第9話 夏の終わり
勢いあまって扉を開ける──いや蹴破ると、そこは屋敷の外ではなかった。吹き抜ける夜風が頬に触れる。
「え?」
燈たちはいつの間にかHotel・OBORO傍の砂浜に戻ってきていた。寄せては引いてを繰り返す海、煌めく星々が出迎える。
「これって瞬間移動?」
「回収した魔石が、ここまでの移動するための道具だったようです」
(もう何でもありな気が……。まあ、あの不気味な山道を通らなくて済んだのは良かったです)
「あーあー、もっとキモダメシってのを楽しんでみたかったな」
「同感」
ふと燈は冷静に自分が龍神に抱き上げられていることに気づき、一瞬で顔を赤らめた。じたばたと身じろぎする。
「えっと、あの……龍神。肝試しが終わったので……その、降ろしてもらってもいいですか?」
「……そうでした。つい」
(それって女の子として認識されてないってこと? ……確かに、ほとんど役に立っていなかったから荷物みたいなものだったけれど……)
解釈違いに落ち込む燈だったが、龍神は名残惜しそうに少女を砂浜へと降ろしたことに気づいていなかった。
「おう、ジョン達もクリアしたか」
「テックスも」
いつの間にか杏花と式神のグループが砂浜に戻ってきていた。みな燈たちと同じように魔石によって瞬間移動してきたのだろう。ジニー、ミシェル、アネット、ヒースエリカたちはみな元気だが、サリヴァンとジョンの二人はどこか疲弊した──ようにも見えなくもない。きっと色々と大変だったのだろう。
燈は心の中で「お疲れ様です」と
「秋月さん」
「杏花、式神も無事だったのね」
「ええ、酷い目にあいましたわ」
「然り」
「私以外みんな人じゃなかったから、怖いって感覚がなくて一人でずっと叫んでたと思う……」
「あー……」
杏花は何があったのかジジとテックス、そして龍神を見て色々と察したようだ。
「でも、龍神様とはいい雰囲気になったんじゃないの?」
「!?」
燈は腕に抱き着いたことや、抱き上げられたこと、そして事故とはいえ頬にキスされた諸々のことを思い出し──赤面した。
「あらあら~。何、何? 詳しく聞かせて欲しいわ」
「何でもないから……」
恥じらう燈に、式神は嘆息すると、腰に携えた柄に触れた。
「仕方あるまい。……龍神にことの詳細を聞いてくるとしよう」
「ちょ、式神待ってーーー! 手を繋いだり、運んでもらっただけだからーーー!」
私は式神の背中にしがみついて引き留めた。
みんなそれぞれ生還を喜んでいると──砲撃にも似た爆音が響き──夜空に花火が打ちあがった。
肝試しの前に打ち上げ花火を自分たちで上げたが、それとは異なる花火が夜空を照らす。それぞれが打ちあがる花火に見惚れていた。
それは燈も例外ではなかった。
「わあ……」
「先ほども見たのに、飽きないのですか?」
いつの間にか龍神が燈の隣に佇んでいた。
相変わらず気配や足音すらない。そんないつも通りの龍神に少女は微笑んだ。
「何度見ても花火って綺麗じゃないですか? それに……」
「それに?」
「大切な人と一緒に見られるって、とっても幸せなことだなって思ったんです」
少し恥ずかしかったが、それでも燈は自分の想いを精いっぱい言葉にして伝える。龍神は少しだけ目を大きくして、それから僅かに口角が上がった。
「ええ、そうですね。……とても素晴らしい光景です」
「はい」
(いつか一緒に花火を見よう、と貴女と約束した。それを覚えているかわかりませんが……それでも、ずっと叶えたかった願いが一つ叶いましたよ)
(ずっと昔、龍神が私に四季折々の祭りごとを楽しもうって言ってくれたっけ。……龍神は覚えていないかもしれないけれど、でも……、一つ叶った)
どちらともなく手の甲がぶつかり合う。そっと指先が触れあって──。
──かかかか! 楽しんで貰えたのなら、呼んだ甲斐があったというもの──
「!?」
燈はその声に弾かれたように振り返った。だが、後ろには誰もいなかった。金色の光の
良く見れば、この島の形が保てなくなっている。それはとても幻想的で、この楽しい時間の
「姫?」
「あ、ううん。……楽しい時間はあっという間だなって。ジョンさんたちに挨拶をしてくね」
燈は龍神の言葉を待たずにその場から離れた。次に龍神に会えるのは、いつなのかわからない。それに式神や杏花もだ。
『何よ。言いたいことがあるなら戻る前に、言っておいたらいいじゃない』
燈の中にいる式神の一人、菜乃花の言葉が少女には重く突き刺さった。
正論だ。だからこそ少女は何も言い返せなかった。
***
「……このバカンスも、そろそろ終わりみたいですね」
燈は決定打ともいえる物を見て、呟いた。
夜空に煌めく花火の奥──そこには巨大な船がこちらに近づいている。
あれはクリスマスの夢の時に見た宝船だ。ジジたちが元の世界へ帰る時に使っていた船も見える。
ジョンがホテルへ視線を向けると、飛行機が着陸しつつあった。
「どうやらその様だ。あの神々が用意したバカンスにしては、まあ、思ったよりも気楽だったよ」
燈たちは改めて声をかけあって、別れの挨拶を済ませる。短い時間だったとはいえ、楽しい一時を過ごせたのは間違いなく彼・彼女たちのおかげだ。
最後には、クリスマスで出会ったジョンが燈とジジに声をかけた。なんとなく燈は姿勢を正してジョンへと視線を向ける。
「それじゃあ……トモリ。ジジ。ここでお別れだ。今回も奇妙な巡り合わせだったが、君達のおかげで中々楽しい一日だったよ」
「私も、ジョンさんとアネットさんにまた会えて良かったです。それにジョンさんのお友達、ジジさんのお友達とも出会えて……ちょっと騒がしいかったけど、とても楽しい一日でした!」
もし彼らが居なければ、ここまで楽しくはな無かったのかもしれない。特に気苦労が絶えなかったであろうジョンに「本当にいろいろとお疲れ様でした」と言葉をかけるか躊躇っていると──。
「こちらこそ。また君達と会う日が来るなら、その時は今回の様に平和な時間を期待するよ……それまでどうか元気で」
彼の言葉に燈は笑って答えた。
「はい!」
ジジはアネットと楽し気な会話を繰り広げていた。燈は話を中断させるのも悪いと思い、軽く頭を下げて挨拶をする。顔を上げた瞬間、ジジと目が合った──気がした。
***
皆と別れた後、燈は宝船に乗り込んだ。
賑やかな声が聞こえず、船の中は静寂だった。少女は甲板に出て小さくなっていく島をずっと眺める。
「…………」
「寂しいのか、我が主よ」
空を仰ぎ見る燈に、鎧武者の式神が声をかけた。
「んー。そうかもしれないし、帰れると聞いてホッとしているかも」
「……戻れば楽しい事よりも、辛い現実が待っているかもしれんぞ?」
「それでも、ずっと逃げ続ける訳にはいかないでしょう」
そう笑う燈に、式神は次いで言葉が出てこなかった。彼女の心の強さこそが最大の武器なのだから。
「私は絶対にあきらめないから」
燈の言葉に、式神は返事を返さなかった。
ただその手は少女へと伸び、指先が肩に触れようとした刹那。
銃声と金属音が響き合った。
とっさのことで燈は動けず、少女と式神の間に現れた存在に、思わず体が硬直してしまった。三十代男性──黒い軍服姿。深緑色の長い髪は後ろで一つに結っている。その斜めに切りそろえられた前髪も変わらない。二メートルを超える巨体の偉丈夫──浅間龍我。
「え、な──っ」
「遊びはここまでだ」
そういうと浅間は宝船ごと破壊せんと、拳を甲板に叩きつけた。
轟ッツ!!
めきめきと甲板が菓子のようにあっさりと砕け、足場が揺らいだ。私はなんとか粉々になる甲板の上を跳び移るのだが、飛距離が足りなかった。
(あ、落ちる。──菜乃花!)
『しょうがないわね』
爆破によって足りない飛距離を補填しようとしたのだが──。
「これは俺がが預かる」
「させるか!」
浅間と式神は互いに燈の身柄を抑えようと、飛び出してくる。だが少女を抱きかかえたのは二人ではなく、龍神だった。
空間転移による移動。龍神は燈を横抱きにして宝船から距離を取った。風のような速さで空を駆ける。
「せめて戻るならば無事に戻ってください」
「龍神」
「今日のことは忘れてしまうかもしれません。けれど──必ず会いに行きます」
こつん、と額が重なり合う。
優しい声音。切ないほどに伝えたい想いが溢れ出る。
「龍神……ッツ。秋親」
「……!」
抱きしめる温もりが徐々に消えていく。それと同時に燈は夢から現実へと引き戻された。
「次に会ったら──私も姫のことを──」
(え? 今、なんて言ったの?)
***
緊急警報のようなけたたましいサイレンが燈の耳朶に届いた。
「!?」
燈が慌てて起き上がると冷たい石畳の上に寝転んでいた。状況が飲み込めず、周囲を見渡す。天井が見えないほど高い白く真四角な空間、家具などはなく窓や扉もない。天井からの眩い明かりは自然光ではなく、蛍光灯の明かりに近かった。
学校の敷地内ほどの広さ──端的に言って現実味がなかった。
「えっと、夢?」
そう思いたくなるほど絵にかいたような真っ白な空間に、大きめの段ボール箱が二つ置いてあった。そのうちの一つは既に開封されている。
(あーーーーーうーーーーん。私、何してたんだっけ?)
あまりにも長い夢を見ていたせいで、記憶の整理が上手くできていなかった。燈は顎に手を当てて唸った。
(えっと。冥界で龍神と別れて、烏天狗の柳と一緒に《青龍の鳥居》に向かって──追手とか、追手とか追手のせいでボロボロなって、椿が寝ぼけたことを言い出したあとに──)
「ようやく目が覚めたか」
物語は再び時間軸を巻き戻る。
複雑に絡み合った燈たちの物語がようやく動き出すのだった。
異世界境界線 ~コラボ作品詰め合わせ~ あさぎかな@電子書籍/コミカライズ決定 @honran05
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