第10話 ゲーム開始 4


 ゲームでは壮一は、濡れた二人を見ながら何やってるんだと苦笑していたっけ。そして自分の来ていたブレザーを脱いで、そっと琴音ちゃんの肩にかけてくれたんだよねー。

 ゲームでは旭様が庇ってくれたおかげで琴音ちゃんはそこまで濡れてはいなかったんだけど、とっさにブレザーをかけてくれた壮一の行動は私の目にはとても紳士的に見え、キュンと来るには十分だった。

 今から目の前でそれと同じ展開が起きるのかと思うと、否が応でも興奮してしまう。


 いいなあ、壮一のブレザー。今世に生まれてから、アタシはずっと壮一と緒にいるけど、さすがにそんな美味しい展開になったことは無いよ。出会ってすぐにそんな事になるだなんて流石は乙女ゲームのヒロイン。神様に愛されてますなぁ。


 改めて琴音ちゃんを見ると、やっぱりゲームの時とは比べ物にならないくらいに濡れている。これだけ濡れているのなら、なおさらブレザーが大きな意味を持つかもしれない。なら、これはこれで結果オーライか?

 さあ壮一、その脱いだブレザーを優しく肩にかけてあげるんだ。


 アタシの心の声が届いたわけじゃないだろうけど、壮一はブレザーを脱ぎ、白のワイシャツが露わになる。その姿に不思議な色っぽさを感じたのは、おそらくアタシだけじゃないはず。その証拠に、ギャラリーから黄色い声が上がっている。

 だけど駄目だよ、壮一は琴音ちゃんとくっつくんだから、モブ達は変な気を起しちゃいけないんだから。

 そんなことを思っている間に、壮一は脱いだブレザーを手に取ると、それを肩へと掛けてくれた。


 ……ただし、掛けたのは琴音ちゃんではなく、何故かアタシに。


「へっ?な、なんで?」


 予想外の展開に間の抜けた声を上げる。ちょっと壮一、掛けるのはアタシじゃなくて琴音ちゃんにだよ。そりゃ確かに『壮一のブレザー、良いな』とか思ったけれど、だからといったこれじゃ琴音ちゃんとの出会いイベントが台無しになっちゃうよ。

 だけどやはり壮一にはアタシの心の声は聞こえていないようだ。私の思いなど露知らず、心配そうに目を向けてくる。


「こんなに濡れて、大丈夫か?」


 その気遣う表情に思わずクラッとなる。


「う…うん、アタシは平気。じゃなくて、ブレザー掛ける相手間違ってるよ」


 どうしてここでアタシに掛けるの?このブレザーだってきっと、『え、こっち?隣の可愛い子じゃなくて?』って困惑しているよ。


 だけど壮一はアタシの抗議に戸惑ったみたい。


「そりゃ、この子だってそうかもしれないけど状況は旭だって似たような物だろ」


 う~ん。そりゃ確かに濡れた量で言ったら二人とも似たようなもの。いや、わずかだけどアタシの方が多いかもしれない。

 だけどこれじゃあやっぱり、せっかくの出逢いが台無しじゃないか。よーし、こうなったら。


「壮一、脱いで!」

「はっ?」

「この際そのワイシャツでもいいから。今すぐ脱いで!」

「ちょ、ちょっと待って」


 そして琴音ちゃんに着せてあげるのだ。だけど壮一は中々脱ごうとしない。何やってるんだいったい?

 グズグズしてはいられない。見かねたアタシは壮一の着ているワイシャツのボタンに手をかけ、それを外し始める。


「何やってるの⁉」

「それはこっちのセリフよ。何モタモタやってるの?早くシャツを脱いでから琴音ちゃ……この子に着せてあげて」


 危ない危ない。つい琴音ちゃんと呼んでしまうところだった。アタシは前世から琴音ちゃんの事は知っているけど、直に会うのは今日が初めて。名前を知っていたら不審に思われてしまうだろう。

 変に思われてないよね?様子を窺おうと目を向けると、琴音ちゃんは気まずそうな顔をしてこっちを見ている。


「あの、そこまでしてもらわなくても良いから。私は全然平気だから」


 幸い先ほど名前を言いかけてしまった事には気づいていないみたい。だけど何だか、とても申し訳なさそうな眼差しを向けている。

 マズい。この様子じゃ、壮一からシャツをはぎ取ったところで受け取ってもらえるかどうか。


「でも、でも……」

「庇ってくれてありがとう。それとその……そっちの人のシャツの話、そんなに気を使ってもらわなくても大丈夫だから。気持ちだけで十分嬉しいもの」


 アタシが気にしないように気を使ってくれてるのか、精一杯の笑顔を向けてくれる琴音ちゃん。でもどうしよう、琴音ちゃんとのラブラブな未来を掴み取るためには、このままじゃダメなのだ。二人をくっつけて幸せにしてあげようってずっと思っていたのに、初っ端から躓いちゃうなんて。

 どうすればいいか分からずに口をパクパクさせていると、服をはぎ取ろうとしていた壮一が琴音ちゃんへと体を向けた。


「ええと……ごめん。旭の言うとおり君の事を蔑ろにしていた」


 そう言って頭を下げる。

 ああ、これが二人の記念すべき初会話なのか。ゲームのそれと比べると、いささか以上に見劣りしてしまうのが残念でならない。


「ううん、気にしないで。私は庇ってもらったからそこまで濡れていないし、彼女を優先するのもおかしなことじゃないでしょ」


 いや、庇ったのはアタシが望んでやって事だから。むしろ合法的に抱きしめられて幸せとか思ってたから。しかも全然庇えてなかったし。

 そのうえ壮一のブレザーまで奪ってしまっては申し訳ない。自分に掛けられたブレザーを外すと、それを琴音ちゃんへと掛けなおした。脱ぐ時に少しだけ匂いを嗅いでおいたけれど、まあそれはいいだろう。


「えっ、私は良いって」


 琴音ちゃんは遠慮するけど、これは本来彼女にあるはずだったイベントだ。堂々と受け取っちゃえばいいんだよ。


「アタシがやりたくてやってるんだからいいの。それよりごめんね、ちゃんと守ってあげられなくて」


 戸惑う琴音ちゃんの肩に改めてブレザーを掛ける。一応これで琴音ちゃんは壮一のブレザーを着たのだけど、これってゲーム通りのイベントを進めたって言えるのかな?

 だけど悩んでいたところで壮一が言った。


「二人とも、話はそれくらいにしてまずは移動した方が良い。野次馬も集まって来ている」


 見るとこの騒ぎを聞きつけてきたのか、周りにはさっきまでよりも多くの人が集まって来ている。その中でそもそもの原因である化学部の人達は真っ青になっていた。

 アタシは春乃宮という家柄から、人から注目されることは昔から多々あった。だけど今回の注目はいつものそれとはまるで質が違う。こうなる事は分かっていてやったとはいえ、やはりこんな姿を大勢の人に見られるのはやっぱり恥ずかしい。


「そうだね。とりあえず、どこか行こうか」

「う、うん」


 琴音ちゃんも恥ずかしそうに頷く。その時ふと、スカートのポケットの中のスマホが震えた。


(メール?誰からだろう?)


 このスマホは防水加工が施されている。そのためさっきみたいに水を被っても、問題無く機能するはず。取り出して画面を見ると、そこには空太から送られてきたメールが表示されていた。


『出会いイベントってのはちゃんと起こせた?ちょっと思ったんだけど、イベントの詳細を聞いた限りでは、アサ姉がずぶ濡れになっちゃうんだよね。でもそれだと、ソウ兄の事だからアサ姉にブレザーを渡しちゃうんじゃないの?ゲームでは違ったかもしれないけど、今世ではアサ姉も女子なんだし。出会い方、見直した方がいいんじゃないの?』

「……………」


 送られてきたメールを凝視ながら、アタシは言葉を失う。するとスマホを手に固まっているアタシを見て、壮一が促してくる。


「何してるの?早く行かなきゃ」


 気遣ってくれる壮一。だけど今は、このいかんともしがたい感情をどこにぶつけるかの方が重要だ。


「急がないと、本当に風邪ひいて…」

「……こ……こう…」

「え、何?」

「こういう大事な事はもっと早く言え―――!」


 スマホを握りしめながらずぶ濡れのまま叫ぶアタシに、壮一も琴音ちゃんも、集まっていたギャラリー達もギョッとするのだった。

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