【原田くん編】17日後(4)

 購買に向かって図書館前の道を歩いていると、由芽ちゃんにばったり会った。

「この間はどうもありがとう。あの、スフレおごってもらっちゃって」

「スフレなんていいんだよ」

 今日はまだ泣きそうな顔をしていない彼女に、要の話題を振るのはどうかな……と思いつつ、慎重に口に出してみる。

「それより……言いにくいんだけど、要、帰って来た? 今日、学校に来てないみたいなんだけど」

「大島さんも一緒なんじゃない?」

「そうみたいだね……」

 案の定、要は大島玲香と一緒らしい。一体あいつは由芽ちゃんを放っておいてどこで何をしているのか、イラッとする。今にも泣きだしそうな顔をする彼女がかわいそうで、やっぱりあの「17日」の縛りが彼女をより一層苦しめているんだと思う。

「えーと、今日のお昼、一緒にしない?」

「ごめんなさい、今、ここで友だちと待ち合わせてるの」

「そっか。じゃあまた今度。連絡先、交換してもいい? 何かあったらいつでも呼んで?」

 僕にできるのは結局これくらいのことだ。彼女が僕に助けを求めてこない限り、僕には何もできない。彼女の周りには大きく飛びこせない悲しみの壁が巡らされていた。


 しばらくして、要は学校を休みがちになった。その日は大島玲香も休んでいたから意味するところは彼女と一緒だということだ。みんな、そう思っていた。要も特に否定はしなかった。

「要さぁ、前にも聞いたけど大島さんとつき合うってことは、由芽ちゃんはフリーになるって思っていい?」

 僕はそのとき、少しだけイライラしていた。

「あー、あのさ」

「うん、『17日』のことは聞いた。気づいてると思うけど、オレは由芽ちゃんが好きだよ。彼女が悲しむの、見てらんない」

 それ以上は何も言えなかった。

「……由芽、泣いてる?」

「あのさぁ」

「僕の前ではまだ泣いてはないけど。日曜日の朝から女に会いに行って外泊するとか、泣くだろ、ふつーに。かわいそうだよ、いつも泣きそうな顔して歩いてる。別れてやればいいのに、で、お前はあのとつき合えばいいだろう? 由芽ちゃんが泣かなくて済むなら、お前が大島玲香とつき合っても何も言わないよ」

「なんだよ、それ。それとこれとは関係ないだろ? 玲香を悪く言うなよ」

 要は頭がおかしくなったんじゃないか? そう思わずにいられない。

「……黙ってたけど、僕も前に誘われたことあるよ、あの女に。誰でも声かけてるじゃん、知らないの? 大体、あの取り巻きの中の男とだって寝てるんじゃない?」

 言いすぎた、と思ったときには遅い。

「玲香にもいいところはあるんだよ」

 それはどんな?

 他人ひとの男を寝とるような女のどこがいいんだよ? 僕にとっては大切なチャンスが巡って来たのに、これっぽっちも喜べない自分がいた。由芽ちゃんのことを思うと胸がキリリと痛んだ。彼女の小さな背中を思いだして、そっと寄り添ってあげられたらいいのにと思ったけれど、彼女がそうして欲しいと願うのはたぶん、僕じゃないんだよ、要。




 学食のトレイを持って座る場所を探す。最近、要と一緒に昼食をとることはほぼなくなった。大島玲香と要は一緒に食べているんだろうし、僕も要もお互いに顔を合わせづらくなった。それはそうだ、由芽ちゃんを巡って僕たちの仲は険悪ムードになり、知らないところで要は大島玲香との仲を深めている。会いづらくなるのも当たり前だ……。

 キョロキョロしていると、視界にその由芽ちゃんの姿が入った。近くまで行ってから声をかけようと思って、彼女のところにやっとつく。一緒にいるのは「心理学A」で見かけた由芽ちゃんの友だちのようだった。

「全然、良くないじゃん!」

 その友だちが大きな声を出した。周りの人たちがその声に一斉に引く。僕はちょうど空いていた由芽ちゃんの隣の席に腰を下ろしたところだったので、思わずビクッとしてしまった。由芽ちゃんがそこで僕に気がつく。

「あ、邪魔してごめん。向こうから由芽ちゃんが見えたから。ほら、オレも要と一緒に昼飯食べなくなったし……声を今かけようかと」

 やっぱり早めに声をかけるべきだったと反省する。とにかく空気が重い。

「初めまして、由芽の友だちの沢口秋穂さわぐちあきほです。えっと、由芽から原田くんのことはよく聞いてます。お邪魔のようだから、わたし、先に教室に行ってるね」

「沢口さん、僕が移動するから」

「いいんです。その子に、自分がいかにバカなことをしてるか教えてやってください」

 由芽ちゃんの友だちの「秋穂ちゃん」はトレイを持って颯爽とその場を去った。後に残った僕と由芽ちゃんは目を合わせることもできずにいた。

「どうかしたの?」

「……原田くんには恥ずかしくて言えない」

 ここへ来て、恥ずかしいとかそういう遠慮はいらないのにな、と思う。できれば何でも話してほしいし、何でも知りたいのに、そのチャンスもなかなか与えられない。情けなくてその場にいる自分がとんだ間抜け野郎に見えてくる。

「僕は信用がないんだね……」

「信用とかじゃなくて! ……恥ずかしいことだから」

「要とは上手く行ったの?」

 彼女は昨日までに比べて明らかに顔色がよかった。頬に赤みがさして、瞳には輝きがあった。

「なんでそう思うの?」

「今日は元気だよ? 自分で気がつかなかった?」

「……昨日、要がまだ好きだって言ってくれたから」

「そっかー」

 本当のことを聞かせてもらえるのが信用だとしたら、それは正に残酷な信用だった。なんとも言えない気持ちになる。要が言っていることもよくわからないけど、ここまで要に酷いことをされ続けても、由芽ちゃんはまだ要がすきなのか……。

「あ! わたしがおごる番なのに」

「お祝い。……由芽ちゃんにつけ込む隙がなくなっちゃったかな? 由芽ちゃん、急いで食べないと次の講義始まるよ?」

 僕のヨーグルトを彼女のトレイに置く。コトリ、とトレイが音をたてた。



 由芽ちゃんが食べ終わるのを待って、一緒に学食を出る。まるで恋人同士のように。もしも由芽ちゃんに彼氏がいなければ、僕は甘い言葉を囁いて手を繋いだりできるのになぁと彼女を見下ろす。少しだけ要の言葉で元気になった彼女は、たわいもない話に夢中になって、僕はその髪の先でもそっと触れてみたいと思う。でも、彼女はいつでも要のものだ。

 ふと由芽ちゃんが突然立ち止まると、目前に要と大島玲香の姿が目に入った。腕を組んで歩いている姿は今までに目にしたことがなく、由芽ちゃんじゃなくても動揺する。彼女はもっと動揺しているだろう。「まだ好きだ」って言ったんじゃないのかよ……。

「汐見さん、お久しぶり。元気?」

「お陰様で。大島さんほどじゃないですけど……」

「そう? 相変わらずみたいね? わたし、先に行くね?」

 大島玲香は彼女の取り巻きのところにさっさと行ってしまう。彼女みたいに傲慢な女が由芽ちゃんのような気の弱いタイプの子に牽制をかけるんだ、と不思議に思う。

「要さ、今は大島さんとつき合ってるの? それともその約束の日までは由芽ちゃんが彼女なの? 聞いた感じだと由芽ちゃんが彼女だって話だよね?」

 由芽ちゃんのためにも何か一言でも言わないわけにはいかなかった。

「……原田には関係ない」

「関係あるよ。由芽ちゃんがまだ要の彼女なら遠慮するけど、そうじゃないなら遠慮いらないよな?」

「原田くん、いいよ、わたしのことでケンカしないで」

 ヤツはじっと黙り込んで、言葉を選びながら少しずつ話した。

「由芽はいい子だと思うよ。確かに約束の日までオレは由芽と一緒にいるべきなんだろうけど……。ごめん、いろいろ上手く行かない」

 

「ごめん、わたし、もう講義、行くね」

「由芽ちゃん、ちょっと……」

 声をかけても彼女には届かない……。




「原田、由芽と本当に親しくなったんだな」

 要と二人で学食前のベンチに座り、コーヒーを飲みながら話す。由芽ちゃんと要がこんなことになってから、ヤツと二人でこんな風に話すのは久しぶりだった。

「……由芽ちゃんに必要なのはお前だって気づけよ。って、そんなこと言う僕はかなりいい人だよなぁ。なんで由芽ちゃんは振り向いてくれないんだろう。お前みたいな最低な男はまじで似合わないよ」

「そう思うよな。別れたいっていうのを抜きにして、オレには由芽はもったいないよ」

 そんなことを言われて喜ぶヤツはいない。だから、僕はその由芽ちゃんに何度もフラれてるのに。

「大島玲香とは由芽ちゃんを一人にしてまで会って、何してんの? そんなに一緒にいたい女だとはオレには思えないけど」

「原田はむしろ、玲香の何が気に食わないの?……確かに会ってる間はほとんどベッドの中だけど」

「まじかよ? それってセフレって世間では言わないのかよ? どっちがどっちのセフレかわかんないけどさ。でも……そんなことのために、お前、捨てちゃうの? 大事なもの、全部。『セックス』のために別れるとか、バカなのか?」

 真面目にこいつは本物のバカだと思った。カラダのために大切なものを捨てる。それは要の勝手だ。でも問題は由芽ちゃんが傷つくってことだ。僕の大切な由芽ちゃんを、奪って行った要が傷つけていいわけがない。彼女の小さな仕草のひとつひとつに意味があることを要は忘れている。好きになった時の、あの日の気持ちを忘れてしまったんだ、コイツは……。

「オレ、バカだよなー。知ってる、自分はバカだって。原田に言われるまでもないよ」

「じゃあ、あいつと別れろよ。由芽ちゃんといることに不満はないだろう? お前が由芽ちゃんの不満、漏らすの聞いたことないぞ。いいか、最後の忠告だから。別れないならバカげた『17日』なんて無視して由芽ちゃん、押し倒す。その自信はあるよ」

「だろうな。原田に誘われてなびかない由芽はある意味、強いよな」

「なびかないから困ってるんだろ?」

 そうだ、なびかないから困っている。要がその「17日」の約束を止めてくれたら、こんな思いをしなくて済むのになぁと思う。同時に、好きなだけ大島玲香に溺れればいいのに……と、由芽ちゃんを裏切るようなことを思う。

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