7日前……センチメンタル

『由芽ちゃんと出かけてくる。代返よろ』


「なんだよ、それ」と考える前に思ってしまった。嫌がらせもいいところだろう、わざわざ理由まで付けてくるなんて。

 確かに由芽と原田が上手くいくことを望んだのはオレだけど……いざそうなると、動揺する自分がいた。


 ゼミでは玲香は目も合わせず、原田もいないので何となく寂しくなる。昼飯を一緒に食べる相手もいない。つい1週間前までは毎日、由芽と一緒だったのに。

 玲香は友だちとのつき合いに忙しそうだった。彼女のしっとりした肌を思い出すことがあったけれど、思い出すくらい、それに触れていないということだ。玲香が昨日、怒ったのもある意味、当然だ。でも彼女は体を差し出しても、きっと心まではオレに預けないだろう。つまり、そういうことだ。

 彼女はオレに「つき合わないか」と誘った。でもその「つき合う」は、由芽とオレが「つき合う」のとは別の意味だったってことだ。

 なんでオレを選んだのか聞いた時に気づくべきだった。その理由に、玲香はベッドの中でのことしか挙げなかったのだから。


「ランチ、どう?」

 不意に玲香から声をかけられる。玲香のことをちょうど考えていたところだったから、驚いて振り返った。

「ああ、友だちはいいの?」

「あんまりよくはないけど……毎日、要を放っておくのはどうかと思うし。昨日もそれで機嫌悪かったんじゃないの?」

「そんなんじゃないよ……」

 玲香がご機嫌取りに来るなんて珍しいことだ。オレが何をどう思っていようと、自分に不利益じゃなければ関係ないのかと思っていた。


 その場にそぐわない空気をまとって、玲香は学食の席に着いた。

「本当にここでよかったの?」

「いいの、別に。ほら、ここ、ご飯がメインだから……」

「ああ……」

 一体どんな風に育ったのか、不思議に思う。炊きたてのご飯の匂いがどんなに甘くて魅力的か、彼女は知らない。もちろん、付き物の味噌汁の出汁の香りも知らないんだろう。

 空気が重くなって、会話は弾まない。今までほとんどベッドの中での体のコミュニケーションだけで会話していたのだから、話すことはあまりなかった。

「ねぇ、今週は来てくれなかったじゃない? なんで?」

「由芽との約束、守りたいと思って。玲香も了承済みだろう?」

「あと何日?」

「1週間だよ」

 玲香はまた口を閉じた。目の前のパスタは全然、減る気配がない。

「わかった。明日はわたし、お友だちと例のパーティーもあるし、1週間はすぐだと思う」

「玲香は……」

「何?」

 ベッドの外でもオレに会いたいと思うの? 

――そう聞いてみたかった。

「何でもないよ。1週間待たせてごめん」

「要はわたしの彼氏だってこと、忘れなければいいの。それだけ」

 彼女は立ち上がると自分のトレイを持って、返却台に向かった。彼女自身がトレイの始末をしているのを初めて見た。……みんなが思っている玲香と、本物の玲香は別物なのかもしれないと思った。


 学食を出ていく玲香を見送る。人の気配がして、そっちを見ると秋穂ちゃんが立っていた。

「隣り、いいかな?」

 うなずく。

「昨日はなんか、逆上しちゃってごめんなさい。あの後、思い出したらめちゃくちゃ恥ずかしかった」

「いや、別にいいよ。悪いのは全部オレだし。おかしいかもしれないけど、秋穂ちゃんと原田には感謝してる。由芽を支えてくれてありがとう」

 秋穂ちゃんは自分のストールの端をいじりながら、オレの目をじっと見た。

「由芽とはあと1週間だよね? 別れたら本当に、彼女とつき合うの?」

「どうかな? 玲香次第……」

 彼女はふぅん、という顔をした。言葉のニュアンスを測りかねてたのかもしれない。

「今日は由芽、原田くんとデートしてるよ。妬ける?」

「……どうかな? 原田は、いいやつだし。由芽のこと、きっと、大切にしてくれると思うし。由芽も原田が相手なら、きっとまた笑えると思うよ」

「森下くんて意外と感傷的なんだね。……あと1週間、責任持って由芽をよろしく」

 今日の彼女は昨日とは打って変わって、冷静さを取り戻したようだった。オレは……女々しく、原田と並んで歩く由芽のことを考えていた。長身で端正な顔立ちの原田と、小さくてかわいい由芽。二人は笑顔で会話している。今日は鬱陶しいオレのことを忘れて楽しんでいるといいと思う。




『明日、用事ある?』


 一人の部屋で、スマホに打った文字をじっと見ていた。これを送ってもいいものか、考えあぐねて送信ボタンをなかなか押せずにいた。

 でも、冬着はとにかく必要だし、いつまでもいろんなものを由芽の部屋に置いておいたら原田だって気分が悪いだろう。オレのもので溢れたあの部屋を思い出す。それらを持ち帰れば、すべてが終わる。……心の中のどこかがキシリと痛み、凍りついた。

 思い切って、送信する。


『何もないよ』


 少し迷ったのかな、という間があって返事が届く。バカみたいにスマホを手のひらに乗せたまま、返事を待っていた。


『よかったら荷物、取りに行きたいんだけど。いいかな?』


『うん、大丈夫』


『じゃあ、由芽のとこのコンビニに着いたら連絡するよ』


『りょ』


 直接、由芽の部屋に行ってもよかったのかもしれないけど、なんだかそれはできなかった。間に緩衝材があった方が会いやすい気がした。

 由芽と会わなかったのはたった2日のことなのに、ひどく長い時間、離れていたような気がした。


『自爆した。要、あとは任せた』


『何が?デート?』


『深く突っ込むなよ。由芽ちゃんはなかなか頑固だよな。彼女はやっぱりお前のものだよ。おやすみ』


 まったく内容が読めないまま、「おやすみ」はないだろう、と思う。

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