第6話 一難去ってまた一難

 空を駆ける竜馬りゅうまに乗った龍神は手綱を引きながら、燈に声をかける。

 竜馬とは龍と馬の混血獣で、馬の体をしているが、花緑青はなろくしょう瑪瑙めのうの鱗がある。背丈は二・五メートルと大きく、頭部は龍で角が二本生えていた。千里の道を駆け回り、水の上も沈むことなく走り続ける事が出来る。


「姫! 手を伸ばしてください」

「神様!」


 差し出された龍神の手を燈は掴んだ。あっという間に引き上げられ少女は、龍神の前に乗り込んだ。


「姫、手綱をお願いします」


 助かったと思いきやいきなりの無茶振りに、燈は心の中で悲鳴を上げた。

 馬に乗った経験など思い返してもない。何をどうすればいのかまったく思いつかなかった。顔を真っ青にしながら少女は首を横に振る。


「無理無理」

「姫なら大丈夫です」


「何を根拠に!?」と思いながらも、襲い来る浅間の猛攻に覚悟を決める。

 燈は手綱を掴むと、その場から離れようと龍馬の腹を足で軽く蹴った。


「はっ!」


 不思議と体が動き、龍馬もまた素直に従う。空を駆ける心地は自分自身が飛んでいるような浮遊感を覚えた。


(すごい! しかもこの竜馬、すごく賢い!)

「ほう、青龍せいりゅう。または応龍おうりゅうを出して来るかと思ったが、竜馬とは意外だったな」

「神獣にソリを引かせる武神ほどではありませんよ」

(確かに……)


 心なしか麒麟と白澤は心苦しそうに空を飛んでいる。吉兆の印が破壊活動などさぞ胸を痛めているだろう。


「まあ、他にいなかったのでな」

(そういう問題なのかな。……ってししょ──じゃなくて浅間さん、心なしか戦うの楽しそう。まあ、ノインや式神が言うには《武神》らしいから、血が騒ぐみたいな感覚なのかも?)


 よくよく見るとソリというよりは、春秋戦国時代に使われていた、中国の戦闘用戦車チャリオットに近かった。赤と緑で装飾を飾り、金色のベルがいくつも手綱についているのでシャンシャン、という場違いな音が鳴り響く。

 はっきりいって全然ロマンチックではない。燈の中でサンタのイメージが恐ろしい形に上書きされつつあった。


(とにかく! 今を生き残らなきゃ……!)


 襲い来る矢の雨から逃れようと、燈は必至で手綱を握った。直撃しそうなものは全て龍神が打ち砕く。

 空中で衝撃波がぶつかり合う──


 ***


 日が出ていても冬の季節は、あっという間に夜が忍び寄る。

 浅間は龍神たちも、また空中戦で戦いを挑んで来ることを想定していた。だからこそ武器を剣ではなく弓に選んだのだ。矢がたまたまにぶつかったのであれば、故意とはならない。かなり強引な理屈だがこの空間内では大事なことだった。


(ここから射撃目標までの直線距離は……、約十二・九四キロか。風向きも考慮に入れ──)


 浅間は狙いを定め、燈と龍神をに誘導する。手綱は戦いに入ってからソリに固定しており、運転は麒麟と白澤に任せていた。

 徳と吉兆の象徴である神獣がいる場所にヨクナイモノが顕現しにくい。つまりはこの戦いに、第三者が


「龍神、久々に比べをしないか」

「断る」

「なら貴様らごと打ち抜くだけだ──《雷帝の春雷らいていのしゅんらい》」


 そう宣告すると浅間は、先ほどとは比べ物にならないエネルギーを込めた矢を放った。すさまじい熱量持ったの矢は、周囲の温度を一気に灼熱へと変える。対して龍神は涼し気な顔のまま、手を翳し──


万雷の風烈ばんらいのふうれつ


 突風──否、竜巻と稲妻によって烈々たる雷の矢は、本来の威力を削がれ暴発。

 轟々と破壊音が響き、爆風と土煙が混じる中──竜馬に騎乗した燈が浅間の視界に入る。だが、そこに龍神の姿は


「なっ。貴様秋月燈を囮にしたのか!?」


 浅間は思わず驚愕の声を上げた。

 それと同時に、パレットタウン施設内から凄烈な破壊音が轟く。ついでノインと式神が爆風の中から飛び出してきた。


「式神!? それにノインまで」


 燈の良く通る声に引きずられ、浅間の意識が式神とノインに向く。

 その隙に乗じて、龍神は宙を飛び浅間の背後を


「!」


 浅間の放った稲妻を龍神は圧縮して、矢の形へと作り替える──その形は矢羽に似た九〇センチほどの長さに整えた。

 金色に似た煌めきを帯び、矢先はチリチリと火花が散る。次いでもう片手を翳すと、風が纏わりつき──それらは半透明の梓弓の形となった。


「くっ……」


 浅間が振り返った時には、引き絞られた弦が龍神の指から離れた瞬間だった。


千矢ちや


 燈の目には矢ではなく、一条の光が解き放たれたようにしか見えなかった。

 閃光が浅間の頬を掠め──遥か彼方の──ある建物に張り巡らされていたごと貫いた。

 一条の矢は、金色の残滓を周囲にまき散らしながら暫しの間、空に降り注いだ。


「これで十分か? 武神」


 宙に舞う龍神の白銀色の髪が靡く。

 龍神は途中から浅間の目的に気付き、《サンタの死闘》に紛れ込ませた本来の目的を果たす。つまりはある結界の破壊。それもあくまで偶然を装う必要があったようだ。


(まったく……。本気ではなかったとはいえ、なんと強引な。姫も驚いているではありませんか……)


 龍神は燈の無事を確認して溜息を吐いた。


「ふん、茶番に付き合わせて悪かったな」

「あ、あれが……茶番……?」


 燈はつい先ほどまでの苛烈な戦いを、と言い切った浅間と龍神を交互に見やった。


(いやいやいやいや……。私、本気で死にそうになったんですけど……!)


 燈は浅間に説明を求めかけたが──


「せっかく三徹夜して強力な結界を作ったのに、何するでござるか!?」


 唐突に金切かなぎり声が響いた。


 ***


 あきづきともりは唐突な金切り声に、慌てて振り返ると──女人の容姿を見た途端、驚愕の声が漏れた。


「え、あ……」


 二本の黒い角、般若の面。それだけで人からだいぶかけ離れた者だと推測できた。


(鬼? ……でも、なんか違う?)


 燈は僅かな情報を得ようと手綱を引いて般若面の女人に近づく。しかし──瞬き一つの間に姿は消え、二回目の瞬きで般若面の彼女が燈の目の前に突如現れた。


「!?」


 たけるような激しい双眸そうぼうに、燈は身がすくんだ。竜馬がいななく。


 鈍色に煌めく曲刀の刃が燈の首に届く寸前、浅間と龍神が日本刀で弾いた。

 キイン、と甲高い金属音が響く。


「させませんよ」

「ふん、珍しく意見があったな」


「チッ……!」と般若面の女人は舌打ちすると、火花を散らすような剣戟を交わす。

「ヒヒン」と竜馬は背に乗る少女を気遣ってか、それとも本能的だったのか、その場から離れようと上空へと駆ける。


「うわっ……!」


 燈は振り落とされないように手綱を握りながら、竜馬の首に抱き着いた。観覧車のてっぺんほどの高さに到達すると周囲を一望する。

 ノインと式神は大量に湧いて出た蛇を相手にしているようだ。


(この空間のアヤカシは蛇だった……?)


 燈は竜馬に跨ったまま旋回し、周囲をつぶさに観察する。ふとレインボーブリッジから何かがやってくる。巨大な空飛ぶ鳥。

 そしてその背後には、同じくらい巨大な──


「コケコッコーーーーーーーーーーー」


 離れていてもその凄まじい鳴き声に、燈は思わず両耳を手で塞いだ。


(うるさい……!)


 鶏はレインボーブリッジを渡って燈たちの方に向かってくる。乗用車がまるでオモチャのように簡単に吹き飛び、潰れていく。

 車に乗っていた人たちが潰れると、シャボン玉が弾けたように消えてしまった。


(この空間を作るに集められた誰かの意識の断片……ってことなのかな)


 燈は色々と考えるが今は、目の前に迫っている巨大な鶏を何とかする方が先だ。それに空を飛ぶ鳥は、お台場に誘導しているのだろうか。


(烏……だけど岩? なんかゴーレムみたいな妙な鳥。敵か味方かそれとも──)


 どれもが推測の域を出ない。

 燈は手綱を握る指が僅かに力んだ。自分が行くべきかそれとも──


『調べて来るか? 紛れ込んだ一般人……という訳はないだろうが、保護するならしておいた方がよいのだろう』


 燈の脳内に直接式神のダミ声が反響する。傍に居なくとも影を通して繋がっているからこそ出来るやりとりだ。


(うん……。私も向かおうか?)


 今この場で戦っていないのは燈だけだ。それを知っているからこそ、その提案を式神に投げる。


『いや、何があるか分からん。少なくとも主は龍神と武神の傍から離れない方がよかろう』


 式神との会話が途切れた後、燈は独りごちる。


「……守る、か。でも、私がいていいのかな……。というか、傍にいて生き残れる自信が……」


 はた目から見ても人間やめちゃった人たちの動きだ。剣戟と激しさは刃の散らす火花と、悲鳴にも似た金属音。


「かかかっ、それは問題なかろう。うじうじ悩むこともあるまい」


 燈の影から鎧武者式神の顔だけが現れた。


「よぅ☆」

「ふあ! びっくりさせないでよ」

「勝手に落ち込んでおるお主が悪いのじゃ。何を遠慮しておる、いつも通りにすればいいだろう」

「いやいやいや。あんな目に見えない速さの剣技に、私がついていける訳ないでしょ」

「当たり前だろう。あんな動き、人間が出来たら化け物だ、化物」


 燈は頬を膨らませて反抗すると、式神は軽く少女の頭を小突いた。


「主には主にしか出来んことがある。それは某たちでは、逆立ちしても出来んことだ」

「…………!」


 燈の揺らいでいた瞳が真っ直ぐに式神を捉える。彼は鷹揚おうようにうなずくと、影の中に消えてしまった。

 少女は小さくため息を吐くと、竜馬が小さく鳴いた。

「ググググ……」低く、けれど穏やかな鳴き声。おそらく気遣ってくれているのだろう。少女は竜馬の首元を軽くたたいた。


「そうだね。私に何が出来るって訳じゃないけど、それを探すことを諦めてたらなにも始まらないものね」

「よう言った。それでこそワシらが見込んだ者だ!」


 ででーんと、酔っ払って頬を赤くした白猿──山王が燈と同じ目線で現れた。赤いちゃんちゃんこ姿に、愛嬌のある顔だったが、その声音は《山の神》に相応しい威厳のあるものだった。


「人の子よ。やってもらいたいことがある」


 ***


 龍神と浅間はつばも鞘もない抜身の黒光りする刀を振るい、般若の女人と剣戟を交えていた。だが般若面の女人は二神相手に、降り注ぐ剣の雨を全て紙一重で避け続ける。


「デュフフフww あの小娘を庇うってことは、ズバリ惚れているのね! このリアじゅ──」

「いや、まったく」

「……違います」


 即答する浅間と、若干間があったものの心底嫌そうに否定する龍神の返答に、女人の動きがピタリと止まった。


「………………え、ちがうの? 拙者の勘だとFall in loveホォーリンラブではないのでござるか?」


「そんなことより、貴様の躱し技は見事だと言っておこう」と浅間は話をぶった切った。彼は切れ長の剃刀のような瞳で睨み、鋭い刃先を般若面の女人に向ける。


「デュフフフww それはどーも。……って、話を終わらせるな。こっちはマジでござるからな!」


「はぁ……」と、ため息を漏らしながら浅間は、鋭い一撃を予備動作なしで放つ。しかしそれすら般若面の女人は躱す。


「これだから厨房kskは……。ちょっーーーーーーと、そこの小娘!」


 急に般若面の女に刃先を向けられて、燈はあわあわしていた。というのもたった今、白猿山王から頼みを聞いた直後だったからだ。


「え、私?」

「そうでござるよ。生意気にも《姫》なんて呼ばれちゃって! なんなのよ! 貴様はずばり此処にいるが好きなんでしょ!」


 そうペラペラと口上を述べている間に、燈に難題を押し付けた白猿は姿を消した。それはもう手慣れたほど、スッといなくなっていたのだ。

(……って、また逃げたし。あーうーん)と、燈は独り頭を抱えていた。


「どうなの好きなの!? ね、どうなのよ!」

「あー、もう! 好きじゃないです!」


 キッパリと言い切ると少女は手綱を引いた。まずは白猿山王の言ったことを実践するために、式神とノインとの合流が先決だ。


「今、考えている余裕なんてないです!」


 そう言い切ると少女は龍馬の腹を軽く蹴って、レインボーブリッジの方面に向かう。燈の背が小さくなると、龍神はその場に膝をついてしまった。

 彼には「あー、もう好きじゃないです」と聞こえたのだろう。そしてそう捉えた人物がもう一人いた。


「速報☆ガチ振られキタ━━━(゚∀゚)━━━!!ワラ!」

「くっ、まさか眼中にもなかっただなんて……」

(いや多分、アイツ話を聞いてなかったと思うが……)


 浅間は瞳を固く閉じ真実を告げるか悩んだ。

 龍神の前髪が垂れ、ほんの少しだけ睫毛が揺れた。そしてもっとも動揺しているのは般若面の女人もそうだ。


「…………」


 ついさっきまで苛烈な死闘を繰り広げていた熱も、空気もない。あるのは気まずさだけだ。

 あまりにも龍神が本気ガチで落ち込んだため、般若面の女人は刃を構えるが──どうにもやり辛いのか一歩踏み出せない。


「あばばばば……くぁwせdrftgyふじこlp」


 般若面の女人は、この空気を作った張本人だが、既に耐えきれず戦慄していた。


(日本語を話せ……。さて、あの《ビルに閉じ込められていた》がどのぐらい使えるのか知らんが……、合流するまで今暫くは時を稼ぐ必要があるか……)


 浅間は黙したまま、事の成り行きを見守っていた。

 先に異変を見せたのは般若面の女人だった。龍神の玉砕が彼女のに響いたのか、自分の白金の髪先をいじり出す。


「せ、拙者も……その……クリスマスの一週間前に恋人から別れを切り出されたから……、なんか気持ちがわかるでござる……」

「…………」


 龍神は俯いたまま顔を上げずに、固まったままだ。

 般若面の女人はゆっくりと龍神に歩み寄り、間合いギリギリまで近づいた。


「銀髪氏……イラオコして全世界のリア充を爆発させたくない? 傷つけて捨てた奴らを……今度は拙者たちで……地獄に叩き落とすでござる!」


 般若面の女人の体から、どす黒い嫉妬の炎が吹き出す。それはまるで先ほどまでの陽気さが掻き消え、邪悪に満ち満ちていた。

 浅間はその邪気の濃度に、これ以上のは出来ないと判断する。


(さすがは《蛇》。……それも原始的な神に切迫する力に、憑りつかれただけのことはある。ああなってしまえば人間の人格など跡形も残らんだろう)


 浅間は今まで黙っていた重い口を開いた。


「秋月燈は、貴様にサプライズプレゼントを用意しているのだろう。ならば、少なくとも嫌われてはいないのではないか」


 たったその一言に、石像のように固まっていた龍神の肩がピクリと動いた。


「……そうですね。あまりにも真っすぐに、そして力強く姫が否定をされたので、正直もうだめかと思いましたが……。サプライズプレゼント。この行事を迎えるには、ここで倒れるわけにはいきません」


「メンタルが豆腐……」浅間は喉まで出かかった怒号を抑え込んだ。本当に龍神は燈が関わると最弱にも最にもなる。


「秋月燈とデートの続きをするのなら、さっさと終わらせるに限るぞ」

「無論です。まだ姫と観覧車に乗っていませんし……!」

「ああ……。そうだな。貴様は昔からそういう奴だった」


 龍神は手を翳し、指先を般若面の女人に向ける。その雷撃は先ほど光の矢と同じぐらいの熱量がその場に生まれた。

 突如発生した稲妻に静電気が走り、バチバチと大気が震え──まるで光の檻のように包囲網が完成していく。


「いくら躱すのが得意であっても、超広範囲による全方位からの攻撃ならどうです」


 般若面の女人彼女の首が垂れ下がり、独りでブツブツと何かを呟いていた。すでに彼女の魂は真っ黒に染まり──まるで壊れたCDのように同じ言葉を繰り返す。


「ア……、アアアアア……。幸せな人間、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い。……こうなったのも全部、全部、リア充のせい! リア充、リア充……ね!」


 彼女の声に応えるように、奇声が響いた。

 咆哮と共に水中から、何かが飛び出す。それはまるで深緑色の巨大な柱が、天を穿たんと水飛沫を上げて飛び出す。その数全部で八つ。


「ゴァアアアアア!」


 それは古事記曰く──の目、赤かがちの如くして、身一つに八《や》つの頭《かしら》・つの尾有り。また、其の身に蘿《ひかげ》とすぎと生ひ、の長さは谿たに八谷やたに八尾やをわたる。其の腹を見れば、ことごとく常にちえただれたり。


 その話を聞くだけで、大体何の神話か分かるほど有名な怪物。

 白猿山王はこう言ったのだ。


「あの怪物を眠らせるのが先だ」と。しかし、それはあまりにも遅すぎた。怒り猛り狂う八頭の蛇は一頭ごとに目の前にあるものを呑みこみ、壊していく。

 そこに感情も何かを想う意志もない。ただ欲望だけが塊となった暴風雨はその場に集った者たちものとも吹き飛ばす。


雷光万華らいこうばんか


 龍神の雷鳴が穿たれ──周囲は白亜の光に包まれた。


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