第2話 色褪せた世界
懐かしい夢を見てしまった。
俺が小さいころの、ちょっと痛々しい夢。
あの頃遊んだ記憶は確かにあるし、彼女と会えなくなってすごく落ち込んだのも覚えている。
だけど、もう遠い昔のことだ。
記憶はどれもあいまいで、はっきりしない。
だから、あれは俺が見た幻覚だったんだと最近は思うようにしている。
そう信じる証拠しか持っていないから。
手早く朝の支度を済ませ、学校に向かう。
家の最寄り駅から学校の最寄り駅まで約20分。
その時間を満員電車の中で耐えなければならない。
狭い。暑い。臭い。
その三拍子を乗り越えた先に、俺の通う学校はある。
親に言われるまま入った学校だ。遠くて嫌という以外に思い入れはない。
「おはよう。鈴井。悪いけど英語の課題見してくんない?」
「はあ。いいけど、お前何回目だ?成績大丈夫?」
「サンキュー。マジで恩に着るわ。大丈夫だって。落単しなきゃいいだけだろ?」
「俺はその心配をしてるんだけど?」
「ま、まあきっと何とかなるから。じゃあな」
あきれて溜息をつきながら、俺は教室へと入っていく。
「このように、君たち一年生にとっても、受験は決して遠いものではない。中高一貫校の連中はもうすでに本腰を入れている。彼らと戦っていくために、君たちもその自覚をもって日々の勉強に当たってもらう必要がある。ゆえに……」
ロングホームルームの時間。こんな話が担任の教師から延々と続き、退屈極まりない。
俺も含め、クラスメイトは皆怒られない程度にだらけていた。
間に存在する絶対的な温度差。
これでは成績など上がるはずもない。
学校側もここを改善せずに、生徒を課題で縛り付けるばかり。
わが校が自称進学校とささやかれる所以である。
そんなとき、スマホが震えだした。
ユーキ:放課後カラオケ行かね?
こうちゃん:行くいく
ユーキ:@鈴井遼 はどうする?
まったく、しょうもない。
鈴井遼:すまんな。今日はキツイ
ユーキ:りょ
今日は嘘をついて断ったわけではない。
カラオケが怠かったというのも間違ってはいないのだが、本当に用事はあるのだ。
俺は、病院に行かなければならない。
「色がなくなることがある。ということですが、具体的にどのような症状がありますか?」
担当医が戸惑った様子で聞いてくる。
彼の知識にはない症例なのだろうか。
「えっと、前よりも色が薄く見えるようになった気がして、たまにほとんどモノクロに見えます。全体的に色の彩度を落としたみたい、といいますか」
それを聞いて医者はファイルから一つのシートを取り出した。
「これらの色の区別はつきますか?」
区別がつきにくい色の組み合わせ。と書かれている。
簡易的なチェックシートのようだ。これらは全て見分けがついた。
「はい。わかります」
「そうですか。たまにひどくなると言いましたが、今はどうですか?」
「今は普通、だと思います」
「わかりました。では、一通り検査を行ってみましょう」
いろんな検査をした。
おなじみの視力検査から始まり、眼圧検査や視野検査といった初めてのものをたくさんやった。
いろんな紙を見せられて、色の違いを比べさせられた。
すると、薄い色同士でほとんど見分けがつかないことが分かった。
俺には全部ほとんど白にしか見えなかったが、普通はいろんな色に見えるらしい。
もうすっかり暗くなったころ、医者は言った。
「目自体にはほとんど異常はありません。ですが確かに色覚異常が確認されたので、心因性視覚障害だと考えられます」
「はあ、心因性」
「はい。精神的なストレスが原因となる視覚障害です。それを除ければ回復すると考えられますが、詳しい原因はわかりません。最近、何か嫌なことがありましたか?」
思い当たる伏は無くはない。だが、そこまで大きなストレスを感じるとは考えにくかったので、首を振る。
「そうですか。長らくお疲れさまでした。気を付けてお帰り下さい」
「はい。ありがとうございました」
駅から家までの帰り道。
ふと誰かに見られている気がして振り返る。
だけど、そこには誰もいない。ただ暗い夜道がどこまでも続いている。
「ったく。またかよ」
ちっ、と悪態をつく。
近頃、こんなふうに視線を感じることが多くなった。全く自意識過剰だと自分でも思う。
だけど、まだその感覚は続いていて。
何度か振り返っても消えず、遼は逃げるように足を動かした。
蛍光灯で照らされた室内に、キーボードを打つ音と、機械のうなり声が響く。
そろそろ布団に入るべき時間。
だが遼には、一向に寝る気配がなかった。
「…あーっ」
うめき声ともつかぬ息を漏らし、頭を抱えだした。
「何も降りてこねえ」
そのまま机に突っ伏す。
キーボードが潰され変な文字列ができているが、それもお構いなしだ。
そうやってしばらくは粘っていたが、やがてあきらめたのか作業を終了した。
「あ?なんでだよ」
顔を上げれば、そこは白黒の世界だった。
そんな笑えない冗句を考えるくらいには、遼は思考が停止していた。
「ああ、もう寝よう」
倒れこむようにベッドに横になる。
電気を消して、目をつぶる。
結局あの視線は消えなかった。
おかしな現実から逃げるようにして、遼は眠りについた。
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