【原田くん編】17日後(3)

「由芽ちゃん、奇遇だね」

 冷たい雨がパラパラっと降り始めて学食に逃げ込む。今日も要とランチが重ならなかった。その代わり、一人でご飯を食べている由芽ちゃんの姿が見えていそいそと会計を済ませる。彼女に話しかけるための口実に、紙容器のヨーグルトも買った。

「うん、原田くんも元気だった? 久しぶりだよね」

「久しぶりだよね、これどうぞ」

「え? 奢ってもらうなんて悪いよ」

「ヨーグルトも由芽ちゃんに食べて欲しいって言ってるよ」

 彼女は少し困った顔をして笑った。困り顔でも僕のために笑ってくれる彼女がかわいい。


「あのさ、直接的で悪いとは思うんだけど」

「うん?」

 口にするまで、なかなか言葉が詰まって出てこない。

「……要とは別れたの?」

「要と同じゼミだもんね。……要に聞いたの?」

「いや、そういう噂を聞いたから本人に聞いたんだけど、否定しないから」

「そっか……」

 由芽ちゃんは「17日」の約束というややこしい話を始めた。正直、訳がわからなかった。要はどうして由芽ちゃんを早く楽にしてあげないんだろう? ちゃんと別れてあげたらその時は辛くても、そこを乗り越える時には楽になれるのに。

「そんなことになってるんだ」

「そうなの、笑っちゃうでしょ? 要も、大島さんみたいな美人とつき合うならわたしみたいなのはビシッと切ればいいのにね?」

「由芽ちゃん、他人ひとのことはあまり悪く言いたくないんだけれど。大島さんがいい人だって噂は聞かないよね? むしろ同じゼミにいると噂通りだな、と思うことが多いよ。要もバカじゃないんだから、何が大切なのかちゃんと気がつくんじゃないかなぁ?」

 彼女はいつも以上に小さくなって、その細い肩が震えていた。きっとこのままだと泣いてしまうかもしれないな、と僕は身構えた。

「そんな風に言ってくれて、ありがとう」

「要にふられたら……その、僕でよかったらいくらでも話も聞くし。待ってるから考えてみて?」

 泣かせてしまうのは本望ではなかった。彼女の分のトレイも持って、出口へ向かった。




 その日は日曜日で、特にすることもなかった僕は寒くなってきた中でも着られるような冬服を探しに電車に乗って買い物に出かけた。

 思うように買い物もはかどらず、ビルの中の熱気で汗をかいた僕はビル内のカフェに足を運んだ。カフェの前には同じように疲れた人たちが列になって並んでいて、歩くことに飽き飽きしていた僕はその最後尾に大人しく並んだ。


 メニューを見ながら順番を待っていると、彼女の姿が目に入った。……由芽ちゃんだった。

「いらっしゃいませ」と席を案内してくれる女性に、由芽ちゃんの座っている席を示す。感じ良く応対され、彼女の席につく。

「由芽ちゃん、ほんと偶然だね? 今日はひとり?」

「うん……うちからわりと近いからぶらっと来てみたの」

 拒否されなかったことに安心する。彼女が僕をどう思っているのか、まったくわからなかった。以前のようにただ「背の高い男」だと思われていたら、彼女にとって僕の出現は歓迎されないものだろう。

「何か買ったの?」

「色鉛筆。絵は描かないんだけど、文具が好きなんだ」

 注文を取りに来た女性にブレンドを頼む。この店は独自のブレンドと、スフレが売りだった。

「あ、ここね、スフレが美味しいんだよ。おごるから食べてみて?」

「え、いいよ。自分で払うよ」

「そんなに高いものじゃないからさ」

「……じゃあ、今度また会ったときに学食でヨーグルト、奢るね」

 彼女のそういうところが本当にかわいくて、思わず笑ってしまう。学食のヨーグルトなんて、奢られたうちに入らないと思うんだけど、彼女にはそんな律儀なところがあった。

「それこそヨーグルトのことなんて忘れちゃっていいのにさ、律儀だよね?」

「……そんなことないよ」

 誰も邪魔する人はいなかった。

 今日は騒がしい友だちも、要もいない。それは二人っきりの時間だった。僕はありったけの話題を提供して彼女を笑わせた。彼女はあの「心理学A」の教室で、秋穂ちゃんに見せていた笑顔を僕に向けた。その笑顔をできるだけ長い時間、自分だけのものにしたくて不自然なくらい喋りにしゃべった。

 そうこうしてる間に、焼きあがったばかりのスフレが運ばれてくる。辺り一面に甘いバニラの香りが漂う。

「奢ってもらうんだから、最初の一口はもらって?」

「え、いいよ。それは僕が由芽ちゃんに奢ったものだし、それに……」

 彼女は不思議そうな目をして僕の目をのぞき込んだ。――それに、「間接キスしちゃうじゃん?」と僕は言いかけた。けど言わなかった。間接キスなんかで赤くなるのはたぶん僕だけで、僕をなんとも思っていない由芽ちゃんはきっとなんとも思わない。間接キスなんかで狼狽うろたえる自分にも笑えた。中学生でもあるまいし……。


「あのー、その後どう? 要、今日、一緒じゃないけど」

 由芽ちゃんの表情が曇る。どう見ても良いことが起こったわけじゃなさそうだった。

「要はね、今日はだって。お昼前には出かけちゃったの」

 つまり、それはそういうことなんだろうな……と思うと由芽ちゃんがかわいそうでもあり、要を殴り倒したい気にもなる。もし僕が由芽ちゃんの恋人だったら、彼女を涙から遠ざけるのに。そしてそれは今でも、ただの友人でもできそうな気になる。精一杯、頭を巡らせる。

「単発のバイトなのかもよ?」

「そうだね、そういうこともあるかもしれないね。……でも今日は、要の予定ではふたりの『思い出作りの日』だったんだよ」

 彼女はさみしい笑顔を僕に見せた。僕の方が、伏せ目がちになってしまう。だって、彼女が心から笑っては……。

「由芽ちゃん、つき合ってくれとは言わないからさ、気晴らしにたまには僕と一緒に出かけたりしない? ほら、気分転換になるかもしれないし。何処かにご飯、食べに行ったり、由芽ちゃんの好きな文房具探しに行ったり……一緒に行きたいって言ったら、迷惑かな?」

 今まで後ろから、声もかけずに要と由芽ちゃんが楽しそうにしているのを見ていた僕にとって、決して口に出さずにいた言葉だった。「つき合ってくれとは言わない」なんて、彼女からしたら相当重い言葉だろうと思ったけれど、今言わないでいつ言うんだ、と自分を鼓舞した。

「ありがとう。すごくうれしいんだけど……要と本当にダメになったらお願いします。あと12日なの。だからその日々を大切にしたいの。最後はふられちゃうのわかってるのに、バカみたいだよね……?」

 やっぱり彼女の目には要しか映っていない……。僕のことなんか映っていないんだ。

「そうだよね。まだ別れてないんだよね。じゃあ、今日1日は僕と一緒にいない? このビルの中を回ってさ。ぼくもここ、まだできたばかりだから全部は回ってないんだ」

 由芽ちゃんは少し考えているふうな顔をして口を閉じた。たった1日でも僕だけの君にならないのかなぁと絶望的な気分になる。要以外の他のヤツより、僕の方が少しは彼女に近いと思っていたのは気のせいかもしれない。

「じゃあ、少しだけ」

 慎重に、慎重に彼女をエスコートする。少しだけ手が触れそうになったり、肩がぶつかりそうになったりすることに一喜一憂する。触れそうになっても手を繋いだりはしない。それが心に痛い。

 女の子らしいスピードで彼女は歩いて、手近なものに目を通す。歩く時は僕こそ半歩後ろを歩いて彼女がいつ転んでもいいように見つめて、買い物をする時は相談に乗ってほしそうにしてるときだけ声をかけた。合間に僕が服を見ると、彼女も一緒に選んでくれる。僕はネイビーブルーのセーターを、彼女に選んでもらった。


「うん、似合うね」

 彼女が僕のセーターを選んでくれたように、彼女の服を一緒に選ぶ。あれこれ二人で吟味しながら探すのは想像以上に楽しくて、僕にはこの人しかいないんじゃないかな、なんて飛躍的な考えをする。とにかく楽しくて、時が過ぎるのが早い……。

 由芽ちゃんはいつも着ているようなブラウスの色に迷っていて、僕はストライプのブラウスを選んだ。ストライプと言っても、本当に細いピンストライプで彼女もたまには「真っ白」じゃないものを着てもいいんじゃないかなと思って勧めた。

 恥ずかしそうな顔をして、由芽ちゃんはそのブラウスを手に会計に向かった。


「いい買い物したね。今度あのシャツ、学校にも着ておいでよ。着てるところ見てみたいな。きっと似合うよ」

 彼女は案の定、不安そうな笑顔を無理に作った。……第一に、保守的な彼女の目に無理にいろいろ勧める僕は怖いと映っただろう。でも、今日しか彼女と二人っきりになれるチャンスは無いかもしれないんだし。あの、バカな要が戻ってきて「友情」を裏切ったとか言い出して僕を殴るかもしれないし。いや、殴られても彼女と過ごせる時間が増えるならそれでいいけど。

 ビルの前で彼女にさよならをする。まるで誰かが待っているかのように、彼女は足早に去っていった……。




 


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