【アナザーストーリー】由芽・5日前

 ~由芽編6話以降のアナザーストーリーです。本編6話以前の内容を確かめた上でお読みください~



 パスタを作ったりふたりでふざけて過ごしていたらあっという間に冬の夜は訪れて、わたしたちを隠してしまった。ふたりで食べるナポリタンはなかなかいい味で、わたしがタバスコをどっさりかけてしまって大いにウケた。辛いところはほとんど原田くんが「辛い!」と涙をこぼしながら食べてくれた。

 原田くんは着替えもないので「一度、うちに帰るよ」と言った。急にわたしはさみしさに襲われて彼にしがみつく。彼は「仕方ないな」という顔をしてわたしの額に小さくキスをした。「早く戻るよ」と約束して、帰って行った。

 それから小さなことでもメッセージをくれる。わたしがさみしがらないように。例えば、小さいネコが歩いていたとか、変な画像がついてたりとか、なんかそういうようなこと。


 午後になってルーム用の靴下を履いてこたつでテレビを見ていた。他に特に趣味もなかった。原田くんが戻ってきたときのために少しだけ掃除をする。彼といると無理しないで済む……。そのままの自分が受け止められていると感じていた。 うとうとしているとスマホにメッセージが入って、あのお日様みたいな人から届いたのかもしれないと、スマホに飛びつく。


『明日は忙しい? 一息に荷物を持っていこうと思って』


 要からだった、原田くんという新しい王子様を手に入れても、やっぱりこういうことは悲しい。


『うん、大丈夫だと思う。原田くん、いるかも』


『構わないよ。全部、自分のせいだし。原田が由芽を好きなのはずっとわかってたことだからさ』


 ……わたしは考える。別にわたしのことなんか惜しくないのかなぁ? 追いすがられても微妙だけど、さっぱり飲み込まれるのもなんだか飲みくだせない。


「わたしのことはもういいの?」

 どうせ最後なら、それを一番に聞きたい。




 チャイムが鳴って、原田君が荷物を持って現れた。何日間泊まるのか、それとも冬物だからかさばるのか、とにかく大きな荷物だった。

「少しずつ、移住だね」

 わたしたちは顔を見合わせて笑った。と、同時に要のいる場所がどんどん減っちゃうなぁとぼんやり思っていた。

「あのね、来てくれて早々、言いにくいんだけど……」

「どうしたの?」

 彼はわたしの頬にまだ冷たい手で触れた。ここに来るまでにこんなに冷たい空気にさらされていたんだと申し訳ない気持ちになる。

「要が来るから……」

「ああ……そこのファミレスで時間潰してようか?」

「ごめんね」

 彼はわたしを切ない瞳でまた見ると、あの日のようにくいと腕を引いて、わたしを抱きしめた。

「相手が要だと勝ち目ないけど、お願いだからふわふわしないで」

 ふわふわ……そんな風に彼からは見えるのか、と少し残念に思った。




 原田くんは本当に出かけてくれて、わたしは部屋を少し片づける。今日は直接、うちに来るらしい。テーブルもカウンタートップも拭いたし、これでいいだろうと思った頃、チャイムが鳴る。

「これさ、由芽の好きな物。……チャイム押して入るなんてなんか久しぶりだなぁ」

「……開けていい?」

 中からは中華まんがふたつ湯気を上げてでてきた。

「うわー。ね、味は何?」

「あんまんと肉まん」

「んー、オーソドックスだね。わたしあんまん」

「あ、選ぶの早っ。普通、相談してから決めない?」

 沈黙が訪れる。まだ熱いあんまんが手の中で冷めるのを待つ。裏側の紙をペリっと剥がすと、そこについていた水滴がぽたんと落ちた。

「……原田とは上手く行きそう?」

「そんなのわかんないよ」

 素直な感想だった。2、3日で人の心は変わらない。

「大島さんとは?」

「その話、あんまりしなかったけどさ、玲香はオレ自身にはあんまり興味無さそうだから。由芽にこんなこと言いたくないけど、体だけの関係だよ」

「……」

 また沈黙が訪れる。わたしはあんまんをできるだけ大きな口で頬張った。あんこの甘さが口の中いっぱいに広がって、話していることとは別に、しあわせな気分になる。

「すごく今さらだけど、まだやり直せる? オレたち」

 何を言っているんだろうと彼の目を見ると、こちらが怯むくらい真剣で避けようもない力を持っていた。

「やり直すってどんな風に? 例えば要は原田くんに抱かれたわたしを許せるの?」

「由芽に、原田のことを忘れさせるよう努力するよ」

「大島さんときちんと別れられるの?」

「玲香とは別れる。もう決めてるから」

 わたしは次の言葉が継げなくなって、なんだか悔しいみたいな不思議な気持ちになって涙がこぼれた。

「……なんで?」

「由芽を失っちゃいけないって気づいたからだよ。今さらだよな? 勝手だと思うなら、殴っても罵倒しても追い出してもいいよ」

 わたしこそ、道端に捨てられた毛並みの悪い子猫のようだった。雨が弱く降る中、ぶるぶると体をふるわせて誰かの善意を待っている……。行先は保健所かもしれないのに。

「あと5日、17日目まで一緒にいない? いや、その日までは一緒にいたい」

 要のよく知った厚い手のひらが頬に届いて、わたしの涙を親指で拭いていしまう。その手のひらにすべてを預けたい気持ちになる。どんなに酷い目にあっても、好きだった男というのは好きな男なんだ。

「とりあえず一旦、帰るよ。こんなこと急に言ったってすぐには飲み込めないよな」

 と要はわたしのいちばん好きな笑顔でそう言った。要を好きなわたしは案外、まだ近くにいるのかもしれないと怖くなって、あの王子様にメッセージを入れる。


「由芽ちゃん」

 玄関まで走って行って抱きつく。すごく恥ずかしい行為だとか、そんなことを気にしてはいられなかった。

「由芽ちゃん、……泣いてるの?」

「要が……、要が」

 原田くんはわたしをイスに座らせた。

「由芽ちゃん、僕は反対する気はないよ。君が望む方でいいから」

 どうして何も言わなくても、全部わかっちゃうんだろう? 彼はわたしの前にしゃがんで、わたしの顔を覗き込んでいた。テーブルの上に、さっき食べた中華まんのビニール袋が置き去りになっている。

「……それでいいの?」

 まるでもう心を決めたかのようなセリフを言ってしまってハッとする。彼はゆっくり立ち上がると、わたしを抱きすくめた。

「良くないよ。由芽ちゃんの選択なんて信じない。僕は二度と君を離さないよ」

 離さない……甘美な響きを持ったその言葉が耳の奥でリフレインする。わたしもそっと、彼の背中にそろりそろり腕を回す。彼の中にあるさみしさをわたしが癒せればいいのに……と、今さらのような気持ちでいっぱいになる。

 キスをされる。わたしもし返す。

 彼が服を脱ぐ。

 わたしも服を脱ぐ。

 小さな箱のようなこの部屋で、お互いの癒されない情熱をぶつけ合う。それは虚しいことかしら? ひどく寒いことのような気がして、熱い彼の腕の中で凍えそうになる。

「由芽ちゃん……」

 彼の吐息を受け止めて、軽く目を上げる。

「無様でもなんでもいいよ。だから、もう二度とどこにも行かないで」

「原田くん……」

 何が正しいのかわからない。


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