2020トリプレット・サマー・バケーション!~夢幻南島神庭キキナワ~

プロローグ それは胡蝶の夢に似て

 記憶を取り戻して秋月燈あきづきともりは、目覚めようとしていた。

 彼女は黒髪の十五、六歳ぐらいの少女だ。装いは白いロングコートに、中は白の肌襦袢。登山用のブーツ、腰には刀を佩刀はいとうしている。背丈は百六十センチほどで、ほっそりとした体形だ。幼い顔立ちをしており、美人というよりも愛らしいという印象が強いだろう。


 燈は夢から目覚めようと、深い水底潜在意識から抜け出しているところだった。だが、途中で燈は妙なことに気付く。


 急に水底の雰囲気が変わった。水面には月明かりが差し込んでいたはずなのに、今は真昼のように明るく水底を照らす。水面へと引き寄せられるように体が浮遊する。


(これは……?)


 何かが変だと気づいた瞬間、途端に息が苦しくなる。


(あれ……。夢なら、そんなこと……うぐっ……って、これ本物の海!?)


 息ができず、燈は急いで水面を目指して泳ぐ。


(……って、力が入らないのは変わらないとか……今までにかつてないほどまずいんじゃ!? 水死体はイヤー! どざえもんとか身元が分からないらしいし、そもそも発見してもらえるかも分かんないし!)

『心配するのがそれなの!? もう、しょうがないわね!』


 唐突に燈の頭の中に式神の一人、菜乃花なのかの声が響く。

 ──と、同時に水中に光に包まれた金色の蝶々が密集する。その姿を目視して、燈は嫌な予感がした。


(あ、これまさか──)


 ***


 轟ッツ!

 苛烈な爆発によって強引ではあるが、燈は水面へと押し上げられて、一気に海を飛び出し、空中へと放り出された。


「ふぁああああ!」

『ふふん、これなら一気に水中から脱出で来たでしょ♪』


「もうちょっとやり方があったんじゃ……」と悲鳴を上げたくなったが、それどころではない。

 水面から飛び出した燈の体は軽々と宙を飛ぶ。

 青い空、燦々さんさんと降り注ぐ真夏の日差し、潮の香りと波の音──

 そして


「なんで!?」


 海の上を走る猪は燈をその背に乗せると、そのスピードをやや緩めた。白いイノシシで体に朱色の紋様が入っている。


「かかか! 久しいのう、娘」と白い猿が燈に声をかけた。

 全身真っ白な猿、猪と同じように朱色の紋様が入っており、どこか愛嬌のある顔をしている。

 ずぶ濡れの燈は近寄る真っ白な猿をジッと見つめた。


「えっと……。どこかで……」


 記憶を巡らせる燈に、真っ白な猿は「かかか」と笑った。


「なんだ覚えておらんのか? 去年のクリスマスに面倒ごとを押し付──依頼した《山の神》じゃよ♪」

「んー、えっと……確かに、そんな夢を見た様な……」

「ま、魂だけだから無理もない。今もそんな状態だしのう」


 それだけ聞いて、燈は今の自分がどのような立場なのかを思い出す。冥界の危機、なにより式神と浅間の戦いのことを鮮明に思い出した。


「そうだ、こんなことをしている場合じゃ……」

「いいや。これはお前さんに必要なことだ。クリスマスの時も、今も戦い続けている。これでは魂が摩耗まもうしてしまうからな。それに……」


「それに?」と、燈は小首を傾げた。


「せっかくの夏なのに、シリアスモード全開で、つまらん! 酒を飲むなら楽しいことでのみたいのだ!!」


 いつの間にか赤い瓢箪ひょうたんを取り出し、酒を煽った。


「……いや、えっと、冥界とか現世の危機なんですけど」

「それはそれ、これはこれじゃ!」と《山の神》は断言した。

「だいたい、クリスマスも結局バトルがメインで、クリスマスらしいことなどほとんどしていなかったではないか!」


「それは神様同士が妙な賭け事をしたせいではなかった」と燈は思ったが黙った。たしかに「ケーキの食べあいっこ」「トナカイのソリに乗る」「サンタと死闘」「プレゼント交換」のミッションをこなすとあったが、ほとんど戦闘バトルをした記憶しかない。


 何より浅間のサンタ姿を思い出し、燈は吹き出した。


(ふふっ……思い出したら……。懐かしいな。それに──)


 燈はクリスマスプレゼントとして、龍神に茜色のマフラーを渡したことを思い出した瞬間──顔が真っ赤になった。


(ふああああ……! そ、そうだった。あの時は記憶も戻ってなかったし、お礼のつもりで……)


 燈の表情を読んでか、《山の神》はニンマリと嬉しそうに笑った。


「ふむふむ。せっかくじゃ、夏のバカンスを楽しむがよい。もともとクリスマスでは褒美と言って元の世界に返す程度だったからのう」

「確かにそうでしたけど……。でも、どうして今頃?」

「対価に過不足があればワシらの命が危ういからのう。ゆえに今回は何かを退治するとかはナシじゃ。存分にを楽しむがよい」

(これは……。たぶん他の八百万の神様から言及されたんじゃ……)


 頭が痛くなりそうだったが、燈は状況を整理する。


「ではありがたく、バカンスを楽しませてもらいます」

「うむ! クリスマスのメンバーもそれぞれ島に呼び出しておるから、このあと合流しておくがいい」

(ん? クリスマスのメンバー?)


 燈は一瞬、いやな予感がしたが、深く考えることはできなかった。なぜなら──


「では急ぎ向かうぞ摩利支天まりしてん

「おっけーーーーー」


 ジェット船並みの速度で白い猪は海を駆け──その心地よい風、もといすさまじい強風と揺れが燈を襲う。少女は振り落とされないように、しがみつくだけで精いっぱいだった。


 ***


 同じころ──。

 高度一万メートル。

 見渡す限りの青空と雄大な雲、そして海。

 落下している中で、それは行われていた。

 凄まじい剣戟の応酬、巨大な爆発に破裂音。衝撃は周囲に凄まじい爆風を生み、オレンジの爆炎が空を染める。

 怒涛のような攻防が空中戦で行われていた。


 落下しながらも二人は互いに刃を交え、殺し合いを繰り繰り返す。互いに片足、片腕がもがれようとも急速再生する。


 憤怒。

 憎悪と殺意に満ちた声が相手の名を呼ぶ。


「答えろ武神、主をどこにやった!」


 緋色の鎧武者──燈と仮契約を結んだ式神、椿つばきは武神であり、現人神である浅間龍我あさまりゅうがに問うた。

 三十代男性──黒い軍服姿。深緑色の長い髪は後ろで一つに結っている。その斜めに切りそろえられた前髪も変わらない。二メートルを超える巨体の偉丈夫。


「さてな。俺もこの空間に飛ばされた側の一人だからな。秋月燈がどこにいるのかは知らん」


 浅間は呑気にそう言いながら、式神の攻撃を弾き返す。失った片足も、すぐさま超再生により元に戻る。


「なら今のうちにお前の魂を殺し、主を連れ戻す!」


 式神は再生した片手を掲げると、黒々とした炎を纏い巨大な火の玉を作り出す。それは禍々しくも、太陽に匹敵するほどの圧縮されたエネルギーを有していた。


「面白い、ならばこちらも相応の力で──」

「はい、そこストーーーープ!」


 唐突の制止と共に姿を見せたのは燈──ではなく、紋付き袴とある学校の制服姿の娘が飛び込んできた。その姿に争っていた式神と浅間は攻撃を中断する。


 姿を見せたのは燈の学友、宇佐美杏花うさみきょうか。クラス委員長で、宇佐美楓うさみかえでの双子の姉であり──《双頭の魔女そうとうのまじょ》という名を持つ魔女だ。

 すらりとした体型の割に胸の発育が良いせいか、着物制服が少しばかり苦しそうに見える。栗色のふわりとした髪は長く、腰まである。


「秋月さんなら無事です。あと少しで合流できますので、お二人とも刃を収めていただけませんか?」


 杏花は穏やかな声で、怪物と化物相手に一歩も怯むことなく告げる。むろん、ただのハッタリではないのだろう。


「証拠は?」

「何を知っている?」


 杏花は魔道具の一つ、空を飛ぶ絨毯を展開させると、浅間、式神に《山の神》の名を出し、滔々と語った。



 三十分後──。



 空飛ぶ絨毯は正方形の形で約二十メートル前後で、三人を乗せながらの移動していた。ゆっくりと高度を落としつつ、目的地に向かっている。


「という訳で、バカンスでは争いは禁止ですので」

「なるほど。ならば俺は一人で夏のバカンスとやらを過ごすとしよう」


 杏花から話を聞いた浅間は納得すると、その場から立ち上がった。胡坐をかいたまま座した式神は、ギラリと緋色の瞳で浅間を睨む。


「万が一、我が主に接触する素振りを見せれば問答無用で斬りつけるが良いか?」

「いいだろう。出来る限り近づかないよう善処する」


 それだけ言うと浅間は絨毯から飛び降りて、目的地の周辺の森へと降りて行った。


「行っちゃいましたね……。まあ、これはこれで秋月さんと引き離しには成功したので、良いですが……やはり動向か気になりますか?」

「然り。約束を違える男ではないが……このような茶番に付き合うかは分からん。用心はしておくべきだろう」

「それならオレが浅間龍我の見張り役となろう」


 ふと、第三者の声に杏花と式神が振り返ると──パラシュートを付けたまま落下しているノインの姿があった。

 黒い軍服姿に、精悍だがどこか作り物めいた顔に、短髪の赤毛。見た目は十代後半──もしかしたら二十代かもしれない。背丈は一七〇に届くかどうかといったころだ。


「小僧」

「ロボ〇ップ!」

「肯定──このまま浅間龍我はオレが見張る。何かあればヤマツチを向かわせるので、安心してバカンスを楽しむと良い」


 それだけ言うとノインはそのまま浅間が降りて行った森へ降りて行った。

 ノインを見送った後、杏花と式神は僅かに安堵の溜息を漏らす。


「とりあえず秋月さんの安全は確保できそうね」

「そうだな。《山の神》の目論見は相変わらず読めぬが、魂が疲弊している主にはこのバカンスはよい清涼剤となるだろう。魔女、お前も協力してもらうぞ」

「ふふ、もちろんよ」


 杏花と式神は固い握手を交わしたのだった。


(これで秋月さんと一緒に夏を満喫できるわ)

(これで主の安全は確保できる)


 二人はもう一人肝心な者の存在を忘れていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る