第50話 アタシの失敗 3


 夏が終わったとはいえ、日が落ちるのはまだ遅い。夕焼けにもなっていない空の下、アタシは中等部の正門の前に立っていた。

 やはり高等部の制服は目立つようで、下校してくる生徒達が時々チラチラこっちを見る。

 本の半年前まではアタシもこの門を潜っていたというのに、もう随分昔のように思える。あの頃はいずれ訪れるあな恋の本編を心待にしながら、毎日ワクワクしていたっけ。けど、実際は上手くいかないなあ。

 そんな事を考えていると門の向こうから、見知った顔がこっちに向かって歩いてくる。すると向こうもこっちに気づいたようで、足早に近づいてくる。


「こんな所でどうしたの、アサ姉」

「空太ぁ~っ」


 思わず情けない声が出る。そういえば昼間、空太はもう頼らないってメールをしていたっけ。

 それから僅か半日でこうして泣つくなんて本当に情けないとは思うけど、全てを打ち明けて相談できる相手なんて空太しかいないのだ。

 見栄もプライドもどうでも良い。それくらいアタシは追い詰められていた。

 空太はそんなアタシを見ても何も言わずに、そっとハンカチを差し出してくる。


「とりあえず、涙拭きなよ。酷い顔してるよ」


 言われて初めて、涙が頬を伝っている事に気がついた。普段なら泣き顔を見られるなんて恥ずかしいけど、今はそれを気にする余裕も無い。

 受け取ったハンカチで涙を拭いていると、空太はスマホでどこかに電話を掛け始めた。


「……はい。では桜崎学園中等部の正門前まで」


 短い通話を終えると、再びこちらに視線を戻してくる。


「ここじゃあ話しにくいでしょ。タクシー呼んだから、詳しい事はアサ姉の家に行ってからにしよう。相談があるんでしょ」


 まるで全てお見通しといった様子の空太。落ち着かせるようにポンポンと背中を擦ってくれて、これではどっちが歳上かわからない。だけど今は、そんな空太にただ甘えたかった。


「ごめんね、メールでは偉そうな事言っちゃったのに。こんな格好悪いとこ見せちゃって」

「アサ姉が格好悪いのなんて今更でしょ。良いんだよ、変に格好つけずに、素直に相談してくれた方が。ちゃんと事情が分かって話ができるのなんて、俺くらいだろうしね」


 いつになく優しい様子の空太。そういえば、前にもこんな事があったっけ。

 あれは壮一のご両親が亡くなった時。あの時も空太は、じっとアタシの話を聞いた後慰めてくれたっけ。

 また、頼っちゃうんだよね。本当は旭様のポジションにいるアタシの方が、空太の力にならなくちゃいけないのに。だけどごめん、今だけは力を貸して。

 空太も言った通り、ちゃんと腹を割って話せるのはこの子だけなのだから。




 家に帰ったアタシは自分の部屋で椅子に腰掛け、正面には同じように腰を下ろしている空太がいる。

 こういう時いつもなら壮一が紅茶を淹れてくれるのだけど、生憎今日は来ていない。あんな事があったのだ。きっと顔を会わせたくないのだろう。

 一応お手伝いさんが紅茶は用意してくれたけど、一回口につけただけで飲むのをやめてしまった。

 美味しく無いなんて事は無いんだけどね。何だか口にする度に壮一を怒らせてしまった事を思い出しそうで、飲む気がしなかった。空太の方はしがらみなんてないから、気にする事なく飲んでいるけど。

 そんな空太をじっと見ていると、ふとこっちを見てきて目が合った。そして。


「ソウ兄と喧嘩したんだよね。それに、琴音さんとも」

「―———っ!どうしてそれを!?」


 紅茶を飲んでいなくてよかった。飲んでたらきっとむせかえっていただろう。

 動揺するアタシを見ながら空太は言う。


「実は少し前に、ソウ兄から電話があってね。アサ姉の様子がおかしいけど、何か知らないかって。その時何があったか教えてもらってね。学校で何があったか知ってたんだよ」


 なるほど。泣いているアタシに自然に接することができたわけだ。空太のことだからきっと話を聞いた時点で、こうなる事は予想がついていたんだろう。でも、ちょっと待って。


「それで、壮一には何て答えたの?まさか前世の話とか、ここがあな恋の世界だって事は言ってないよね?」

「当たり前でしょ。いきなりそんな事を言い出したら、頭がおかしくなったと思われるよ」


 良かった。その理屈で言うと空太はあな恋の話を聞いた当初、アタシの頭がおかしくなったと思ってた事になるけど、まあそれは良いだろう。


「ソウ兄には俺もよく分からないって言っておいたよ。けど、そしたら心配してた。急に態度が変わったんだから当たり前だけどね」


 そうなのか。てっきり嫌われてしまったと思っていたけど、心配掛けてしまってただなんて。

 そんなのもちろん良くない。けど、どうすれば良いのだろう。


「ねえ、何か良い方法は無いかなあ。壮一や琴音ちゃんと仲直りできて、尚且つアタシの好感度が上がらない方法」


 もしかしたら現時点で好感度は最低かもしれないけど、やはり安心はできない。

 もしかして、二人と仲良くしつつくっつけようというのが、そもそも難しいのだろうか?

 ああ、旭様は多少の衝突はあれど、最後にはちゃんと友情と恋を両立させていたのに。アタシの低スペックでは不可能なのだろうか?

 しかし落ち込むアタシと違い、空太はケロッとしている。


「そんな難しく考えること無いんじゃないの?アサ姉は何も琴音さんと喧嘩したい訳じゃないんでしょ」

「当たり前よ。本当なら今すぐ謝って、ちゃんと仲直りしたいわ」

「だったらそうすれば良い。好感度なんておかしな事を考えずに、やりたいように動けば良いんだよ」

「えっ?」


 いやいや、何言ってるの?確かにそれなら仲直りはできるかもしれないけど、そしたら壮一の事はどうなるの?


「そんなのダメよ。壮一を琴音ちゃんとくっつけて幸せにするって夢は、諦めていないんだから」

「幸せねえ。アサ姉と喧嘩してモヤモヤしてるのが、幸せだとは思えないけど」

「それはそうだけど…将来の話よ。アンタにも乙女ゲームは何本かやらせたからわかるよね。好感度が一番高くないと、ヒロインとはくっつけないのよ」

「分かってるよ。だから一番高いであろう自分の好感度をどうにかしたいと思ってるんでしょ。でもねえ、それじゃあこのままアサ姉が好感度一位になったとして、そのまま琴音さんとくっつくって思う?」

「それは……」


 どうなんだろう?ゲーム通りだと攻略対象キャラのポジションにいるのだから、くっついてもおかしくない。だけどアタシも琴音ちゃんも女の子なのだ。もちろんノーマルの。

 普通に考えたら、くっつくなんて事はまず無いだろう。


「で、でもそれにしたって、壮一が好感度一位になれないなら大問題よ。もし二位になって運良く繰り上げ当選みたいな形でくっついたら良いけど、そうならなかったらどうするのよ?」


 もちろんこんな事は前例がないから、どうなるかなんて分からない。ゲームと違ってやり直しがきかない以上、ダメでしたではすまないのだ。しかし。


「俺からすれば何をそんなに気にするのって思うけどね。ゲームシステム云々を抜きに考えたら、琴音さんがソウ兄を好きになるのとアサ姉と仲良くするのは別問題でしょ。異性として誰かを好きになるのと友達として大切な人がいるっていうのは両立できるんだし」

「そりゃ普通はそうだよ。だけどここはあな恋の世界で……」

「いい、アサ姉」


 喋ろうとしたところを、口に指で蓋をされて止められてしまった。

 そして空太はアタシをじっとアタシを見つめ、衝撃的な事を口にする。


「何度も言うけど、俺はアサ姉の話を鵜呑みにしている訳じゃない。当たり前の事だけど、ここはゲームの世界なんかじゃないんだ」

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