Page91:月夜でお話しましょう②
窓から入ったレイは、マリーの部屋を軽く見渡す。
それは貴族の娘の部屋と言われても、多くの者がすぐには信じないような様子であった。
一言で表すならば「質素」。
ステレオスタイルな貴族の部屋にありそうな、豪華な家具や調度品は特にない。
そして壁にはひびが見える。
「……あんまり物は無いんだな」
「以前は父が用意した物がありましたが、今はもう処分いたしましたわ」
「決別の意思ってやつかな?」
「そんなところですわ」
小さく笑うマリー。
だがその様子は、レイにはどこか無理をしているように見えた。
ひとまずスレイプニルには、
「ですがレイさん。何故窓から登場を?」
「廊下からだと警備の人が居て面倒くさそうだったからな」
『わざわざ我に頼み込んで、魔力探知をさせて来たのだ』
「そうなのですか」
真夜中に貴族の娘の部屋に正面から入ろうとしても、流石に止められる。
なのでレイはスレイプニルに認識阻害の魔法を使ってもらい、窓から入る事にしたのだ。
レイはその辺にあった椅子に腰かける。
「……壁のひびがスゴいな。修理跡もある。お前かなり派手に暴れただろ?」
「はい。この部屋では、特に」
マリーは含みを持たせるように、部屋を見渡す。
「貴族の生活ってのは、そんなに嫌気が差すもんだったのか?」
「良いことも、悪いことも」
「もっと悪いこともあった?」
「……はい」
ベッドに腰かけながら、小さく答えるマリー。
「この部屋は、とても良い部屋でしたわ。きっと誰もが憧れる、華やかな部屋」
「でもそれを自分で壊したと」
「……この部屋は、わたくしにとって、鳥籠そのものでしたわ」
マリーはポツリポツリと語りだした。
貴族として生まれた自分に、自由なんてものは無かった事。
父親の期待はあくまで、家と家を繋げるための道具としての期待だった事。
家は長兄と次兄が継ぐ。ならば女であるマリーは政治の道具にしかなれなかった事。
この部屋は、そんなマリーを「貴族の娘」という型にはめ込むための鳥籠だったと。
「だからこそ、わたくしは今のこの部屋が心地よいのですわ」
「貴族の娘という枷を感じなくて済むから」
「その通りです」
「なるほどなぁ……かみ合ってないんだなぁ」
マリーの気持ちは理解できる。
だが同時に、レイにはサン=テグジュペリ伯爵の気持ちも、ある程度理解できた。
むしろ普通に考えるなら、伯爵の方が正しいだろう。
運が悪いとすれば、マリーの意思とかみ合わなさ過ぎた事だ。
「でもまぁ、家族には随分愛されてるんだな」
「それは……理解はできているのですが」
「心が追い付いてないか」
小さく頷くマリーを見て、レイはもう一度「かみ合わないなぁ」と考えていた。
「お父様と、クラウスお兄様が見ているのは、わたくしではありません」
「と言うと?」
「お二人が愛しているのは理想なのです。貴族の娘という理想を叶えたわたくし。今のわたくしではありません」
悲しそうに吐き出すマリーを見て、レイは言葉に詰まった。
彼女の道もまた、茨の道だったのだ。
だが、希望はきっとある。それが切り口だ。
「お母さんと下のお兄さんは理解あるみたいだけどな」
「はい。お母様とルーカスお兄様は、わたくしの夢を肯定してくださいました」
「とりあえずはそれで良いんじゃねーの。急ぎすぎて手から零したら元も子もない」
「わかってはいます。ですが……」
「家族全員に認めてもらいたい、か」
頷くマリーを見て、レイは「難儀だな」とつぶやく。
マリーの気持ちは理解できる。
だが今回の場合、異端なのはマリーの方だ。
その異端な考えを名門貴族に認めさせるのは簡単な事ではない。
レイは改めてマリーの方を見る。
自信のなさげな表情を浮かべているマリー。
初めて会った時からは考えられない状態だ。
「マリー。お母さんは結構理解あるらしいな」
「はい……レイさん、お母様にお会いしたのですか?」
「あぁ。急に部屋に来たからびっくりした」
「申し訳ありません。お母様は外の世界をあまり知らないもので」
「らしいな」
そこでレイは、ふとユリアーナから聞いた話を思い出した。
「そういえば、お母さんがマリーには夢があるとか言ってたけど」
「まぁ! お母様った勝手に」
「どんな夢なんだ?
「……あまり口外はしないでくださいね」
顔を真っ赤に染めたマリーは、静かに語りだした。
「わたくしは、民を守る存在になりたかったのです」
「へぇ」
「貴族というものは、口では色々言っていますが……政治なんて、暴力の前には無力なものです」
「まぁ、言いたいことはわかるよ」
「ですからわたくしは、操獣者としての強さを得て、民を守る貴族になりたかったのです」
なりたかった。
過去形で語るマリーに、レイは何とも言い難いものを感じる。
「貴族としての自分を、領民の安寧のために。わたくしはそういう象徴になりたかったのですわ」
「……今はどうなんだ」
レイの質問に、マリーは口を閉じる。
しばしの沈黙の後、先に口を開いたのはレイであった。
「お母さんが言ってた。今のマリーには迷いがあるって」
「そう、ですか」
「まぁ、何となくはわかるよ。フルカスの事、それから……」
レイはマリーの手に視線を落とす。
そこには、握りしめられているローレライの獣魂栞があった。
「ローレライの事、だろ」
「はい」
「心、折れたか?」
「……まだ、わかりません」
「ただ」とマリーは続ける。
「大切なパートナーを傷つけてしまったのは、わたくしの責任ですわ」
『ピィ……』
「それで自己嫌悪してる、ってとこか」
「そう……ですわね」
俯くマリー。
慈愛の心が強いからこそ、己を許せないのだろう。
「夢に向かって、正しい道を走っていると勘違いしておりました。わたくしは、まだまだ未熟で……何も守れない、小さな存在でしたわ」
「悪いのはゲーティアだろ」
「頭では理解しています。ですが、心が追い付かないのです」
やや悲痛に答えるマリーに、レイは一瞬言葉を失った。
「いったい何が正しい道だったのか……わたくしには、わからないのですわ」
『正しい道とは、意識して進めるものではない』
「スレイプニル」
『どれだけ有能な力を持っていようと、常に正しい道を歩める者など存在しないのだよ』
「ではスレイプニルさん。わたくしはどうすれば良かったのですか?」
『何かを間違えた時に、そこで立ち止まる者に未来はない』
目尻に涙を浮かべて、マリーは顔を上げる。
『マリー嬢よ。明日を迎える者は、己の過ちを受け入れた者だ。過去を受け入れ、未来に活かす。それがマリー嬢の言う、正しい道ではないのか』
「過去を、受け入れる」
『人の夢は遠い。長い旅路には、休憩も必要だ』
「なんか良いとこ全部持ってかれたな」
だがスレイプニルの言う通りだと、レイも感じていた。
「マリー。前にも言ったけど、俺たちは無理に戦えなんて言わない。マリーは自分のペースを守ればいいんだ」
「ですが……」
「心苦しいなんて考えてるなら、まずは回復優先だ。せっかく実家にいるんだし、ちょっとした休日を楽しんでもバチは当たらないだろ」
いまいち納得しかねる表情のマリー。
だがレイは意見を曲げるつもりはない。
「きっとアリスも同じことを言う。心と身体を治すのが最優先。道を決めるのは、その後でも遅くないだろ」
「そう……ですわね」
下唇を噛みしめるマリー。
自分の不甲斐なさを嘆いているのだろう。
だけどこれでいい。今のマリーに必要なのは、考える時間なのだ。
「大丈夫。俺達はいつまでも待ってるから。マリーはゆっくり考えればいい」
「……はい」
「俺が言えたことじゃないけど、何かあったら仲間に頼ればいいさ」
レイは椅子から降り、窓に向かって歩き始める。
「大丈夫。マリーの夢は、逃げるような夢じゃない筈だ」
そう言い残すと、レイは銀色の獣魂栞を窓の外に投げた。
窓の外でスレイプニルが魔獣としての姿に戻る。
「じゃ、俺は部屋に戻るわ」
「はい……おやすみなさい」
力ない声で挨拶するマリーを前に、レイも静かに「おやすみ」と返してしまった。
レイがいなくなったマリーの部屋。
月の明かりと窓から入り込む風の音がうるさく感じてしまう。
「わたくしは……どうすれば良いのでしょう」
『ピィィ……』
残されたマリーは、静かにそう零すのだった。
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