第3話 笑う門には福来たる
「そうですか。それはよかった、なら──」
「
彼女の記憶喪失は通常のそれと異なり、術式の
順序立てた情報、そして少女が自ら記憶を取り戻そうと動かないと駄目だという結論が出たのは今年の春だった。龍神は以前、彼女に状況の説明をしようと試み──結果、燈の体を傷つけた。
「……神様?」
燈は龍神を心配して顔を覗き込む。
彼は愛しい者を前に膨れ上がる想いを押し殺し、気取られぬように言葉を選んだ。
「……いえ。それよりもその黒い不格好なコートなど脱いで、こちらの服に袖を通してください」
そう言って龍神は燈からノインのコートを脱がせると、藍色のPコートを差し出した。
「は、はい……?」
燈は小首を傾げながらも、藍色のPコートを受け取りサイズの確認をすることにした。
***
現在13時過ぎ──
ヴィーナスフォートの二階にやってきた燈たちは、パンフレット冊子と周囲のショップを交互に見返す。
「それじゃあ、改めて。ししょ……浅間さんからの軍資金を頂いたので、ちゃっちゃと《条件》を満たしちゃいましょう」
ノインは鎧武者姿の式神に尋ねた。龍神も気になったのか耳をそばだてる。
「疑問──なぜ急にやる気になっている?」
「ああ……。それはな、もたもたしていたら武神が、我が主を連れまわすと言い出してな」
「姫を……それはまさか……
「《心の友その壱》を連れまわす……
式神の言葉になぜか龍神はライバル心を募らせ、ノインは興味津々な顔をしていた。
(あ、それぞれ違う
燈は紙に書かれた《条件》を改めて確認していく。
「まずは《ケーキの食べ合い》っこだから……。えっと、店の名前は《カフェ・ユーデモニクス》で、イチゴたっぷりのホワイトケーキのホールを購入せよ。……って指定されているみたい。まずはそこに行ってみましょう~」
「承諾」
「わかりました」
(ん? カフェ・ユーデモニクス? 確かあの店は……)
式神は何か重大なことを忘れていたような気がして頭をひねる。
だが彼が思い出す前に、店に着いてしまった。
カフェスペースのない販売のみの小さなケーキ店舗だ。こじんまりしているが、女性受けしそうなアンティーク風の看板と内装。そしてショーケースのケーキを前に、燈とノインはしゃがみこんで、子どものようにその場に張り付いた。
「うわぁ。どれも美味しそう」
「これがクリスマスケーキ……。白と赤のバランス……これは黄金比?」
「いらっしゃいませ~。決まりましたらお声掛けください」
完璧な営業スマイル。こざっぱりした髪型、一八〇まではいかないものの長身、アスリートに近い健康的な体格の男は、コックコート姿で燈たちに声をかける。
彼の名は──
「ぶーーーーーーーー!?」
真っ先に気付いた式神は思い切り噴き出した。
彼の名は
式神は子どものようにショーケースを眺めている燈を奪取すると、その場から連れ去る。それまでの所要時間僅か〇・三秒。
***
「ぬのおおおおおおお!?」と心内で叫びながら燈は式神に拉致られた。
その姿を見てノインはすぐさま状況を察知し、龍神は式神の行動理由が分からず小首を傾げていた。
「式神は姫を連れてなにを?」
「《心の友その弐》。彼女は……たぶん、お前のプレゼントを……きっと? そう、買いに行ったのだろう。……たぶん? まあ、気にするな」
「そうですか、それなら仕方ありませんね」
子どもでも気づく嘘だが、連れ去ったのが式神だったので龍神は不承不承しつつも、その言葉で納得した。
「……それよりも《
ノインは逡巡し一度目を伏せたのち、唇を開いた。
「肯定──秋月燈と同じく、敬意を表しているに過ぎない」
「そうですか。では、姫の代わりにケーキを購入してしまいましょう」
「同意」
***
燈と式神は、ヴィーナスフォート奥の非常階段まで移動していた。
式神はケーキ屋から逃亡した理由を全力で誤魔化す。まさか「燈の命を狙う
「なるほど。神様にサプライズプレゼント……。うん、さすが式神。ナイスアイディアだよ」
(うむ、さすが我が主。都合の良い解釈と柔軟な判断力)
式神は胸を撫で下ろした。
そして恐ろしいほどに燈は即断即決即実行が出来る。龍神とノインと合流するまであっさりとサプライズの品を定めて購入を果たしたのだ。
オシャレな日用雑貨店から、少女はほくほくと分かり易い笑みを浮かべて出てきた。そして同じく店で買った安物の肩掛けバッグに、プレゼントを大事にしまい込んだ。
「で、何を買ったんだ?」
店の外で待っていた鎧武者──式神は茶化すように少女をからかった。
「フフフ、内緒です。神様だけに特別に買ったサプライズプレゼントだからね!」
微笑ましいと式神が思った矢先、背後の気配に気づく。
「あ」
思わず式神は声が漏れた。燈は「買ったプレゼントをいつ渡すか」などと想像して気づいていないのだろう。
そっと鎧武者は背後へと振り返る。
(あーー。なんというタイミングの悪さ)
「ん? どうしたの式神?」
燈も式神に
***
少し前に遡る──
龍神とノインはケーキを購入後、燈と合流しようとヴィーナスフォートを歩いていた。二人のいで立ちは目立つのだが、気にする人は誰もいない。そして当の本人たちも他人を全く気にしていなかった。
「
「いや、なぜホールを
ノインはウエイトレスよろしくクリスマスケーキをトレイに載せたまま、歩いているのだ。この状況になったのには理由がある。
「死別した弟にそっくりだ」と店員に言われ龍神が困惑していたので、ノインの機転──というより
それがこのホールをトレイに載せた状態に繋がる。当のノインは特に気にした様子もなくケーキを見つめていた。
「それより心の友その弐と
「私がですか……!?」
龍神は驚愕に近い声を上げたが、まんざらでもないようだ。
ノインはここぞと言わんばかりに、ネットで仕入れた情報を龍神に提供する。
「ケーキ入刀から食べ合い──夫婦として互いを誓う《ファーストバイト》があると聞いた」
「それは……初耳ですね」
「そしてファーストバイトに込められた意味として、ケーキの大きさは愛情の大きさに比例するらしい」
「世界中のケーキを集めても足りない場合は、どうすればいいと思いますか?」
龍神の
「物理的に不可能──某アニメでは「今は、これが精いっぱい」というささやかなセリフで、妥協案を提示する場合があると記録が残っている」
「ああ。ありましたね。姫はあの手のアニメが好きでしたし……」
ふと、日用雑貨店から出てきた燈を見つけて龍神とノインは歩み寄る。
だが──
「フフフ、内緒です。神様だけに特別に買ったサプライズプレゼントだからね!」
「!?」
愛おしい
(え、な……!? これは夢でしょうか……いや、
しかしその幸福は長く続かない。
「あ」と式神の漏れた言葉に反応してか、燈が後ろを振り返る──
(しまっ──これでは姫のサプライズが!)
龍神は目を見開いて困惑する。彼のピンチ(?)にノインは救い手を差し伸べる。
「召し上がれ」と酷く単調な声で彼は呟き──
ノインは贅沢なイチゴと生クリームたっぷりのホールケーキを、龍神の顔面に叩きつけた。
「ノインンンンンンン!?」
燈は驚愕の声を上げた。
「…………」と龍神は無言だが、「ある意味正しい選択だったのでは?」と心中で頷く。
「スタッフが美味しく頂きました」と鎧武者──式神は呟く。
「いやいやいや!? ノイン、何してんのーーー!?」と燈は悲鳴を上げた。
「む、人助けだ」と偉くドヤ顔でノインは言い切った。
「意味不明だよ!? どうしてこんなことに……原因はなに!?」
ノインと龍神はおもむろに燈を指さす。
「なんで私!? 記憶喪失だから知らないよ!? ……っていうか、記憶喪失でなかったとしても知らないけど!」
燈はあわあわとクリーム塗れの龍神に歩み寄る。
「ちょうどよい、我が主よ。そこの神と暫し行動を共にするがよい。某たちはちと調べることがあるのでな」
そういうと鎧武者──式神は声を
「主とあの神は目立つ。故にここは片方がクリスマスを楽しみ、もう片方が裏で《物怪》の気配を探る。という方が効率だ」
「それなら──」と、燈が言いかけたところで、式神は先ほどの紙切れを提示する。
「ほれ、見てみよ。この《条件》は男女カップルと書かれている」
「あ」
「消去法だ。楽しんでくるがよい」
式神は主の返事も待たずにノインを強引に引っ張って、その場から離れてしまった。燈は引き留めようとするが、言葉が出てこない。
「ふ、ふえ!? え、ちょ……」
混迷を極める燈に「では行きましょうか」と龍神が声をかける。
少女がおそるおそる龍神に視線を向けると──
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます