Page07:王獣スレイプニルとテーブル下のスケベ①

 ギルド長の姿が見えなくなったので、レイは当初の目的地に向かって歩みを進めた。

 華やかな施設の数々を抜け通って行くにつれて、徐々に人通りも少なくなっていく。やがてレイ以外に人影は見えなくなっていった。


 目的地への入り口がある、ギルド本部最中央区。

 目の前には古びた木製の扉。しかし見た目こそ木製だがその実幾多にも及ぶ複雑な術式の封印魔法がかけられているのだ。


 ここはギルド内でも有名な開かずの扉。

 巷では『凶悪な魔獣が封印されている』だとか『ギルド秘伝の古代兵器が隠されている』だとか根も葉もない噂が流れているらしいが、実際はそんな大層なものでは無い。

 いや、人によっては大層に思うかもしれない。

 しかし扉の向こうに何があるのかを知る者は、セイラムシティを探し回ってもレイやギルド長などごく少数の人間だけだ。


「はぁぁぁ~~~」


 扉の前で鍵を出し、ため息を吐き出すレイ。

 フレイアのストーキングだとか、喧嘩だとか、サボりのギルド長だとか……短時間で濃密すぎる内容を経験したレイの心は疲れ切っていた。


「何してるの? 早く開けて」

「キュー」

「りょーかーい」


 投げ槍に返答したレイは、手に持った鍵で扉を数回叩く。

 すると扉はジクソーパズルの様にバラバラになり、壁の内側へと綺麗に収納されていった。


 扉が消えて、向こう側が見える。

 噂に出てくる魔獣だとか兵器だとかそんな物は存在せず、あるのは普通の螺旋階段だけであった。

 この階段の先がレイの目的地である。

 だがここでレイはある事に気が付いた。


「レイ、狭いから早く行って」

「ギギキュ」

「……アリス、お前何時からいた?」


 後ろを向いて視線を下ろすと、見慣れた銀髪の少女と緑の小魔獣。

 アリスは人差し指を頭につけて、レイの質問に答えた。


「ん~、ギルド長と別れたあたりから?」

「心臓に悪いからせめて一声かけてくれ」


 追手なんぞはフレイアだけで十分だ。

 幸いアリスは階段の先に何があるかを知っている側なので、見つかった所で何も問題ない(と言うかこの先自体、本来特別隠すようなものでもない)。


「キュッキュー!」

「おいおい、そんなに急かすなよ」


 アリスの足元にいたロキは、レイ達の間をすり抜けて一足先に階段を上り始めた。

 それを見たアリスは「ほら早く」とレイの背中を押して進むのだった。


 長く高く続く螺旋階段。

 最初はレイも上るだけで息切れたものだが、今では涼しい顔で上りきっている。

 それはアリスも同じだ。美しい銀の髪を揺らして、トテトテとレイの後ろをついて行く。



「……レイ、さっき何言われてたの?」

「んあ、ギルド長の事か? またアホな開発依頼してきたから断っただけだよ」

「その前」


 全てを見透かしたかの様な声でレイを問い詰めるアリス。

 レイはしらばっくれようとするが、先手を打たれてしまった。


「レイ、絡まれてた……何言われてたの?」

「……そこから見てたのかよ」

「レイが怒鳴ってる声が聞こえた。だから推察」

「……大した事じゃねーよ」


 僅かな心配もかけたくないと、無意識に真相を伏せてしまうレイ。

 何かを察したのか、アリスはそれ以上レイを追及しなかった。


「…………叱らないんだな」

「叱って欲しかった?」

「いや……少し珍しいなって」


 道中、他愛のないやり取りをする二人。

 レイがギルド本部で喧嘩をした事は今までにも何度かあった。その度に怪我をしたり、逆に相手に重傷を負わせたレイに対して、アリスがナイフ片手にレイをお説教するのがお約束の展開だった(ちなみにレイに喧嘩を売って来た相手には、アリスが後でこっそりお仕置きをしている)。

 今回も喧嘩がバレたのでまたアリスからのお𠮟りがあると予想していたレイだが、どうやらその予想は外れたようだ。無いに越したことは無いのだが、こう急に無くなると何処か寂しさを覚えるレイ。


 そうこうしている内に螺旋階段の果てに到達した一行。

 小さな踊り場の奥にある扉を開けて目的の場所へと進む。



 扉を開けると同時に少し肌寒い風が身体を撫でて行く。

 ここはギルド本部の屋上にして、セイラムシティで最も高い位置の場所である。

 一見すると悩める若人が好んで足を運びそうな場所だが……残念な事に、此処には古くからの住民がいる。


「よッ、スレイプニル!」

「レイか……飽きもせず、よく来るものだ」

「こんにちは」

「キュー!」

「ふむ、アリス嬢とロキ殿は久しい訪れだな」


 美しい白銀の毛と雄々しき一本の角を生やした、一頭の馬が屋上に鎮座している。

 レイ達の何倍もの大きな身体を持つ、この銀馬の名はスレイプニル。

 セイラムシティでその名を知らぬ者は居ないとさえ言われている、高位の魔獣である。


「ほら、差し入れ」


 そう言うとレイは持っていた麻袋を開けて、スレイプニルに投げてよこした。


「うむ、恩に着る」


 投げられた麻袋をタイミングよく口で掴んだスレイプニル。

 袋には大量の栞が詰め込まれていた。全てデコイインクを含んだ物である。

 スレイプニルは袋の中から数枚の栞を取り出し、口の中に含んだ。


 基本的に魔獣は人や獣と変わらず動植物を食べて生きていくのだが、魔力の摂取でも必要な栄養を賄う事ができる。ただしこの方法での栄養補給は効率が良くないので、魔力だけで生きようとする魔獣は滅多にいない。

 とは言え、魔獣にとって魔力は美味なモノに変わりはないそうなので、スレイプニルの様に嗜好品として好んで摂取する者もいる。

 要するに人間で言うところの酒や煙草のような物だ。


「あんまし屋上から出て無いみたいだけど、ちゃんと飯食ってんのか?」

「問題無い。必要な時に必要分だけ狩りはしている」

「なら良いけどよ」


 そう言うとレイはスレイプニルの隣に腰掛けて、一緒に持ってきていた望遠鏡を取り出した。


 望遠鏡越しに街の様子を観察するレイ。

 獣と街を歩く者、井戸端会議に勤しむ婦人達、噴水の前で楽しそうに一服しているカップル。なんとも代り映えしない光景である。


「何が見える?」

「ん~~、普遍の体現?」

「……そうだな、何も変わりはしない」


 二人には飽きる程、交わし続けた定番のやり取り。

 街は変わらぬ、人は変わらぬ、諦めの感情を含みながらも心のどこかで「もしかしたら」を求めてしまう。

 街を包む変わらぬ平穏。街に響く変わらぬ笑顔。

 誰かの手で守られておきながら、自分だけは永久の平穏を享受できると錯覚しているように見えて、レイはどこか危うさを覚えた。


「……スレイプニルには、見えてたか?」

「何をだ?」

「俺の戦い」


 望遠鏡を覗きながら、スレイプニルに問うレイ。

 スレイプニルの視力であれば、此処から八区の果てまで見る事は容易い。


「あぁ、見えていたさ……ボーツの群れ相手に、随分と無茶な事を繰り返しているようだな」

「辛辣だなぁ。前よりは善戦できてるだろ」

「血まみれで帰ってくるのを善戦とは言わない」


 背後からアリスの指摘が刺さる。


「それでも前よりは怪我も少なくなってきただろ!」

「確かに、前に比べれば幾分かマシにはなっただろうが……」

「レイ、三日連続両手足複雑骨折は論外」

「頼むから成長したって言ってくれ」


 八区で度々ボーツの頻出するようになって早一年と少々。

 最初の頃は十数体のボーツを相手にし、殆ど相打ちのような形で狩っていたレイ。その度に大怪我をして、アリスにお説教をされていたものである。


 それはともかくとして。

 レイは望遠鏡で街を覗きながらスレイプニルに問う。


「スレイプニル、次は第三居住区辺りに出そうな気がするんだけど……お前はどう思う?」

「我も概ね同意だな」

「やーりぃ。俺の眼も随分鍛えられてきただろ?」

「……」

「これで後もう少し力があったら、スレイプニルも俺に魔力インクをくれる気になるんじゃないか?」

「…………まだ、程遠いさ」


 評価の言葉が返ってこなかったせいか、不服そうな表情でスレイプニルを睨むレイ。そんな視線を物ともせず、スレイプニルは言葉を続けた。


「確かに、技は磨き抜かれた。力も以前と比べれば、随分ついただろう……しかし、お前は少し眼が悪すぎる」

「……どういう事だ?」

「それは自分で考えるのだな」


 レイはスレイプニルの言葉の真意を理解しかねた。

 答えの存在しない問い掛けをされたようで、頭が痛くなるレイ。

 しかし、この言葉の向こうに何か大きな成長があるのだという事だけは本能的に理解した。


「それからレイ、お前はもう少し勘の鋭さを鍛えた方がいい……主に背後のな」


 そう言って屋上の出入口に視線を向けるスレイプニル。

 そんな筈はない、それだけは有り得ない、そう思いながらレイがゆっくりと振り向くと…………


「ヤッホー!レイー!」

「神は死んだ」


 扉の向こうからフレイアが顔を出して手を振ってきた。

 おかしい、鉄の鎖で縛り上げていた筈なのに。


「鎖なら気合で千切った!」

「そっか~」


 気合なら仕方ない。


「レイ、本当に気づいて無かったの?」

「え?」

「下で扉開けた直後からずっと着けられてたよ」

「直感と匂いで余裕でした!」

「クソッ、この忍者スレイヤーめ! つーかアリスも気づいてたなら教えてくれよ!」

「まぁまぁ、そうカッカしないで」

「誰のセーだと思ってんだ!誰の!」


 あっと言う間に距離を詰めて来たフレイアがレイの眼前に現れる。

 これが忍者ライラ仕込みのシノビスキルなのだろうか、逃がした件も含めて後でライラに文句を言おうと決心したレイだった。


「ところで、こっちの大きなかたは?」

「フレイア……お前マジか……」


 セイラムシティに住む者として、今のフレイアの質問はこの上なく脱力ものであった。

 だが当のスレイプニルはそんな反応が珍しかったのか柄にもなく笑い声を上げた。


「ハハハハハ、こちらから自己紹介をするのは何十年振りか」


 そう言うとスレイプニルは立ち上がり、 フレイアの方へと向いた。


「では自己紹介をさせて頂こう。我が名はスレイプニル、このセイラムの地に陣取る王である」

「王様?」

「そうだ、他者からは【戦騎王】等と呼ばれる事が多い」

「…………あの、レイさん……いまアタシの耳にスゴイ二つ名が聞こえたんだけど、空耳?」

「空耳じゃねぇよ。スレイプニルは正真正銘ランクA以上のだ」


 鳩が豆鉄砲を食ったような表情で口をパクパクさせるフレイア。

 無理もない、【王獣】とはその名の通り王として君臨するだけの力を備えた高ランクの魔獣を指す言葉である。

 普通は遭遇する事はおろか、人間の前に姿を見せる事さえ珍しい存在だ。


「フフ、そう畏れなくとも良いフレイア嬢。見たところ君も高位の獣を従えた操獣者ではないか」

「ふへ?」

「炎の香りがする。闘志に……暴魔の気配……年若いが実力を持ったイフリートだな」

「おぉぉ、匂いでそこまで分かるんだ」

「年の功と言うヤツさ」


 スレイプニルの答えに「スッゲー」と漏らすフレイア。

 そして何かを思いついたのか、懐から赤い獣魂栞を取り出した。


「せっかく王獣に会えたんだ。イフリート、アンタも挨拶しな!」


 そう言ってフレイアが獣魂栞を投げると、獣魂栞は赤い輝きを放ち一体の魔獣へと姿を変えた。

 炎の如く赤い体毛に、その獰猛さを体現したかのような鋭利で巨大な二本角。

 剛腕と呼ぶに相応しい筋肉質な腕を地面に着け、獅子の様な顔が咆哮を上げる。

 これがフレイアの契約魔獣。暴炎の魔獣、イフリートである。


「グォォォォォォォ!!!」

「違う違う。イフリート、今日は戦いじゃなくて挨拶」

「グォン!!!」


 闘争本能が相当強いのか、傍から見てもバトルジャンキーだという事が分かる魔獣である。

 だがフレイアに指示されてスレイプニルの姿を認識したイフリートは見る見るうちに大人しくなってしまった。


「ほら、こちら戦騎王のスレイプニルさん」

「…………グオン!?」

「ほう。中々見込みのある獣ではないか……未来の王を争う器だな」

「グ……グ、グオン!? グオグオォォォォォォン!!!???」

「え?『何気軽に王獣の前に出しやがるんだ、このバカ娘!』って失礼な!」

「いや、イフリートの主張が正しいと思うぞ」

「レイに同じ」

「キュ」


 本来魔獣にとって王獣とは畏れ敬うべき存在である。

 故に今のフレイアの行動を分かりやすく例えると、しがない平民を玉座に座る王様の前にいきなり放り出したようなものである。そりゃビビるのも当然だ。

 ちなみにロキも最初は畏まっていたが、最近は馴染んだのか気軽にスレイプニルに接している。


 結局、イフリートは全身プルつかせたまま「グォォォォォォォン!」と叫びながら赤い獣魂栞に戻ってしまった。

 イフリートの言葉が分らないレイでさえ、今の叫びが「失礼しましたァァァァァァ!」と言っていたのは何となく理解した。


「もぉ~、せっかくヒーローのパートナーに会えたってのに~」


 手に持った獣魂栞を前に頬を膨らませるフレイア。

 一方でフレイアの言葉を聞いたレイは微かに反応してしまった。


「ほう、よく知っているな」

「名前はね。ヒーローの契約魔獣、最強の戦騎王って!」

「ハハ、そう大層なモノでもない…………手痛い黒星も随分付いてしまったからな」


 自嘲気味に自分を評するスレイプニルと、目線を逸らし顔を伏せるレイ。

 そんな空気を知ってか知らずか、フレイアは子供の様に目を輝かせて話を続ける。


「じゃあさじゃあさ、スレイプニルってヒーローの話色々知ってるんだよね!?」

「まぁ、そうだな。仮にも契約を交わした仲だからな」


 スレイプニルの言葉を聞いたフレイアは一段と目を輝かせ、機関銃の様に質問をするのだった。

 フレイアの質問に快く答えるスレイプニル。その様子をレイは不機嫌な表情で見つめる。

 子供に英雄譚を語るようなスレイプニルの言葉がレイの耳に入ってくる。

 ヒーローの武勇伝がレイの耳に届けば届くほど、レイの心はキリキリと痛んだ。


「……レイ?」

「好きにさせてやれ」


 アリスが心配げに声をかけてくるが、構わずレイは望遠鏡を覗き込む。

 ただひたすらに耳に意識が行かない様に、街を見つめ続ける。

 心に潜む黒いモノから目を逸らす様に、一秒でも長く音を遮断するように、変わらぬ街の様子を見続けるのだった。

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