【原田くん編】17日後(5)
突然スマホにメッセージが届いて驚く。秋穂ちゃんからだった。
『原田くん、今日、由芽の部屋で鍋パーティーするんだけど来られるかな?』
ディスプレイに現れた文字列をじっと見る。由芽ちゃんの部屋? 要と由芽ちゃんが仲が良かった時でも誘われたことがない。
『僕なんかが行ってもいいの?』
『うん、イケメンが必要じゃん? こういう時は』
『こういう時は、って、何かあったの?』
少し間が空いて返事が来る。
『由芽、学校休んじゃって。森下くんが出て行っちゃったんだって』
『わかったよ。ちょっと遅れるけどちゃんと行くからね。お土産、期待してて』
「それで由芽ちゃんのとこ、出たの?」
「出たよ。いられないだろう? ……オレだって由芽を泣かせたくないんだよ」
二人で久しぶりに来た学食のテーブルで頬杖をついて要を見る。もし、要が本当に由芽ちゃんより大島玲香を選ぶというなら僕は由芽ちゃんの支えになりたい。
「お前は大島玲香と遊んでろよ」
「なんだよそれ?」
要にはない特権に、つい誇らしげな気持ちになる。そもそも要の起こしたことが原因なのだから、それについてどうこう言われる筋合いはない。
「僕、今日は講義終わったら鍋パーティーだから」
要の目が一瞬、大きく見開いた。
「鍋」
「そう。秋穂ちゃんと僕で、お前が出て行って傷心の由芽ちゃんを慰めるんだよ」
「それってどうなの? 支度はほとんど由芽がやるんじゃないの? 秋穂ちゃんてあんまり料理できないって聞いてるけど」
「……確かに、読み違えた! なぁ、要、お土産に甘いもの買っていこうと思うんだけど、由芽ちゃん。何が好き?」
彼女についてそういうことは要の方がよく知っていることに軽く落胆する。彼女の好きなもの、嫌いなもの、好きな色、行きたい場所……何でも知りたいのに彼女はいつも向こうを向いていて、僕の気持ちに気がつかない。そう、僕を見ていないというよりその視線は僕を通り過ぎて、僕なんか見えていない。
「由芽は……すごく甘いものは苦手なんだよ。だから、甘さ控えめのにしてやって。生デコよりレアチーズとかアイスケーキとかさ。アルコールはほとんど飲めないから、女の子がよく飲んでる度数の低いジュースみたいなの、買っていくといいよ」
「要、お前は本当に友だちなんだな。見直したよ、ありがとう!」
惜しむことなく教えてくれた要に少しだけ、感謝の気持ちを示す。……すべては要のせいだけれど。
そのまま二人で学部棟に戻ろうとすると、図書館前で秋穂ちゃんがいてイライラした顔で要を睨んだ。あまり良いことが起こりそうにはないという予感がして、ため息をつきたくなる。
「森下くん!」
「由芽の友だちの『秋穂ちゃん』だよね?」
「……」
すごい勢いで秋穂ちゃんは要を呼び止めた。それには要も
「森下くん、さ。もう由芽に関わらないで」
「……由芽のとこは出てきたけど、それだけじゃダメなの? 実質的にはこれでもう接点がないと思うんだけど」
「秋穂ちゃん、要を庇うというわけではないけど、それはすごくデリケートな問題だと思うんだよ。由芽ちゃんと要にしかどうにもできないことがあると思うんだ。だからさ、僕たちはできることをすればいいんじゃない? とりあえず、今日は由芽ちゃんを、さ」
そう、とりあえず鍋でも食べて由芽ちゃんの元気を取り戻さなければならない。彼女の細い肩を思い出して、切ない気持ちになる。
「原田、さっきも言ってたけど、由芽、なんかした?」
「あー」
しまった、言わなければよかったと思っても、口から出た言葉は二度と戻らない。
「由芽、どうかした?」
「……学校に来なくなっちゃったの、とうとう」
秋穂ちゃんが僕の代わりに代弁してくれる。彼女の言葉は僕にも重くのしかかる。
「でも、オレの前では由芽はほとんど泣かなかったし、玲香と別れて欲しいとも言わなかったし……」
「言われなくてもわかることってあるじゃない? 言われるまでわからないのがバカなのよ! 行こう、原田くん。こんなのとつき合ってても時間の無駄」
「待ってよ、秋穂ちゃん。オレ、要とゼミ一緒だから……」
無理に引きずられる形で、要から引き剥がされる。
「由芽の代わりに言ってあげる。『大島玲香なんて大っ嫌い!』、……要くん、わたしは本望じゃないけど、帰ってきてあげて。お願いだよ」
信じられないことを彼女はした。大島玲香は学内でも有名人だ。その彼女を人通りの多い図書館前で罵倒するなんて……そう思って彼女を見ると、頬に涙が線を描いていた。僕は彼女の望むがままについて行くことにした。
「もう大丈夫。原田くん、迷惑かけてごめんね」
泣き腫らした目で、申し訳なさそうに彼女は言った。
「迷惑なんかじゃないよ。僕だってずっとそう思ってたから」
「……大島さんのこと?」
「そう、大島玲香のこと。僕もああいう女はどうかなって思うよ。正直、要がそこまであの女に固執する理由がわかんないよ」
「そうなんだぁ……」
秋穂ちゃんは握りしめたハンカチを、さらに強く握りしめた。
「大島さんがたくさんの男の子と寝てるって噂、本当なの?」
「さあ、真偽のほどは定かじゃないけどさ。わかってるのは、過去に僕も誘われたし、要も誘われたってこと」
「原田くんも !?」
「なんでだかわかんないけどね……」
彼女は俯いて何かを頭の中で整理しているようだったけれど、整理がついたのか伏せていた顔をパッと上げた。
「とりあえず、由芽を元気にしないとね!わたしはややこしいことはわかんないけど、由芽に元気になってほしい。またくすくす笑う由芽が見たいなぁ」
「……あのさぁ」
「ん?」
「今さらなんだけど。秋穂ちゃんも僕のこと知らなかったよね?」
「ん?よくわからないな」
「1年のときの……。やっぱりなんでもないよ」
彼女は僕を深く追い詰めたけれど、僕は「なんでもない」とそれをかわした。どれだけ深く想っていても、視線だけで好きだと伝えることはできないんだなぁ。そんなことを信じていた僕はつくづく間抜けだなぁと思った。
大学の近くの駅ナカでアイスケーキを、コンビニで軽めの酎ハイとビールを買う。悔しいけど要の助言に従う形になる。激甘なものは苦手だという由芽ちゃんが食べられるデザートに迷う。チーズケーキもいいけれど、さっぱりしたものを、と考えてアイスケーキの小さめのものを買った。
「ほら、お楽しみのアルコール。飲みすぎはあまりよろしくないけどね。それからお呼ばれしたのでお土産。アイスケーキ、食べる? 冬なのに寒いかな?」
由芽ちゃんの反応を伺う。……彼女は巣穴から出た小動物のように、注意深く僕を見ていた。それでもかまわなかった。少しずつ彼女に慣れてもらって「彼女の視線の中に入りたい」。
「では。いただきます」
秋穂ちゃんからビニール袋が回ってきて何かと思うと、そこにはクラッカーが入っていた。にやりと笑うと彼女は、
「一人ふたつね」
と言った。まるでお誕生会のようだ。一斉にクラッカーを鳴らす。ポンという軽い音をたてて、クラッカーから細い紙テープが飛び出す。それを三人で拾い集めて処分していると、由芽ちゃんが笑った。そこに、かわいくて彼女の好む白い色の花が咲いたようだった。
「クラッカーなんて。秋穂ちゃん、面白い」
「何よー?由芽がさ、そうやって笑うといいなって思ったんだけど。ほら、本当に笑ってるじゃん」
「だって、鍋パーティーの日にクラッカーっておかしいよー」
彼女は目尻に涙をためてしばらく笑っていた。すごくしあわせな、温かい空気が三人を包んだ。
「すごい! カニ入ってる!」
「ふふん、いいでしょう? カキも食べ放題だから」
「豪華だなぁ」
「由芽が作った鶏肉の肉団子も忘れずに食べてね」
毎日のように要から聞かされていた由芽ちゃんの手料理だ。こんなものを捨てるなんてあいつは本当にバカなやつだな、と思う。
「ゴマとショウガの味がする。聞いてはいたけど、由芽ちゃん、料理、本当に上手なんだね。すごく美味しいよ」
「もっと褒めてあげてよ。やっぱり、褒められると単純にうれしいじゃん? いい男に褒められるとなおさら、ね」
パーティーはクラッカーから一気に盛り上がった。由芽ちゃんの
「秋穂ちゃんはそんなこと言って、彼氏いるんでしょう?」
「そうなの、残念ながら高校生の時からつき合ってる彼がいるから、原田くんがいかにいい男でわたしに言い寄ってくれても、ダメなんだなぁ。ほんと残念だけど。原田くん、かっこいいよなぁ、うらやましい」
冗談まで飛んで、みんなで食べて、笑った。笑い声が響いて、箸も進んだ。
「……すごい食べた気がする。野郎の集まりでもこんなに食べない気が……」
「そういうの、今は忘れよう」
結果、みんな食べ過ぎた。
女の子はデザートは別腹というけれど、こんな状況の中でアイスケーキをまだ食べようという彼女たちの食欲に感服する。
「生クリームのケーキだったら、食べられなかったね」
「迷ったんだよ、本当に。こっちにしてよかった」
由芽ちゃんの部屋にはまだ要のものがあったりしたけれど由芽ちゃんの温もりに満ちていて、こたつだけではなく部屋そのものが暖かく感じる。
「……わたしがここで言っちゃいけないのはわかってるんだけどさぁ、本当に帰ってこないんだねぇ」
「もう帰ってこないことに決めたんだって」
「まじかー」
上を向いて大きくため息をつくポーズをしながら、秋穂ちゃんは少し悲しそうな顔をしていた。昼間のことを思い出しているように見えた。
「要にも思うところはあると思うんだけどさ。ほら、一応、友人代表としてかばうと」
「原田くんの言うことは信ぴょう性がないなぁ。もうキミはこちら側の人間でしょう?」
秋穂ちゃんに笑われて、僕は苦笑した。
「わたしね。大島さんと同じように抱いてほしいって言ったんだけどね、拒否されちゃったの」
……こんなことを彼女に言わせる要は大バカだと思った。あまり親しくない僕の前でそんなことを言わせるなんて、彼女に対する酷い仕打ちに腹が立つ。
「由芽ちゃんに魅力がないとかじゃないよ」
「そうだよ、由芽には刺激が強いから無理かなーって思ったんじゃないの?」
「え! 刺激?」
「あー、ほら、刺激的な、セックス……」
それ以上は何も言えなかった。
「わからないけど、僕には由芽ちゃんが魅力的に見えるし、それは要とつき合い始めたときから変わってないと思う。変わったのは要の方で、大島さんから何らかのアクションがなければ由芽ちゃんと要ははそれまでと同じくいられたと思うよ?」
「そうだよ。性の不一致で別れる人はたくさんいるんだしさ、森下くんがそういう理由で別れたいっていうなら、別れるべきだと思う、その……親友として、ね。毎日悲しい顔をしてる由芽は見てられないよ」
「……ふたりとも、心配してくれてありがとう。迷惑かけてごめんね。でも、それでもわたし、要が好きなんだ。バカだし、重い女だと思うけど」
場はすっかり冷えて、アルコールの火照りも何の役にも立たなかった。
言おうか言うまいか迷う。僕にそんなことを言う権利があるか迷いながら口にした。
「前にも言ったけど。ツラいときは夜中でも呼んで? いつでも駆けつけるから」
彼女はわかりやすく困った顔をした。それはそうだ、僕にそんなことを言う権利はまだない。それはまだ要のものだ。
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