その弐

『はあ?』俺は思わずキッチンから盆に載せて運んできた二人分のコーヒーカップを、途中で落としそうになった。

『柔道のコーチを頼みたいなら、講道館こうどうかんに行くんですな。』

 俺は盆の平衡へいこうを保ち、どうにか持ちこたえ、彼女の前と、俺の前にカップを並べた。

『私は真剣です。それにこの契約書の「依頼出来ない事項」には「武道の指導は出来ない。又はしてはいけない」というのはありませんけれど』 

 俺は頭をき、考えを整えた。

『まあ、とにかくお話だけでも伺いましょうか』

 向かい合わせに坐った俺は、コーヒーを一口啜ってから訊ねた。

 彼女の眼差しは、如何にも真剣そのものだったからである。

 ミス・ハリソン(彼女はどうもこういう表現は嫌いらしい。『ハリソン先生と呼んでください』と何度も釘を刺された。)によれば、T学園鷹見ケ丘国際高等学校は、割と歴史が古く、原点は戦前にさかのぼるという。

 つまりは、旧制中学時代に創立された。

『質実剛健・文武両道』が校風であり、武道(柔道、剣道)は当然のように正課となっており、どちらも全国大会ではかなり優秀な成績を修めていたそうだ。

 しかしながら戦争が終わってみると、GHQによる『禁止令』によって、武道は完全に学校から追放されてしまった。

 これが一度目の苦難だった。

 さて、日本が主権を回復した後、暫くして部活として柔道部と剣道部は復活した。その後は部活にありがちなお定まりの浮き沈みを繰り返しながらも、何とか持ちこたえてきたのだが、校名に『国際』というありがちな冠がついてから、つまりは『柔道なんて』というアレで、人気ががた減りになった。

二度目の苦難はそのすぐ後に来た。


当時柔道部の顧問をしていたのは、体育大学出身でオリンピック強化選手にまでなったほどの、俗にいうところの『脳味噌筋肉』で、精神と根性があれば何事も達成しうると考える男で、部員(当時はまだ男ばかりだった)をとにかくしごきまくり、ついてこれないと罵声を浴びせる。手を出す。という、まあ今の言葉で言えば『体罰』『パワハラ』の連続で、非難と抗議の雨あられで首になった。

当然それでなくても少なかった部員もすっかり減ってしまい、今では1年生から3年生までで、たったの7人だけである。

これじゃ七人制の団体戦でもぎりぎりの人数しかいない勘定で、要は部としての存続すら危ういということで、今では『同好会』に格下げとなってしまった。

さらに問題なのは、この中で中学時代からの柔道経験者は三年生に二人いるだけ、つまりは三年生が卒業してしまったら、あとは素人ばかりの集団となり、いずれは消えてなくなる運命なのだ。

学校自体も、柔道部の存続なんかさほど重要視しておらず、どうでもいいと思っているみたいだ。

教職員でも柔道経験者は『ハリソン先生』一人きりというわけで、柔道を愛する彼女としては、何とかして部に昇格させたい。

そこで誰かに力を貸してもらいたいと思っているところへ、旧知の真理が俺を紹介してくれたというわけだ。










 

 



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