【原田くん編】17日後(2)

 それは、梅雨明けした夏の暑い日のことだ。あまりの焦げるような暑さにまいって、みんな、「アイスが食べたい」と思うような1日だった。

 子供が夏空を描くときの白い入道雲なんて欠片もなく、空はどこまでも青く塗りつぶされていた。


「哲学1」の実質、最後の授業が終わった時、要は由芽ちゃんを捕まえた。……僕は同じ土俵に上ることもできなかった。

 要が告白すると、即OKが出て、ヤツは頭がどうかしちゃったんじゃないかと思うくらい喜んでいた。

 ……元々、要の視線に気がついていたのかな、と思った。けど、それならもっと近くで見ていた僕の想いに気がついてもよかったはずだ。

 どこがよかったの、とみんなに聞かれて、

「真っ直ぐなところ」

と真っ赤になって答えた由芽ちゃんの顔を今でも忘れられない。「でも、お友だちからって言ったんです……」とその後つけ加えていたが、そんな所がウケて彼女は僕たちの間のアイドル的な存在になった。由芽ちゃんの性格の良さを知ったみんなは要をうらやんだ。


 彼女は、僕のことなんかちっとも知らなかった。

 僕が彼女を見つめていた時間はなんだったのかというくらい、彼女は小さな自分の世界だけを見つめている人だった。要は「彼女の視界に入りたい」と言っていたけれど、まさしくそれで正解だった。僕は彼女を見つめていたけれど、彼女は僕を見てはくれなかったのだから。

 自分の見た目から彼女の気を引けたかもしれないと少し思っていたなんて、本当に恥ずかしい勘違いだ。


「由芽ちゃんは要のどこが好きなの?」

 ある程度、親しくなって彼女にヤツの友人だと認識された頃のことだ。そのとき僕たちは要も含むグループで一緒に学食のうどんを食べていた。

「え? ……要は、真っ直ぐで飾らない人だから」

 僕は全然違うところで傷ついていた。「要」って、もう名前で呼ぶんだ。確かに要も彼女を名前で呼ぶけれど、それは彼女が要を呼び捨てにするのとは訳が違った。

「あのさ、僕のこと、知ってる?」

 すごく今更だった。

「原田くん、で合ってる?」

「正解。よかった、覚えてくれて」

「原田くんは背が高いし、覚えやすいよ」

 彼女は照れて俯いた。背が高いから……つまり、彼女にとってオレはの男ってことだ。なら、それだけの男でいよう。

 時折、前みたいに要をからかうだけでそれ以上のラインには踏み込まないように気をつけていた。気がつくと二人は冬になる前には同棲し始めた。コートの出番を考えるくらい寒くなってきた頃の話だ。一緒に住み始めたということはつまり、もうちょっとやそっとじゃ別れないってことだな。そういうものだよな、恋って……。


「何だよ、上手くやってるみたいじゃん。同棲始めたなんて言ってなかったじゃん」

 僕が小突くと要は、

「あ、誰に聞いたんだよ? ……何かさ、行ったり来たりするのは面倒くさくなってきて」

「うん」

と答えた。まぁ、そうだろうな、と思う。つき合い始めて数ヶ月はどこのカップルだって熱すぎる。リア充もいいところだ。そんな中、二人はお互いの部屋を行ったり来たりするよりはいっそ一緒に住んだ方が早い。

 当たり前なんだけど、由芽ちゃんとはもうだよな……。彼女は奥手そうだけど、要はごく一般的な野郎だし、由芽ちゃんは彼女なんだし。――そんなことでイチイチ傷つく自分を俯瞰して、情けなくなる。

 真っ白だった由芽ちゃんは、次第に「要」という色に染まっていく。当たり前のことだ。僕には何も言う権利はない。あの日より先に告白してしまえば、上手く行っても行かなくても踏ん切りがついたのに。

「泣かせるなよ、彼女」

「由芽? 泣かせるわけないじゃん。ずっと好きだったんだし」

「そうだよな、うん、わかる気はする」

 歯切れの悪い返事をして、自分の感情も揉み消した。


 また春が来て、次の春が来て、秋になる頃、要はすっかり変わっていた。僕と要は結局腐れ縁でゼミまで同じところに所属したのだけれど、そこには同じ学科の大島玲香おおしまれいか女史がいた。

 僕はこの、大島玲香が大嫌いだった。彼女は自分の見た目や外向的な性格、ひとつ間違うと『攻撃的な』性格を武器に、多くの男を試食しては捨ててきた。僕の友だちにも犠牲者はいたし、僕自身も、

「原田くんとわたしって、お似合いのカップルになれそうじゃない?」

 なんて飲んでる席で誘われた。

「どこが似合うのか挙げてくれたら考えてもいいよ」

「ほら、わたしたち並ぶと絵になると思うんだけど」

「悪いけど」

 僕は大島玲香の隣をすり抜けた。見た目のことしか考えてない人間ならいくらだっている。でもそういうヤツは蔑んでスルーしてきた。大体、あの大柄で傲慢が服を着たような女と、自分を一緒にしてほしくなかった。つまり僕は彼女をそのときからはっきりと蔑んだ。

 その大島玲香と要が、前のの後、寝たという噂がまことしやかにゼミの中を駆け巡った。中には二人がホテルに消えていくのを見たという話も出て、僕は心中、穏やかではなかった。それが本当なら、由芽ちゃんはどうなるんだろう? 小さな世界だけを大切にしている彼女はその噂が僕らの周りで周知になっても、いつもと同じ笑顔で要を迎えに来ていた。


 僕はたまらなくて要に直接、問い質した。

「要さー、大島さんってマジ?」

 出来るだけ軽い調子を心がける。何も要を怒らせたいわけではないんだから。

「……何処で聞いたんだよ」

「噂になってる。大島さんも匂わせてるし、この前の飲みの後、お前たちがホテルに入るの見たってやつもいるよ」

「……」

 僕の言ったことは全部本当のことで、要はどうやって言い訳するのかな、と内心思っていた。どうせなら否定してほしい、という気持ちと、由芽ちゃんが泣くことになったら僕も堪らないな、という気持ちが交錯していた。

「由芽ちゃんは知ってるの? たった1回なら許してもらえるかもしれないじゃん。そういうのも『誠実さ』だと思うけど」

 要は一瞬、口を噤んだけれどやがてゆっくり、そしてはっきりと言葉を発した。

「別れるよ」

「は?」

「由芽とは別れる。玲香とつき合うことにしたから」

 そんなのありかよ……。僕が今までどんな思いで要に遠慮してきたのか知らないくせに。殴ってしまいたい、という衝動が体を突き動かそうとする。そんなに簡単に人の心は変えられない。由芽ちゃんの心を要の身勝手で変えられるわけじゃない。

「じゃあさ、今まで遠慮してたけど由芽ちゃんに手を出してもいいんだよね?」

 僕の言葉はぽろぽろと一語一語、途切れ途切れに音になった。

「……いいんじゃん? ただし、15日後からな」

「なんだよその微妙な数字……」

「そういう約束なの」

 要は妙な話を僕にした。由芽ちゃんとは「17日後」、別れる。今は2日経って15日後に別れるという約束だ。別れるまでの日数を決めるなんてアホらしいし聞いたこともない。もしも気持ちがあやふやなまま、別れ話に至ったんだとしたらそれは自分の気持ちときちんと向き合ってきっぱり区切りをつけていないからだろう。なんでそんなことを……と思ったけど、相手が大島玲香なら確かにそういうこともあるかもしれない。自分が「モノにした」男を逃がさない、そんな女だ。

「要は15日で由芽ちゃんと別れる。オレはその微妙な15日間で由芽ちゃんと仲良くなる。彼女の受け皿になれるように。どうだろう?」

「どうだろうも何も。15日間は手、出すなよ」

「友だちとして接するから大丈夫だよ」

何処から何処までが大丈夫で、その許容範囲が要のためなのか、由芽ちゃんのためなのか……それとも、僕のためなのか、考えてもわからないままで、僕はその問題には目をつむることにした。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る