その参

『・・・・』俺はまたため息をついた。

 コーヒーの残りを飲み干し、シナモンスティックを出して咥える。

 彼女は碧い瞳でこちらをまっすぐに見つめていた。

『勿論、お金はちゃんと払います!期日は・・・・』

 彼女によれば、一か月後に米国の某ハイスクールの生徒がやってくるという。

姉妹校同士の交流事業の一環だそうだ。

 その中に柔道チームがいて、学園長の提案で五対五の団体戦で試合をしてみたらどうか?という提案が出され、それでもし好成績が遺せたら部に昇格させようじゃないかということになったらしい。

何でも向こうは全米のハイスクール選手権でも優勝したのが二人位いるそうだ。

コーチをやってる人は、米海兵隊で柔道の教官も務め、オリンピックで銅メダルまで獲ったことがあるという。

『勝ち負けの問題じゃないんです!要はどれだけ柔道が素晴らしい者かを知らしめて、それをバネに、何とか部の復活に繋げる原動力にしたい。そのための手助けをお願いしてるんです』

俺はシナモンスティックをぼりぼりやり、齧り尽くすと、

もう一本咥える。

『・・・・勝ち負けは問題でしょ?』俺は答えた。

『負けても素晴らしいなんてのは、甘っちょろい考え方だと思いますな』

俺は相手の顔をまっすぐに見つめ、彼女にスティックを勧めた。

『分かりました。料金は一日6万円、後は必要経費・・・・拳銃・・・・あ、これは必要ありませんな。しかし危険手当が発生する可能性はありますから、プラス4万円の割り増しは頂きます。』

彼女は俺の手からスティックを受け取り、口に咥えた。

『ああ、それから、引き受けるからには私は私のやり方でやらせて頂きますから。それもご承知おき下さい』

 ほんとなら、あまり気の進む依頼じゃない。

 しかし、マリーの紹介とあっちゃ、無下に断るわけにもゆかない。

 それにあと一つ、俺にとっての重大問題がある。

 風呂を直さねばならない。

 『酒』

 そして『風呂』、

 俺はこの二つが無ければ生きて行けん。

 そのためにはつまらん仕事でも引き受けにゃならんのだ。


 次の日、約束通り俺は中目黒にある『T学園鷹見ケ丘国際高等学校』の道場に出向いた。

 道場はかつてのものをそのまま利用しているとかで、結構広い。

 恐らく八十畳はあるだろう。

しかし・・・部員は1年から3年迄、合わせて丁度七人。

そのうち柔道経験者(有段者)は、2年に一人と三年に二人。

3年はじきに卒業してしまうので、そうなると有段者はたった一人になってしまう。

おまけに彼らの練習を見ていると、お世辞にもやる気が感じられない。

正確にはやる気はあるんだが、覇気が感じられないといったところだろうか?


マーガレット・ハリソン先生は、白い柔道衣(彼女は稽古着と呼ぶ。どこまでもクラッシックにこだわる女性だ)に、日本柔道界独特の、真ん中に一本筋の入った黒帯を絞め、セミロングの髪を後ろで束ねている。

俺は昨日ねぐらの押し入れの奥から、昔使っていた稽古着と黒帯を引っ張り出してきた。

道着も帯も洗濯をし、悪いところはつくろってあったものの、帯はもう完全にボロボロになっていて、既にシンが見えかかっている。

ハリソン先生は一旦練習を中止させ、正座した部員たちに俺の事を紹介して、

『今日から臨時コーチを務めて下さる乾先生です』

 と紹介した。

 すると、二列目に並んでいた二年生でただ一人の黒帯(初段だそうだ)が、手を挙げ、

『四段だっていっても、本当かどうか、実力のほどを知りたいんですがね』俺を下から見上げながらニヤニヤと笑っていた。

『年からするともう現役じゃないんでしょ?僕らを教えられるのかなぁ?』

体格もそれほど良くはないし、背も高くない。しかし負けん気だけは強そうだ。

『いいだろう。じゃ、掛り稽古でもやろうじゃないか。俺が前に出るから、一人づつでもいい。かかってきたまえ。』


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