【原田くん編】17日後(7)

 秋穂ちゃんから連絡が入る。


『お昼休み、一緒にどうかなぁ?』


 断る理由はなく、イエスと返事をする。




 約束をした図書館前に歩いていく。前方に秋穂ちゃんの姿を見つけて小さく手を振る。小走りに駆け寄ると彼女は笑った。喜怒哀楽のはっきりした人だ。

「秋穂ちゃんにプレゼント」

「うわ、由芽に聞いたよー。わたしも原田くんのヨーグルトもらえてうれしい」

「大袈裟だなぁ」

 僕は、そんな小さなことも彼女は秋穂ちゃんに教えていたのかと、彼女のいないキャンパスで思った。

「森下くん……由芽さぁ、休んでるでしょう?知ってるよね?」

「ああ、まぁ、一応」

 秋穂ちゃんは僕に気の毒そうな顔をした。

「由芽となんかあった?」

「え? 何も」

 由芽ちゃんは秋穂ちゃんに何も話してないのかとありがたいような、そうでないような気持ちになった。話すほどのことでもなかったんだろうか? 僕には一大事だったのに。

「そっかー。じゃあ、聞かないでおくよ」

「……キスしたんだよ、あの日」

 彼女は「え?」という声を飲み込んだ。

「え……あー、それでどうしてこうなったの?」

 もう顔を上げてはいられなかった。自分のしたことに後悔しかなかった。あの時、由芽ちゃんの心を動かせると思ったのは誰だったんだろう?

「なんでかな。やっぱり由芽ちゃんの気持ちは僕に動かなかったってことだよ」

「それってさ、切ないね……」


 食後に軽く生協の周りを散歩する。木々の紅葉は終わって、道には大量の落ち葉だけがふり積もっていた。

「わたしは原田くんを応援してたんだけどなぁ」

「ごめんね、不甲斐なくて」

「そうじゃないよ。あの子、変なところで頑固だから」

 秋穂ちゃんの言葉が僕を慰めてくれているようで、ますます切なさが募った。

「あのさぁ、この間言いかけたことなんだけど。1年の時、秋穂ちゃんと由芽ちゃんは『心理学A』取ってたよね?」

「え? なんで知ってるの? ……って、もしかして一緒だった?」

「うん。要が由芽ちゃんのこと、好きだって言うからさ、あの子じゃないかなぁっていつも見てて」

 秋穂ちゃんはちょっと驚いた顔をしていた。まさか僕の片想いがそんなに長かったとは思わなかったのかもしれない。実際、そんなプラトニックな片想いなんて最近は流行らないのかもしれないし。

「そうなんだー。ごめんね、気がつかなくて……」

「秋穂ちゃんを悪者にしたいわけじゃないよ」

「そっかー。……本当に由芽は何も見えてないなぁ。あーあ、こんなに一緒にいてもわかんないことってあるんだね。まだ森下くんと一緒にいたいって思う由芽の気持ちがわからないよ」

 それは同感だった。あんな思いをしてまで要を選ぶ由芽ちゃんの一途さは想像できなかった。思ったより彼女は芯の強い女性だった。

「要の気持ちもわかんないよ。今さらどの面下げて由芽ちゃんのところに帰れるのか、さぁ」

「本当にね」

「本当にね」

 僕と秋穂ちゃんはまるで長いこと友人だったかのように、僕たちを振り回した恋人たちを罵って怒ってみせた。それは小さな遊びで、僕の心を幾分かほぐしてくれた。

「……わたしがフリーだったら、原田くんの彼女に今、立候補するんだけどさ」

「しないんでしょう? 知ってるよ」

「んー。でも、原田くんのことは大好きだよって、少し照れるな」

「僕も秋穂ちゃんのこと、大好きだよ。……やっぱ照れるね、恋人同士でもないのに」

「でもさぁ、男女の友情もあると思うんだよね」

 秋穂ちゃんはおどけて笑ったけれど、その笑顔はとても明るくて温かく僕たちの友情を包んだ。

「今ごろあのふたり、何してるんだろうね? て言うか、17日目に別れるなんてもうないよね?」

「たぶんね。要は由芽ちゃんとを戻したいみたいだったよ。あんなことしたのにさ」

「なんか頭にくるけどさぁ」

「言いたいことわかるよ。それで、由芽ちゃんがしあわせになるならいいんだよね? ……まったく僕たちはお人好しだ」

 秋穂ちゃんと手と手をパチンと合わせてお互いの学部棟へ帰る。好きな人は失ったけれど、新しい友人を手に入れた。ここからまた新しい道を歩いて行こう。




『原田、いろいろ迷惑かけたけどやり直せそうだよ。ありがとう』


「17日目」に、要からメッセージが来た。僕はぼんやり部屋でベッドに転がっていた。


『どうやったの? あんなにこじれてたのに』


『玲香がフッてくれたんだよ。由芽はずっと待っててくれてさ』


『あんなにいい子はいないよ。大切にしろよ』


『うん。もう迷惑かけないようにしないとな』


 まったくな……。

 これで僕の出番はなくなった。由芽ちゃんの心は結局、何があっても要のものだった。いつだか秋穂ちゃんが言っていた通り、彼女は相当、頑固だ。頑なに自分の守りたいものを守り通す。そう、僕の気持ちをなかったものにしたように。

 二度と手に入ることのないものを思って、天井をじっと見つめた。涙が頬に線を描く。




 昼休み、購買に向かって要と歩いていくと由芽ちゃんに会った。今日は秋穂ちゃんの姿は見えなかった。

「由芽ちゃん、何もかも上手く行ってよかったね」

「原田! オレより先に由芽に声かけるなよ」

 すっかり元鞘に戻った要はまるで亭主関白だ。まるで自分のしたことを忘れてしまったかのようだ。ちょっと意地悪をしてやろうと考える。

「でもさ、僕とつき合った方が良かったかもよ? 外見いいし、背も要より高いし、おまけにやさしかったでしょう?」

「原田……由芽に何した? 自爆って何したんだよ?」

「え、キスしただけだよ」

 その後、要はずっとブツブツ言っていたけれど、自分がそれ以上の浮気をしたことは自覚しているらしく僕に殴りかかったりはしなかった。

 ふたりが元鞘に戻ってからも大島玲香は大人しかった。あのイヤらしいネイルはどういう心境なのかすっかり落として、長かった爪はキレイに短く整えられていた。要との恋愛で彼女がそこまで変わったのだとしたら、ヤツは大したものだ。要の浮気は許せるものでは無いけれど、そこだけは感心した。


 僕は心の中に彼女への気持ちを失って空いてしまったスペースをすぐには埋められずに困っていた。何しろずいぶん長い間、彼女しか見つめてこなかったから。

 でもまぁ、漱石の小説じゃあるまいし、何時までも人の恋人を想ってはいられないよなぁ。

 歩いていれば棒に当たるように、また深い恋に落ちることがあるかもしれない。ストンと落ちたその時に、今度は好きになった順番なんかに拘らず、「好きだ」と率直に言おう。後悔しないように――。




(了……番外編、続く)

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