第1話 夏と言えば海 海と言えば──

 ***



 海を走った猪は浜辺に到着すると、燈を下ろして姿を消してしまった。

 沖縄を連想させるような透明度が高い海。浜辺も小奇麗でプライベートビーチというのだろうか、人の姿はない。

 周囲を見渡すと近代的な建物などが目に入る。外装からしてリゾートホテル風だ。


 ──あ、忘れていたのでこれを渡しておく──


 空から降ってきた声と共に、小冊子しょうさっしが燈の頭の上に落ちた。


「旅のしおり? あ、なんか遠足の時に見たことがあるやつだ」

「なんと書かれているのですか?」


 ふいに尋ねられた燈は、小冊子に書かれている内容を読み上げる。


「えっと、『夏休みのルール。まず、hotel・OBOROで女性陣は全員、水着に着替える事。次にタダ券を配布するのでそれぞれ使い切る事。みんなで仲良く楽しく夏を過ごしましょう。ちなみに目標達成まで島を出るのは禁止☆』だって──!?」


 顔を上げた瞬間、白銀の長い髪が目に止まり、次に龍神の顔がすぐ傍にあった。少女は唐突に現れた龍神の姿に、心臓の音が飛び出しそうになる。


(ち、近い近い近い……!)


 龍神は燈の小冊子を見ようと、やや屈んでいた。あと半歩近づけば、互いの体が接触するだろう。


「そうですか。この書き方はやはり《山の神》の……」


 燈と目が合った龍神の言葉が途切れる。


「姫?」と龍神は少女の異変に気付いたのか、小首を傾げた。


「ふえ!? あ、えっと……龍神、その……こんなにすぐに会えるとは思ってなかったら、すごく嬉しい」


 燈は照れながらも、自分の気持ちを正直に告げた。それに対して龍神は僅かに目を見開き──


「……相変わらず呑気ですね。《山の神》から話は聞いたのですか?」

「はい。クリスマスと同じように、魂だけこの島に呼び寄せたと聞いてます。あとバカンスを楽しんで、と」

「そうですか。なら私から補足することはないですね」


 一見、普通に話しているが、互いに心の中では様々な感情が入り乱れていた。


(龍神がこんなに近くにいるのに……! なんかもっと、こう……感謝の気持ちとか、嬉しい気持ちを伝えなきゃ……。告白は……ど、どうしよう!?)


 燈は照れながらも、積極的に龍神と会話をしようと内心で思っており、


(魂とはいえこんなにも早く姫と再会できるとは……。至福……それにいくばくか記憶が戻っているのか、距離感が縮んだような……。いや、これ以上踏み入れば私の理性が多分吹き飛ぶ。……告白をすっ飛ばして、恐らくプロポーズをぐらいするかもしれない)


 龍神は愛しい者との再会に、メチャクチャ浮かれていた。


「……って、龍神。《山の神》様の話だと、クリスマスに参加していた人たちが集まるみたいです。椿や浅間さん、ノイン。……それ以外に別の世界から来ていた人たちがいるなら探そうと思うのですが……」


 龍神は柳眉をやや釣り上げた。


「《山の神》にそう言われたのですか?」

「いえ。でも、ほかの方々が何も知らずにこの空間に来ていたら困るだろうって……。それにタダ券も使い切らないといけないですし」


 慌てて燈は自主的に、お節介を焼こうとしている旨を告げる。龍神は「相変わらずお人好しですね」と口にしながら、そんな彼女を愛おしいと彼女の頬に手を伸ばす。


(ふわああ。か、会話が持たないっ……! あと、すごく意識しすぎて、心臓がぁああ! 誰かヘルプ!)

(姫が尊すぎる。こんなに近くに居たら気持ちを抑えるなど──くっ、なにか話題を変えるか、誰か現れてくれ!)


 互いに想いを伝えるなら戻ってから──そう思えば思うほど、抑えきれない感情が溢れてしまう。

 そんな二人の空気をぶち破ったのは──


「あーるーじーっ!!」


 咆哮にも近い怒号。

 ──と、同時に空から飛来した緋色の鎧武者は、白い砂浜に爆風と粉塵ふんじんをまき散らして降り立った。


 龍神は吹き荒れる砂風から少女を守ろうと、咄嗟に燈の腕を引いて抱き寄せる。鎧武者は燈たちから二十メートルほど離れていた所に着地していた。その後で宇佐美杏花がゆっくりと砂浜に降り立つ。


「あ……」


 燈は龍神の腕の中で、二人の姿を捉えた。

 思わず目をこすって見直すが、見間違いではない。


「椿、杏花!」


 気づけば燈は、砂浜を駆け出していた。それに合わせて鎧武者も少女に歩み寄り──杏花も戸惑いながら近づく。


「我が主! 無事でなにより!」


 燈は躊躇なく式神──鎧武者に駆け寄り、彼は膝をついて主君たる彼女のまで頭を下げる。


「仮契約が切れたから、すっごく心配したよ。急いで仮──本契約を結んじゃおう!」

「主よ、そのコンビニに行こう、みたいな軽さで言うではない」

「そうよ。それにこの空間でその手の契約は、無効化されちゃうと思うわ」


 ひょっこりと顔を出す杏花に燈は歩み寄って、両手に触れた。


「杏花! 無事でよかった。怪我とかはしてないんでしょ?」

「もちろんよ。あそこにいる龍神様の慈悲のおかげね」



 ***



 燈たちは浜辺で合流したのち、《旅のしおり》と書かれたhotel・OBOROへと向かうことにした。

 見るからに高級リゾートホテルの中に足を踏み入れると、金色の豪華な外装。高い天井、目を奪われるほど美しいシャンデリアに、広々としたロビーが燈たちを出迎える。奥には階段ロビーが視え、周囲には休憩スペースのテーブルやクッションが窺えた。


 ――本日はHotel・OBOROにご来店いただき、誠にありがとうございます。


 ――現時点で参加メンバー計四名確認いたしました。達成人数まで残り九名。


「ふぇ!?」


 唐突なアナウンスに燈はビクリと驚き、傍に居た緋色の甲冑に身を包んだ式神──椿が腰に携えた柄へと手を伸ばす。

 杏花や龍神もどこか緊迫した面持ちで身構えていた。


「これは──、術式結界!?」


 杏花がいち早く気付き、燈が「え!?」と素っ頓狂な声を上げている。


「ならば押し通る!」


 式神が飛び出して、何もない空間に向かって抜刀するが──


 きぃん、と金属音が響き渡った。

 不可視の壁が形成されているのか、式神の刃を通さない。


 ――参加人数が足りないため、閉鎖空間を展開致しました。


「チッ、遅かったか」


「ふう」と龍神は溜息を漏らすと、片手を翳す。


「え、ちょ……」

「仕方ありませんね。少し手荒ですが──」


 龍神の片手に凄まじいエネルギーが凝縮されるのを見て、燈は慌てて彼を止めようと飛びついた。


「龍神、す、ストーップ!」


 止めるつもりだったのだが、勢い余ったため力いっぱい抱き着く。


「!?」

「こんな豪華なホテルを破壊でもしたら、請求書がぁあああ!」


 どこまでも常識的な燈は真っ青な顔で龍神に抱き着いたままだ。対して龍神は想い人に抱き着かれて放心している。


 ──参加人数が達成するまでしばらく、こちらでお待ちください。なお、軽食のみもの、ゲームの貸し出しも行っております。詳しくは……。


「……なんだか、一気に疲れたわね」

「そうだな」


 杏花と式神の鎧武者は溜息を漏らした。


 ***


 それはロビー中心にあろうことか、朱色の絨毯を敷き詰めていた。さらに鎧武者、白銀の偉丈夫、少女二人は輪になって座り込んでいる。さらに重苦しい空気にあった。

 ゴゴゴッ……、と緊迫した空気の中、緋色の甲冑を着た鎧武者が口を開いた。


「周囲を調べたところロビーの一角──まあ、正確に言えばフロント前の階段、ロビー入口、空港入口前、客部屋に向かうエレベーター前と三十メートル前後の部分的な結界が発動していおる」


 式神は現状報告を告げると、燈の。ちょうど数字があったのか、一枚捨てて隣の杏花に最後の一枚を渡して上がる。


「さっき秋月さんとトランプを取りに行ったら、テレビ画面に残り九人、制限時間二時間と書いてあったわ」


 杏花は式神から貰ったカードで最後の一枚となったので、龍神に渡す。


「うーん。残り九人って、クリスマスの時に一緒だったノインたちが含まれるのか、それとも別の世界の人たちが現れるのかが気になるんだけど……」


 燈は龍神からカードを選ぼうとするが、なぜかカードを離してくれない。


「そうですね。……しかしそれですと人数が合わない。ノインと武神を入れたとしても、金髪碧眼の少年アルヴィン黒髪の双子ジジ、ミケFBIジョン女の守護霊アネットで七人で二人足りない」


 龍神は真剣に告げているが、トランプのカードを手放さないでいる。


「でも龍神、今回は杏花がいるので異世界の方々も人数が増えているのではないですか? あと、カードを取りたいんですけど……」

「たしかに。その可能性もある。……姫、本当にそのカードでよいのですか?」


 龍神の目がキラリと光った。


「うっ……。まさか、こっちがババ?」

「さて、私は姫が悲しむのを見るのは嫌だったのですが、どうしてもいうのなら……」


「うぬぬ……」と、燈は身悶えしながらどちらのカードを取るかで悩んでいた。


(遊ばれていますね)

(遊ばれておるな)


 すでに上がった杏花と式神は、ソファーに座り直しながら暢気にお茶を啜っていた。


「ところで使い魔さん、その異世界の方々は無害なんですか?」

「む? まあ、珍妙な格好をしている三人組だったが、害はないだろう。もう一組はFBIだったので、理解が早いだろうな」


 ──♪ファレラレ ミラッラ ミファミラレ、参加者が入場いたしました。


「なんでファ〇マの入店音!?」と燈はロビー入口へと振り返る。


「姫、正確にはパナソニック電工のオリジナルメロディサインだそうですよ」


「なんだ、その無駄な知識は?」と式神と杏花は心の中でツッコんだ。


 しかし、ロビー入口にはそれらしい人影はない。


「あれ? 誤報?」


 そう思った燈だったが、空港入場口の方から複数の足音が聞こえてきた。

 すぐさま警戒態勢を取ったのは式神と杏花の二人だ。鎧武者は構えたままいつでも抜刀できるように柄に手を伸ばす。


 ──が、式神は現れた四人組──黒髪の少年あるいは少女を目視した瞬間、構えを解いた。


「ふむ、どうやら敵ではないようだ」

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