第11話 ゲーム開始 5
部室棟を離れて、ずぶ濡れのアタシ達がやって来たのは体育館。ここに来た理由はもちろん、運動部の見学をするためではない。
アタシ達を待たせて体育教官室に行った壮一は、ほどなくして二人分のジャージを持って戻って来た。
「二人とも、これに着替えて」
ジャージの他に、タオルも二人分手渡される。先生に事情を話して借りてきてくれたようで、こういう手際の良さは流石だと思う。
「あ、ありがとう……ございます」
琴音ちゃんはまだ距離感が掴めていないのか、たどたどしい敬語を含みながらそれを受け取る。
「本当にごめんなさい」
アタシに向かって勢いよく頭を下てくる琴音ちゃん。おそらく今回の騒動の責任を感じているのだろう。その表情からは未だに申し訳なく思っていることが見て取れた。
「私のせいであなたまでこんな事になってしまって。クリーニング代は出しますから」
「そんなのいいよ。これくらい平気だから、あんまり気にしないで」
必死で謝ってくる琴音ちゃんの言葉を慌てて遮る。自ら望んでやった事なのだから、琴音ちゃんが責任を感じる事なんて何一つない。それに、別の理由からも彼女にクリーニング代を出させるわけにはいかなかった。
というのも、実はあな恋では琴音ちゃんのお母さんは、娘が桜崎に通う事に不安を抱えているのだ。周りのほとんどがセレブの子供達である中、場違いにならないか。馬鹿にされやしないだろうかと心配していたっけ。
それなのに入学初日に制服を濡らして帰ってきて、その上クリーニング代まで請求なんて事になったら、きっと余計な心配をかけてしまうだろう。そんな事にはさせたくない。
「でも……」
なおも食い下がってくる琴音ちゃん。だけどそこで壮一が口を挟んでくる。
「服の事なら君が心配する必要は無いよ。そもそも今回の原因は化学部にあるんだし、さっきそこの部長とは話をつけておいた」
壮一ナイス。そう言えばアタシ達があの場から退散する直前に化学部の人達と何やら話していた気がする。あの短い間にそんな事までしていたのか。
「そんな事より、いつまでその格好でいるつもり。このままだと風邪ひくよ」
「そうだ、すぐ着替えないと」
壮一の言う通り、アタシ達はまだ濡れた制服を着たままだ。壮一をその場に残し、琴音ちゃんを連れて更衣室へと向かう。
ゲームではこれに該当する場面では更衣室に向かうのは旭様一人。殆ど濡れる事の無かった琴音ちゃんは、旭様が戻ってくるまでの間壮一と話をして互いの名前を教え合っていたっけ。もちろんアタシと一緒に着替えに行く今の状況は、元のシナリオから外れていると言っていい。
濡れた制服を脱ぎ、髪を拭いてジャージに着替えると、とたんに温かくなってくる。横を向くと、同じくジャージに袖を通した琴音ちゃんがこっちに顔を向けていて、目が合う形となる。
「私、倉田琴音って言います」
ジャージ姿の琴音ちゃんがそう言ってぺこりとお辞儀をする。
けど、名前なんてもうとっくに知ってるよ。何せ前世から大好きだったんだから。とは言え今世では初対面。アタシも琴音ちゃんに習って自己紹介をする。
「琴音ちゃんね。アタシは春乃宮旭。旭って呼んでくれる?」
旭様と琴音ちゃんはゲーム序盤ではそれぞれ春乃宮君、倉田さんとお互いに名字で呼び合っていたっけ。
だけどアタシは、彼女の事を心の中で何年も琴音ちゃんと呼び続けていたから、今更倉田さんとは言い難い。そして自分が名前で呼ぶ以上、琴音ちゃんにもアタシの事を名前で呼んでほしかった。
「旭……さん」
「さん、はちょっと堅苦しいよ。あと、敬語も使わなくていいから。同じ新入生同士じゃない」
そう言うと琴音ちゃんは少し迷ったみたいだったけど、ちょっとだけ照れた様子で口を開いた。
「それじゃあ……旭ちゃん」
「―――ッ!ごめん、もう一回言って」
「え?……旭ちゃん?」
旭ちゃん……旭ちゃん……旭ちゃん……
その言葉が何度も頭の中でリピートされる。ゲームで琴音ちゃんが旭様を下の名前で呼ぶようになるのは本当に終盤。なのに出会ってすぐに名前呼びイベントに持っていけるなんて、これって凄い事じゃない?
しかもちゃん付で呼ばれるなんて、ゲームではなかった展開だよ。本来の設定からは外れているけど、これはこれで……イイ!
照れながら名前を呼んでくれた琴音ちゃんもとても可愛いいし。もしこれでアタシが男の子だったら、こうすんなり名前を呼んではくれなかったかもしれない。女の子のままこの世界に産まれたことに、今は感謝だ。
「大丈夫旭ちゃん、何だか固まっちゃってるけど」
「えっ?だ、大丈夫だよ」
慌てて取り繕うアタシ。危ない危ない、思わずトリップしてしまっていた。もっとちゃんとしないと、変な子だと思われてしまったら大変だ。
それに、よく考えたら本題である壮一と琴音ちゃんをくっつける計画の方はちっとも進展してないんだよね。
本当なら今頃、壮一と琴音ちゃんが互いに自己紹介をしているはずだったのに、アタシばかりが距離を縮めて行っている。この後なんとかして、改めて壮一とは顔合わせさせるつもりでいるけど、今までの事を思うと必ずしも想定通りに行くとは限らない。かくなる上は……
「そう言えばさっきの男子だけど、壮一って言うの。風見壮一、アタシの幼馴染なんだ」
こうなったら今のうちに命一杯壮一を紹介しておこう。少しでも良いところを話しておいて、印象値を良くしておくんだ。
「そうなんだ。あの人ってたしか、新入生代表挨拶をしてた人だよね」
「そう。そうなの!」
琴音ちゃんもあの時の壮一の優位を覚えてくれていたんだ。嬉しくなったアタシは、更に壮一アピールを続ける。
「壮一は昔から頭が良いからね。でも天才ってわけじゃなくて、どちらかというと真面目に積み重ねていくタイプなんだ」
「へえー、凄いね。私も見習いたいなあ」
ゲームでの琴音ちゃんは、壮一の地道に頑張る所に共感と尊敬のようなものを持っていた。特待生である琴音ちゃんも成績は上位の方だけど、彼女もまた天才というわけではなく、成績維持のために毎日の勉強は欠かさない子だ。そうした努力家気質の所が壮一に似たものを感じているのだろう。
それを分かっているからこその、壮一の努力家アピールだ。もちろん壮一の紹介はそれだけでは終わらない。
「勉強だけじゃないの。運動だってできるし優しいし、アタシが困っていた時は必ず気付いて助けてくれるし、普段の態度も紳士的で……」
ここぞとばかりに思いつく限り壮一良い所を話していく。出会いの場面が変わってしまった分を取り戻すため、いや、むしろそれ以上に好感度を上げるくらいの意気込みで、壮一の素晴らしさを次々と声に出して行く。
中学の頃助っ人で野球部の試合に出て活躍した話。小さい頃風邪を引いたアタシに、ずっと付き添ってくれた話。壮一の事は大好きで、前世でも今世でもたくさん見てきているから、いくら話してもその内容に事欠くことは無い。だけど……
クスッ
話を聞いていた突然琴音ちゃんが突然噴き出した。
「どうしたの、アタシ何か変なこと言った?」
「ごめん、そうじゃないの。ただ、何だかさっきから風見君の話ばかりだなって思って」
「あ……」
琴音ちゃんの言う通り、さっきからアタシが一方的に壮一の話ばかりをしていた。
しまった、いくらアピールするためとはいえ会ったばかりの子にこんなに語るだなんて、いくら何でもやりすぎたかもしれない。もしかして引かれてしまっているかも。
だけど青ざめるアタシに、琴音ちゃんは笑いかける。
「ゴメンね。あんまり楽しそうに話しているものだから、つい……」
そしてまたクスリと笑う。どうやら引いたり気を悪くしたりという様子は見られなかった。
笑ったってことは、少なくともマイナスにはなってないのかな?とりあえずここはポジティブに解釈しておこう。と、思ったのも束の間。
「良いねえ、素敵な彼氏がいて」
「そりゃあもう……て、えっ?彼氏?」
一瞬、その言葉の意味が分からなかった。そんなキョトンとしているアタシを見て、琴音ちゃんも首を傾げる。
「違うの?あんまり仲が良いから、てっきり付き合っているものだと……」
とたんにサッと血の気が引いた。
いやいやいや、何言ってるの琴音ちゃん。もしかして、ずっと勘違いしちゃってたってこと?そう言えば水を被ったアタシに壮一がブレザーを掛けるのを見て、『彼女を優先させるのは当然だ』って言っていたような気も……マズイ。これはマズすぎる。
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