Page24:叫びよ届け
草葉を勢いよく踏み抜く音と、吐息の音が耳に入り込む。
少年を抱えたまま、暗闇に包まれた森の中をレイは駆けていた。
「ハァ、ハァ……巻いたか?」
一度足を止めて周囲を確認する。キースの気配もボーツの気配も無い。
一先ず安心するレイの偽魔装には本来ある筈の灰色のローブが着けられておらず、黒いアンダーウェアが剥き出しになっていた。
偽魔装のアンダーウェアは所々黒焦げて、レイの身体に火傷の痛みを走らせている。
栞に含まれたデコイインクに操作可能な火炎魔法を組み込んで鎮火と脱出を両立できたは良いが、あのまま炎の中を通り抜けたら少年が大火傷してしまう。
そこでレイはキースの注意が逸れた隙に偽魔装の構成術式を改造し、本来一体化しているローブを強引に分離させて少年に被せたのだ。
「レイ兄ちゃん?」
「ここなら、もう大丈夫だろ」
被せたローブを外して、少年を下ろす。
模倣の物とは言えども、偽魔装のローブには高い耐熱や耐電の機能が備わっている。おかげで少年も無傷で済んだ。
「とは言っても……耐熱持ってんのはアッチも同じなんだけどな……」
このままでは追いつかれるのも時間の問題。
幸い此処は避難所の学校からはそれ程離れていない位置だ。少年一人でも道順は分る筈。
「(残り五枚……けど無防備に逃がすよりは……)」
レイは手持ちの栞を三枚握りしめて、術式を構築していく。
身体の痛みが気になって構築速度は少し遅めだが、とにかく早く組み立てていく。
ふと目線を下げて見ると、少年が心配そうにこちらを見つめていた。
「心配すんな! こんくらい大丈夫!」
精一杯強がってみる。兎に角目の前の少年から不安要素を取り除いてあげたかった。
そうこうしている内に術式が完成したので、レイは手の中にある三枚の栞に術式を流し込む。
すると、栞から鈍色のインクが溢れ出し円柱状に固まっていく。数秒ほどでレイの手の中には三本のチョークが出来上がっていた。
「ここから学校への行き方は分かるか?」
出来上がったチョークを小さな手に握らせつつ、レイはしゃがみ込んで少年に問う。
「うん……これ何?」
「即席のチョークボム。何時変身ボーツが出てくるか分らないからな、途中危なくなったらソレをボーツに投げつけろ。ボーツの偽魔装なんか木端微塵だ」
念のため偽魔装の破壊術式も混ぜ込んであるので、当たり所が良ければ一撃でボーツを葬れるだろう。
「いつ見つかるか分からない、お前はそれ持って早く逃げろ」
「うん。でもレイ兄ちゃんは? 焦げてるよ」
「だから大丈夫だって。俺ヒーローの息子だぜ、こう見えて強いんだからな~」
ワシワシと少し強めに少年の頭を撫でるレイ。
「心配すんな、悪い大人は俺が倒してやっから……お前は避難所で、友達と明日何するか考えてろ」
そう言ってレイは少年の背中を軽く押す。
押された背中が合図となり、少年は暗い森の中へと姿を消して行った。
「…………行ったな」
どうか無事避難所に辿り着くよう祈るレイ。
少年の姿が見えなくなったのでレイは外したローブを着けようとするが、身体と偽魔装に蓄積されたダメージが限界に達し、レイの変身が強制解除されてしまった。
身体の痛みに負け、地面に膝をつくレイ。
「~~ッ! 強がっちまったけど、流石に今回はキツイかも」
額に脂汗が滲む。ズボンが血で湿る不快感が足を触る。
だがここで倒れる訳にはいかない。ここで倒れてしまっては、避難所の住民を狙うキースを止める事ができなくなってしまう。
「とりあえず、一旦隠れるか」
少しでも回復させる為に、せめて身を隠そう。ここは子供たちがよく隠れんぼする場所だ、人間一人を隠すのに苦労する場所ではない。
レイは身体を引きずりながら近くの茂みに身を隠す。
「さーて、どうするかねぇ」
キースのあの様子なら今頃レイを殺す為に躍起になっているだろう。
不幸中の幸い、今歯を食いしばって動けばキースの注意を引き付ける事は容易だろう。避難所のシェルターも変身ボーツから身を守るくらいの強度は十分にあるので心配はない。
「……残りの栞は二枚、ちと渡しすぎたかな?」
だが今更事実を変える事はできない。今はこの2枚の栞に賭ける他ないのだ。
手持ちの栞とグリモリーダー、そしてコンパスブラスターを駆使してキースに勝つ方法をレイは必死に考える。
「(キースはきっと俺を妨害する為なら変身ボーツを使うだろう。けどボーツの相手をしてたら栞なんか一瞬で尽きる)」
かと言って変身ボーツを何とかクリアできても、次はキースの魔装を破る術だ。
部分的な破壊なら何とかなるかも知れないが、行動不能まで追い込むとなれば話は別だ。
結論を述べてしまえば、レイは手持ちの二枚の栞だけでボーツとキースを制圧する必要があるのだ。
「どの道変身で一枚消費するなら、実質残り一枚でなんとかする必要があるのか……無茶だなぁ」
だが方法が無い訳ではない。
相当分の悪い賭けになるが、レイの頭の中には一つの手段が浮かんでいた。
「(いっそ変身せずに、二枚の栞を無理矢理コンパスブラスターにチャージして、最大出力の偽典一閃を叩きこむか……)」
二枚の栞を使って放つ必殺技。その威力をもってすれば相手が本物の魔装を使っていようが、容赦なく制圧できる筈だ。
だが偽典一閃は元々発動者への反動が大きい技。しかも今日は既に三回も使用済みである。
それをベテラン操獣者のキースに当てるとなると……。
「(良くて相打ち……悪ければ犬死にか……)」
だが現状、それ以外に策は無い。
レイは手に持ったコンパスブラスターを
手が震える。コンパスブラスターを操作しようにも腕が言う事を聞かない。
心も震える。怖いのだ。子供の前では強がったものの、分の悪い賭けしかない現状も自分が死ぬかもしれない未来も、怖くて仕方がないのだ。
「……自分で選んだとは言え、やっぱ独りで死ぬのは怖いな……」
震える自分を押し殺し、レイはコンパスブラスターに一枚の栞を挿入する。
だが恐怖はレイを飲み込もうと広がり続ける。
そんな心を落ち着けたくて、レイはふと夜空を見上げた。
「今日は……星がよく見えるな」
三年前もこんな夜空だったなと、レイは思い耽る。
この星空に銃口を向けて助けを求めたが裏切られた。
「何も変わらない……街も、人も……」
きっとこの空に助けを求めても何も起きない。
そう思っていた筈なのに……レイの脳裏には何故か、先程のフレイア達の言葉が浮かんでいた。
『ヒーロー志望が一人だけだと思うなッ!!!』
『僕達を信じてくれないか』
『ボク達はレイ君を信じるっス』
『何度でもこう言ってやる! 助けさせろッてね!』
そうだ、彼らは曇り無き眼でその本心をぶつけて来たのだ。
トラッシュである自分の荒唐無稽な言葉を「信じる」といってくれたのだ。
三年前にこの街に無かった光を彼らは持っていたのだ。
「……俺は……」
偽典一閃を使うにはコンパスブラスターを剣撃形態にする必要がある。
だがレイは
救難信号弾を撃つには栞を一枚消費する必要がある、そうすればもう最大出力の技は使えない。その上上空に信号を撃てばキースに現在地を把握されてしまう。
今までなら悪手の極みだと切り捨てたであろう案。
だが…………。
「俺が……本当に求めたのは……」
もし、フレイア達の言葉を信じて良いのなら。
もし、この叫びが届くのなら。
三年前に届かなかった声が、今なら届くと言うのならば。
「ッ!」
無意識だった、頭の中術式を組んだのも。
無意識だった、上空に向けたコンパスブラスターの引き金を引いたのも。
――弾ッ!!!――
一発の銃声と共に、術式で赤く染められた救難信号弾が上空で爆散し、その光を大きくまき散らした。
「……あーあ、やっちまった」
気の抜けた声で自嘲するレイ。だがその心は今まで経験した事が無いほどに清々しいものであった。
後悔は無い。きっと間違いなんてないのだから。
「さぁて、あの馬鹿教師に吠え面かかせますか」
レイがコンパスブラスターを杖に立ち上がったその時だった。
物体が風を切る音が耳元を掠め、近くの木に一本の鋭利な木の杭が突き刺さった。
「探しましたよ、レイ君」
「ケッ、お早いご登場で」
レイを追って近くに来ていたのだろう。森の中からキースが姿を現した。
向けられた掌には既に次の杭が生成され始めている。
「忙しないなぁ、もー!!!」
攻撃の狙いが定まらない様にする為、レイは走り始める。
目論見通りキースが放った攻撃はレイを外し、周囲の木にばかり着弾していく。
「ちょこまかと鼠の様に……捕らえなさい!!!」
キースの号令に合わせて地中から三体の変身ボーツが召喚される。
植物操作魔法で操られたボーツ達は、レイのみに狙いを定めて追跡し始める。
風や木を切り裂く音と共に背後からボーツの攻撃が襲い掛かって来るが、レイは紙一重でこれを回避する。
「ちっ、一か八か!」
草葉を踏みしめる音を立てながら、レイはコンパスブラスターを
レイが持ち手部分に最後の栞を挿入すると、コンパスブラスターの先端から細長い魔力の塊が伸び始めた。
「ボォォォツ!!!」
「クッ!」
剣状に変化した変身ボーツの腕が襲い掛かる。レイはコンパスブラスターでそれを防ぎ、力いっぱい薙ぎ払った。
防御するだけなら何とかなる。だが攻撃するだけの力は既につき始めていた。
森の中を駆け巡りつつ、ボーツの攻撃をいなし続ける。
だが攻めには入れない、完全にジリ貧状態だ。
「ボーーッツ!」
「増えた!?」
ただでさえ負担の大きいこの状況で、レイを襲撃するボーツが数を増やし始める。
それも一体や二体ではない。気が付けばレイの周りには数十体はあろうかと言う変身ボーツが待ち構えていた。
レイは確信した、既に魔法陣は強制起動していたのだと。
「……ヤッベ、どうしよう」
客観的に見れば完全に詰みの状態。
だがレイはどうにかこの状況を打破できないか考えていた。
何かある筈だ、何か方法が見つかる筈だ。
そう考えたのもつかの間、突如地中から生えた木の根がレイの両足を縛り上げた。
「バインド・ルート。ようやく捕まえましたよ、レイ君」
キースの植物魔法で拘束された際に尻餅をついたレイは、見上げる様にキースを睨む。
「……この状況でも諦める気がないのですか? 何が君をそこまで奮い立たせるのですか?」
「砕きたくない夢、逃げたくない信念がある。知りたい事守りたい物がまだまだ山ほどあるんだ!」
「その為なら自身の傷も厭わないと? 無駄な事だと解っていても泣けますねぇ」
わざとらしく同情的な言葉を述べるキース。
仮面で表情は見えないが、今その顔は酷く歪んだものであるとレイは容易に確信できた。
「君のようなトラッシュが何をしても無駄だ。誰も君を信じない、誰も君を評価しない。なら来世は人間になれるよう私が祈りを捧げてあげようじゃないか」
「そりゃ有り難いですね……じゃあ俺からも贈り物があります」
そう言い終えるとレイは釣竿を持ち上げる様に、手に持ったコンパスブラスターを思いっきり引っ張った。
するとコンパスブラスターの先端から伸び続けてた細く見にくい魔力の糸が淡く光って姿を現した。暗闇に隠れていた魔力の糸はレイが逃げ続けている途中、ずっと森の中を張り巡らせていたのだ。
そして釣り糸を巻き取る様に、伸びていた魔力の糸が急速にコンパスブラスターに戻っていく。
「硬質化魔法をかけたマジックワイヤーの罠だ! 足一本貰うぞ!!!」
真剣以上の硬さと鋭さを持った魔力の糸がキースの足を巻き込む。
いくら魔装で強化していると言えど、細い足一本ならこれで十分だ。
スパンと音を立てて、キースの右足はあっさりと切断されてしまった。
「へ、ざまぁみ――ッ!?」
ざまぁ見ろと言い終えるよりも早く、レイの身体は巨大な腕に掴まれてしまった。
巨大な腕は無数の木の根で構成されている。その元を辿ると、そこには無数の根を腕から生やしたキースが立っていた。
「はぁ、まったく……諦めの悪さも、その意地汚さも、余計な事ばかりお父さん譲りですね」
「てめぇ……なんで立ってられんだ!?」
やれやれといった感じでキースは溜息をつくと、切断された右足を指さした。
レイは断面を見せているキースの右足をよく見る。そしてすぐにその異常に気がついた。
「血が……出て無い?」
「魔僕呪の副作用が思った以上に厄介でしてね。特に足は歩き方で露見しかねないので……」
そう言うとキースは残った右の太股を外して見せた。
外された太股から魔装が消える。キースの手に残ったのは無数の木の根の集合体であった。
「義足!? ……アンタまさか自分の足を!?」
「便利な魔法ですよ植物操作と言うのは。足を失うのに躊躇いがなくなり、こうしてより強力な肉体を手にすることができますので……」
レイを拘束している腕の力が強くなる。骨の軋む音が鳴り、レイの全身に息の詰まる様な激痛が走り抜ける。
「カッ、ハッ!」
「せめてもの情けです。苦しまぬよう、確実に致命傷を負わせてあげます」
レイを掴んでいる腕から一本の木の根が触手の様に生えてくる。その根の先端は鋭利な槍の様な形状をしていた。
槍は、完全に逃げ道を失ったレイの頭に狙いを定めている。
「今度こそ、本当にさようならです」
キースが別れの言葉を投げかけ、レイの頭部を貫こうとする。
レイは自身の死を確信し、無言で目を閉じた。
結局、走り続けていたのは無限に続く闇夜の道だった。
光は無い。何も見えない。
お日様が沈んだから夜が来たのだ。帳の向こうは黒洞々たる闇が続くのみ。
今までも、そして今も……レイはそれが真実だと思い込んでいた。
だが忘れていた。長い長い時間の中でレイはその真理を忘れていたのだ。
夜の先に在るものは無限の刻ではない。
闇の先には、夜明けがある事を…………。
「間に合えェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!」
――業ゥゥゥ!!!――
切迫した叫び声と共に、上空から巨大な炎が射出された。
「何!?」
キースはそれに気づき驚愕するも時すでに遅く、レイを掴んでいた巨大な腕は降り注いだ炎によって完全に断ち切られてしまった。
キースから断たれた腕はただの木の根と化し、解けて消滅する。そして拘束されていたレイも解放されて、地面に叩きつけられるように落下した。
「痛ってて……」
何が起きたのか分らず混乱するレイ。
目と鼻の先で何者かが着地する音が聞こえたので、レイはその正体を目で確認する。
「あっ…………」
その姿は赤い炎の象徴だった。
その姿は燃え盛る太陽を連想させるものだった。
そしてその姿は、夜明けを告げるお日様のように錯覚できた。
希望が見えた。目の前に居る赤い操獣者に、レイは三年前の願いを重ねた。
操獣者はグリモリーダーから獣魂栞を抜き取り変身を解除する。
そして彼女は、炎のような赤い髪を揺らしてレイの方へと振り向いた。
「へへーん、おっ待たせしましたー!」
「フレイア……」
笑顔を浮かべるフレイアの姿を見て、レイは急激に脱力してしまう。
もう張り詰める必要は無いのだ。
この叫びは、確かに届いたのだから。
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