Page35:調査開始
腹ごしらえを終えたレイ達は再び港へと足を運んでいた。
「…………なんだコレ」
船が密集しすぎて肝心の海が見えなかったので、レイ達は港の船乗り達に許可を貰って、ギュウギュウ詰めになった船の上を渡り歩いた。
そして再端の船の甲板から海を覗き込むと、そこには青く美しい海の姿はなく、色とりどりの液体が汚い虹色とも形容できるほどに混在していた。
「なぁ、油絵の具を積んだ船でも沈没したのか?」
「それならどれ程良かったことか……」
レイの問いかけに溜息交じりで答えるマリー。
海を渡れないと言っていたのだ、少なくとも並大抵の異常ではないのだろう。
「マリーちゃーん! バケツ借りてきたよー!」
「バケツ?」
「この異常は、もっと間近で見ていただいた方が理解できますわ」
縄の付いたバケツを持って来たオリーブは、勢いよくそれを海へと投げ込んだ。
そしてバケツの中に汚染された海水が入り込むと、オリーブはバケツを引き上げた。
「はい、どーぞです」
両手でバケツを持ったオリーブが、それをレイとアリスの前に差し出す。
レイとアリスがバケツの中を覗き込むと、二人は瞬時にその中にある異常に気が付いた。
「これ、絵の具じゃない。もっとマズいやつ」
「
「そういう事ですわ。大量インクが海に充満している状態、これがどういう事かお分かりいただけますか?」
「……海中で臨戦態勢の魔獣がいる。それも小型魔獣一匹二匹どころじゃない、これだけのインク量なら最低でも中型、最悪大型魔獣が群れで殺気立ってる」
「これでは海に入るだけで危険ですわ」
「だな」
恐らくこれも暴走した魔獣の仕業だろうと、レイは推測していた。
だがそうなると尚の事厄介だと言わざるを得なかった。
港のキャパシティを超えた船の集団、その再端に魔獣達のインクが到達してしまっている。これでは何時海中から暴走した魔獣が出てくるかわからない。
「レイ、どうするの?」
「一回戻って計画立て直しだ。迂闊に刺激して魔獣を暴れさせる訳にもいかない」
『いや、このまま我が調べに行こう』
「お前人の話聞いてたか?」
『聞いていたさ。それに大丈夫だ、今のところ海から殺気の類は感じられない。それに……』
「それに?」
『海に己がインクをばら撒くなど、この地の獣が自らやる事とは思えなくてな』
スレイプニルなりにこの事件の異質さを感じ取っているのだろうと、レイは察した。
「そう言えば、クロウリー君の契約魔獣さんって喋れるんですね」
「ん。そうだけど珍しいか?」
「レイ、人語を話す魔獣は貴重」
「長寿であるか、それなりにランクの高い魔獣でないと人語を話す事はできませんわ」
『フフ、そうだな。我も人間と言葉を交わせるようになったのは齢百を超えた頃だったな』
「しかし大丈夫なのですか? 人語を話す程にはランクの高い魔獣と存じ上げますが、この状態の海を調査するのは……」
「そうだ、本当に大丈夫なのか?」
『心配無用だ。並の大型魔獣なら十や二十どうという事は無い』
戦騎王の二つ名は伊達では無いと言わんばかりに余裕を見せるスレイプニル。
実際、王獣クラスとなればただ大きいだけの魔獣など驚異の数に入らない。長い付き合いのあるレイも、それは重々承知していた。
『それに、そろそろ彼女達に姿を見せないと失礼というものだ』
何としても自分が行く事を譲らないスレイプニル。
加えて先程港に着いたら紹介すると言った手前、とりあえず実体化はさせなくてはならない。
レイは少々渋い顔をしながら、スレイプニルの獣魂栞を掲げた。
「クロウリー君の契約魔獣さん、どんな
「インパクトが強い魔獣。多分しばらく忘れられない」
「どんな魔獣なのですか……」
純粋な興味を漏らすオリーブと、アリスの抽象的すぎる表現に困惑するマリーの声が背景になる。
レイが掲げた獣魂栞から銀色の魔力が竜巻となって放出されていく。
光を帯びた魔力が像を紡ぎ出し、スレイプニルの身体を実体化させた。
「…………え?」
「わ~、大きくて綺麗ですね~」
魔力で創り上げた足場に立ち、こちらを見下ろすスレイプニル。
その姿を見たオリーブは目を輝かせ、正体に勘付いたマリーは言葉を失ってしまった。
「名乗りが遅れてしまったな。我が名はスレイプニル、レイの契約魔獣だ」
「はじめまして、オリーブ・オードリーです。よろしくお願いしまーす」
深々とお辞儀をして返すオリーブ。
その隣でマリーはプルプルと震え上がっていた。
「え、あああああ、あの、こ、こちらの
「正解だけどとりあえずバグるの辞めてくれないか。絵面が面白すぎる」
「あばばばばばばばばば」
「バグ加速。レイが優しくしないから」
「え、俺のせい?」
アリスの言葉に不服の表情を浮かべるレイ。
結局、オリーブに「怖くない、怖くない」と説得(?)されたマリーが元に戻るまで、数分を要する事となった。
マリーが正気を取り戻したのを確認したスレイプニルは、数歩ほど前に出てきた。
「済まないな、怖がらせてしまった」
「い、いえ、そのような事は」
「オードリーの後ろに隠れたままだと言葉に重みが無いな」
「あはは……大丈夫だよマリーちゃん」
高名な王獣を前にして、マリーはすっかり縮こまっていた。
「つーか王獣にビビるなよ、貴族なんだろ」
「貴族は王より下ですわ!」
「そーですかい。で、本当に一人で行くのか?」
「うむ、海中の様子を探るだけだ。戦闘をするつもりもない」
「これだけインクがばら撒かれてるんだ、ほとんど暴走状態の可能性もあるぞ」
「その時は撤退するさ。安心しろ、余計な刺激は与えぬよう細心の注意は払うさ」
少々心配の気持ちは残るが、仮にもスレイプニルは戦いの王を冠する魔獣。
引きどころは熟知している筈だと、レイは納得する事にした。
「分かった。危なかったらすぐに引いてくれよ」
「了解した……と、その前に渡す物がある」
そう言うとスレイプニルは自身の一角の先に魔力を集中させていく。
集まった魔力は実体を紡ぎ出し、一枚の獣魂栞と化した。
作られた獣魂栞はゆっくりと浮遊しながら、レイの元へと降りてくる。
「我の魂の一部を分離させて獣魂栞にした。これを介せば我と連絡が取れる」
「時間かかりそうなのか」
「海も広いからな、我が離れている間は自由にしているといい。街の散策でもすれば何か拾いものもあるだろう」
そう言い残すと、スレイプニルは海の中へと去って行った。
そして残されたレイ達はしばし呆然とスレイプニルが居た場所を眺めていた。
「なんだか……嵐の様なひと時でしたわ」
「まぁスレイプニルなら多分大丈夫だろ」
少なくとも死ぬ事はない。
今はただスレイプニルの調査が吉となる事を祈るばかりであった。
◆
さて、スレイプニルが何時戻ってくるかは分からない。
かと言って戻って来るまで船の甲板に居座る訳にも行かないので、一同は一先ず港へと戻っていた。
「とりあえず、恐ろしく暇になってしまった訳だが」
「どうするの、レイ」
「ボーっとしてるのも勿体ないし、スレイプニルが言ってたみたいに街の中を調べるのが無難じゃねーのか」
結局現在に至るまで、レイとアリスはバミューダシティの中を碌に見る事が出来ていない。
海はスレイプニルに任せてあるので、自分たちは陸地を調べるのが最適解だとレイは考えていた。
「街の散策をするのは賛成ですわ。わたくし達もまだまだ調査不足の面がありますので」
「昨日の今日であんまり街の中見れてないもんね~」
どうやら二人も調査不足を補いたいようだ。
「なら決まりだな」
「みんなで街中散歩」
「アリス、調査だからな。あと二手に分かれてやるぞ」
「……え?」
「あら、何故ですの?」
「街も広いからな、固まって動くより分散した方が効率が良いだろ。それに俺とアリスはバミューダの地理を何も把握してないからな、少しでも知ってるマリーかオードリーと一緒に行動した方が得策だと思ってさ」
「そ、そうですか」
レイの理屈は理解できたが、さらりとここからは別行動だと言われたアリスは、顔にこそ出さないが酷くショックを受けた様子でレイを見ていた。
あと何故かマリーも微かに動揺していた。
「は、はい! じゃあ私がクロウリー君を案内します!」
威勢よく手を上げて、オリーブがレイの案内役に立候補する。
「ん、じゃあオードリーに頼む」
「はひ! こちらこそお願いしましゅ!」
焦ったせいで噛んでしまうオリーブ。
特に断る理由も無かったので受け入れたが、レイは何故彼女が赤面しているのかは分からなかった。
「じゃあ班分けも終わったし、これで調査開始するか」
「あ、あの、レイ?」
「俺らは東の方を探るから、二人は西の方を探ってくれ」
「レイさん、他にも効率的な案はあるのではないかと」
「じゃあ善は急げですね! 早速行動開始しましょー!」
動揺する二人を気にかける事なく、少し興奮気味のオリーブはレイの首根っこを掴んでズルズルと引っ張って行った。
「あ、あのオードリーさん? もう少し丁寧にお願いしたいんだけど」
「ひゃわ!? ごめんなさい!」
「痛だァ!?」
慌てて掴んでいた首根っこを離すオリーブ。
だがそのままレイの頭は地面に墜落した。
「ひゃぁ、ごめんなさい!」
「いいから、いいから……掴むならせめて手で頼む」
特別な意識など微塵も持っていないが、レイはオリーブの手を握ってその場から立ち上がった。
そして手を握られたオリーブの顔は真紅に染まり、頭からは湯気が立ち上っていた。
「~~~~!!!///」
「あ、ずるい」
「あ、羨ま――いえ何でもありませんわ」
些細な出来事の筈なのに、各々の形で本音が漏れ出る乙女たち。
「じゃあ何かあったらグリモリーダーで連絡するから、二人も何かあったら連絡してくれ――ってオードリーどうしたんだ?」
「ふへッ!? なんでもないです!」
「あ、手ぇ繋ぎっぱなしだったな。悪いな気が利かなくて」
「いえ、このままで大丈夫です! むしろこのままが良いです!」
「そ、そうか……」
オリーブが出す妙な迫力にたじたじになるレイ。
押しの強い女性には勝てない、それが17歳思春期男子なのだ。
「じゃあマリーちゃんアリスさん、また後で」
別行動となった二人に手を振って、港を後にするオリーブ。
そしてレイは再びズルズルと引きずられていくのだった。
「「あぁ……行っちゃった……」」
残されたアリスとマリーは名残惜しむ言葉を思わずハモらせてしまう。
どうにもままならない思いを抱く少女たちなのであった。
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