ」
「わたし、フリーだったら原田くんに絶対惚れちゃうと思うよ? ていうわけで、原田くんに一票」
そうなのかなぁ、と思うと気持ちが下向きになる。わたしにはあんまり容姿のことは関係なくて、でも原田くんにはそれ以外にもいいところがいっぱいあるのを知り始めている。彼を好きになっていく自分がいるのはよくわかっていた。
「由芽、そんなにブルーにならないでよ。さっき言ったじゃん? 森下くんを好きな気持ちもわかるって。わたしだって
「……秋穂ちゃんも?」
「そうだよ。だってこんなに好きなのに、いきなり全部捨てて嫌いになれる? まず、相手の女から優太を取り戻すことから考えると思うよ。浮気したらそんな男、切っちゃえっていう人が多いけどさ、自分の『好きだ』って気持ち、そんなに簡単に捨てられないんじゃないかな」
「そうなのかな……。ありがとう、秋穂ちゃん」
「よーく考えてね。どっちも由芽が好きなんだから、結論が出るまで待ってるよ」
秋穂ちゃんが言うと、何故かその言葉は真実味を帯びてくる。こんな友だちを持つわたしは幸せ者だと思う。
「浮かない顔だね」
「うん……」
彼はわたしの目をちょっと覗き込んで、わたしにようやく聞こえる程度の小さなため息をついた。
「寒いんじゃない?」
「ううん、そんなことないよ」
手を繋いで、スーパーまでのわたしには通い慣れた道を原田くんと歩く。「寒くない」と答えたけれど、コートを着てマフラーを巻いてもまだ寒い日だった。吐く息が白い。
「由芽ちゃん、僕といて無理してない?」
そんなことないよ、と間を置かず答えるべきだった。でもわたしはそこで息を飲んでしまった。彼は困った顔をして微笑んだ。
「無理してるよね、わかってる。……でも、許されるならまだそばにいてもいい?要が戻るまででいいから」
「そんなの……」
「僕は由芽ちゃんを好きだから。多少、辛い思いをしても、君といたい。君が要といたいように」
立ち止まって、背の高い彼の目をじっと見つめた。そんな風に思わせていたなんて……。片思いは身を切るように辛い。わたしがよく知っている。
「そんな顔しないで」
彼のやさしい手がわたしの頬を包む。戸惑いながらわたしは彼の手に触れる。彼が割れ物のようにわたしに触れているのか、わたしが彼をそうしているのか、どちらかわからない。彼は、硝子細工のように繊細な人だ。
「さあ、今日のご飯は何にする?」
「えーと、オムライスとかは?」
「いいね。じゃあ僕が卵担当ね」
「え、決めるの早すぎる」
「いいでしょう? 卵、焼くの得意なんだ」
こんな小さいことでも要とは全然違う……。要と原田くんと、どっちといる「わたし」が自然なんだろう?原田くんにもたれかかって、頭を撫でてもらった。暖かい。
ふざけながらよく温めたお風呂でふたりで遊んでいると、「冷えるから温かいうちに先に上がって、髪の毛乾かさないと」と急かされる。わたしの「彼氏」は細かいところに気が回る人だ。
スマホの通知ランプが点滅してるのに気がついて、乾かした髪がまだ温かいうちにスマホを開く。
『元気? 会いたくなって』
要の部屋はわたしの部屋からほど近い。「会いたい」と言われて「会おう」と言えばすぐに行ける距離だ。「会いたい」とは容易に言えない……。
『ごめんね、お風呂から今出たとこで』
『そっか、なら湯冷めするといけないよな。じゃあ良かったら明日、お昼に学食でどうかな?』
うん、と打つことに
「どうしたの?」
原田くんもお風呂から出てきてタオルで髪を拭いていた。
「あのね……」
「うん、要?」
そうなの、要なの。あなたの言葉をわたしは待っていて。
「会うの? 由芽ちゃんが会いたいなら僕は構わないよ。まだ『17日』になってないし」
「嫌じゃない?」
「嫌だよ」
後ろからふわっと抱きしめられる。お風呂から出たばかりの彼の体は微熱を帯びているように熱い。
「要と会ったりしないでって言いたい。でも『17日』は由芽ちゃんと要にとって、大切な約束なんでしょう? 僕はその『17日』を越えて、きちんと由芽を僕だけのものにしたいんだ」
「由芽。怒った?」
「ううん。……夏生くん」
「呼び捨てでいいよ」
やさしいトーンの声で、初めて名前を呼び捨てにされる。そうしてわたしもこそばゆく感じながら、彼の名前を呼び捨てにする。名前ひとつで何かが変わっていく。そうしてわたしは「彼の彼女」になっていくのかもしれない。
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